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灰と王国  作者: 風羽洸海
第一部 北辺の闇
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5-5. 四辻・迷い


 ウィネアからカルスム峠を目指す街道と、東西を結ぶ横道とが交わる四辻には、農家が片手間に営む簡易宿泊所があった。

 かつては行き来する人々で賑わったそこも、今はすっかり閑散としている。道の東側に厩と休憩所があり、その裏手に農家の住まいと倉庫や作業小屋などが建っている。ゆえに、北東から横道を辿ってきた一行は、カルスム行きの主街道を通るわずかな旅人に見付かる心配もなく、倉庫に忍び込む事が出来た。むろん、建物の主の手引きがあってこそ、だったが。

 逃亡者たちを招き入れた後、主は箒を持って外に出た。二十組近い靴が汚した街道を適当なところまで掃除し、道端から倉庫に向かって踏み倒された草を立て直すのだ。その間に、農家の女房が一行に水を張ったたらいを用意した。

 疲れきった兵士達はてんでにそこらに座り込み、顔と手を洗う。そこへ、母屋の方からふたつの人影がやって来た。

「お兄!」

 駆け寄るなり飛びついたネリスを抱きとめ、フィンは心持ち目をみはった。互いに無事を喜びながら、フィンはネリスの丸い頭をそっと撫でる。びくりとして顔を上げた妹に、フィンは「驚いたな」と微笑した。

「短い髪も似合うじゃないか」

「え……、そ、そうかな」

 途端にネリスは照れくさそうに体を離し、そわそわと髪に手をやる。

「本当に? 本気でそう思う?」

「ああ。可愛いよ」

 フィンは優しくうなずく。声音はいたって真面目で、嘘や慰めの気配はまるでない。ネリスは頬を染めて、顔いっぱいに笑った。

「えへへ。じ、実はさ、何回も鏡を見てる内に、あたしも、結構これいいんじゃないの、って思えてきてたんだ。そっかぁ。うん、……それじゃ、もうこのまんま短くしてようかな」

 照れながらそんなことを言ったネリスに、後ろから「ええっ」とマックが奇声を上げる。ネリスは振り返ってじろりと睨み、何よ、と凄んだ。

「頭が軽いと楽だし、似合ってるんならいいじゃない。ね、お兄」

 同意を求めるネリスの視線と、止めてくれよと懇願するマックの視線がフィンに注がれる。もちろん、ちゃんと届いたのは妹のものだけだった。フィンは真顔でうなずいた。

「ああ。いいんじゃないかな」

 ぽんと妹の頭を撫でてから、彼は戸口の方に歩いて行った。農夫が箒を置きに戻ってきたのだ。それは先日、哨戒隊が盗賊から守ってやった男だった。

 フィンは軽く会釈してから、農夫に「お返しします」と手を差し出した。ああ、と農夫が応じる。荒れてごつごつした手に、チャリッと音を立てて小さな鍵が落ちた。

「確かに。“イグロスさん”は、ちゃんと届けてくれたようで」

「お陰で助かりました。あの小屋が使えなかったら、二晩続けて野宿になるところでした。食べ物や藁まで用意しておいて頂けるなんて……本当にありがとうございます」

 そうでなければ、闇の獣に加えてファーネインまで見張らなければならなかったところだ。テトナからの惨めな旅の繰り返しだと感じたら、幼いファーネインは逃げ出すか泣き喚くかしていたに違いない。小屋に寝られて助かったのは安全面だけではないのだ。

 フィンはそんな部分も含めて、深く頭を下げた。が、農夫は苦笑しながら手を振った。

「仰々しいなぁ、兄ちゃんは。礼なんかいらねえよ。あんたらには助けて貰った恩があるし、そうじゃなくても、司令官とニアルドに嫌がらせが出来るんなら大歓迎さ」

「……?」

「あの小屋のあった辺りは元々、うちの地所だったのさ。それをあのニアルドのやつが司令官と組んで、親父を騙して脅して奪い取りやがった。腹いせに、どこに何があるとか詳しい事はなんにも教えてやらなかったし、いくつかある小屋の鍵も掛けっぱなしにしてある。要るならてめえで建てろってんだ」

 農夫が鼻息荒く憤慨する。フィンは「そうでしたか」と納得して相槌を打った。ヴァルトはそうした事情を知っていたから、この農夫が作物を卸している店を通じて協力を頼んだのだろう。どうやって情報を手に入れたのか、今度聞いてみたいものだ。

