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灰と王国  作者: 風羽洸海
第二部 竜と竜侯
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4-3. 評議員と皇帝


 磨き上げられた白い石灰岩と黒大理石が、議事堂に秩序と格式をもたらしている。だがその中で繰り広げられる議員達のやりとりは、均衡を取ろうとするかのように混乱していた。昔から議場での激しいやり取りや堂々巡り、詭弁に韜晦はお馴染みであったが、上位機関である竜侯会議がなくなった今は、さらに手のつけられない状態になっていた。

 評議会は竜侯会議と違って、議員の数が多い。徒党を組んで政策を左右する者もいるが、孤立無援で戦う者も、あるいは議場の隅で居眠りする者さえもいる。

 自由な議論とは体の良い建前に過ぎず、現実は誰もが好き勝手に主張だけを喚き、聞く耳と考える頭を持つ者など皆無か、いても騒音に埋もれているだけ。

(まったく、この連中がディアティウスを動かしているというのだから)

 ガタガタにもなろうというものだ。ヴァリスはむっつりと不機嫌に、演壇の議員を睨んでいた。

 フェルシウス=コンフェリヌス=デクタエ。数々の官職を遍歴し既に老齢に達している男で、そろそろ周りは隠居を勧めたくなっているのだが、本人はまだまだ欲も力も有り余っているらしい。築いた財と人脈でもって議場に根を下ろしている。

 彼は今、減る一方の税収をせめて確実に徴収できるようにすべきだ、と拳を振り上げ叫んでいた。これまでの議会において既に、新たな税の導入や税率の引き上げ案をあれこれと提出していたが、どれも過半数の賛成を得られないか、最終的には皇帝の拒否権で退けられてきたので、それならば、というわけである。

「北部の金銀の産出量も増やさねばならぬ。そしてそれ以上に、確実に本国に届くように、監視を強化すべきだ! 昨今、各地から都への途上で、なぜか、消え失せる物資が多すぎる!」

 横領、着服、あるいは職務怠慢を告発する口調だった。続けて彼は言った。

 帝国に対する義務を果たさぬのならば、当然、帝国からの恩恵を期待すべきではない。地方都市への交付金は削減し、本国の財政を立て直さねばならない、と。

 追従する議員達から拍手が起こる。フェルシウスが演壇で満足げにうなずいて見せ、拍手が収まったところで、水を差す発言があった。

「フェルシウス議員、貴殿の案はどれもこれも、切り捨てる対象がはっきりしておりますな」

 穏やかだが無視できない力強さを伴った声の主は、四十代の男だった。きちんと整えられた髭や黒髪の鬢にはちらほらと雪が混じっているが、灰緑の目は若々しい光を湛えている。

 壇上からフェルシウスが不快げに睨みつけたが、彼はまったく動じず淡々と言った。

「ご自身から遠い者。距離的にも、経済的にも。実に分かりやすい」

「誤解を招く言い方は止めて貰いたい、イスレヴ殿。私は事実を客観的に捉え、解決策を提示しておるのだぞ」

 若造に何が分かる、とばかりにフェルシウスが鼻を鳴らす。やりとりを聞いていたヴァリスは眉ひとつ動かさぬまま、内心イスレヴの言い分にうなずいていた。

 これまでにフェルシウスが提出した案は、小麦の無料給付の受給資格見直しや、市民全員にあまねく課税される類の新税、公共施設の利用料引き上げなどであった。無力で抵抗し得ない市民から搾れるだけ搾り取り、取れるものが何もない弱者は切り捨てる。短期的かつ簡単に効果が上がることは確かだ。

 イスレヴもそれを言いたかったらしい。フェルシウスの反論にも、そうですな、とうなずきを返した。

「手っ取り早くはありましょう。しかし弱者を切り捨て続ければ、いずれ我々自身の首が絞まる。老人や病人、貧しい市民や奴隷が軒並み飢えて倒れたなら、財政は随分楽になりましょう。しかしそうなれば、これまで彼らがやむなく引き受けてきた仕事は誰がするのでしょうな? 議員、ご自宅の排水溝を自ら清掃する覚悟はおありか?」

