4-2. 盗賊の襲撃
祭りの後、隊長の態度は少し変わったようだった。軟化した、とまでは言い難いものの、以前ほど盗み見られることが少なくなったのは、何か安心したのかもしれない。
ユーチスの方は相変わらずだったが、隊長だけでも気にならなくなって、フィンはほっとした。
仕事は退屈なまでに平穏だった。たまに浮浪者を見付けて街の救貧院へ連れて行ったり、街道を南からやってくる農夫や商人の荷車を護衛したり、という程度。
だがまったく何事もないわけではなかった。
夏至祭の四日後、北辺といえども蒸し暑くなってきた昼下がりに、それは起こった。
ガラガラと街道を疾走する車輪の音に、哨戒隊は揃ってはっと振り返った。
狂ったように駆けてくる荷車と、群がる十人ほどの人影。盗賊だ。
「行くぞ!」
ヴァルトの号令で皆は一斉に走り出した。
こちら側からは、緩やかな下り斜面になっている。槍と盾を構えて駆け下りる軍団兵の姿に、盗賊も気付いて戦う構えを見せた。荷車は既に止められている。逃げたら丸損だと計算したのだろう。
雄叫びを上げて、盗賊たちが向かってくる。だが彼らが手にしているのは、貧相な棍棒や短剣、斧がほとんどだ。槍を持っているのは一人だけ。間合いの不利ははっきりしている。
フィンは駆け下りる勢いで近付き過ぎないように踏ん張り、向かってきた盗賊の腹めがけて槍を突き出した。が、狙いがそれて槍は刺さらず、脇腹をかすめただけ。その時にはもう、敵は斧を振りかざして肉薄している。
フィンは咄嗟に槍を斜め上に払い、柄でしたたか打ち据えてやった。一瞬の隙に素早く間合いを取り、もう一度突きを繰り出す。ドスッと重い手応えがあった。
しかしそれも致命傷には至らず、盗賊は狂ったように斧を振り回す。その刃が顔をかすめそうになり、フィンは咄嗟に槍ごと相手を突き放した。盗賊は槍が刺さったままよろよろと後ずさって倒れたが、その背後から新手が躍り出た。
鋭く息を吸い、フィンは素早く剣を抜いた。
刃が噛み合う。殺意にぎらつく盗賊の目に、フィンの冷たいまなざしが刺さった。
その一瞬、フィンには相手の動きが読めた。
次にどう動くか、どこに隙が出来るかが、なぜかはっきりと分かったのだ。と同時に、体は勝手に動いていた。
脳裏に閃いた予想図の通りに、敵が腕を振り上げる。フィンの剣が刹那わずかに沈んでから跳ね上がり、勢い任せに振り下ろされた短剣を手首ごと斬り落とす。愕然とした盗賊の顔が、瞬きする間に、血を噴き出しながら視界の下へ消えた。
(よし、次)
極めて冷静にフィンは顔を上げ、状況を見て取る。たった今、そこに倒れた敵を無造作に踏み越えて、彼は別の盗賊に向かって行った。
ヴァルト隊長は二人がかりで攻められて苦戦していたが、危ういところで突如片方の男がのけぞった。その腹に、剣の切っ先が飛び出している。驚愕に目を剥いたまま男が倒れると、背後にフィンが立っていた。その顔を目にした瞬間、ヴァルトは助けられたにもかかわらず、ぞっとなった。
凍てついた胸が息を吹き返すより早く、もう一人の盗賊もフィンの剣で屠られる。
ヴァルトの目の前で、フィンは無表情に新たな敵を探す。だが、もう誰もいないと分かると、彼は茫然とその場に立ち尽くした。
「無事かい、あんた」
兵士の一人が、荷車を走らせていた農夫に話しかけている。静けさが戻り、鳥のさえずりが遠くで聞こえた。それからやっと、フィンは我に返ったように目をしばたたき、ふっと息を吐いた。
「フィニアス」
かすれ声で呼ばれ、フィンはまだ現実感が乏しいまま、そちらを振り向く。ヴァルトが青ざめてこちらを見つめていた。なぜそんなこわばった顔をされるのか、フィンには分からなかった。小首を傾げ、「ご無事ですか」と尋ねる。だがヴァルトは、答える代わりに問うた。
「おまえ……楽しんでいるのか」
「は?」