 そうこうしている間にも、ネリスとマック、それに農夫の女房が忙しく立ち働いて、怪我人の手当てをしていた。フィンは改めて倉庫の中を見回し、大所帯になったものだと人数を数えた。

 哨戒隊の面々は全員、無事だ。ヴァルトやユーチスを含めて総勢七人。それからフィンの家族。両親とネリスと、マックとファーネイン。残りは追跡隊の生き残りだが、これはたったの五人だ。弓矢を携えた兵士は軽傷だが、残り四人はなんとか自力で歩けるという程度の惨めな有様。

(十七人か。俺も合わせて十八……)

〈私も入れてね?〉

 レーナの声が聞こえて、フィンは口元をほころばせた。

〈ああ。君を入れて、全部で十九人だな〉

 と、そこへ、まるでフィンの考えを読んだようにヴァルトがやって来て言った。

「随分増えたもんだな。ここからどうするか、もう一度連中に決めさせなきゃならん。ユーチスの阿呆も含めて」

「…………」

「おまえはどうしたいんだ? おまえ自身のことじゃない。そいつは分かってる。ユーチスだよ」

 探る口調で問われて、フィンは目を伏せた。ヴァルトはそこへ畳みかける。

「一番賢いのは、ここで殺して馬糞と一緒に畑の肥やしにしてやるこった。死人に口なし。安全確実だ。忠告しておくが、あいつに黙秘を誓わせても無駄だぞ。あいつはおまえと違って、何があっても誓いを守る昔気質の人間じゃない。自分を基準にすると痛い目に遭うぞ」

「分かっています」

 フィンはそれだけ答え、眉間に皺を寄せたままユーチスを見やった。レーナと絆を結んだあの日、信用できない、と直感した瞬間を思い出す。今なら分かる。あれはただの直感ではなかった。竜の力が気付かせた、ユーチスの本質なのだ。

 視線に気付いてか、ユーチスが不安げな顔で振り向いた。そしてフィンと目が合うと、一瞬、憐みを乞うように口を開きかけた。だがすぐに怯え、うつむいてしまう。

 フィンはそのさまを険しい目でじっと見つめていた。

 不快だった。ユーチスの裏切りも身勝手な“正論”も、それに対する自分やヴァルトの反応も。

「……俺は」ぽつり、と言葉を漏らす。「ユーチスの言う通りにすべきなんでしょうか。正直俺には、大昔の竜侯と同じことなんか出来ないと思います。それでも、やってみるべきなんでしょうか。ディルギウスを蹴落として、北辺の軍団をもう一度、闇を退け治安を守る本来の任務に戻すことが出来たら……」

「おいおい、止せよ。あの坊主は現実が見えてないのさ。おまえ一人で何が出来る? 竜侯様でござい、と言ったら皆が道を空けてくれると思うのか。それに第一、そんなことはおまえの望みじゃないんだろう? おまえの望みは」

「家族との平穏な暮らし。ええ、そうです。……身勝手な望みです」

 疲れを感じて顔をこすったフィンに、ヴァルトはやれやれと大きなため息をついた。

「誰だって自分の都合で生きてるんだ。俺もそうさ。おまえが昔の英雄の真似をしようと決めたって、俺は手伝わないからな。むしろどさくさ紛れに遠くへ逃げる。それの何が悪い。ユーチスだって、自分が安穏と暮らしたいから、おまえがそういう生活を与えてくれることを期待してるのさ。自分で掴み取る努力もせずにな」

「それなら、連れて行けばどうでしょうか。平穏に暮らせそうな場所まで」

「駄目だ」ヴァルトは一蹴した。「あいつは不実で信用ならない。無能で足手まといでも信用出来さえすればいいが、命の恩人に仇なす奴だぞ? 連れてったんじゃ、いつ足をすくわれるか分からん。平穏とはほど遠い生活になるぞ。……おまえが決断出来ないのなら、俺があいつをここに埋めて行く」

