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灰と王国  作者: 風羽洸海
第二部 竜と竜侯
59/209

3-4. 大森林へ


「ネラさーん、もしもしー? 起きて下さいよー」

 間延びした呑気な声と共に、日よけの筵が巻き上げられ、ネラは顔をしかめて薄目を開けた。眩しい太陽を背にして、船乗りの青年が立っている。ネラは目をこすってゆっくり身を起こした。

「ごめんなさい、寝過ごしてしまって……着いたんですか?」

「どうにかね。一時はどうなるかと思ったけど、ここがかのオルゲニア大森林っスよ。……と言っても、その端っこに住んでるだけッスけど」

 おどけた物言いで説明しながら、青年は手を差し出してネラを助け起こす。後ろでセスタスの元気な声がした。

「タズ、ありがとう。ネラが起きたら、手を貸してあげて。僕は先に行くよ」

「行くって、どこに……うわっ! このクソ坊主! 待てこら!」

 セスタスが勢い良く桟橋に飛び移り、小船がぐらぐら揺れる。よろけたネラを抱きとめて、タズはセスタスに拳を振り上げて見せた。

 ネラが小さく笑い、タズは、あ、と気付いて赤面する。

「すんません。お客さんなのに」

「いいんです。たまに私も、コラッ、って叱りたくなる時がありますもの。本当にお世話になりました、タズさん。ありがとうございます」

「いや、そんな改まって言われるようなことじゃ……あっ、荷物は俺が下ろしますよ。足元に気をつけて」

 照れながら、タズはネラを助けて桟橋に渡らせる。その後でタズは姉弟の荷物に加えて自分の小さな背嚢を持ち、慣れた動作で船を下りた。

 三人が乗ってきた小船は、タズが雇い主から餞別代りに貰ったものだった。シロスの町で、姉弟はほとんどの船にオルゲニア行きを断られ、タズのいる商船にまでやって来たのだ。

 北から戻ってそのまま東へ行く予定だった船長は、もちろん断った。そもそも客船ではない。だがタズは、なにやら事情ありげな二人の様子を見て憤慨し、猛烈に抗議したのだ。若い娘が小さな弟を連れて苦労してるのに、助けてやらないでは海の男がすたる、と。

(あー……あんなに格好つけるんじゃなかったなぁ)

 船長と大喧嘩したことを、タズはいまさら後悔して頭を掻いた。身寄りのないタズを家族同然に受け入れてくれた船長に、生意気ばかり言って、挙句に昔の小船をぶんどって飛び出すとは。

 二人を送り届けたらシロスに戻れ、運が良ければ次の寄港で拾ってやる、とは言われたものの、時化に遭遇したせいで既に日数は大幅に狂っている。果たしてどうなることやら。

(まぁ、いざとなったら魚を釣って暮らすって手もあるさ)

 持ち前の楽天性で気を取り直し、タズは小船をもやってから、ネラと並んで町へ歩き出した。

 オルゲニアの町は、大森林と海の間の僅かな土地に縮こまっている。帝国の西岸沿いに航海する船の補給基地として築かれた町だ。歴史は古いが、すぐそばまで大森林が迫っているため、大きく発展することはなかった。

 北方へ向かう船が激減した今では、町も活気がなくなってうら寂しい。

 やる気のなさそうな店から店へ、セスタスは品物を覗きながら行ったり来たりしている。元気だなぁ、とタズは苦笑した。時化に揉まれて見知らぬ海岸に避難したり、水がなくなりかけて大慌てしたり、照りつける日光をまともに浴びてひっくり返ったりと、セスタスにとってはなかなか波乱万丈な航海だったはずだ。しかし一向にめげた様子がない。

「おぉい、坊っちゃん、とりあえずどっかに落ち着きませんかねー?」

 呼びかけると、セスタスは通りを眺め渡してから、駆け寄ってきた。タズから荷物をひとつ受け取り、肩に掛ける。

「タズ、ここまでありがとう。でもこの先は僕らだけで行くから、もういいよ」

 彼は言って、もうひとつの荷物も受け取ろうとするように、手を差し出す。あっさり解雇されたタズは、目を丸くした。

「もういい、って……何言ってんだ、馬鹿。ここがどこだか分かってんのか?」

「分かってるよ。オルゲニアだろ」

「そう、オルゲニアだ、大森林の端っこにちんまりくっついてる街だよ! つまり、ここにどんな用事があるんだか知らねえけど、船なしじゃここからどこへも行けないの! そりゃ、海岸沿いに潮の来ないぎりぎりのとこを歩けるっちゃ歩けるけど、そんぐらいなら船を使うほうが早いし安全だろ?」

