3-5. 将軍と占い師
普段はあまり怒りや苛立ちを見せない司令官が、太い眉を寄せ、口を一文字に引き結んでいる。その顔も既に三日目。そばに仕えている従者の方は日に日に眉を下げ、青ざめつつあった。
不機嫌の原因はむろん、毎日隊長たちが連れてくる自称魔術師や胡散臭い占い師、銀貨の一枚でも貰えるかと軽々しく名乗り出たペテン師の類である。
辛抱強く彼らの妄想や嘘八百や言い訳に耳を傾け続け、いまだ一片の手がかりすら収穫なし。グラウスが怒鳴りださないのが不思議なほどだ。
グラウスが何十人目かの占い師の、どうとでも取れる曖昧なご託宣を聞いている最中に、伝令が息せき切って駆け込んできた。目を白黒させている占い師を尻目に、
「司令官! これを!」
敬礼もそこそこに信書を差し出す。グラウスは咎めもせずにそれを受け取り、開いて――
「よくぞ知らせた!」
三日ぶりの笑顔で伝令の肩を叩き、褒めてやった。
「すぐに兵を向かわせよう。おまえはゆっくり休め」
よしよしと労い、呆気に取られている占い師の方にはぞんざいに、もう結構、と退出を命じる。何の褒美も受け取れなかった占い師は抗議しようとしたが、従者が素早く彼を外へ連れ出した。グラウスは既にそれを見てもいない。
「結局、頼りになるのは占いでも神託でもなく、人間の確かな情報ということだな」
にこにこと上機嫌に信書を読み返す。ナクテに潜入している密偵からの知らせで、竜侯セナトの娘婿ルフスが直々にシロスへ向かったという内容だった。わざわざ東から呼び戻してまで派遣するぐらいだから、目的は明らかだ。
グラウス自身はここを離れるわけにはいかないが、隠密行動に長けた兵士を何人か選りすぐって派遣すれば、ルフスより先にセナトの身柄を押さえられるかもしれない。急がなければ。
必要な手配をしようとして彼は従者を呼んだが、こんな時に限ってなかなか現れない。再度呼んだが足音もしなかった。外まであの占い師を送って行ったのか、それともごねられて手を焼いているのだろうか。
苛々しながら三度目に呼んで、やっと従者は部屋に戻ってきた。なにやら恐縮そうな顔をして。
すぐにも用を言いつけようとしていたグラウスは、相手の表情に不吉なものを感じて命令を飲み込む。代わりに彼は訊いた。
「どうした。何かあったのか」
「それが……その、もう一人占い師が残っておりまして」
「なんだ。もう占い師に用はない、帰らせろ。文句を言うなら酒保で一杯飲ませてやれ」
「そうではないのです。ただ、あの」
従者は困惑した様子でグラウスに歩み寄り、ひそっ、とささやいた。
「お探しの者は既にシロスにはいない、と言うのですが」
「なんだと!?」
これには流石にグラウスも大声を上げた。咄嗟に浮かんだのは、誰が情報を流したのか、という疑念だった。集めた魔術師や占い師には、目的は明かしていない。それに自分とてまさに今、知らせを受け取ったばかりなのだ。
(いったい誰が)
不快感に顔をしかめた後、まさか、と渋々もうひとつの可能性を考える。
(……本物か?)
