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灰と王国  作者: 風羽洸海
第二部 竜と竜侯
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1-2. コムリスの粉屋



「ご苦労さん! どうやら今日中に終わりそうだし、少し休憩にしよう」

 農夫の朗らかな大声が葡萄畑に響く。収穫用の籠を背負った十数人の男たちが、ありがたいとばかり歓声を上げて集まってきた。大きな樫の木陰に寄り、女衆が用意した冷たい井戸水を呷る。

「今年はあんた達がいてくれて助かったよ。『粉屋』に頼めって言われた時は、どういうこったと首を捻ったもんだが」

 農夫が笑い、木陰に座った男達は肩を竦めたり苦笑をこぼしたりと、曖昧な反応をした。一番若い、まだ二十歳になるかならないかに見える黒髪の若者が、藍色の鋭い目に柔らかな笑みを浮かべて言った。

「たまたま風車小屋に住み着いたっていうだけですから。元は流れ者です」

「ああそうだな、近頃は流れ者がひどく多いよ」

 農夫は真顔になり、重々しくうなずいた。しかしすぐにまた笑顔になり、若者の肩を荒っぽく、親しみを込めて叩く。

「だが、あんた達は性質の悪いやつらとは違う。コムリスに流れて来る前は何だったのか、何となく分かるような気もするが、まぁそれはどうでもいいさ。あんた達に頼めば、きちんと仕事をしてくれる。坊主、あー、フィニアスだったか。おまえは特に、何をやらせても真面目で誠実だって評判だぞ」

 ばしばしと続けて叩かれ、フィニアスは困ったように苦笑した。次に来る台詞が予想出来たからだ。案の定、農夫は屈んで声を潜め、たくらみ事でもするかのようにささやいた。

「俺もおまえの仕事ぶりは気に入った。どうだ、うちには娘が二人いるんだが、婿に来る気はないか。どっちでも好きな方を選ばせてやるぞ」

「ありがたいお話ですが、遠慮します」

 フィンが穏やかに断ると、農夫の方も食い下がらず、あっさりそうかと応じて残念そうに肩を竦めた。この街では若者の仕事ぶりを褒めるのに、男女問わずこの手の申し出をする慣習があるのだ。むろんそれで本当に結婚となる場合もあるが、大半は儀礼的なものである。フィンも最初こそ驚かされたものの、コムリスに落ち着いておよそ一月、今ではすっかり慣れていた。

 横で木漏れ陽に目を細めているヴァルトも、いまさら冷やかしはせず、それどころか羨ましそうにぼやく。

「フィニアスおまえ、これで何度目だ? くそ、俺があと十歳若けりゃなぁ。ここで嫁さん貰ってのんびり余生を過ごすんだが」

「もし十歳若かったら、のんびり余生、なんて到底無理ですよ」

 フィンが律儀に指摘すると、周囲にいる何人かが失笑した。皆、ウィネアからの仲間達だ。もちろんフィン以外にも、婿にと言われた者は何人かいるが、今のところはまだ誰も話を受けていない。

 十一人の元軍団兵はコムリスに辿り着いた後、じきに解散するだろうとフィンは考えていた。だが、フィンと彼らをひとつにくくった偶然の結び目は、どうやら思ったより固いようだった。

 自分達が泊まれるところ、あるいは仕事をくれそうなところはないだろうか、と、オアンドゥスとファウナが街の男に問うた時、相手は夫婦の間で不安そうにしている二人の子供に目を留めた。可愛らしい顔立ちの華奢な少年と、汚れてはいるが磨けば輝きそうな童女。

 たまたまその男は、こうした子供達を高値で欲しがる連中を知っていた。ゆえに、風車小屋に行け、俺の紹介だと言えば仕事をくれる、と親切ごかしで教えたのである。

 むろん男は、夫婦と子供二人のほかに、むさくるしい男どもが十人以上ぞろぞろ来るとは知らなかった。

 岬の突端に建つ風車とその倉庫は、しばらく前から性質の悪い流れ者に占拠されており、表で堂々と取引できないものを売り買いする場になっていたのだが、そうと知らずに一行はどやどや押しかけ……