意味が分からず、フィンは眉を寄せる。ヴァルトは咳払いし、以前のような、否、以前にもまして強い警戒の目を向けた。
「殺しを楽しんでいるんじゃ、ないだろうな」
予想外の言葉に、フィンは目を見開いた。その反応に、ヴァルトは肩の力を抜く。ほっと安堵の息をついたのが、本人は隠そうとしたようだが、フィンにも分かった。
「まさか」フィンは傷ついた声を漏らした。「俺はただ、死にたくないだけです」
そう言って、改めて周囲を見回す。今頃になってやっと、血や、死体が垂れ流す糞尿の臭いが、むっと鼻をついた。
「これを楽しめるなんて、ありえない」
独りごちて首を振る。そんな風に見られていたのかと思うと、衝撃だった。
「すまん」ヴァルトが短く謝った。「おまえの戦いぶりが、あんまり鮮やかだったもんでな。恐れを知らんように見えた。良い教師がいたらしいな」
フィンは答えなかった。答えられなかったのだ。
(俺は……楽しんでなんか、いない)
それは確かだった。だが、恐れてもいなかったのだ。何も――まったく何も感じていなかった。最初の一人を倒した後、急に感情がなくなったのは覚えている。
何かに操られるように、淡々と冷静に、動きを読み、呼吸をはかり、力と動きを計算して。そうして、殺すというよりはただ単純に、片付けていた。
それが、恐れられても仕方のない事だというのは、理解できた。
(俺はどこかおかしいんだろうか)
無意識に、手をじっと見つめる。たった今、何人もの命を奪った手。
相手は盗賊で、人殺しで、やらなければやられていた。だから罪の意識などない。それは当然だとしても、普通なら、殺したということにもっと何かを――よく分からないがともかく何かを、感じるものではなかろうか。
(でも、おかげで生き延びた)
ぎゅっ、と手を握り締める。生きている。敵は倒れ、自分は立っている。それは無感覚に徹して戦えた結果であり、もし恐怖にとらわれて混乱したり、逃げ出そうとして慌てふためいたりしていたら、死んでいたかもしれないのだ。もちろんその場合は、ヴァルトを助けることも出来なかった。
(……あまり、考えないでおこう)
かたく握った手を開き、ふ、と息を吐く。ともかく生きている、それが何よりだ。生きて、今日もまた街に帰って、ネリスたちに会いに行ける。
家族の顔を思い出すと、胸に温かいものが広がり、頬が緩んだ。フィンはひとり小さくうなずき、ゆっくり歩き出した。
兵士たちは全員無事で、荷車のまわりに集まっていた。可哀想な馬は汗びっしょりで鼻血を出していたが、どうにか死なずにすみそうだし、その主の方も汗だくで顔や腕に痣や小さな切り傷があるほかは大事ない。しかも荷台にはまだ玉葱やインゲン豆の籠がいくつも残っている。幸運だったと言うべきだろう。
「最近は街道の警備も満足に出来なくて、すまんな」
「いえ、おかげさまで命拾いしました。あっしも一人、こいつで頭をかち割ってやったんですがね。あいつらとにかく、人数が多くて。野犬の群れですよまったく」
農夫は隊長にそう答えながら、御者台の傍らに置いた鉈をちょいと示す。フィンも横からちらっと覗き見て、べっとり血がついた鉈に、反射的に顔をしかめた。おかしなものだ。剣や槍だったら平気なのに、日常生活に使われるべきものが殺戮の道具に変化した途端、何やら禍々しく感じられる。
そんなフィンをよそに、農夫はしゃべり続けていた。
「それに今回はあっしも、慣れた道だと思って失敗しました。道端の草むらでちょいとね、用を足してたんですが……何でだか、子供の泣き声がしたもんで」
「――!」
はっと息を呑み、フィンは顔を上げた。農夫は隊長の方を見ていて気付かない。
「それで、無用心にがさがさ木立の奥まで行っちまったんですよ。ただ、姿が見える前に野郎の怒鳴る声がしましてね。こりゃまずい、盗人どもだ、って気付いて、慌てて引き返したんですが、そん時にはあいつらの方もあっしに気が付いちまって、追っかけて来やがりました。馬車に乗った途端にひとり、藪から飛び出してきたんで、そいつをかち割ってやったんでさ」
