表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰と王国  作者: 風羽洸海
第一部 北辺の闇
34/209

5-3. 追跡


「あの小僧はどこへ行った!」

 いきなり頭ごなしに怒鳴りつけられ、ヴァルトは露骨に反抗的な顔をした。誰のことですかね、と言い返したくなったものの、そこまでしては危ないと思い直して答える。

「フィニアスのことなら、イグロスの遺骨収集のために外へ出ております。むろん司令官の許可は頂いたはずですが」

「だったらなぜ、もう日が暮れたというのに戻っておらんのだ! とぼけるな!」

「戻っているかもしれません。帰営後すぐに報告せよとは命じませんでしたので。誰か様子を見に行かせましょうか」

「俺は、戻っておらんと言ったぞ、ヴァルト」

 ディルギウスの声が不吉な響きを帯びる。ヴァルトは白々しくしゃちこばった。

「では、閉門に間に合わず野宿しているのでしょう」

「いい加減にしろ!!」

 ディルギウスが怒鳴り、手近にあった蝋板を投げつけた。咄嗟にヴァルトは腕を上げ、それを防ぐ。

「孤児院にいた奴の身内までが消え失せておるのだ、計画的な脱走でなくてなんだ! 貴様はそれを知っていて助けたのだろうが! 吐け、奴はどこだ!?」

「脱走するかもしれない、との懸念はありましたが」

 ヴァルトは正直に言い、蝋板を拾って机に戻した。落ち着き払ったその態度に、ディルギウスはすっと剣呑に目を細める。だがヴァルトは怯まなかった。

「家族を残して消える心配は無いと思っていました。読みが甘かったようです。しかし司令官、どのみち奴はたいして戦力にもならない、まともな訓練も受けていない兵です。失ったところで惜しくはないでしょう」

「ほざけ、この大法螺吹きの腰抜けが!」

 ディルギウスは身を乗り出し、ヴァルトの胸倉を掴み上げた。

「奴が特別な力を得たという噂を、俺が知らんとでも思ったか? それだけではない、あのくそいまいましい小僧め!」

 振り捨てるように手を離し、ディルギウスは床を蹴りつけた。このまま放っておいたら机の上の物がすべて叩き落されそうだ。ヴァルトは醒めた顔で司令官の八つ当たりを眺めていたが、続く叫びには目を丸くした。

「甥のところから子供を盗みおった! 俺の顔に泥を塗りおって、どんな手を使っても連れ戻してくれるわ!」

 危うく驚きの声を上げかけ、慌てて飲み込む。子供の話など、フィニアスから聞いていなかった。あの馬鹿余計なことを、と奥歯で苦虫を噛み潰し、ヴァルトは唸った。

「けしからん話ですな。しかし行き先なら、予想はつきます」

「何が予想だ、貴様はとっくに知っておるのだろうが!」

「はっきりと聞いたわけではありません、司令官。しかし奴は以前からことあるごとに、ナナイスに帰りたいとこぼしていました。自分達だけでは戻れないが、故郷の様子が気になって仕方ないようで、だから仕事ぶりもたるんでいたわけですがね。例の噂は俺も耳にしちゃいますが、竜はともかく、奴が何か役立つものを手に入れたんなら、そいつを頼りに北へ帰るつもりでしょう」

 すらすらと言い、そこでヴァルトは一呼吸置いた。ディルギウスの頭が少しは冷えたようなのを見て取り、先を続ける。

「追撃するのなら、俺と部下共が道案内します。あちら側の地理には詳しいですからね。もっとも、どこまで追いかけるはめになるか、奴が何を手に入れたのか、そこんところが分からないんで、充分な食料と一個小隊は出して頂きたい」

「……何が狙いだ」

「大した事ではありませんよ」ヴァルトはとぼけて肩を竦めた。「司令官にはまだ本気にして頂けないようですが、ついでに北の街道を大掃除して、闇の獣をちょっとでも遠くへやっておきたいだけです。夜中に城壁の哨戒任務をするのも、いい加減、怖くなってきましたんでね。ま、お気に召さないんなら、浮浪者や盗賊の掃討だと言い換えても構いませんが」

「この小悪党が」

 歯噛みしながらディルギウスが唸る。ヴァルトは大人しく黙っていたが、むろん腹の中では激しく毒づいていた。頑迷と愚かさが悪だというなら、なるほど確かにあんたの大物っぷりには敵わないだろうよ、と。

 ともあれ、ヴァルトのもくろみは当たった。ディルギウスはすぐに命令書をしたため、翌日未明に追跡隊を派遣したのだった。


「そら、ここに火を焚いた跡がある。口実にすぎないことでも、一応はそれなりにやったようだな。そして……足跡だ。北へ続いてる」

 小さな祭壇と火の痕跡を見つけ、ヴァルトは俺の言った通りだろうとばかり、地面を指し示した。所々に残った数人分の足跡は、少し先で街道に合流している。追跡隊の隊長はよしとうなずき、一行に再び進めと合図した。

