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灰と王国  作者: 風羽洸海
第二部 竜と竜侯
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4-6. 期待と報酬


 カルスムからの特使だという若者を前にして、グラウスはどう振舞ったものか、珍しく困惑していた。

 手渡された封緘書袋は確かに軍団のものだが、それを持ってきた若者はサルダ族の外套をまとっている。取り次いだ伝令によれば、山からの街道を徒歩でやってきたという話だったが、足元の汚れ具合は、雪の峠を越えてきたほどには見えない。

(妙だな)

 短剣ひとつ帯びず、戦の経験などなさそうな歳であるのに、全身にまとう空気が戦士の強さを窺わせる。

(騙り……というわけでもなさそうだが)

 何か腑に落ちないまま、グラウスは封をはがして書状を広げた。最初に署名を確かめる。第八軍団司令官、アンシウスの名と印章。

「アンシウス?」

 ディルギウスはどうしたのだ、と眉を寄せる。顔を上げて目で問いかけると、若者は小さくうなずいた。

「ディルギウス司令官は亡くなりました」

 端的な答えには、複雑な響きがあった。グラウスはその意味を知ろうと書状に目を通し、そして――深いため息をついた。

「そうか。おまえが噂の竜侯なのか、フィニアス」

 名を呼ばれて、フィンは身じろぎした。どんな噂か知りませんが、と言いたいところを堪えて、ただ首肯する。グラウスはそんな彼を改めてしげしげと眺めた。

 静かな意志を湛えた藍色の瞳、白く残る頬の傷、やや細いが力強さを秘めた肩、姿勢を崩す事なくしっかりと立つ両足。

 大勢の兵を見てきたグラウスは、経験と勘に基づいてひとつの評価を下した。

(こいつが背中を守ってくれたら安心だろうな)

 査定を終えてふむとうなずくと、グラウスは幾分打ち解けた口調になった。

「この書状によれば、ディルギウスは山中で闇の獣に囲まれて死亡した、となっているが、おまえはそれを見たのか?」

「はい。出来るだけ多くを逃がそうとしましたが……先頭の部隊は特に、もう闇の深いところに入り込んでいたので」

「遺体や軍団旗の回収は、春になるまでは無理ということか」

「いいえ。ここに来る前に、サルダ族の村に寄りました。彼らなら、冬の山脈でも動けます。遺体は恐らく残っていないでしょうが、軍団旗だけはなんとか見つけて、カルスムの兵営に届けてくれるように頼んでおきました」

 旗以外の遺留品は好きにしてくれて構わないから、と言った時の、青霧の面白そうな顔が脳裏をよぎる。フィンとしては山賊扱いするつもりではなく、山に住むものを危険に晒したのだから、その程度のことは償いとして当然だと思ったのだが。いや、青霧はそんな心中も分かっていて、わざとおどけたのだろう。

「周到だな」

 グラウスの声で現在に注意を戻すと、将軍は何やら企む風情でこちらを見つめていた。フィンが警戒すると、グラウスはにっと笑った。

「返事を貰って来いと言われたか?」

「……いいえ」

 フィンは嫌な予感がして、わずかに顔を歪める。グラウスの笑みが一層大きくなった。

「そうか。ならば、ゆっくりして行け。カルスムからここまで、疲れたろう。食堂で腹を満たして、一休みすると良い。その後でいくつか尋ねたいことがあるから、ここへ戻って来い」

「は……あ」

 曖昧な返事をして、フィンは目をしばたたく。カルスムの兵営で、竜侯だ竜侯だと取り囲まれて見世物のようになってしまったことを思い出して怯んだが、ここでは己が竜侯だと知っている者はいない筈だ。将軍の言葉に敢えて逆らう理由もないので、仕方なくフィンは言われた通り、一礼して退室した。

