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灰と王国  作者: 風羽洸海
第一部 北辺の闇
28/209

4-4. 盗賊掃討戦


 幸か不幸か、ディルギウスは討伐隊の編成を許可しなかった。

 代わりに、まず哨戒部隊だけで盗賊の根城の確実な位置を突き止める、という斥候任務を課したのだ。味方に背後から刺される心配はしなくてもいいが、下手に探って気付かれたら全滅もあり得る。むろんディルギウスの密かな望みはそれなのだろうが。

 一行は念のために小型の軽い盾を装備して、街道を南へと進んだ。森の中が盗賊の根城なら、どこかに見張りがいて矢を射かけてくる恐れがある。と言って重装備をすればガシャガシャ金属音を立てて、自分達の存在を知らせるだけだ。

 フィンは慣れない盾に不安げな顔をしたまま、最後尾について歩き続けた。

 やがて農夫が言っていた岐路に近付くと、どこからか煙の匂いがかすかに漂ってきた。数人が立ち止まり、それで残りも気付いて空気を嗅ぐ。ヴァルトがつぶやいた。

「この近くというのは確かなようだ」

 木立の上を仰ぎ見ても、煙は漏れていない。居場所を悟られないようにするぐらいの知恵は回るということか。厄介な相手だ、とフィンは顔をしかめた。そういえばウィネアに入る前に襲われた時も、丘陵の向こう側に潜んでいた連中にはその時になるまで気付けなかった。

 嫌な予感がしたものの、やっぱり帰りましょう、とは言えなかった。テトナの子供たちがいるかもしれないのだ。せめて声だけでも確かめたい。

 ヴァルト隊長の指示で部隊は数人ずつに分かれ、静かに木立の奥へと踏み入った。土や獣の匂いを含んだ空気が、木々の間に澱んでいる。

 フィンはわずかな兆しを逃すまいと、耳を澄まし目を凝らして、少しずつ進んだ。鳥が羽ばたき、トカゲの影が素早く足元をかすめる。

(どこにいる)

 見付かる前に、見付けなければ。焦りが募った。

 やがて、前を行くヴァルトが振り返って手招きした。全員、静かに、けれど急いで、そちらに駆け寄る。

 隊長の指差す先にはささやかな空き地があり、粗末な小屋がいくつか建っていた。地面を浅く掘って丸太を組み合わせ、草や枯れ枝で上を覆っただけの小屋。ちょっと強い風が吹けば飛ばされそうだ。

 小屋の近くにはロバや馬が数頭、繋がれている。彼らの戦利品だろう。シダで覆いをされた焚き火がまだくすぶっており、鍋や串といったものが置き去りにされていた。人影はない。

 出払っているのか、それとも気付かれたのだろうか。

 ヴァルトは険しい顔で空き地を見回し、逡巡した。ともかく場所は確かめたのだから、ここは退いて出直すか。それとも、この隙に奴らの根城を破壊してやれば――

 と、その時だった。

「このぐずが、さっさと水ぅ汲んで来い! 行け、のろま!」

 罵声に叩き出されるようにして、小屋のひとつから子供がよろけつつまろび出た。はっ、と息を呑んだのはフィンだけではなかった。テトナの孤児だ。誰かが口の中で名前を呼ぶのが聞こえた。

 汚れ、痩せ衰えた子供は、体に不釣合いな重い桶を手にふらふらと空き地を横切って行く。

 堪えきれずに、兵の一人がささやきで呼んだ。だが虚ろな顔の子供には届かない。別の兵が小石を拾い、子供の足元めがけて投げた。誰もそれを止めなかった。

 やっと子供は気付き、驚いた顔で小石の飛んできた方を見やり……

「あっ……!」

 凍りついたように立ち竦んだ。それから慌てて小屋を振り返る。幸い、中からは何の反応もなかった。一呼吸の間、子供は状況を判断しかねて茫然としていた。が、我に返るや否や、だっと走り出した。声を上げずに涙をぼろぼろこぼして。