 早く脱走者を捕らえて街に戻りたい一心の追跡隊を前に立たせ、ヴァルトとその部下たちは後からのんびりついて行く。見落としがないか確認しながら進むふりをして。

 しかし間もなく、追跡隊のしんがりから一人の兵が離れてやって来た。ヴァルトは眉を上げ、弓矢を携えた顔見知りを皮肉な表情で迎える。

「よぅ、久しぶりだなプラスト。おまえさんは俺たちと縁を切ったと思ってたが」

「来たくて来たわけじゃないさ」

 痩躯の弓兵は冷ややかに応じ、声を潜めて鋭く訊いた。

「本当に、北へ戻ったと思っているのか」

「思うも何も、足跡が示す通りさ」

「足跡など、街道の石畳には残らん。北へ向かうと見せかけて、街道に出た途端に逆戻りした可能性もある」

「ああなるほど、おまえさんのおつむは出来が良いな。分かったとも、小僧が攫ったガキを連れて街道を逆戻りしたとしようじゃないか。で、どこに行く? 南か? カルスム峠を越えて暖けぇ本国に行くか。だがあそこは軍団兵ががっちり守ってる。脱走兵は一発で捕まっちまうな。じゃあ西か? ヴェルティアかコムリスに出て、文字通り尻に帆かけてどこぞへ逃げるか。しかし船に乗れるほどの金はなかろうよ。何せ俺たちの給料は、もう何ヶ月もまともに支払われてないからな」

 ヴァルトは苦笑いして、自分の懐を叩いた。むろん相手は乗ってこない。沈黙に鼻白みつつも、ヴァルトは続けて言った。

「あとは東に逃げるしかないが、あっちはよそ者には厳しい土地柄だ。知り合いの一人でもいなきゃ、通り過ぎるだけならともかく暮らしてはいけん。子供連れで逃げるには向かんな。どっちみち、北に帰るしかないってこった」

 両手を広げて見せたヴァルトに、プラストは厳しいまなざしをひたと当てた。

「……俺には、どうも信じられん。いくら生まれ育った町で、知り合いがまだいるんだとしても、もう一度あの闇の中に戻るなど正気の沙汰じゃない」

「闇の獣なんかいない。おまえさんの意見はそうじゃなかったか?」

 ヴァルトは辛辣に皮肉ったが、プラストには通じなかった。彼はただ冷徹な目でヴァルトを、かつての仲間達を、そしてはるか北の大地を眺めて、わずかに眉を寄せただけだった。

「それでも、俺は城壁の外で夜を過ごしたいとは思わない」

 つぶやかれた言葉はあまりに暗く、声を通して夜が垣間見えるようだった。さすがにヴァルトも憎まれ口を叩けず、沈黙する。

 と、不意に後ろからユーチスが楽天的な声を上げた。

「ほんとだよね。あっちは竜がついてるからいいだろうけどさ、こっちはたまんないよ」

 あっけらかんと不平を漏らしたユーチスに、ヴァルトは天を仰ぎ、哨戒隊の面々はうんざり顔をした。プラストは驚いた様子もなく、淡白に問い返す。

「竜を見たのか」

「止せよプラスト。そんなもん、いるわけないだろう」ヴァルトが応じる。

「おまえには訊いてない。どうなんだ、ユーチス」

 プラストのみならず、ヴァルトや仲間達にまでじろりと睨みつけられて、さしものユーチスも首を竦めた。それから、ごまかすように歯切れ悪く答える。

「そういう噂だろ? もう皆知ってると思ってたけど」

「…………」

 プラストは眉を寄せて険しい目つきになったが、そこで不意に自分が遅れをとっていると気付いたらしく、何も言わずに踵を返すと、急ぎ足で隊列に戻って行った。

 無言だったのは、ヴァルトたちも同様だった。石のような沈黙に囲まれて、ユーチスは一人、自己弁護をする。

「だってさ、本当のことじゃないか。不公平だよ、僕らは普通の人間なんだから……外の様子を知ってるくせにさ、逃げるなんて……」

 何の反応もなく虚ろに消えるだけの独り言は、次第に小声になり、最後には口の中でもぐもぐと噛み砕かれ、飲み込まれた。

 やがて日が傾き、夕闇が迫る頃、追跡隊は野営の準備にかかった。ヴァルトとプラストの進言で、あえて街道から外れた場所に篝火を立てる。

「正念場だな」

 ヴァルトは口の中でつぶやき、自身の部下を見回してにやりとした。

「懐かしい友達に会えるかも知れんぞ。歓迎の準備をしておけよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