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灰と王国  作者: 風羽洸海
第二部 竜と竜侯
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1-5. 皇都の中枢にて



 涼しい石造りの宮殿に、規則正しい足音が響く。軍団兵の靴ではなくサンダルだが、歩調はまさに軍人らしいものだ。きびきびとした、それでいて焦りや苛立ちのない、着実な歩み。

 その音を耳にして、皇帝の執務机に向かっている黒髪の男は、一人口元をほころばせた。鳶色の目に愉快げな光を浮かべ、来るぞ来るぞ、と待ち構えていると、予想通り、出入り口で警備兵が敬礼する物音に続いて、足音の主がつかつかと入ってきた。暗い色の金髪をした青年で、整った顔立ちには静穏な美しさがある。

 黒髪の男はおどけた表情で青年を見上げ、仰々しくねぎらった。

「待っていたぞ、我が友。よくぞ参った」

 歓迎の言葉にも、青年はむっつりとしかめっ面をしただけで応じない。しばし無言で見つめ合った後、腰掛けていた男が首を竦め、降参の仕草をしながら立ち上がった。青年が代わって席につき、責めるでもなく皮肉でもなく、淡々と言う。

「どうせここに座るのなら、私の仕事を少し片付けておいてくれ」

 傍らに立った黒髪の男は、椅子の背もたれに寄りかかって苦笑した。

「そうしたら、代わりにおまえが俺の仕事をしてくれるか? むろん権限から言えば、皇帝が総司令官を兼任しても問題はないがな。しかしそうなったら一日で皇都は落ちるぞ」

「一日はひどい」

「なら半日か」

 揶揄されて金髪の皇帝は眉間に皺を寄せたが、さりとて怒りはせず、ただ小さくため息をついた。総司令官は心持ち詫びる口調になる。

「不思議なものだな、ヴァリス。おまえは頭も良いし、軍団生活も経験している。なのになぜ軍事となるとさっぱりなのか、俺には理解出来んよ」

「昔の将軍が言っている。『戦闘の実際は理論でなく直感』だそうだ。努力で得られぬものならば致し方ない。だからそなたに任せているのだ、グラウス将軍」

 語尾の呼びかけはいささか四角張った声音だった。何を言いたいのか察して、グラウスは真顔になった。

「ああ、俺の仕事はきちんとするさ、任せてくれ。……知らせがあった。北辺に動きが見られるらしい」

「ヴィティア州に? 第八軍団か」

「そうだ。司令官はディルギウス。再編と演習を行い、食糧を大量に集めている」

「南進する気だな」

 ヴァリスがささやき、グラウスもうなずく。州内の暴動鎮圧などであれば、兵糧はそれほど用意しなくても良いはずだ。補給の難しい山脈越えに備えているのだろう。

 問題は、山を越えた後だ。西に動くか、東に動くか。それによって天秤が大きく傾く。

「味方に引き込まねばなるまい」

 静かにヴァリスが言い、グラウスは塩辛い顔になった。是と応じない将軍に、皇帝は灰茶色の目を向けた。微かに面白そうな気配を漂わせて。

 しばしの沈黙の後、グラウスは諦めの吐息をもらした。

「気乗りせぬが、選り好み出来る状況ではないな」

 言って首肯しながらも、一縷の望みを託して問う。

「念のために訊くが、やはりエレシアは脈なしか」

「取り付く島もない。和解はとうに不可能だ。美女の援護を受けて前面の敵に集中する方が戦いやすかろうというのは、私でも察せられるがな」

 珍しく冗談めいたことを口にした皇帝に、グラウスはやれやれと頭を振った。

「ヴァリス……笑い事ではないぞ。ディルギウスが本国勤務だった時に一年間、彼の下で働いた経験から言って、彼を味方に引き込んでも到底安心は出来ん。抜きん出た才も人望もなく、あるのは野心ばかりという奴だ。適当にぶつけて時間稼ぎをさせるぐらいが関の山だろう。セナトはまだ見付からないのか?」

「まだだ」

 短い返事の後、二人は揃って黙り込んだ。

 セナト=アエディウス=ネナイス。前皇帝フェドラスの養子にして帝位継承者。

 一番良いのは、この少年の死体が見付かることだ。そうすれば、孫を帝位につかせたがっている竜侯セナト=アウストラを黙らせる事が出来る。生きていたとしても、身柄を確保することが出来れば交渉の材料として申し分ない。

 だが、皇都の主が入れ替わってもう一年あまり過ぎたというのに、いまだ少年の足跡さえ見付からないとは、どういうことか。

「天を飛んだか地に潜ったか。やれ難儀なことだ」

「子供が一人で身を隠して生き延びられるとは思えん。手引きし、今も匿っている者がいる筈なのだが」

 グラウスが天を仰ぎ、ヴァリスは机上を睨んで唸る。しかしここであれこれ言ったところで、セナトがぽんと出てくるわけではない。気を取り直し、グラウスが「それで」と話を戻した。

