4-3. 日の翳り
「盗賊退治、って……フィン兄、危なくないかい?」
孤児院の庭で、マックは剣に寄りかかって心配そうに言った。大人の肘から手首ほどの刃渡りがある軍団支給の剣だが、小柄なマックにとっては実質的に長剣だ。イグロスの形見で、軍団に返すべきものだが、フィンはこっそり隠しておいたのである。この先いつ必要になるか知れないし、何よりナナイスの記憶が染み込んでいるようで手放し難かったから。
二人の稽古を見ていたネリスが、横から「そうだよ」と口を挟んだ。
「あいつらの生き残りだけじゃなくて、もっと大勢いるかもしれないんでしょ? 軍団兵だって、森の中じゃ勝手が違うだろうし、闇の獣だっているかも」
「だからと言って無視するわけにもいかないだろう」
フィンは額の汗を拭い、自分の剣を鞘に収めた。言葉にはしないが、彼が五人の子供たちに責任を感じているのは、その決然とした態度からして明らかだ。マックはつらそうに彼を見つめ、唇を噛んでうつむいた。そして、ゆっくりと唸るように言う。
「こんなこと、俺が言っちゃいけないと思うけど……でも、本当に、あれはフィン兄のせいじゃないんだ。あのままテトナにいたって、いずれ皆、飢え死にしてた。チビどもの面倒をちゃんと見られなかった俺にだって責任がある。だけど、今のご時世、そんなこと言ったって仕方ないんだ」
マックは顔を上げ、挑むようにフィンを睨んだ。
「もし責任感だけで盗賊退治をするんなら、やめてくれよ。あいつらのことを忘れられないのは、俺だけでいい。あんたはもっと先のことや、あんたの家族のことを考えなきゃ」
「何が言いたいんだ?」
「つまり……あんたの話だと、ウィネアの司令官はぼんくらだろ」
容赦なくずばりと言ったマックに、フィンは眉を上げておどけた顔をした。が、マックは笑わなかった。年齢不相応に暗い表情で続ける。
「そいつにしてみたら、テトナの生き残りは皆、目障りで鬱陶しいだけだ。盗賊退治にかこつけて、まとめて片付けようと考えるかもしれない」
嫌な指摘にフィンは眉を寄せたが、考えすぎだといなしたりはしなかった。ネリスが不安げに、「どういうこと?」と問う。フィンとマックは顔を見合わせた。
「ああ」フィンは沈鬱な表情でうなずいた。「その可能性はあるな。盗賊退治に部下を貸してやると言っておいて、実際は、盗賊の後で俺たちも殺すように命じておく。そうすれば、テトナやナナイスの実態を知る人間を消してしまえて、盗賊の数も減らすことが出来る。ディルギウスが喜びそうな作戦だ」
「そんな! いくらなんでも、そこまでひどい奴が司令官なんて馬鹿な話、あり得ないよ」
ネリスが愕然として首を振った。気持ちは分かるので、フィンは何も言わずにネリスの頭をくしゃりと撫でてやった。自分とて、ナナイスの兵たちの振る舞いを見るまでは……否、ウィネアでディルギウスと対面するまでは、そしてアンシウスにやんわりと失望させられるまでは、軍団というものにまだ幻想を抱いていたのだ。
厳格な規律を守り、誇りをもって市民と栄誉のために戦う、それがディアティウス帝国軍であった――かつては。
「ディルギウスが自分でこんな作戦を考え付かないぐらい、とことん馬鹿だったら助かるんだがな」
フィンは冗談めかして言い、案じ顔の二人に向かって肩を竦めた。マックが苦笑し、それはそれでどうしようもないね、と諦めのような皮肉を返す。
と、そこへ、場違いに明るい声が飛んできた。
「マック! あ、フィン兄さんも! 見て見て!」
ととと、と軽く小さな足音を立てて、神殿の方からファーネインが駆けてくる。薄桃色の新しい服を着て、満面の笑顔をふりまいて、まるで花の精霊だ。きれいに梳られた黒髪は、田舎の子のようにまとめて編むのではなく、一部分だけ細く編んでいるほかは自然に流している。リボンの赤が、瞳の深緑を鮮やかに際立たせていた。
「ファーネイン! 見違えたな、元気そうで良かった」
フィンはしゃがんで少女の頭を撫でてやる。ファーネインは自慢げに胸を反らし、くるりと一回りして服の裾をふわりと浮かせた。孤児院の子供には上等すぎる服だ。フィンがそのことに気付き、ネリスに目顔で問うと、彼女は苦笑気味に答えた。
「ファーネインを気に入ったっていう人がいて、ここのところよく、色んなものを届けてくれるの。引き取るつもりなんだと思う。ほかの女の子達が羨ましがっちゃって、大変だよ」
それを聞いてあははと笑ったのは、マックだった。
「チビでも女は女なんだよなぁ」
「なによそれ」ネリスがじろりと睨む。「きれいな服とか美味しいお菓子とか貰ったら、喜ぶのは当然じゃない。ねぇ?」