〈何か企んでいるみたいだな〉

 不安だ、とフィンが言うと、レーナも〈そうね〉と同意したが、心配している様子はなかった。

〈フィンをびっくりさせようとしてるみたい。でも、意地悪な感じじゃなかったわ〉

〈それはそうだが〉

 悪意はなくとも迷惑を被ることはある。ユーチスのことを思い出し、フィンはふと、彼は無事でいるだろうかと考えた。フィン達がコムリスで数ヶ月を平穏に過ごせたことからして、ユーチスは結局ディルギウスに密告しなかったのだろう。だが軍団に留まっているなら、山脈への強行軍にも加わっていた可能性が……

(もう止せ)

 フィンは小さく首を振って、物思いを払った。ネリスにも言われたではないか、他人の一生に責任を持つことは出来ない、どこかで手を離さなければならない、と。それは何もファーネインに限ったことではない。

 胸の中で、レーナが少しだけ気遣うような感情で触れてくる。フィンはひとり微笑み、なんでもない、と応じた。

〈あんまり突拍子のない事じゃないように祈ろう〉

 軽い調子で言って、歩き出す。一抹の不安は残っていたが、なに、相手は将軍なのだから、何の肩書きもない若造を驚かせるために時間を費やすほど暇でもないだろう、と自分に言い聞かせた。

 ――が、しかし、その読みは甘かった。

 フィンがしばらくぶらぶらしてから司令官室に戻ると、上質なものだと一目で分かる濃紺の衣服が用意されていた。少し色褪せてはいるが、銀糸の刺繍が控えめに施され、威厳と高貴さを感じさせる。加えて、軍団の士官に貸与される剣と剣帯、深紅のマントに新しい靴まで。

「グラウス将軍、これは……」

「着てみてくれ」

 にっこりと、有無を言わせぬ口調で頼まれ――否、命令されて、フィンはまじまじと相手の顔を見つめた。室内には、靴職人や仕立て屋と思しき男たちも控えている。

「いったい何の冗談です?」

 用心深く問うたフィンに、グラウスは大袈裟に心外そうな顔をした。

「冗談? 竜侯をからかって遊ぶほど暇ではないぞ。いいからそれを着ろ。体に合わぬところは、すぐに直させる。おまえも竜侯に相応しい身なりをせねば」

「必要ありません。俺はすぐに帰ります」

「返書は求められておらんのだろう?」

「カルスムには戻りません。家族が待っているんです」

 意外な返事だったらしく、グラウスは一瞬、虚を突かれた様子を見せた。が、ふむと考え、すぐ真顔になる。

「どうやら虚栄心をくすぐっても効果はないようだな。では率直に言おう、我々に手を貸して欲しい。いや、そんな顔をするな、戦列に加われという意味ではない」

「俺はもう、軍団には……」

「まあ聞け。家族のことが大事なら、なおさらだ。いいか、第八軍団の援護がなくなった以上、我々は東西いずれかの竜侯と和解せねばならん。東のエレシアは見込みなしだと皇帝陛下がおっしゃっていたし、欲得ずくの相手の方が交渉は出来る。ゆえにナクテ領主セナト=アウストラと協議することになるだろう。向こうにしても、第八軍団に背後を衝かれる心配がなくなった今なら、我々の差し出す手が罠ではないと思える筈だ」

「…………」

 説明は理解できるし、和議によって情勢が落ち着くのなら結構なことだ、とフィンは黙ってうなずく。グラウスはふうっと息をつき、席を立ってフィンのそばまで歩いてきた。

「一方、我々は今まで以上に、相手の裏切りを警戒せねばならなくなった。和議を結んでも、すぐにエレシアと共謀して皇都を挟み撃ちにするようでは、何にもならん。皇帝に忠誠を誓わずとも、少なくともしばらくは――東の反乱を平定するまでは、その気を起こさせぬよう、脅しをかけねばならない」