 結果、先住者を叩き出して自分達のねぐらにしてしまったのであった。

 街の者たちは当初、今度の住民も前の連中と大差ないとみなしていたが、彼らが風車を修理し、本当に粉屋の仕事を始めたものだから驚いた。

 オアンドゥスの実直な人柄はすぐに客を掴み、広がった評判と人脈から、次は他の面々に割り振ることのできる仕事が舞い込むようになった。コムリスは豊かな街で近郊には農地が広がり、人手はいくらでも必要とされていたのだ。

 そんなわけで、彼らは今、ひとまとめに『粉屋』と呼ばれ、食うに困らない程度の仕事にありついている。のんびり木陰で休憩するのが許される身分であるから、軍団兵だった頃より楽かもしれない。

 もっとも、それを楽しめる者ばかりでもなかったが。

 農夫が家に引っ込んだのを確かめ、ヴァルトはうんと伸びをして唸った。

「しかし何だな、こうも毎日平穏だと落ち着かんな。ケツの穴がむずむずする。ちょいと前まで闇の獣だの盗賊だのを相手にしてたってのに、今じゃどうだ、服についた赤い染みは血じゃなくて葡萄の汁なんだぜ」

「つまみ食いするからだ」

 プラストがぼそりと突っ込み、ヴァルトが「してねえよ」と噛み付く。フィンはちょっと笑い、青空の下に広がる葡萄畑を見渡した。

「確かに、ちょっと妙な気分にはなりますね」

 あの凄惨な北辺の状況が、すべて嘘だったかのような。あるいは、自分達だけが地獄からこっそり抜け出して、後ろめたいような。

 そんな感情が、まったくないとは言わない。けれど。

「……でも、俺はこういう暮らしは好きです」

 フィンは静かに、感慨を込めてつぶやいた。

 それに答えたのは、優しい風にそよぐ葉ずれの音だけだった。

 やがて休憩が終わり、粉屋の面々は再び収穫に精を出して、日暮れ前には帰路に着くことになった。郊外の道を歩いていると、海と山の間で窮屈そうにしているコムリスの街が見える。その少し北の海岸には、軍団の兵営が。

 とは言え、びくつく必要はなかった。

 軍団兵が見回るのは、もっと郊外、農地が終わる辺りに沿って並んだ篝火の列だ。街道にも時々は巡回に来るが、難民だろうと脱走兵だろうと、たいして注意を払わない。どうせここからはコムリスの街に行くしかないのだし、街のことは市民と自警団が解決する。軍団兵は闇を退けるだけで手一杯なのだ。

 そんな事情であるから、フィン達もたやすく街に入り、溶け込むことが出来た。問題さえ起こさなければ、どこの誰だろうと居住を許される。

 街に戻るとヴァルト達は居酒屋へ繰り出し、フィンはひとり別れて神殿へ向かった。

 例によって例の如く、この街でも神殿は山側の高台に位置していた。背中に西日を受けながら坂道を登り、ネーナ神殿の門をくぐる。真っ先にネリスがフィンの姿を見つけ、嬉しそうに手を振った。その姿に重なるいくつもの澄んだ小さな光が、声が届くよりも早く目に入る。レーナが「遠くからでも見える」と言った意味が、近頃はフィンにもよく分かるようになっていた。

「お疲れ、お兄。じきにマックがファーネインを連れてくるよ」

 ネリスはまずそう労い、肩に提げた鞄を探って蝋板や筆記具の間から一巻の書物を取り出した。

「はいこれ、頼まれてた本」

「ああ、悪いな」

「いいってば」律儀に謝られてネリスは苦笑した。「お兄も毎度飽きないねぇ。どうせあたしも図書室には行くんだし、だいたいお兄が自分で神殿の中まで入って来たら絶対誰かに見付かって騒ぎになるんだから……って、前も言ったと思うけど?」

 皮肉まじりに言われ、フィンは肩を竦めるしかなかった。そして、ごまかすように本を少し広げる。葦の繊維で作った紙の巻物だ。羊皮紙を綴ったものよりも脆いため、こうした本を貸して貰えるようになったのはごく最近だった。ネリスが勤勉で、『粉屋』の評判も良いお陰だ。