「そうだね。でも、もう要らないんだ」

「いや、だからぁ……ああもう、ネラさん、何とか言ってやって下さいよ」

 タズは困り果てて姉に救いを求めた。が、そこにあったのが申し訳なさそうな苦笑だったもので、さらに困ることになってしまった。

「って……えぇ? まさか、ここで暮らすつもりなんスか?」

「まだ決めてはいないんですけれど」

 ネラは微笑み、それからセスタスに目を向けた。

「とりあえず、どこかに宿をとりましょう。何をするにしてもね。探して来ますから、ここで荷物の番をしながら、待っていてください」

「分かった」

 セスタスがうなずくと、ネラはタズにもちょっと頭を下げてから、商店の並ぶ通りへ歩いていった。後姿を見送り、タズは複雑な顔になる。若い娘が一人では不用心ではないかと気を揉みつつも、子供と荷物を放り出して追いかけるわけにもゆかず。幸い見通しは良いので、彼はネラの姿を追って首をあっちこっちへ伸ばしていた。

 すると。

「タズはネラに気があるの?」

 いきなり臆面もない質問をぶつけられ、タズは前のめりに倒れかけた。相手は客だということも忘れ、大声を上げる。

「なに言い出すんだよ、このませガキ!」

 赤くなって怒鳴ったものの、こちらを見上げるセスタスは意外にも真顔だった。からかう気配は微塵もない。拍子抜けしてタズが目をしばたくと、セスタスは小さく肩を竦めた。

「それならいいんだ。ネラは優しくて賢いから」

「あのなぁ、勝手に決めんなよ。俺は別におまえの姉ちゃんに下心はねえって」

「じゃあ、別の下心でもあるのかい?」

「はあ? 何言って……」

「だって親切すぎるよ」

 短く言い、セスタスはタズを見上げた。灰金色の目にまともに見据えられ、タズは後ろめたい所などない筈なのに、ぎくりとたじろぐ。セスタスは敵意も警戒も見せないまま、ただじっと、タズの魂まで見通すかのような目をして続けた。

「僕らのために雇い主の船長と喧嘩までして、小船ひとつでオルゲニアまで来てくれた。普通ならそんな事しないよ。どうしてだい? 僕らをどこかで売り飛ばそうとでも考えてる?」

「んなわけねえだろ! 疑り深い奴だな、人の親切は素直に受け取れよ。俺はただ……」

 タズは憤慨し、それからふと、自分でもどうしてだかよく分からないと気付いて言葉を濁した。セスタスはじっと答えを待っている。彼は少し考えてから、照れ臭そうに頭を掻いた。

「……ただ、放っとけなかったんだよ。何て言うか……ダチを思い出してさ」

「友達?」

「ああ。ものすっげえ義理堅い奴。あいつだったら絶対、身寄りがなくてワケありの姉弟を突き放したりしねえよな、って思ったんだ。現に前会った時、孤児の面倒見てたしな。俺はあいつみたいに頭良くないから、船長と喧嘩するはめになっちまったけど。ま、そういうわけだから」

 ごまかすように、タズはセスタスの頭をぐしゃっと撫でた。セスタスは目をぱちくりさせ、それからくすっと笑った。

「ふうん。ネラには分かったのかな、そういうこと」

「え?」

「ネラが言ったんだよ。あの人なら大丈夫だ、って。不思議だよね。時々ネラは、僕らに見えないものを見てるみたいなんだ」

 セスタスの言葉に、タズは束の間ぽかんとした。それから、いやいや、と頭を振って現実的な思考を取り戻す。ちっちっと舌を鳴らして彼はにんまりした。

「違うな。ネラさんが俺に一目惚れしたんだよ」

「それはないと思うけど」

「あっさり否定するか!? 可愛くねえな、おまえ!」

 タズは笑って、今度は両手でセスタスの頭をくしゃくしゃにかき回す。やめてよ、とセスタスが悲鳴を上げつつ抵抗し、気付くと荷物を浜に置いたまま、取っ組み合いになっていた。