「貴殿は極論を持ち出して議題をごまかし、混乱をはかろうとしておる!」

「果たして極論ですかな。財政の建て直しをというなら、地方や弱者を締め上げずとも方法はある。我々議員に支払われる報酬の削減も含めて」

「冗談ではないぞ!」

 途端にフェルシウスが憤慨し、議席からも不満の声が上がった。

「そもそも我々の報酬とは形ばかりのものだ! 評議会発足当初から無給であるのが当然だったのだからな。しかし、それでは生活が立ち行かぬ程度の者でも議員になれるよう、また賄賂を受け取る議員の出ぬようにと、報酬が支払われるようになったのだ。貴殿はそれを削って、いにしえの昔に戻してしまおうというのかね?」

「ご立派な言い分だが、フェルシウス殿、賄賂を取る者は懐具合によらず取るものだろう。第一、報酬なしでは暮らせぬ者が今この議場にいるかと言えば、私は否と答える」

 イスレヴは冷ややかに応じて、議員達を見回した。

「本当に生活が立ち行かぬ状況というのは、根回しのために議員仲間を招いて晩餐会を開く資金がないだとか、選挙活動で市民に大盤振る舞いが出来ないだとか、議員に相応しい衣服や宝飾品を身につけられない、といったことではないぞ、諸君。小麦は支給され、水は公共水道から汲めても、煮炊きする薪が手に入らない――そんな状況を言うのだ。この中の誰が、そうした生活を知っているのだ?」

 最後まで言い終えぬ内に、暴論だ、我々を奴隷と同じに扱うな、などと怒声が上がり、議場が一気に沸騰した。

 ヴァリスはうんざりと騒ぎを見ていたが、一向に収まる気配がないので、わざと杖をガツンと床に突いて立ち上がった。そして、まだ飛び交っている罵詈雑言の中を、ゆっくり演壇に近付くと、

「フェルシウス、下がれ」

 静かに命じつつ、杖の先を相手の胸にぐいと押し付けた。直接の“暴力”に不慣れな議員は、うっと怯んで渋々ながら演壇を降りる。ようやく他の議員達も皇帝の行動に気付き、ぶつぶつと声を小さくした。

 ヴァリスは、しかし、演壇には上がらず、ただ一時休会を告げただけだった。

 半刻の後に再開するとし、ヴァリスはイスレヴに一瞥を投げかけてから広場へ出て行った。

 外はもう冬空で、太陽の光も弱まっていたが、陽だまりはまだ暖かい。ちょうど良い場所を見つけてヴァリスが腰を下ろすと、しばらくしてイスレヴがやって来て、横に座った。眩しそうに目を細め、両手を袖にしまい込んで、ほっと息をつく。

「議場の中は冷えますな。陽に当たると生き返ります」

「そなたは寒さに慣れているかと思ったが。北部の出身だろう」

「ご記憶でしたか、光栄です。なに、昔は若さゆえ、身の内に燃える炎の熱で寒さに気付かなんだだけのこと。今はもうすっかり、炉の火も消え申した」

 とぼけた口調に、ヴァリスは微苦笑をこぼした。そのまま言葉が途切れ、しばし二人は無言で日向ぼっこを続けた。

 広場を行き交う人々は、世情がどうあれ相変わらずそれぞれの用事に忙しそうだ。かたまって議論を戦わせているのか、あるいは愚痴をこぼし合っているのか、さかんに口を動かしている議員たち。その周りに群がり、会議の成り行きを知ろうと聞き耳を立てる市民。取引に向かう商人が下男を引き連れて大急ぎで通り過ぎ、物乞いや掃除夫が隅の日陰でこっそり動き回っている。

 ヴァリスは疲労を感じて、抱えた杖に寄りかかった。

「そなたは議場でああ言ったが、本当に出したい案は別にあるのだろう? あのように脅しておけば、議員報酬以外のことなら大概喜ばれるからな」

「ご賢察恐れ入ります」イスレヴは小さく笑った。「しかし報酬の削減も、本気で申し上げたのですよ。むろん誰一人賛同はせんでしょうがね。人はいつも、なんとかせねばと口で言いつつも、己が犠牲になることは厭うものです。それを正当化する理由を言わせたら、誰もが驚くほど雄弁になりますよ。……まあそれは良いでしょう。私が出したい案とは、東西の竜侯との和解です」