 最初に呼んだ兵士が両腕を差し伸べて迎える。彼は駆け寄る子供しか見ていなかった。自分が木陰を離れて空き地に踏み出したことも、まったく意識していなかった。

 フィンも思わず身を乗り出すようにして子供の姿を見つめていた。だが、あと少しというところで、ヴン、と微かな唸りが耳を打った。

「伏せろ!」

 フィンとヴァルトが同時に叫んだ直後、一本の矢が子供の喉を貫いた。子供を抱きとめようと飛び出した兵士が、矢の飛んできた左手を振り向く。そしてそのまま、続く一矢を顔面にくらってのけぞり、どうっと倒れた。

「外してんなよ、馬鹿!」

 姿は見えないが、小屋の裏手から野次と嘲笑が上がった。答えてどこか左の方から、うるせえ二本目は当てただろうが、とだみ声が喚く。

 愕然としたのも束の間、ヴァルトは倒れた仲間を茂みに引きずり込み、担ぎ上げた。もう息がないと分かったが、置き去りには出来ない。

「逃げるぞ!」

 ささやき声で短く命ずる。だが盗賊の方には、それを許すつもりはなかった。

「よぉし、あそこだ! 撃ち込めぇ!」

 号令と同時に、哨戒隊の潜む近辺めがけていっせいに矢が降り注いだ。狙いはほとんどでたらめだが、逃げ足を封じる効果は充分だった。

「駄目だヴァルト、囲まれてる!」

「畜生ッ!」

 罵りと共にヴァルトは仲間の死体を地面に落とした。掃射の後、盗賊たちがわっと姿を現して襲いかかってきたのだ。

「馬鹿がのこのこ現れやがった!」

「街道をドタドタ来た時にゃもう見付かってんだよ、間抜け!」

 嘲笑が一足先に攻撃を始める。哨戒隊は円陣を組んで備えたが、刃と刃が交わった後は、すぐにその陣も崩れてしまった。

 開けた場所での戦いに慣れていたフィンは、視界に入るものの多さに苦戦していた。人の動きにあおられて茂みが揺れ、葉や小枝が飛ぶ。物音も、平地と違ってあちこちで余計な音がする。それでも、眼前の敵だけはなんとか片付ける事が出来た。

 仲間がどうなったかなど考えることも出来ないまま、一人倒し、二人倒して。三人目の時には、見覚えのある顔だと思い出す余裕が生じていた。意識の片隅で周囲の物音を聞き分けることも、少し出来るようになった。

 そうして、やっと一息ついてぐるりを見回した時には、仲間は散り散りになってしまっていた。一番近くにいたのは、あろうことかユーチスで……

(まずい!)

 隙だらけの背中を、すぐ近くの茂みに潜む盗賊に狙われていた。

 それだけ見て取ったのは瞬間のことだった。だが、次に行動を起こすまでには、それより長い時間を要した。

 迷いが生じたのだ。助けるか、見捨てるか。

 己の迷いに気付いたフィンはその罪悪感をごまかすように、即座に助けると決意した。だが、後ろだと叫んでも聞こえないかも知れないし、振り向いたところで防御は間に合うまい。唯一有効な手段は、皮肉にもかつてイグロスが選んだものだった。