「それが、竜侯の役目だというわけですか」

「理解が早いな。そうだ。協議の場におまえも同席し、和議が公正であるよう、遵守されるよう、立会人となって貰いたい。我々側の味方だと言ってしまっても良いが、実質的におまえには兵力も財力もないのだろう? それではあまり効果はなさそうだからな。単独で中立、ただ協定を守る存在として、老セナトに圧力をかけるのだ」

「……おっしゃることは分かりますが」

 いかに竜侯と言えども、それこそ兵力も財力もない若造一人、老練の大貴族にとっては壁にとまった蠅と同じにしか認識されないのではなかろうか。

「こんな衣装で取り繕っても……」

「何を言うか」グラウスは演技でなく呆れ返った。「並の人間でも、衣服を変えるだけで威厳が出るものだ。おまえはそのままでも、何かしら人とは違う力を感じさせる。衣装を調え、立ち居振る舞いを少し訓練すれば、立派に貴族と渡り合えるだろう」

「そうでしょうか?」

 フィンはあからさまに疑いの声で応じたが、首を傾げた後で、はたと気付いてぎょっとする。

「ちょっと待って下さい、立ち居振る舞いを訓練する、って」

「あまり時間はないがな。会見の日取りと場所を決めて、皇帝にお出まし願って、うむ、あと一月足らずというところか」

 グラウスの方は、フィンの言いたいことを理解してかせずか、けろりと見当違いの返事を寄越す。フィンは口を開けっ放しにして絶句した。

 ついさっき、家族が待っていると言った筈なのだが。あと一ヶ月、この兵営に留まって“行儀見習い”をしろと?

 我知らず悲愴な顔をしていたらしい。グラウスが目をぱちくりさせ、それから豪快に笑い出した。

「身売りを強いられた小娘のような顔をするな! むろん家族には会いに行って構わん。事情を知らせずにおいて、息子をどうしたと怒鳴り込まれてはかなわんからな」

 笑い事じゃない、と内心突っ込みつつ、フィンはこっそりため息をついた。グラウスは励ますつもりか、その肩を勢い良く叩く。

「それに、竜も連れて来て貰わねばなるまい。人の身である竜侯だけでなく、竜も一緒にいる方が迫力がある」

「……竜なら、ここにいますよ」

「なに?」

「姿が見えないだけで、すぐ近くにいるんです」

 薄い幕で隔てられた異なる次元に存在している、そんな感覚だ。手を伸ばして直に触れる事は出来ないが、心は触れられる。

 だがフィンには言葉で上手く説明できなかったし、グラウスの方も、そうした神秘的な事柄については感性が鈍いようで、そうなのか、と応じただけで追及はしなかった。

「ともかく、ひとまず衣装を合わせてみろ。動作や何やは、その後だ。それに教養も詰め込まねばならんだろうな。あの御仁は戦史に詳しいそうで、昔の有名な戦やその戦術を知らぬ相手は見下されるらしい」

 喋りながら、グラウスは服を取ってフィンの腕にかける。それから剣を取り、少し申し訳なさそうな顔をした。

「すまんな。本当は、竜侯には相応の特別な剣を用意せねばならんのだが、何しろここはただの兵営だ。皇都ならば何かあっただろうがな」

「いえ、これで充分です。セナト侯がそういう方なら、見てくれだけ飾り立てた宝剣など鼻で笑われるでしょう」

「なるほど、一理ある」

 グラウスはにやりとしたが、しかしな、とすぐに続けた。

「竜侯が使う武器は、魔術によって鍛えたものか、神々から授けられたものでなければ、長くはもたぬらしいぞ。おまえの竜が神々に頼んでくれないようなら、どこか旧家の倉庫を探さねばなるまい」

「それは初耳です」フィンはきょとんとした。「今まで軍団の剣を使っていましたが、何の支障もありませんでしたよ」

「ただ人間と戦うだけなら、普通の武器でも――こういうものでも、充分らしい。だが竜の力を武器に注いだり、その上で闇の獣や魔術師といった“別の力”を斬ると、並の武器では耐え切れなくて、そのうち砕けたり折れたりするのだそうだ」

