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灰と王国  作者: 風羽洸海
第二部 竜と竜侯
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4-2. 竜侯家の秘密


 じきに彼らは、ウティアに案内されてひとつの家――というか部屋で、車座になった。蔓を編んだ敷物に胡坐をかき、新鮮な水と、木の実や果物のもてなしを受ける。セスタスは時季外れの熟れた杏に噛みついた後で、異界のものを口にして帰れなくなった人間の話があったと思い出した。

(でも、ここで一生隠れているのなら、構うものか)

 苦い感情と共に果実を飲み下す。彼が食べる様子を、ウティアはただじっと見つめていた。

 タズが水を飲み乾し、ふうっと息をついて嬉しそうに「生き返るなぁ」と笑った。ウティアが藍色の目を向けると、彼は少し遠慮しながらも、ほとんどいつも通りの調子で言った。

「ご馳走様でした。で……ええと。いくつか訊きたい事があるんですけど」

 そこでちらりと、ネラとセスタスに目を向ける。ここを目指していた当人達に、会話の主導権を渡すべきだろうかと迷う風情。察したセスタスは、「いいよ」と首を振った。

「まだちょっと、頭が働かないから。先にタズが質問して」

「そうか? んじゃ、ウティア様……でしたよね。竜も一緒ってことは、もしかして、大昔に一族を連れて森に隠れたっていう、ご本人なんスか?」

「然り」ウティアは静かに応じた。「我が絆の伴侶はオルゲナディウス、秘めたる力の神オルグの竜だ。ゆえに少々、時を操ることが出来る。あなた方の時間と、我々の時間は同じではない。私は確かに長く生きているが、外の歴史そのままの齢ではないのだ」

「……??」

 タズは理解が追いつかず、目をぱちくりさせた。横からセスタスが、興味をそそられた様子で身を乗り出す。

「何のためにそうされたのですか? 外界の混乱をやり過ごすだけなら、大戦の後、百年足らずでディアティウスには平和が訪れましたよね」

「初めはそのつもりであった。戦で傷ついた大地に緑を養うため、剣の嵐をやりすごすため……。だが、人の世は落ち着いたかに見えては争いを繰り返す。我らが姿を現せば、新たな火種ともなろう。それゆえ我らは、別の時をゆくことに決めたのだ。森を養うには良い選択であったしな」

 そこでウティアは、外へ目をやった。立派に育った巨樹を見るまなざしは、満足げな慈愛を湛えている。

「木々の育つには、数十年、数百年を要する。我らは不確実な世代交代をあたう限り少なくして、森を育ててきたのだ。むろん、私のほかの者らは、既に五代目か六代目にはなっているが」

 淡々と語られる驚異に、聞き手たちはただ絶句するばかりだった。

 ――と、セスタスが不意に愕然として叫んだ。

「それじゃまさか、僕らがここにいる間、外の世界では何倍もの速さで月日が流れているんですか!?」

 声が震えた。のんびり果物をかじっている間に、森の外では木の葉が落ち、雪が降り、解けて、小さな若葉が芽吹いて……何もかもがめまぐるしく流れ去ってゆくのだろうか。

 恐怖が背中を駆け上がる。真っ先に思い浮かんだのは、母親の姿だった。

(会えなくなる)

 身を隠すことに決めた時、その覚悟はしたつもりだった。だがこんな事態は想像もしていなかった。瞬く間に母が、父が、自分を置き去りにして老いさらばえ、儚くなるなどとは。

(嫌だ!)

 そんなことを望んだのではない!

 セスタスは青ざめたまま立ち上がった。すぐにも出て行こうとした彼を、ウティアがやんわりと止めた。

「せっかちだな、外の者は。恐れることはない。我らの里に入った今も、まだあなた方の時間は外と同じだ。……混乱したか? あまり深く考えるな。オルグの竜と絆を結ばぬ限り、時の神秘が見えることはない」

