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灰と王国  作者: 風羽洸海
第二部 竜と竜侯
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3-6. 青葉の想い


 同じ頃、噂の当人はまさに若者らしい苦境に立たされていた。

 村外れの小川のほとりで、青葉と二人きり。彼女は黙って涙をぽろぽろこぼし続けており、フィンの方は石になったように、どうにもこうにも身動き取れなくなっていた。

(どうしてこんな事になったんだ?)

 自分の行動のどこがいけなかったのか。フィンは混乱しながら、ここに至るまでの一連の出来事を思い返した。

 山の峰が雪を頂き、サルダ族も冬支度の追い込みで大わらわになって、フィンたち『粉屋』も仕事に専念してばかりもおれず、作業をあれこれと手伝っていた。そうして村でばたばたしている最中に、フィンはふと、青葉の姿に目を留めたのだ。

 何か、村の若者と剣呑な会話を交わしている様子だった。これが平地の街だったなら、痴話喧嘩か、ごろつきに絡まれているかと思うところだ。

 二人の表情や身振りからして、そう判断してもあながち見当違いではあるまい。フィンは余所者が首を突っ込むべきではないかと迷ったが、いきり立った若者が青葉の腕をつかんで強引に迫る様子を見せたので、咄嗟に割って入ってしまった。

「待てよ、事情は知らないが少し落ち着いて……」

 言い終える間もなかった。青葉がいきなりフィンの腕を取り、

「この人の方が百倍ましよ!」

 叫ぶように言い捨てて、ぐいぐいここまで引っ張って来たのである。

(えーと……俺は悪くない……よな?)

 都合よく避難所にされたのか。それとも、激情のはずみで本音が飛び出してしまったのか。そもそも一体、彼女はなぜ泣いているのだ?

(ああもう、何がなんだかさっぱりだ)

 フィンは小さくため息をつき、ぎこちなく青葉に歩み寄ると、そっと頭に手を置いた。ネリスによくするように、軽くぽんぽんと撫でる。青葉は濡れた目でフィンを見上げ、ほんの少し、唇を歪めて微笑んだ。そうする間にも、どんどん涙が溢れてくる。

 フィンが困り果てて立ち尽くしていると、ようやく青葉はぷっと小さく笑った。そして、ふわりとフィンの胸に体をもたせかける。彼の心臓が飛び跳ねたのにはまったく気付かない様子で、彼女は目を閉じてそのまま寄り添っていた。

 これは抱きしめた方がいいんだろうか、いやでもそれは、だけど――と、フィンは両手を宙ぶらりんにしたまま逡巡する。迷いに迷って結局、ごく軽く、片手だけを青葉の肩に置くに留めた。幸い、それで正解だったようだ。

 青葉は自嘲気味の苦笑をもらし、ほとんど聞き取れないほどの声でつぶやいた。

「あなたを好きになれたら良かったのに」

「……?」

 あれ、とフィンは内心小首を傾げる。好意を持たれているのではと、仄かに期待していたのだが、あの時に聞こえた彼女の“声”は、何かの間違いだったのだろうか。

 彼は曖昧な顔で目をしばたいた。

「やっぱり君は、俺が嫌いなのかい」

「嫌いよ」

 青葉は泣き笑いで言い、拳でフィンの胸を小突いた。

「大嫌い。竜侯なんて最低、大っ嫌いよ」

「………???」

 フィンは助けを呼びたいのをなんとか堪え、彼女がどんな顔をしているのか確かめようとした。すると青葉は察して素早く身を離し、ぷいと背を向けて小川に駆け寄ると、勢いよく顔を洗った。そして、こちらを見ないまま「あーあ」と、虚勢の感じられる声を出す。

「本当、最低よね。なんで竜侯なんだろう」

 独り言めかした告白に、フィンはようやく、あっ、と気がついた。彼女にとってより身近な竜侯は、青霧の方だ。自分ではない。手当てしたくとも出来ない、というのも、フィンに対する気持ちではなかったのだ。

「青葉、もしかして君、青霧を……」

 言いかけた途端、青葉は振り向いて「シーッ!」と唸るように制した。フィンは反射的に言葉を飲み込み、目をぱちくりさせる。青葉はまだ赤い目をしたまま、しかし表情はすっかりいつも通りに戻ってつかつか歩み寄ると、

「余計なこと言わないでよ!」

 フィンの鼻先に人差し指を突きつけて、じろりとねめつけてくれた。気迫に呑まれて、フィンはただこっくりうなずく。

 彼はまだ事情がよく飲み込めなくて、どうして言ってはならないのか、すぐには腑に落ちなかった。それが顔に出たのだろう。青葉は胡散臭げにフィンを睨み、しかめっ面になって、はぁっとため息をついた。呆れたような、諦めたような吐息。