 砂まみれになってじゃれている所へ、ネラが慌てて戻ってくる。彼女は二人を見下ろし、やれやれと両手を腰に当てた。

「ちょっと目を離したらこれですか。男の子ときたら! 行きましょう、宿を見つけましたよ」

 叱られた二人は顔を見合わせ、にやりと共犯者の笑みを交わしたのだった。


 結局、三人は一緒に宿屋で遅い朝食をとることになった。

 パンは少しふすまが多かったが、野菜を煮込んだスープにつけると気にならない。それに、粉をまぶして油で焼いた魚に果実のソースをたっぷりかけた主菜は絶品だ。辺鄙な町ながら、海と森の幸に恵まれていることがよく分かる。

 タズは前にもこの町に来たことがあるので、二人に向かって得意げに、特産品は何だの、このソースの材料は森の際ぎりぎりで採る苺なんだのと、あれこれ話して聞かせた。二人も興味深げに聞き入り、時々質問を挟んだりして、食事は和やかな空気の内に終わった。

 一服したところで、タズは口元のソースを拭い、きちんと座り直して切り出した。

「ネラさん、それで結局、これからどうするつもりなんスか? 俺に手伝えることがあったら、何でもやりますよ」

 彼は真面目に言ったのだが、セスタスが冷やかすように目をくりくりさせたので、じろりと睨みつけてやった。ネラは二人の無言のやりとりに微笑したが、タズの申し出は丁重に辞退した。

「ご厚意には感謝します、タズさん。でも、これから先は、あなたに手伝って頂ける事はないでしょう。セスタスの言う通り、ここからは私たちだけで参ります」

「参りますったって、どこに行くんスか、船もなしで。まさか大……」

 言いかけて悟り、タズは絶句した。あんぐり口を開け、姉弟の顔を見比べる。

「正気ッスか!?」

 思わず素っ頓狂な声を上げ、タズは腰を浮かせる。他の客の視線がいっせいに集まり、慌てて彼は、なんでもない、と身振りで詫びてから、脱力したように座った。

「ちょっと待って下さいよ、なんでまたそんな事……だってあの森は、入ろうったって簡単には入れないって話ッスよ? 迷って行き倒れるだけだとか、入っちまったら二度と出て来られないとか……フィダエ族に見付かったら殺されるって噂も」

「それはでまかせだよ」セスタスがやんわり遮った。「フィダエ族の王ウティアは、森に隠れる時に言ったんだ。『我らは外界との関りを断ち、森を養いながら生きてゆく。我らと同じく戦に疲れ人に絶望した者だけが、我らを見出し安息を得るだろう』」

 すらすらと暗誦した少年に、タズは初めて、警戒と疑いのまなざしを向けた。セスタスは気にせず続ける。

「つまりね、疲れ切ってこの世から逃げ出したいと思った人だけがフィダエ族に会えるんだ。そうじゃない人間は、森に入ってもフィダエ族には会えない。たとえ殺して欲しいと望んだって、無理なんだよ」

「おまえ、その王様を見たのか?」

 根拠は何だ、とタズが胡散臭げに言う。セスタスは一瞬、しまった、という顔をしたが、すぐに肩を竦めてごまかした。

「本で読んだんだ。ちゃんとした本だよ、でたらめのじゃない」

「どうだかね」タズは渋面で唸り、腕組みした。「なんか事情があるんだろうけど、そこまでして逃げなきゃならないもんなのか? ネラさんも、そんな死にに行くようなことは止して、ほかの方法を考えましょうよ」

 ごくまっとうな言葉だった。だが、死にに行く、と聞いて、姉弟はハッとなった。姉は咄嗟に弟の顔色を窺い、弟は青ざめて唇を噛む。不意に落ちた重い空気にタズが戸惑っているうちに、セスタスが低い声で「そうだよ」と同意した。

「ネラは来ちゃいけない。タズと帰りなよ。僕ひとりで行く」

「……いいえ、……」

 ネラは小さく首を振りながら慰めと否定の言葉を探したが、なかなか見付からない。セスタスは両手をテーブルの上で拳に握り締め、厳しい顔でうつむいている。

(なんなんだ、この姉弟は?)