嘘とぺてんで布施を巻き上げる魔術師や占い師でもなく、不安定でまったく当てにならない“本物”でもなく。真実有用な、実力のある占い師なのか。
グラウスは急く気持ちを抑え、むっつりと従者に命じた。
「話を聞くだけ聞こう。通せ」
従者は本当に良いのですねと念を押すような目をしてから、外で待っていた占い師を招じ入れた。臆する様子もなく現れたのは、謎めいた装飾品を首にも腕にも重たそうに着けた、小柄な老女だった。
(あれだけジャラジャラ着けていて、よく重みで腰が曲がらないものだ)
見たところ六十代よりは歳がいっているだろうに、背筋がぴんと伸びている。紫に近い濃い青色の目にも、心持ち上がり気味の口角にも、溌剌とした活力が満ちている。まるでそこらの空気から力を得ているかのようだ。
「長らく待たせて申し訳ない」
ひとまずグラウスは詫びた。老女は機嫌良くうなずく。
「待たされるのは分かっておったからの。構わぬよ。おぬしが知りたいのは、小セナトの行方じゃろ」
「いかにも。それをどこで知った?」
「わしゃ占い師じゃよ、将軍。なんでもお見通しさね。ただひとつ、神秘の力に隠された事柄だけは別じゃがの。坊やはそこに逃げ込んだよ」
「何だと? どういう意味だ」
結局こいつも、はぐらかして金をせしめようという輩か。
グラウスがそう考えて眉を寄せると、老女は茶化すように苦笑した。
「似非魔術師を大勢相手にしてうんざりしとるのは分かるがね、本物の見分けがつかんようでは戦の指揮もままなるまいに。え? 言うたろう、神秘の力に隠されておると。少しは己の頭で考えんか。それとも、そこに詰まっとるのは脳味噌でのうて筋肉かえ」
びしりと指差されて、グラウスは実際に老女の細い指が突き刺さったように感じ、しかめっ面で額をさすった。そして不意に閃く。
「――大森林か」
「さよう、オルグ神の力に隠された森じゃよ。もはや誰にも見つけられん。本人が出て来ぬ限りはの。探し回るだけ無駄じゃよ」
「それでは困る」
「坊やの知ったことかね。いずれにせよ、坊やは出てくるじゃろうよ。おぬしらの都合とは関係なく、の。必要な手はそれから打っても遅くはなかろうよ」
老女は飄々と言い、それからふと遠くを見る目をした。
「おぬしは別の心配をすべきじゃな。良くも悪くも、おぬしの行方を大きく左右する若者がおる」
「それこそどうでも良いことだ。俺の運命は自分で何とかする」
むっつりとグラウスは応じた。今知りたいのは、小セナトがこのまま隠れん坊を続けていたらどうなるかという見通しであり、それをこちらの有利に変える方法なのだ。
「自棄を起こすものではないよ、将軍。大事もなべて小事から成るものじゃ。気をお付け、その若者は山の奥深くにいる。取り逃がすでないぞ」
悪戯っぽく笑い、老女は言うだけ言って、くるりと背を向けた。
「待て!」
グラウスは咄嗟に呼び止め、揶揄する目を振り向けられてばつが悪くなる。ごほんと咳払いして威厳を取り繕うと、グラウスはなんとか事務的な口調を装った。
「名と所在を教えてもらおう。おまえの言が正しかったと判れば報奨を取らせる。あるいはまた助言を必要とするやも知れぬし」
「それはないじゃろて」
老女は笑うと、歳に似合わぬ軽い足取りで、止める従者をたやすくかわして出て行ってしまった。グラウスと従者は呆然として、ただそれを見送る。
しばらくして、グラウスは深いため息をついて頭を振った。
「やれやれ……あの手の輩はまったく得体が知れぬ」
ぼやいてからふと、そういえば『偶然の神』というのがいたな、と思い出す。拝まれることの少ない神で、他の神々がその性質と秩序に従って世を統べているのを、気まぐれに引っ掻き回して番狂わせを生じさせるのだ。奉納に反して不運に見舞われたり、とんと理由の思いつかぬ出来事が降りかかったりすると、人は皆、この神のせいにする。
(まさかな)
竜が現れたのだから精霊や神々さえ……と、先日言ったのは自分だが、あれがそうだとは考えたくない。
グラウスは老女のことを頭から追い出し、窓の外を見やった。
「いずれにせよ、シロスに確認の使いをやらねばなるまい。それに」
山脈にも、と言いかけて、慌てて口をつぐむ。
(俺の運命を左右する若者、だと?)
馬鹿馬鹿しい。
顔をしかめて鼻を鳴らす。だが一度芽生えた不安は消えてくれなかった。
(いったい何者だ……?)
視線の先で、山脈の高峰がうっすらと雪をかぶっていた。