「ユーチス!」

 怒鳴りながらフィンは、剣を盗賊めがけて投げた。軍団兵の剣が見栄えより実用重視で短めに作られているからこそ出来る技だ。

 驚いて振り向いたユーチスが、今にも振り下ろされようとする斧を前に恐怖で固まった。が、幸いフィンの剣が先だった。

 くぐもった声を漏らして盗賊が倒れる。ユーチスは腑抜けたようにそれを眺めていた。

 一方フィンは、武器を手放したのを見た新手に襲われ、盾だけで防戦していた。

「ユーチス、早く!」

 フィンは敵に目を据えたまま、必死で叫ぶ。自分がそうしたように、飛んできた剣を持ち主に返してくれるものと期待したのだ。しかしユーチスはフィンではなかった。

「えっ? あ、ありがとう!」

 場違いに礼を言われて、危うくフィンは脱力しかかった。こんな時にいったい何をぼさっとしているのかと、苛立ちながら一瞬ユーチスに視線を向ける。それが命取りだった。

 何たることか、ユーチスはフィンの剣を引き抜くことすら考え付かない様子で、口を半開きにしたまま、何の判断もつけられずにおたおた迷っていたのだ。

 フィンは愕然とし、直後、身をもって己が失敗を悟った。

 右脇腹にまともに一撃くらい、横っ飛びに転がる。悲鳴を上げた自覚はなかった。視界が赤くチカチカ光り、眩暈と激痛が襲う。倒れたまま起き上がれない。それでも反射的にフィンは盾をかざし、とどめとばかり襲いかかる盗賊の剣を受け止めた。左腕一本では支えきれず、右手を添えると、腕を伝わった衝撃で脇腹が痛みに燃え上がった。

「フィニアス!」

 誰かが叫んだ。頭がガンガンする。盾にかかる重圧が不意に消えた途端、フィンの両腕から力が抜けた。どさりと地面に落ちる手の重みを、他人事のように感じる。右手は無意識に傷口を探り、てのひらで押さえつけていた。どうしようもないのは明らかだというのに。

 折れた肋骨が手に触れた。指の間から熱い血がこぼれていく。

 畜生、フィンは歯を食いしばって己を呪った。畜生、畜生、こんな死に方をするなんて。なんだって助けたりなんかしたんだ、死にたくない、死にたく……

 ぐるぐる同じ言葉が頭の中を回る。ヴァルトがすぐそばで喚いているのが分かったが、何を言っているのかは、耳がわんわん鳴るばかりで聞き取れない。

(ネリス)

 妹の顔が脳裏に閃いた。それから養父母の笑みが。

(一回も、父さん母さんって……呼ばなかった)

 後悔しながら、フィンは麻痺した頭の片隅で皆のことを考えようとした。どうせ死ぬなら、大事な人たちのことを想って死にたい。だが、わずかに残った意識を集中させた時、心の中に通う“つながり”の糸がビィンと揺れて、家族の姿を消し飛ばしてしまった。

「フィン!」

 耳元で少女の声が響いた。暗くなりかけていた視界に、白くまばゆい光が輝く。痛みが遠のき、フィンは目を丸く見開いた。

「……レー……ナ」

 喉から漏れた声は、自分のものとは思えないほど嗄れていた。紫色になった唇に、土気色の頬に、ぽとぽとと熱い雫が落ちる。レーナ自身の光を受けてきらめく、大粒の涙が。

「死なないで、フィン、お願い! 死なないで!」

 そう出来たら俺も嬉しいんだが、と応じたくなったが、そこまでの元気は残っていなかった。唇の端を歪めて笑みを作るのが、精一杯。

「嫌よ、フィン、いや……」

 レーナはしゃくりあげ、首を振って、それから唐突に叫んだ。

「一人にしないで! 一生そばにいるって、お願い誓って今すぐ!!」

「……?」

 フィンは朦朧としたまま、心持ち首を傾げた。少なくとも、自分ではそうしたつもりだった。一生なんて、俺の時間はあとほんのちょっぴりしか残っていないのに。

「早く!!」

 レーナの切実な叫びが、先刻の自分と重なった。何のことか、だの、どうしろって言うんだ、だのと、考えていてはいけないのだ。そんな猶予は与えられていない。

「わかった」

 フィンはかすれ声でささやいた。言い終えるまでさえもたないかもしれないが、自分に残された時間は、

「君と……一緒に、いる」

 そう、それに死んでからだって、レーナは精霊なんだから、俺の魂を暗い黄泉路で見分けて拾い上げてくれるかもしれない。そうしたら、

「ずっと……」

 一緒にいられる。ずっと、いつまでも。

 ゆっくり瞼が降りて来たが、レーナの叫びがそれをとどめた。

「誓って!」

 その時にはもうフィンの肉体感覚はほとんどなくなっており、なんだか無茶苦茶だな、などと滑稽に思いさえした。死ぬ直前に結婚式でも挙げるみたいだ、と。

 残る力をかき集めて、フィンは求められるたったひとつの言葉を声に出した。

「誓う」

 ――その、直後。

 天地が逆転したほどの衝撃が、フィンの全感覚に襲いかかり、圧倒し、粉々に打ち砕いて焼き払った。


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