 さらりと言われた内容の重さに、ヴァリスは顔をしかめて振り向いた。イスレヴは眉を上げ、からかう表情を作る。

「そう露骨な顔をなさいますな、陛下。軍事についてはグラウス将軍に委ねられていることは、承知しております。しかし陛下が方針を変えられたなら、将軍も戦の準備をするのではなく、和解に向けて動き出すはず。今、陛下がなさるべきは、両隣の竜侯との喧嘩ではなく、足元の民を救うことです。竜侯と和解なされば、辺境の状況も改善しましょう。戦の不安がなくなれば民も生業に精を出せます。税収も安定しましょう」

「喧嘩で済むなら話は早かろうに」ヴァリスはやれやれと頭を振った。「辺境の様子が不穏であることは承知している。手持ちの剣を互いに向け合うのではなく、別のところに使うべきであることもな。しかし、竜侯は二人ともその気がない」

「そうでしょうか」

「少なくともティウス家の女当主は、まったく望みなしだ」

「ならば、少しでも望みのある方を味方につければよろしい。ナクテ領主は小セナトを通じて中央に影響力を持ちたがっています。小セナトが見付かり次第、改めて養子に迎えると約束なされば良いのでは?」

 イスレヴは淀みなく述べた。おそらく議会が始まる前から、この事をよくよく考えてきたのだろう。ヴァリスは漠然と北の空を見やった。

「それで引っ込んでくれるのなら、約束ぐらい何度でもしよう。だがグラウスからの最新の知らせでは、向こうが先に小セナトを見つけたらしい。それに、北部軍が南進の気配を見せている」

 低くささやかれた最後の内容に、イスレヴは息を呑んだ。

「――なんと」

 驚きの声を漏らし、それから心底情けないといった様子でため息をついて、愚かな、とつぶやく。ヴァリスもうなずき、静かに続けた。

「今やそなたの故郷を守る軍団はおらぬというわけだ。余と竜侯セナトが手を結んだとしても、北部軍の動き如何によっては、戦を避けられぬだろう。春が来るまでに、なんとか事態を打開したいのだが」

 そこまで言い、彼はふと奇妙な騒がしさに気付いて顔を上げた。広場の向こうから、王宮の衛兵が息せき切って走って来る。何事かと立ち上がったヴァリスを、きょろきょろする衛兵の目がとらえた。

「ヴァリス様! グラウス様から急使が!」

 衛兵は叫びながら駆け寄り、ヴァリスの足元にひざまずいた。そして、複雑な驚きを無理に抑えた表情で皇帝を見上げ、ささやくように告げた。

「第八軍団が瓦解し、カルスムから撤退したと……!」

「――!?」

 ヴァリスとイスレヴが揃って息を呑む。愕然とした二人に、衛兵は早口で続ける。

「詳しい話は私も聞かされておりません。使者に直接お尋ね下さい。急ぎお戻りを」

「分かった。イスレヴ、本日の議会は解散すると伝えてくれ。状況が変わったゆえ、明日改めて再開する」

「承知しました」

 イスレヴが頭を下げると、ヴァリスは近くにいた他の議員への挨拶もそこそこに、衛兵を連れて王宮へと急いだ。

 いったい何があったのか。グラウスは自ら北へ動いたのだろうか、それとも何か……我々の与り知らぬ新たな勢力が、第八軍団を滅ぼしたのだろうか。だとしたら、それは次に何を狙う?

 忙しなく思考を巡らせながら、ヴァリスはふと皮肉な笑みを閃かせた。

(少なくとも、これでナクテ領主との和解へ道が開けた)

 帝国の力である軍団が丸々ひとつ瓦解したことを、よりによって皇帝が喜ぶとは。

(末期だな)

 何の、とは考えず、ただ漠然とそう思う。だがすぐに彼は表情を引き締めた。

(私の仕事はまだ残っている。投げ出すつもりはない)

 厳しいまなざしで行く手を見据え、彼は王宮の門をくぐった。


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