「セナトの捜索は兵達に任せるしかないとして、ディルギウスはどうする。使者を送るか、それとも向こうの動きを待つか。恐らく来春までは猶予があるだろう。冬になる前に急いで山脈を越えることはなかろうからな――つまり、南に出れば越冬も楽だが、味方を確保してからでなければ補給に不安があろうよ。ディルギウスは不自由を耐え忍ぶ性質でもないし、賭けには出るまい」

「そうか。ならばまず、親書を送って餌をちらつかせておくか。今はまだ西も東も様子を窺っているが、動き出したら一時になるだろう。峠の南側、コストムの兵力を増強して、ナクテからの攻撃とディルギウスの動きに備えよう。詳細は任せる」

「御下命謹んで承ります、陛下」

 グラウスは仰々しく一礼し、当の皇帝陛下が嫌な顔をしたのを見て笑うと、芝居がかった仕草で指を一本立てた。

「もうひとつ、お耳に入れることがございます」

「……何だ」

「北にも竜が現れたそうだ」

 豆殻を投げ捨てるかのごとく無造作に言い、グラウスは両手を広げる。ヴァリスは眉を寄せたものの、驚きはせず、なるほど、とうなずいた。

「予想されたことだ。大方、ディルギウスが自分の独立王国を築く布石として流した噂だろう」

「いや、ディルギウスではない」

「では誰だ」

「わからん。噂によると、竜が一人の兵士の窮地を救ったらしい。ただ、その現場や竜を直に目にしたという話ではないからな。尾ひれのついた駄法螺ということも充分考えられるが、少なくともディルギウスが竜侯を名乗ったわけではない」

 ヴァリスは黙って報告に耳を傾けていたが、ややあって小さく首を振った。

「……出遅れたのだろう」

「というと?」

「エレシアの噂が広まってから、いずれは各地で竜の噂や自称竜侯が茸よろしく出現するだろうと予想していた。ディルギウスは民の噂に先を越されて、竜侯を名乗る機を逸したのだろうよ。帝国の誉れも地に落ちた今では、皇帝よりも竜の威光を借りる方が効果が上がるからな」

 自嘲に唇を歪めた皇帝を見下ろし、グラウスは複雑な顔で言った。

「ならばおまえも、皇帝ではなく竜王を名乗ってみるか?」

「馬鹿馬鹿しい」ヴァリスは言下に一蹴した。「それこそ、続いて我も我もと各地に竜王国が乱立するぞ。太古の暗黒時代に逆戻りだ。我が父ゲナスはその危険を理解していた。ゆえに竜侯と彼らに取り入る貴族どもの力を削ごうとしたのだ。やり方は間違っていたし、見る目も理性も曇っていたのは確かだが」

「…………」

「開祖がなぜ竜王を名乗らず皇帝と称したか、その意志と理想を今の世に蘇らせなければ、帝国は滅びる。気付いているか、グラウス? 内紛にかまけている間に、北も東も西も、辺境の状況がまったく分からなくなっている。聞こえてくるのは薄暗く不確かな噂だけだ。まるで、手足をもぎ取られたことに気付かぬまま、心臓だけが脈打っているように思える。このままでは、その鼓動が絶える日も遠くはない」

 未来を予見するかのような、暗く厳しい声。双肩にかかる重荷が目に見えるようだ。

 グラウスはふと微笑むと、その荷を引き受けるかのように、皇帝の肩をぽんと叩いた。

「それを防ぐために、俺たちがいるのだろう?」

「……ああ、そうだ」

 ゆっくりとうなずき、皇帝はやっと口の端に笑みをのぼせた。気分を切り替えて机上の書類を手早く整理し、目を走らせて署名や書き込みを済ませると、もう席を立つ。

「さて、これからうるさい連中と角突き合わせに行かねばな。こちらの戦はそなたに肩代わりして貰うわけにゆかぬのが残念だ」

「武勲はお譲りしますよ、陛下」

 グラウスはおどけてへりくだり、苦笑した。竜侯会議は先々代ゲナス帝によって解散させられたものの、竜侯以外の貴族や市民代表による評議会は存続している。今では唯一の国政審議の場だ。

「戦費がかさめば増税や緊縮財政は避けられん。既に今年の演劇祭の規模も縮小が決定したが、利害の絡む商店主たちが不満たらたらでな。それを煽る議員がいるからなおさらだ」

「だからと言って、おまえが質素倹約してどうなるとも思えんが」

 グラウスは同情的に、しかしからかいを込めて、皇帝の長衣に触れた。清潔だが着古されたものというのは一目瞭然で、端が少し擦り切れかけている。

 ヴァリスもそれを見下ろし、何とも言えない表情で肩を竦めた。

「人には目に見えるものが必要なのさ、グラウス。実際、皇帝の衣装代を倹約すれば、それなりの額にはなる。民の口を養う足しにすれば、不満も少しは抑えられるだろう。では、北方の件は頼んだぞ」

 言うだけ言って、皇帝はまた、供も連れずに部屋を出て行く。いつもと同じ、淡々として着実な、たゆまぬ歩みで。

 グラウスはその背を見送ると、自分もまた、己の敵と向かい合うべく部屋を後にした。


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