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灰と王国  作者: 風羽洸海
第二部 竜と竜侯
57/209

3-2. 山小屋の一夜


 そうしている間にも、辺りはどんどん暗くなっていった。空が薄紫に変わり、やがて濃紺に覆われ、星が瞬きはじめる。木々の影が薄れて世界に溶け込み、松明に照らされた人間達だけが、取り残されたように孤独な影を作る。

 その頃にはもう、フィンの耳はすっかり馴染んだあの音を聞きつけていた。

 カリカリ……カサカサカサ、ギギギッ……

 呼吸を鎮め、心で距離をはかる。

 と、いきなり背後で扉が開いた。

「おい貴様ら、いったい何のつもりだ!?」

 顔を覗かせた隊長に、フィンはぎょっとなって思わず怒鳴った。

「引っ込んでろ! あんたらが闇の獣を連れて来たんだぞ!」

 隊長の目が丸くなったのは、若造に罵倒されたがゆえか、それとも、木立の間に現れた数多の青い光点を見たがゆえか。

 フィンは舌打ちして森に向き直り、空を切って襲いかかった鎖のようなものを斬り捨てた。

 刹那、闇が咆哮した。耳に聞こえる叫びと、それに倍する震動が腹に響く。黒い巨大な塊と化した森が、激しくのたうつかのようだった。

「隊長! 何が起こってるんです」

 小屋の中から恐怖に動揺した兵が口々に叫ぶ。扉の隙間から外を見た兵が、息を飲んで後ずさる音。

(そうだ、そのまま扉を閉めて引っ込んでくれ)

 フィンは背中でそれらを聞きながら、前の敵に立ち向かっていた。小屋はぐるりと青い光点に囲まれている。松明の光が届かない場所には、レーナが作り出した柔らかな光の球が浮いているが、それも獣を寄せつけないのが精一杯で、追い返すまでの力はない。

 星空を切り取る黒い山の影を飛び越えて、巨大な獣が襲いかかる。フィンは素早く前に出てその下に潜り、腹を割きながら飛びのいた。剣に霜がつくことはなかったが、それでも寒気が腕を伝い、身震いする。

(こいつらは平地の獣と同じだ)

 果てしなく深い憎悪、冷たく凍てついた怒り。突進してきた大蛇の鎌首を寸前で避け、一撃で斬り落とす。怨念が黒い霧となって舞い上がり、青く光る目がフィンを睨みつけてから消えた。

 レーナの力に守られていても、気分がじわじわと落ち込んでいく。絶望の影が広がり、その場に泣き崩れたい衝動に駆られる。

 フィンは隣を見やり、マックが青ざめているのに気付くと、攻撃の合間をぬってそばに行き、肩をトンと触れ合わせた。それだけでマックは、信頼と希望を取り戻したようにほっと息をつく。

 フィンは裏で一人戦うヴァルトのことも考えた。意識の目が小屋の上から全体を見下ろし、彼の姿を捉える。表よりも敵の数は少ないが、一人で相手をするのは苦しそうだ。

(大丈夫だ、俺たちにはレーナがついている)

 呼びかけると同時に、光の泉から流れを分け与える。ヴァルトの周囲の地面がうっすら光り、それが彼に力をもたらすのが分かった。

(そうか、このやり方なら)

 フィンは不意に気付くと、祈るように剣の柄を両手で握った。そして、足元の地面に深く突き立てる。自身を通して、一気に光の奔流がほとばしるのを感じた。

 白い輝きが瞬く間に広がり、小屋の周囲をきらめきで覆う。闇が叫び、おののいて逃げてゆく。

「……すごいや、フィン兄」

 マックが感嘆の声をもらす。フィンは我に返ると、目をぱちくりさせながら立ち上がった。剣は地面に突き刺さったまま、泉の源のように光を生み出し続けている。

 自分でも何をやったのか信じられなくて、フィンは呆然と頭を振った。

 裏手からヴァルトが、片足を少しひきずりながらやって来て、にやりと笑った。

「助かったぜ、竜侯様。出来ればもうちょっと、早くにやって貰いたかったがね」

 足を押さえた手の甲にも、赤黒い筋が走っている。フィンが眉をひそめると、ヴァルトは地べたに腰を下ろして足を伸ばした。

「心配すんな、いつもの奴だよ。今はそんなに痛まねえし、この程度ならどうってことないさ。そっちはどうだ?」

「俺はここだけ」

 マックが袖をまくり、腕についた痣を見せる。フィンは黙って両手を広げた。ヴァルトはうんざりとため息をつく。

「なんだよ、無傷か。ちびっ子と若造に負けるとは、俺も焼きが回ったな」

「しょうがないよ、おじさんは一人だったんだから」

 マックが慰めたが、おじさん、を強調したのは、ちびっ子呼ばわりへのささやかな仕返しだろう。フィンが失笑し、ヴァルトは口をへの字に曲げた。

 と、小屋の扉が少し開いた。

「おっと」

 慌ててフィンはそれを閉める。指を挟まれた誰かが悲鳴を上げた。

「悪い、だが朝になるまで開けないでくれ。ひとまず追い返したが、いつまた襲ってくるか分からないから」

 小屋の中で不満と不安のつぶやきがぼそぼそ漏れる。フィン達は顔を見合わせて苦笑した。この光を見られたら、自分達がただの難民ではないと知られてしまう。

「このまま一晩もてばいいんだが」

 フィンが言い、ヴァルトもうなずいて周囲を見回した。青い光点はぐっと数が減り、森の奥へ後退している。

「まったく、とんだ疫病神だ。この連中が麓でこいつらを怒らせたか何かしたせいで、こんな山奥まで奴らが追って来たんだろうよ。まったく、なんで俺達が守ってやらにゃならんのかね」