「……曾祖父なのよ。あたしの」

「――え」

「ひいおじいちゃんなの! 分かった!?」

 怒鳴られて、フィンは慌ててこくこくとうなずく。黙れと言った矢先に自分が怒鳴っては意味がないのでは、と思いつつも、剣幕に押されてとても口には出せない。

 青葉はふいと目をそらし、うつむきがちに言った。

「さっきの奴はね、黒駒っていうんだけど、あたしを嫁にしたがってるの。親同士もその気になってる」

「随分、気が早いんだな」

「あたし達にとっては普通よ。今までにも何人か連れて来られたけど、全部蹴ったわ。しばらく親も諦めたみたいに見えたのに、また……。それであいつは、もう誰も残ってないぞ、何が不満なんだ、ってさ」

 は、と青葉は嘲笑をこぼした。

「不満だらけよ、決まってるじゃない。てんで子供で、馬鹿で向こう見ずで、ちっとも頼りにならないし、弱いし、すぐ怒ったり慌てたりするし」

 容赦なく挙げ連ねる欠点が、その対象でないはずのフィンにまで、針のようにぷすぷすと刺さる。彼が怯んで沈黙していると、青葉は肩を竦めて続けた。

「……だけど、その全部が逆の人は、あたしを相手にしてはくれない。絶対。あたしがもっと大人になっても……駄目なのよ。酷いじゃないの、ねえ? どうして竜侯なの? 竜侯じゃなかったら、こんな事には……」

 また泣き出すかに見えたが、彼女はきゅっと唇を噛み、思い切ったように顔を上げた。目は潤んでいたが、もう涙のこぼれる気配はない。

「もしかして竜侯なら、皆あんな風じゃないかと思ったのよ。もしかしたら、好きになれるかも、って。でも」

「期待外れで悪かった」

 自嘲でも皮肉でもなく、フィンは心の底から詫びた。青葉は一瞬目をみはり、それからぷっと失笑する。

「ほんと。最低よ」

 悪態をつきながら、拳を一発、フィンの腹にお見舞いする。それからついでに、馬鹿、と言い捨てて、彼女は一人で村へと戻って行った。

 取り残されたフィンは茫然と佇んでいたが、ややあって深々とため息をつき、川辺にへなへなとしゃがみ込んでしまった。

 気遣う気配と共に、ふわ、とレーナが現れる。

「フィン? 大丈夫?」

「……なんとか」

 フィンは苦笑し、片手をぐしゃりと髪に突っ込んだ。やれやれ、と、ため息をひとつ。

「本当に馬鹿だな、俺は。心が見えると思っていたが、見たいようにしか見ないんじゃ、見えていないのと同じだよ。彼女には返す言葉もない」

 フィンの反省に、レーナは目をぱちぱちさせただけで、何も言わなかった。

 さわ、と風がそよぐ。フィンはつんと澄んだ空気を吸い込み、気を取り直すように両手をうんと伸ばした。

「ねえフィン」

 遠慮がちな声音に、フィンは怪訝な顔をして振り向く。レーナは初対面から変わらぬ無垢な目で、じっと彼を見つめていた。

「あの人を奥さんにしたかったの?」

「……いや、違うよ」

 膝の間に頭を落としかけ、フィンはどうにか堪えて呻いた。

「でも」

「違うんだ、レーナ。結婚したいとか、家庭を持ちたいとか、そういうのじゃない」

 その夢は潰えたままだ。それに、そうでなくとも青葉に対する感情は別のものだった。愛だのなんだのという次元のことではなく、ごく単純に、魅力的な女を見つけた男が抱く情欲に過ぎない。一生の約束をしてまで手に入れたいとは思わないが、向こうが好意を寄せてくれるのなら遠慮なく頂戴する、そうした感情だ。

 今、横にいるのがマックであればフィンもそう説明できただろうし、ヴァルトであれば皆まで言わずとも察して下品なにたにた笑いを浮かべてくれるだろう。だが生憎と、質問しているのは……純真無垢な、竜の、女の子、なのである。

(勘弁してくれ)

 フィンはレーナにまじまじと見つめられ、真っ赤になって頭を抱えてしまった。気分はほとんど、拷問されているに近い。

 彼がいつまでも黙っているので、心の中にそっとレーナが触れてきた。フィンは飛び上がらんばかりにうろたえ、無意味なことをめまぐるしく考えて自分の心をごまかそうとした。

 それでも、レーナは漠然と答えを探り当てたらしい。数回瞬きして、ほんのり頬を赤く染めた。

(うわああぁぁぁぁ)

 駄目だもう立ち直れないかもしれない。

 フィンはレーナの顔を見ていられず、完全に突っ伏してしまう。気まずい間があってから、レーナが身じろぎし、「あの」と切り出した。

「そうしたら、フィンは……もう、奥さんが欲しいとか、思わないの?」

「今はそれどころじゃないな」

 どうにか動揺をしずめ、フィンはそろっと顔を上げた。レーナは特にどうという反応も見せない。心の中に触れてくる様子もないので、やっとフィンは背筋を伸ばした。もちろん、体を丸めて縮こまったところで心を隠せるものでもないのだが。