 ふふ、と初めてウティアが笑いをこぼした。その柔らかな表情と声に、タズが「あれっ」と間の抜けた声を上げる。全員の視線を集め、タズは照れ隠しに頭を掻いた。

「ウティア様、もしかして女の人だったんスか。すみません、俺、王様って聞いたからてっきり……」

「えっ」

 思わずセスタスも、目を丸くしてウティアを見る。フィダエ族の王は、数回瞬きして何気なくうなずいた。

「ああ、もうすっかりそのようなこと、忘れていたが……確かに、私は女だ。さりとて、花を摘んでくれずとも良いぞ。美しいものは、この森に満ちているからな」

 慈しむ口調で言い、彼女は自然な仕草で竜の首を撫でた。そして、ゆっくりと立ち上がる。

「客人方、この部屋を自由に使われるが良い。食べ物も水も、そこいらですぐに見付かるだろう。望みのものがなければ、誰なと呼んで求むが良い。もっとも、いちいち我らを頼らずとも、そこな竜の娘が何なりとしてくれようが」

「ウティア様!」

 ネラが小さく悲鳴を上げた。だがウティアはまったく頓着せず、三人を困惑の中に置き去りにして、滑るように歩み去ってしまった。

 室内に漂う驚きと当惑と混乱が、のろのろと沈んでゆく。あとに残った無言の静寂も、しまいにはネラのため息に吹き飛ばされた。

「……はぁ……まさか、こんな形で……」

 小声でぼやき、それから彼女は二人を順に見つめて言った。

「そんな顔をなさらないで下さい。タズさん、逃げなくても頭からかじったりしませんよ」

 心持ち壁際に退いていたタズは、慌てて体を戻してまくし立てた。

「す、すんません! いやあの怖がったわけじゃなくて、これは単にびっくりしただけッスよ。本当に。だってネラさんが何でも俺は別に……おいセスタス、おまえも座れって」

 焦りながらセスタスの手をつかんで引っ張る。セスタスはまだ目を白黒させながら、抵抗せずにとすんと腰を下ろした。一度に色々ありすぎて、頭の容量を超えてしまったようだ。

 呆然としているセスタスに、ネラは困り顔を見せた。

「最初に申し上げておきますけれど、私は竜ではありませんよ」

「――え?」ようやくセスタスは声を漏らした。「違うの?」

「違います。竜ではなくて、竜の娘、なんです。先祖を辿れば、竜と竜侯につながっているというだけで……あのオルゲナディウスのような存在ではないんです」

「竜と竜侯って、それじゃあネラさん、まさか」

 タズがあんぐり口を開ける。続きは、セスタスの叫びにかき消された。

「僕らは親戚ってこと?」

 一呼吸の間の後、今度はタズが素っ頓狂な声を上げた。

「はぁ!? え、何だ、ちょっと待て! おいおい、親戚って……つまりおまえも? え?」

 すっかり混乱してしまった可哀想なタズに、ネラがそっと手を伸ばし、ぽんぽんと背を叩いてなだめる。

「落ち着いて下さい、タズさん。きちんと説明しますから――ゆっくり息を吸って。いいですか?……初代ナクテ領主が大地竜の竜侯だったことはご存じですね。彼は人間の妻を迎えていましたが、実は竜との間にも、子をもうけたのです」

「そんなこと出来るんスか?」

「出来たようですね、現に子孫がいるわけですから」

 ネラはおどけて肩を竦め、セスタスを振り返って続けた。

「むろん、冒涜だと言う者がほとんどだったようです。それに、そうでなくとも竜侯は長命ですから……しつこく当主の座に留まられては困る親族も、多かったわけです。竜侯その人は血縁を殺してまで当主でいるつもりはなかったのですが、ことは穏便には運ばず……醜い争いがあったと聞きます。竜侯は殺され、竜の血を引く子供は牢獄につながれ、子を奪われた竜は姿を消しました。

 このことは、アウストラ家の男には伝えられていません。セナト様がご存じないのも当然です」

 セスタスが絶句し、タズもまた別の驚きに声を失った。孤児の姉弟だと思っていたのに、実は姉は竜の子孫で、弟は貴族の子弟だったなんて。

 二人が沈黙している間に、ネラは先を続けた。

「私達の一族に何がなされたのかは、横に置いておきましょう。確たる証拠もない過去の事ですから。ともかく、今では私や家族も、普通の人間とあまり差がありません。勘が良いとか、少し長生きだとか、特定の相手とささやかな絆を結ぶことによって、離れていても安否が分かるとか。そのぐらいなんです。そして、私達はこの力を……アウストラ一門の女主人に捧げてきました」