「仕方ないさ。山で軍団兵が死んだら、ディルギウスは山賊かサルダ族の仕業と決め付けて、大規模な山狩りをするかもしれない」

 フィンは答えて肩を竦めた。だからこそ、彼らも軍団兵から奪うのは食糧だけにとどめているのだ。常識的に考えたら、南進を控えて兵力の損失は避けたいものだが、何せ司令官はあのディルギウスである。

 やれやれとマックがため息をついた。

「せめて第八軍団の司令官が、まともな頭だったら良かったのに。本当に、いっそ兄貴が代わってくれないかな」

「無茶言うなよ」

 フィンが苦笑すると同時に、森がザワリと騒いだ。三人はぎょっとして向き直り、身構える。その瞬間、黒い影が頭上を飛び越えた。

「しまった!」

 ヴァルトが罵り、よろけながら立ち上がって屋根を仰ぎ見る。巨大な鳥のような、しかし鉤爪のある四肢を持った獣が、屋根を覆う葦を凄まじい勢いで剥ぎ取っていく。

「くそ、どこかに足場は……ねえな、くそったれ! マック、来い!」

 ヴァルトとマックが剣を構え、小屋の中に飛び込む。上から来るぞ、隅に避けてろ、と怒鳴る声。フィンは地面に刺したままの剣を見やり、頭上を見上げ、予備の短剣を抜いた。その間にも、さらにもう一匹、闇の獣が屋根に取りつく。

「レーナ!」

 呼ぶと同時に巨大な翼が羽ばたき、風が地面を打った。出現した天竜の力に押され、小屋に取りついた獣は苦痛の叫びを上げる。呼応するように周囲の闇が濃くなり、力を得た獣はさらに破壊の勢いを増す。

 フィンは差し出された竜の手につかまって高く舞い上がると、屋根に空いた穴から今しも飛び込もうとする獣の真上で、手を離した。

 狙いあやまたず背中を直撃し、短剣が柄までめり込む。獣の体が塵になる前に、フィンは短剣を引き抜き、もう一匹に飛びかかった。防御しようと振り上げられた鉤爪がフィンの手首をとらえるかに見えた――刹那、屋根が抜けた。

 大量の葦や藁屑と共に落ちながら、フィンは無理やり獣の翼を掴み、短剣を突き出した。手応えを感じると同時に、揃って床に叩きつけられる。思わずフィンは呻いたが、その声は獣の絶叫にかき消された。

 獣が塵になり、上から落ちてくるものがなくなると、恐る恐るマックや軍団兵たちがフィンを覗き込んだ。

「兄貴、大丈夫かい?」

「……なんとか」

 フィンは弱々しく笑って、ゆっくり身を起こした。しこたまぶつけた背中が痛い。天井の穴を見上げると、星空が見えた。

「どうやら連中は、諦めてくれたみたいだな」

 ふう、と息をつく。と、穴の縁から白い雲に囲まれた金色の満月がひょこっと顔を出し、フィンは目を丸くした。今夜は新月のはずだが。

 たまたまフィンと一緒に上を見ていた軍団兵が数人、ぽかんと口を開けた。慌てて満月が引っ込み、星空が戻る。フィンはふきだしてしまった。

〈レーナ、ありがとう〉

〈私は何もしてないわ。全部フィンのやったことよ〉

〈でも、今、心配してくれただろう?〉

 くすくす笑いながら呼びかける。白い竜が壊れた屋根の上にちんまり座って、心配そうに穴を見つめている姿が思い浮かんだ。レーナが恥ずかしそうに小首を傾げるのが分かり、フィンは背中の痛みも忘れて勢い良く立ち上がる。ヴァルトが、またこいつは一人でニヤニヤしやがって気色悪いな、と言いたげな顔をしていた。