 グラウスの話を聞いて、フィンはコムリスの神殿から借りて読んだ書物を思い出した。そういえば、普通の武器ではいけない、とは書かれていなかったものの、竜侯たちは専用の武器を携えていた。ロフルス一門の竜侯は炎の槍、ナクテの竜侯は水晶の剣だったか。どれも英雄譚につきものの伝説だと思っていたが、実際に特別製だったのかもしれない。皇都にはそのうちいくつかが残っているのだろうか。だとしたら……

 ぼんやりと考えながら、フィンは手渡された士官用の剣に手を滑らせた。

「グラウス将軍。俺があなたの求める役目を果たしたなら、軍団は……帝国は、俺に何をしてくれますか。伝説の武器のひとつでも頂けますか」

「興味があるか? そうだな、皇帝陛下と相談してみても良いぞ。衣装は嫌がったくせに武器にはそそられるとは、いっぱしの戦士だな」

 グラウスが仲間意識をにじませて揶揄したが、フィンはにこりともしなかった。顔を上げ、まっすぐにグラウスを見据える。

「そんな剣であれば、どれほど長期間でも闇の獣と戦えます。北部の大地を、打ち捨てられ廃墟になった町や村を、闇から取り戻せるかもしれません。だからです。そんなものを拝領しなくとも、充分な資金と兵力を北部に回して頂ける方がどれほどありがたいか知れませんが……それは多分、無理でしょうから」

 突き放すように言われた台詞に、グラウスは声を失って呆然とした。

 こんな年少の、政治にも軍事にも関わったことのない田舎の若者が、中央の最高権力者の一人に向かって、もうおまえには期待しないと言わんばかりの冷たい目を向けるとは――そしてそれが正当なのだとは。己が経てきたいくつかの戦と政治的な危機が、手に入れた武勲や名誉が、安ぴかものの玩具に変わってしまったように感じられた。

 そうした内心は、フィンの目にも見えていた。将軍の顔に浮かんだ羞恥と恐れの色だけでなく、皇帝を守るのに手一杯で辺境の民にまで力を及ぼせないことの悔しさが、沈んだ色調の靄となって心に流れ込む。

 ゆえにフィンはそれ以上、何も言えなかった。小さく吐息をこぼし、いつもの態度に戻って肩を竦める。誰しも限界はあるのだ。

「それで、将軍。俺はどこで着替えたらいいんでしょう?」

 話題が変わって救われたように、グラウスは衝立で仕切られた部屋の隅を示した。

「あそこを使え。多少散らかっているが、気にするな」

 どうやら司令官のための、ちょっとした私空間らしい。仕事の合間に休んだり、インクで汚した服を替えたりするのだろう。フィンはうなずいて衝立の後ろへ回った。そして。

「うわっ……」

 思わず呻く。多少散らかっている、どころではない。簡易寝台の上には脱ぎ捨てられた衣服や帯や下着がゴミのように散らばり重なり、あろうことか書物までそこに埋もれている。下には汚れた靴や、空になった水筒、何か食べ物を包んであったと思しき油紙などが散らばって、ほとんど床板が見えない。

「従者はいないんですか?」

 着替えの置き場が見付からず、フィンは仕方なく剣帯やマントと一緒に服を衝立にかけて、その場を適当に片付け始めた。

「いるぞ、もちろん」グラウスが呑気な答えを寄越す。「そこは毎日、夕方に片付けさせるんだ。今日はまだだからな」

「…………」

 聞かなきゃ良かった。

(孤児院の弟達の方が、よっぽどきちんと躾けられていたぞ)

 これから一月、この司令官の下で特訓を受けるのかと思うと、事の大きさに比べてまったく卑小な、しかし確実に堪えそうな憂鬱がのしかかってくる。

「やれやれ」

 フィンは聞こえないようにつぶやき、みじめによれた書物の皺を伸ばすと、お互い厄介な人に捕まったな、と心中で憐れんだのだった。


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