 タズは困惑した。ネラに責めるまなざしを向けられ、ますますわけが分からなくなる。

(弟のせいで、逃げてるってことか? こんな子供に何の事情があるってんだ)

 ネラがセスタスに何事かささやいた。……様、と呼びかけたように聞こえ、タズは眉を寄せる。

「決して命を捨てるわけではありませんよ。あなたも私も同じです。大丈夫ですから、一緒に行きましょう」

 ささやく声は優しく、しかし力強い確信に満ちている。何の根拠もないのに、はたで聞いているタズまでが大丈夫だと思えてしまうのだから不思議だ。

 セスタスも、短く簡単なその言葉に説得されたように、拳を開いて顔を上げた。心細げな子供の顔を。それはネラに向けられたものだったが、前に座っていたタズの目にも入った。その瞬間、彼は自分が決心したことを悟った。

(あー、しまった)

 見るんじゃなかった、と遅ればせながら片手で顔を覆う。長々とため息を吐き出したタズに、姉弟は揃って訝る目を向けた。

(あんな顔を見ちまったんじゃ、どうにもこうにも)

 しょうがねえよなぁ、おいフィン、と心の中で呼びかける。幼馴染の苦笑が脳裏に浮かんだ。そして、ああ、とうなずく仕草――昔から何度となく見てきた、なんとかなるさ、と励ましてくれる表情が。

「分かったよ」

 親友の記憶にか、眼前の二人にか、しかと定めないまま彼は言った。

「それじゃ、俺も行く」

「ええ!?」

 途端にセスタスが、先刻のタズをも上回る大声を上げた。またしても注目を浴びてしまい、今度は慌ててネラが「お騒がせを」と頭を下げるはめになった。

「なんでそうなるのさ、タズは何の関係もないだろ!?」

 セスタスが身を乗り出して抗議する。タズはその小さな鼻をぴしっと弾いてやった。

「関係なくないね、もう知り合いになっちまったろ。それに、言っとくけど俺はおまえの為に行くんじゃないぞ。おまえみたいなガキんちょに振り回される優しい姉さんを見捨てるなんて、一生悔いが残りそうだから、行くんだ。どんな事情があるにしたって、二人より三人の方が何かと便利だし、心強いだろ」

「でも、そんな……」

「うっわ、嫌そうな顔しやがって。嬉しいね、ますます離れ難くなったよ」

「…………」

 セスタスはすっかり動転してしまい、視線でネラに助けを求めた。彼女もやはり驚いた様子だったが、こちらの表情は徐々に、温かな微笑へと変わった。

「本当によろしいのですか、タズさん」

「良くないよ!」セスタスが叫ぶ。

「どんと来いッスよ」

 タズは胸を張り、にっこり笑った。そして、ネラが嬉しそうに頭を下げるのを見て、

(あれ、やっぱり俺、この人に惚れちまったのかな)

 などと内心照れつつ、いやいやなんのなんの、任せなさい、と軽薄な態度を装う。セスタスに胡乱な目つきをされてしまったが、まあ仕方ないだろう。

「このままシロスに逆戻りしたって、元の船に戻れるかどうか分かりませんからね。船長とも、顔、合わせづらいし。どうせだったら、ネラさんの顔見てる方がいいッスよ」

 ぺらぺら調子の良いことを言いながら、彼は次の段取りを考えていた。

 小船は誰かにシロスまで戻してもらわなければならないだろう。船長への詫びも言付けよう。その際は、この二人のことが知られないように注意しなければ……

「あぁもう。後悔しても知らないからね」

 とうとうセスタスも諦めたようだ。タズはにんまりして、少年の頭をくしゃくしゃにしてやった。

「なぁに、その時はおまえに山ほど文句を聞かせてやるよ」

「だったら来ないでよ!」

「い・や・だ・ね。生意気な坊ちゃんに悲鳴を上げさせるなんて楽しいこと、そう簡単にやめられませーん」

「……っっ!」

 セスタスが顔を真っ赤にして唸り、ネラが堪えきれず笑い出した。年長者二人に笑われて、セスタスは悔しそうに歯噛みする。余裕しゃくしゃくなタズを睨みつけ、彼は低く唸った。

「今に見てろ……!」

「おお、そりゃ楽しみだ」

 タズは笑って受け流した。もちろん、いずれ本当に色々と後悔することになろうとは、夢にも思わずに。


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