「もう今夜は安全だから、皆は中で休んで下さい」

 緊張が解けたせいでいつもの口調に戻り、フィンは機嫌良く歩き出した。

「見張りは俺がやります。念のため、朝まで扉は開けないように」

「へぇへ、ごゆっくり」

 ヴァルトがシッシッと手を振り、マックも苦笑気味に敬礼する。フィンは真面目な顔を取り繕うと、扉を最小限に開けて滑り出た。

 中に取り残された軍団兵たちは、屋根の上でバサリと羽音がしたのを不安げに仰ぎ、胡散臭げな目をヴァルトとマックに注いだ。

「外でいったい何があったんだ……?」

 問うでもなく、隊長が考えたくなさそうな口調でつぶやく。ヴァルトは肩を竦めてとぼけた。

「詮索しないこった。知ったら、なんとなく世の中が嫌になるからな」


 夜が明けると、ネリスが小屋までやってきた。

「お兄、大丈夫だったの? 闇の獣に襲われたって聞いたのに、なんだ、心配して損しちゃった」

 憎まれ口とは裏腹に、手提げ籠には特製の軟膏や、念のために添え木と包帯まで入っている。フィンは微笑んで妹の頭を撫でた。

「悪いな。マックとヴァルトが少し怪我をしてるから、見てやってくれ。それと……」

 言いながらフィンは小屋を振り返り、軍団兵が出立の準備を終えて出てくるのを待った。

「彼らの持っている角灯に、ネーナ女神の祝福を授けてくれるか? 今日中に山を下りられるか分からないし、一度目をつけられたのなら、また襲われる可能性もあるから」

 さりとて兵営まで送り届けるわけにもいかない。相手にしても願い下げだろう。ネリスは、分かった、とうなずいて、マックたちの方へ歩いて行った。

 入れ替わりに隊長がやって来て、複雑な顔で言った。

「あんな女の子までいるのか」

「だから、難民だと言ったでしょう」

「ああ。だが……」

 隊長は言い淀み、ちょっと頭を掻いてから、ため息をついた。ぐるりを見回して、昨夜見た青い光点はもちろん、得体の知れない満月の主も見当たらないのを確かめる。それから彼は、渋々、わずかに頭を下げた。

「昨夜は助かった。正直なところ、夢だったのではないかと思えるが」

「だったら、夢を見たことにしておいた方がいい。闇の獣が現れたから引き返した、なんて報告したら、ディルギウスに張り倒されますよ」

「たかが山賊にしてやられたと言っても同じことだ」

 隊長が渋面で唸ったので、フィンは眉を上げた。どうやらディルギウスの悪評は、早くもカルスムの兵営に広まっているらしい。

「それなら、道が崩れていたと言うんですね。ついでに誰かが滑落したことにして、助けられたものの荷物を落としたと言えば、引き返した口実になります」

「おまえを部下に持ちたくはないな」

 隊長がしかめっ面のまま失笑し、フィンはとぼけて目をそらした。屋根の壊れた小屋が朝日を浴びて痛々しい。フィンは真顔になると、隊長に向き直った。

「冬の間は山に立ち入らないことです。夜が長く、闇の力が増す。あなた方は――俺達もですが――平地で闇の眷属の恨みを買っている。山脈では闇とサルダ族とがなんとか折り合いをつけているようですが、俺達は違う。下界からつけてこられたら、この山の中でまともに戦っては生き残れません。道が崩れたとか、橋が流されていたとか、もう雪が積もっていたとか、なんとでも理由を捻り出して下さい」

「そのために、おまえたちは軍団兵を襲っていたのか?」

 隊長が眉を寄せて探る目つきになったので、フィンは肩を竦めてごまかした。

「そんな高尚な理由じゃありませんよ。俺達も食べ物が必要なだけです。ただ、元々平地の人間としては、闇雲に山を登ってきた仲間が死んでいくのは、いい気がしない」

「……そうか。では、そういう事にしておこう」

 うなずき、隊長は部下のところへ足を向ける。そこでふと気付き、問いかけた。

「おまえの名前は?」

「知らない方がいいでしょう。俺も、あそこにいる元軍団兵も、ディルギウスの恨みを買ってますから。恨む相手が多すぎて、俺達のことはもう忘れていたら良いんですが、あまり希望は持てませんね」

 苦笑したフィンに、隊長も理解の表情を見せた。彼は部下のところへ戻るとネリスに礼を言い、全員準備は良いかと確認して整列させると、おもむろに向き直った。

「デイアの竜侯に敬礼!」

 号令と共に、十人ほどの軍団兵がいっせいに踵を合わせて敬礼する。フィンが目を丸くして絶句していると、隊長はにやりと笑って言った。

「正体を隠したいのなら、人の噂にも少しは関心を持った方がいいぞ。近頃はウィネアの兵や農民達から、まだ年若いデイアの竜侯の話が聞こえて来る。そこへもって、あれだけ派手に暴れて無傷なのでは、嫌でも想像がつくというものだ。あの満月みたいな目もな。では竜侯閣下、また機会があればお目にかかろう」

 軽く片手を上げて別れを告げ、彼は部下を率いて街道を引き返して行った。規則正しい足音がザッザッと遠ざかり、小さくなってゆく。

 やがてそれが完全に聞こえなくなると、フィンはその場にへたり込みそうになるのを堪え、手近な木に寄りかかった。ヴァルトが呑気な口調で、

「偉くなったもんだなぁ、いよっ、フィニアス様!」

 などとからかえば、マックはマックで、真剣に励ましてくれる。

「やっぱりフィン兄は凄いよ、格好いい!!」

 フィンはもはや言葉もなく、ごつごつした樹皮に額を預けて立ち尽くしていた。どうしたもんだかねぇ、という苦笑まじりのネリスの言葉が、一番心情に近かったかもしれない。


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