「女主人? つまり母上に?」

 ようやっと聞き返したセスタスの声は、かすれ、震えていた。ネラは彼の手を取り、両手でそっと包み込む。

「はい。初代の竜侯が殺された時、子供らを救ったのがイェルグ家をはじめとする何人かの奥方達だったからです。ですから私達も、代々女主人の子供を守るため仕えてきました。その為かどうか、アウストラ一門は娘ばかりが生まれるようになって、女の一門などと他の貴族から軽んじられることにもなりましたが……実際は、セナト様のひいお祖母様のように、立派な方も多かったのですよ。

 そのようなわけですから、あなたがお生まれになった時、お祖父様は男児の跡継ぎだと大層喜ばれて、たくさんの贈り物をなさいました。けれどフェルネーナ様の愛情にまさるものはなかったでしょう。フェルネーナ様は、私をあなたの侍女にして下さったのです。絹の産着よりも何よりも価値ある、生涯の贈り物として」

「…………」

 セスタス――セナトは、小さく息を吐いて目を閉じた。手を包む温もりが母の優しさを思い出させる。穏やかな沈黙が、一年前の決意を柔らかく溶かし、涙に変えた。

 閉じた瞼の下から、雫がこぼれて頬を伝う。セナトはか細い声を漏らした。

「母上に会いたい」

 言葉にしたことで、堰を切ったように思慕の情があふれだした。わななく唇を噛んで嗚咽を堪えようとしたが、もちそうにない。

 ネラが両腕を広げて抱き寄せると、彼は抗わず、ぎゅっとしがみついて、とうとう声を上げて泣き出した。

 セナトはしばらくわあわあ泣いて、最後には疲れ果て、ネラの膝を枕に眠ってしまった。その間タズはなす術もなく所在なさげにしていたが、ようやくセナトが寝息を立て始めると、ほっと息をついて、残りの果物に手を伸ばした。

「驚いたなぁ。まさかこいつが、行方不明の小セナトだったなんて。言ってくれたら良かったのに」

「ごめんなさい。でも、用心せざるを得なくて」

「あ、いや、無理だったのは分かってるんですけどね。道理で、俺が親切すぎる、なんて疑ってたわけだよなぁ」

「セナト様がそんなことを?」

「ええ、まあ。けど……なんで逃げてるんスか? ナクテの家に帰ればいいのに。帰っちゃまずい理由があるんですか?」

 最後の問いは遠慮がちだったが、しかし、ここまで付き合った人間には聞く権利があるという確信を漂わせてもいた。

 ネラはじっとタズを見つめ、それから、セナトを起こさないよう静かに語りだした。彼が戦を恐れていること、祖父の手で戦の旗印にされたくないからナクテに帰りたくないことを。

 事情を知ったタズは、一応は納得したようにふんふんと相槌を打っていたが、ネラが口をつぐむと、遠慮がちに「でも」と複雑な声音で言った。

「それじゃ結局、何の解決にもならないッスよ?」

「ええ、そうですね。セナト様も、それは薄々分かっていらっしゃいます。でも、ほんの十二、三歳の子供に、何が出来ると思いますか? 親よりも強大な祖父に、帝国そのものでもある皇帝に、ただひとり徒手で立ち向かえと?」

「それは……うーん」

 参ったな、とタズは頭を掻く。それから彼は、セナトの寝顔を見下ろして、ふと口元をほころばせた。

「こんなガキんちょを、大人が寄ってたかって利用しようってんだから、みっともないッスね。そっと寝かしといてやりゃ、可愛くないこともないのに」

 おどけた物言いにネラは失笑し、手を伸ばしてタズの髪を軽く引っ張った。

「失礼ですよ、タズさん。セナト様は充分、可愛らしいです」

「それ、本人が聞いたら怒りますよ。ちっこくても男なんスから」

 苦笑したタズに、ネラは肩を竦めただけで言い返さなかった。

 彼女の膝で眠る少年はまだあどけなくて、“男”にはほど遠い。今はそれで良いのだ、幼子としてぐっすり眠れるならば……。ネラは心の中でささやきかけ、蜂蜜色の髪をそっと撫で続けていた。


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