ネリスはファーネインに語りかけながら、しゃがんで胸元の紐をきれいに結びなおしてやった。ファーネインの方はそれが当然とでも言うかのように、お嬢様然と澄ましている。フィンは失笑を堪えて妙な表情になった。
「ね、ね、マック、フィン兄さん、きれいでしょ」
もう一度くるりと回って見せたファーネインに、二人はそれぞれうんうんとうなずいて、適当な褒め言葉をかけてやる。満足した少女がほかの称賛者を探して走り去ると、三人はなんとなく顔を見合わせ、少しばかり気の抜けた笑いをこぼした。
「まあ……ともかく、ファーネインだけでもちゃんとした家に引き取られるなら、良かった。誓いを破らなくて済む」
フィンはほっと息をつく。必ず守ると、安全なところへ連れて行くと、イグロスに誓った。彼が死んだからといって、誓いまで反故になったわけではない。
「律儀だね、フィン兄は」
マックが複雑な声を漏らした。感心すると同時に呆れているような。ネリスも深刻ぶってうなずいた。
「そうなんだよねぇ、うちのお兄は本っ当、クソ真面目で困っちゃうよ」
「ネリス、言葉遣いが悪い」
クソとか言うな、とフィンが軽く睨んでたしなめる。だがもちろん、ネリスは「ほらね?」と口をひん曲げただけだった。マックが笑い、フィンもやれやれと苦笑しながら首を振る。
「まったく……見習い神官の服が泣くぞ。今さら淑やかになれとは言わないが」
「人前ではちゃんとしてるよ。ご心配なく。特に、孤児院に来るお客さんには、良い印象を持ってもらわないとね。皆の将来にもかかってくるから」
そこまで言い、ネリスはふと顔を曇らせた。どうかしたのか、とフィンが小首を傾げると、ネリスは辺りを見回して他人がいないことを確かめてから、声を低めてささやいた。
「本当はね、ファーネインを引き取って貰うの、心配なんだ。なんか……変なの。祭司様もほかの人たちも、子供たちに良くしてくれてるのは、分かってるんだけど。なんて言うか、……ファーネインばっかり贔屓しすぎ、みたいな」
言葉を手探りするように、考え考えそこまで言う。眉を寄せたフィンの横で、マックが大袈裟に呆れ顔をした。
「なんだ、あんたもチビっ子が羨ましいのかい? 仕方ないだろ、ファーネインは特別可愛いんだから」
「違うよ! そうじゃなくて、なんだか……うまく言えないんだけど。引き取りたい、って話が出てから、あの子ばっかりちやほやされて、ううん、可愛がられるってことじゃなくて、食べ物や服が優遇されてるみたいで、だから……」
ああもう、ともどかしげにネリスは頭を振る。フィンはネリスの言葉をじっくり反芻していたが、ややあって嫌な思い付きが浮かぶと、もやもやした不快感がこみ上げてきた。
「……売り物みたいだ、ってことか」
つぶやくように言ったフィンに、ネリスがはっとしてから深くうなずく。マックが目をみはった。
「だ、だけど、それは」
「ああ、引き取りたいって人がファーネインのために金を出したのなら、不思議なことじゃない。それに現実にはやっぱり、一人でも多く、少しでも早く、引き取り手が見付かれば孤児院も助かるんだから、ちょっとでも見た目を良くして里親に気に入って貰おうとするのも、変なことじゃない」
ナナイスでも時々あったよ、と言い添えてフィンは口をつぐんだ。事実を述べているだけなのに、この寒々しさはどうしたことか。
ネリスも、まるで急に日が翳ったかのように、肩をすぼめて我が身を抱いた。
「思い過ごしならいいんだけど。あの子は喜んでるし、変なこと言って台無しにしちゃったら悪いと思って、今まで黙ってたの」
不安が伝染したように、マックもそわそわと足を踏み替える。
「気のせいだよ。俺もあのおっさ……おじさんは何回か見たけど、別に悪い人じゃなさそうだったし。子供好きで優しそうな人だったから、きっと大丈夫さ」
「そうだな」
フィンも、ただの取り越し苦労だというような調子で同意した。が、そこには何の根拠もなく、不安が消えたわけでもないことは、三人ともはっきりと理解していた。同時に、今の自分達にはそれをどうする力もないということも。
フィンは場の雰囲気を変えようと、うんと大きく伸びをした。
「差し当たり心配なのは、ファーネインより俺の方だな。今日は早めに休んで、盗賊退治で怪我しないように英気を養うとするか」
「お兄……なんだか、言うことがおじさん臭いよ」
調子を合わせてくれたのはいいが、やりすぎだ。フィンは本気で渋面になってしまった。マックとネリスがふきだし、無遠慮に大笑いする。やれやれとフィンは頭を振ったが、結局じきに、一緒になって笑ってしまったのだった。