 横からネリスがフィンの手元を覗き込み、年代ものだね、と感心する。

 フィニアスはコムリスに落ち着いて以来、神殿に所蔵される伝承や歴史関係の書物を片っ端から読み漁っていた。竜と竜侯のことを、少しでも知るために。

「もう粗方、この手の本は借りちゃったけど……成果あった?」

「いや」

 フィンは端的に答え、巻物を留める。

「具体的に役に立つことは、何もないな。内容は面白いんだが」

 闇の眷属との大戦で、竜侯たちがどのように力を振るったか、具体的な描写はあまり多くなかった。しかもどうやら、竜侯が得られる力は絆を結んだ竜によって異なるらしく、フィンにとって指針となりそうな記述はほとんどない。

 たとえば現ノルニコム州の名門ロフルス一族は、かつて炎の神ゲンスの竜と絆を結んだ竜侯が、その初代当主だ。彼は炎を操り、決して火傷を負うことなく、その槍に貫かれた敵は瞬時に燃え上がって灰と化したという。

 一方で、秘めたる力の神オルグの竜と絆を結んだフィダエ族の王は、一族と共に深い森の奥に身を隠し、以来決して外界からの侵入を許さず、また自身らも姿を見せていないという。

「ただひとつありがたいのは、どうやら竜侯なら普通の剣や槍を使っても、闇の獣を倒せるらしい、ってことだな」

「倒せる? つまり、追い払うだけじゃなくて?」

「ああ。祝福された特別な武器でなくても、蝋燭一本ない闇の中でも、竜の力があれば闇の獣と戦えるようだ。あまり気は進まないが、もしまた奴らと戦うことになっても、ナナイスの夜ほど厳しくはないだろう」

 静かにフィンが言うと、ネリスはぶるっと身震いして我が身を抱いた。妹の不安を和らげるように、フィンはぽんと頭を撫でてやる。

「仮定の話だ。心配するな」

「……うん」

 ネリスはうなずいたが、その表情は晴れない。行く手から闇が消えたわけではないと、知っているからだ。フィンもそれは承知で、ゆえに余計な不安は与えまいと黙っていることがあった。

 様々な書物を読んだが、ひとつ、気になる点があるのだ。

 ――竜侯の『最期』を記したものが、極端に少ない。

 今も生きているという話は聞かないから、彼らもどこかの時点で死を迎えているはずなのだが、大戦のさなかに討ち死にした例を除けば、ほとんどが省略されてしまっている。

 ……かくして竜侯誰某に連なる血筋の者らが今日の何々家の基を築いた、といった具合だ。初代当主となった竜侯がどう暮らしたのか、大戦後の人間同士の争いの中でどのような役割を果たしたのか、竜侯の死後、竜はどうなったのか。『その後』の話になると、まるで竜侯がいつの間にか消えてしまったかのように、扱いは小さくなっている。

(あまり幸せにはなれなかった、というのは確かだな)

 フィンは心中でそっと息を吐いた。レーナがあれほど詫びるのも、そのせいかも知れない。良き領主として、良き家族として天寿を全うしたのなら、相応の功績や、崇拝者による記録が残っているはずだ。特に本国のネーナ人は記録魔とからかわれるほどで、自身や家門の功績を碑文や書物に残したがる。それがない、ということは、余生をまったく無為に過ごしたか、あるいは……

(記録から消し去り、なかった事にしたいと竜侯家の子孫たちが思うような死に方をしたか、だ)

 フィンとしては、それが出来るだけ遠い未来になるように願うしかない。

 暗澹とした気分を払うように頭を振って空を見上げると同時に、

「フィン兄!」

 マックの明るい声が呼んだ。ファーネインを連れて、孤児院から出てきたところだった。

 フィンは片手を上げてそれに応じ、どうだった、と日課の質問をした。マックの方も、いつもと同じ、と笑って応じる。

「今日は掛け算を習ったんだよな。ファーネインは覚えがいいって先生も褒めてたよ」

 なぁ、とマックに話しかけられて、ファーネインは自慢げに胸をそらす。ふたたび街で暮らせるようになって、彼女もすっかり以前の調子を取り戻していた。


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