 ささやき声の、しかし決然とした宣言。

 ヴァルトの厳しい凝視を受けてフィンはしばらく沈黙したが、ややあって深い息を吐くと、痛々しい苦笑を浮かべた。

「食事にしましょう」

 唐突な提案に、ヴァルトは眉を上げる。だがフィンは肩を竦め、もう決めたとばかりの口調で続けた。

「皆、昨夜からほとんど飲まず食わずなんでしょう。それに、ここで別れる人もいるかも知れないんだったら……一回ぐらい、揃って食事するのも悪くない。何か食べて落ち着いてから、先のことを相談しましょう」

「…………ふむ」

 気をそがれたヴァルトの唸りも、フィンは聞いていないようだった。さっさとファウナのところへ歩いて行き、農家の女房も交えて段取りを相談している。取り残されたヴァルトは頭を掻いて、ぐるりと仲間達を見回した。目に入るのは、飢えと疲れで尖った顔つきばかり。

 なるほどな。彼はひとり納得した。とりあえず何か食え、ってのは正しいかも知れん。腹が減っては戦は出来ぬ、と言うしな。

 そういえば俺も腹ぺこだ、と胃袋に手を当てて思い出し、彼は急に気力が萎えて、その場に座り込んでしまったのだった。

 ヴァルトがぼうっとしている前で、手当てを終えたネリスも加わって女達がてきぱきと動き始めた。もちろんファーネインも否応なく手伝わされている。

 ヴァルトの脳裏を一瞬だけ、俺も火の用意ぐらいしないと、という考えがよぎったが、体が思うように動いてくれなかった。泥になったようにへたり込んでいると、横にオアンドゥスがやってきて、よっこらしょ、と腰を下ろす。

 二人してぼんやり見ていると、まだ元気の残っている若い兵士がひとり、手伝おうとしたものの結局邪魔してしまって退散する、という一幕があった。オアンドゥスが苦笑をこぼし、ヴァルトも一緒に少し笑う。

「やれやれ。こういう事には、俺たち男はまったくもって役に立たんな」

 ヴァルトが何気なくそんなことを言った直後、たまたまオアンドゥスの様子を見に来たネリスが聞きつけて口を挟んだ。

「そうでもないようですけど」

 小生意気な声にヴァルトはむっとして顔を上げ、それからネリスが視線で示した方に目をやって渋面になった。オアンドゥスも同じものを目にして、ああ、と苦笑する。フィニアスが手際よくファウナを助けているのだ。

「うちの兄は男じゃないとでも?」

 ネリスがおどけると、ヴァルトは唸りで応じた。

「馬鹿言え。あいつは例外だ。あいつは――」

 そこまで言った後、不意にヴァルトの声に濃い苦味が加わった。

「普通じゃない。特殊なんだ」

 軽い話題に似つかわしくない重さをもった口調だった。一緒にされてたまるか、とでも言いたげな。

 ネリスは何かまずかったろうかと困惑し、父親の顔色を窺う。と、こちらもまた、どうしたことか厳しい表情になっていた。ただし、彼が睨んでいるのはヴァルトであってフィンではなかったが。

 オアンドゥスの射るような目に気付き、ヴァルトは肩を竦めていつもの態度に戻った。

「考えてもみろよ。あれが『普通』で『当たり前』の時代になった日には、俺たちみたいに“肉を取ってくる”しか取柄のない男は全員、女に見捨てられちまうぞ。第一あいつは、俺たちと違って昨夜はぐっすり眠ったんだろうが。一人元気で当たり前だ」

「それを言われると辛いんだが」

 オアンドゥスも少しわざとらしい苦笑を浮かべて応じ、それから息子を見やって優しい目になった。

「あいつは孤児院に長くいたからな。家事の手伝いだの、年下の子守だのには慣れているんだよ、ヴァルト隊長。……何も、特別なことはない」

 意味深長なやりとりから外されたネリスは、眉を寄せて二人の顔を見比べた。だが何の説明もないまま、話はそこで途切れる。

「ネリス! ちょっと鍋を見てくれ」

「あ、はぁい」

 フィンに呼ばれ、ネリスが慌てて走っていく。その足音が充分遠ざかってから、オアンドゥスは低くささやいた。

「ヴァルト隊長」

「ああ分かってる。黙ってるさ」

 ヴァルトは煩わしげにオアンドゥスを遮り、兄妹の姿をちらと見やってから、口の中で唸った。

「……だが、くそったれ、なんでああまでそっくりなんだ」

 独り言に対する返事はなく、それきり二人は黙りこくって、ただ座っていた。


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