「もし……いつか安全なところに落ち着けて、平穏に暮らしていけるとなったら、その時は……また、考えるかもしれないが」

「そう」

 レーナはささやき、そっと手を伸ばしてフィンの腕に触れた。

「時間はあるわ。きっといつか、ゆっくりと穏やかに暮らせる日が来る」

「……ああ」

 フィンは微笑み、うなずいた。今は楽観的な希望にしか思えなくとも、いつか願いは叶うだろう。それまで生き延びられるだけの力が、竜侯にはあるのだから。

 優しい温もりが身体に満ちてくるのを感じ、フィンはレーナの手に自分の手を重ねた。

 と、その時だった。

「よう、邪魔して悪いな」

 ガサリと草を踏みしだく音がして、ヴァルトがやって来た。彼だけではなく、プラストや仲間達、オアンドゥスやファウナまで勢揃いしている。フィンは急いで立ち上がった。

「何かあったんですか」

「雲行きが怪しい。軍団兵がこの村に向かって来る」

「迷ったのではなく?」

 サルダ族の村は帝国の街道から離れた場所にある。夏季と冬季で移動するし、部外者が探し当てようと思ったら奥山をさまようことにもなりかねない。軍団兵がまっすぐこの村を目指して来るというのは、不自然な話だった。

 フィンの疑念を、ヴァルトはあっさり「違うな」と片付けた。

「カルスム勤務の兵には、山に詳しい者も多いんだろう。目標はこの村だ。間違いない」

「それじゃあディルギウスはいよいよ、サルダ族からも物資や兵を取り立てることにしたんですね」

「多分な。まったく、間の悪いこった。いつも通り街道を張ってりゃ、追い返せたかも知れねえのに」

 いまいましげにヴァルトは舌打ちし、ちらりと背後を見やった。

「幸か不幸か、青霧は狩りのために遠出してる。村に残っているのは大半が年寄りと女子供だ。若い男も何人かいるが、どっちかってえと男ってより小僧だし、連れてかれる心配はねえだろう。適当にあしらうから帝国人は隠れていろ、とさ」

 ぞんざいな口調には、不安と警戒がはっきり表れている。適当にあしらえるなどとは信じていないのだろう。フィンも同感だった。先日追い返した先遣隊が、適当な言い訳をでっち上げられなかったのかもしれない。あるいは既にディルギウスの怒りが沸点を超え、どんな言い訳も受け付けなくなっていたか。

 煮えたぎる憤怒をぶつける標的としてサルダ族が選ばれたのなら、かわすことは難しいだろう。

 フィンは仲間と目顔で相談し、すぐに村の方へ向かった。木々の間や自然の窪地に身を隠しながら、村を見渡せる場所を探す。彼らが腰を落ち着けてほどなく、軍団兵の靴音が近付いてきた。

(多いな)

 フィンは眉を寄せた。斥候の小隊ではない。数十人はいる。力ずくで物資を奪うつもりなのは明らかだ。

〈青霧に知らせないと〉

〈分かったわ〉

 レーナの気配が瞬時に遠ざかる。その直後、軍団兵が村に現れた。

 誰に何を言う暇も与えず、隊長がよく通る声を張り上げる。

「第八軍団司令官の命により、サルダ族の最大限の協力を要請する! 街道整備工事に従事する者、および山賊掃討の斥候要員、ならびに必要な物資を供出せよ! 従わぬ場合は帝国の敵とみなす!」

 居丈高な要求はフィンたちの耳にもはっきり聞こえた。ヴァルトがうんざり顔になり、どっちが山賊だか、と小声で吐き捨てた。

 村をあずかる長老が進み出て、なにやら応対しているのが見える。だが声はよく聞こえない。おもねり、はぐらかし、どうにか追い返そうとしているようだが、隊長の態度はまったく軟化する気配がなかった。

 フィンの横でマックが、駄目だ、とつぶやいて首を振った。

 それが合図だったかのように、隊長が腕を大きく振り払った。長老が殴り飛ばされ、村人の怒声と悲鳴が上がる。隊長の号令で、軍団兵がいっせいに略奪を始めた。

 フィンとヴァルト、プラストはそれぞれ手振りの合図で素早く分担を決めた。

 斬り込んで注意をひきつけるのがフィン。援護にプラスト。ヴァルトは村の反対側へ回りこんで村人を逃がす。

 うなずいて確認すると、三人はそれぞれ仲間を連れて動き出した。マックはフィンと一緒にいたがったが、あまりに危険なのでヴァルトが引きずって行った。斬り込み隊はフィンともう一人、槍より剣を得意とする男だ。

 プラストが矢を放ち、フィンは剣を抜いて走り出した。


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