農夫は助かって安堵した反動か、すっかり興奮している。きっとこの先一生、酒を飲む度にこの日の武勇伝を語るであろう、そんな風情だ。水を差すようで気が引けたが、フィンは「あの」と話に割り込んだ。
「それ、どの辺りでしたか。子供の泣き声がしたっていうのは」
「うん? なんだい、兄ちゃん、あいつらの根城を焼き討ちしようってのかい? 止しときなよ、森の中は連中の縄張りだし、同じところにいるとは限らねえよ。待ち伏せされたら、軍団兵でも危ねえさ……まぁ、大勢連れてくんなら別だけどもよ。西行きの分かれ道を過ぎたとこだったかねぇ。あぁだから、こっちから行きゃぁ、分かれ道の手前ってことになるかな」
「分かった」応じたのはヴァルトだった。「兵営に報告して、討伐隊を要請しよう。それまでは気をつけてな」
ぽんと背を叩かれ、農夫は「へえ」とうなずいて、ゆっくり街の方へ去っていった。それを見送り、ヴァルトは忌々しげに唸る。
「……気をつけろ、か。くそったれ」
フィンも彼の気持ちが分かり、ため息をついた。何をどう気を付けろと言うのか。今回はたまたま鉈が役に立ったようだが、また同じ幸運に恵まれるとは限らない。気をつける必要などないのが、かつては当たり前だったのに。
「闇の獣じゃなく盗賊が相手なら、司令官も少しはまともにものを考えてくれるかも知れん。気は進まんが、上申するしかないな」
やれやれ、とヴァルトは言い、ふとフィンを見やった。
「子供がどうかしたのか」
「……テトナの生き残り、かもしれません」
ためらいながら、フィンはささやくように答えた。聞いていた兵たちが揃ってぎくりとする。フィンは彼らの顔を見ないようにして続けた。見れば、責めていると思われそうだったから。
「孤児たちを全員連れてきたんですが、街に入る前に盗賊団に襲われて、五人、行方不明になりました。ひょっとしたら」
「ああ。ひょっとするかもな。くそったれ、何が何でも一個小隊は分捕ってやる」
ヴァルトが唸った。その意気込みように、フィンはやや意外な気分になった。それが顔にも出たのだろう、ヴァルトはフィンを見て、素っ気なく言った。
「あの手合いは最低の連中だ。俺も昔、女房子供を盗賊に殺された」
「…………」
「復讐してやりたくて軍団に入って、野盗狩りに精を出した。肝心の仇は、討てなかったが」
ヴァルトは目を伏せて、淡々と過去を語る。フィンはおずおずと問うた。
「見付からなかったんですか」
「いや」ヴァルトは首を振り、不意にフィンを見据えた。「ナナイスの部隊がそいつらを捕らえたんだ。俺が殺してやりたかったのに、奴らはナナイスで縛り首になった。……覚えてるか?」
問うた声は妙に凄みがあった。フィンは首を振り、戸惑いながら聞き返す。
「何年前の話です?」
「二十年近く前だ」
「それだったら、俺はまだ生まれてません。生まれていたとしても、赤ん坊ですよ」
「そうか。そう言や、おまえ、幾つなんだ?」
「十八です」
「なるほど」
何がなるほどなのかフィンには分からなかったが、ヴァルトはそれで納得したらしく、それきり何も言わなかった。フィンは困惑し、もやもやした気分を抱えて立ち尽くす。俺が誰かに似ているんですか、歳が関係あるんですか、と訊きたかったが、恐らく返事は得られないだろう。
仕方なくフィンは黙ったまま、街へ戻る一行の最後尾について歩き出した。わざと遅れて距離を置いたにもかかわらず、相変わらずのユーチスが歩を遅らせて横に並ぶ。
「フィン、君、すごいねぇ」
「…………」
「でも槍の扱いはまだちょっと、慣れてないみたいだね。良かったら今度……」
「黙ってくれないか」
うるさい黙れ、と怒鳴りたいのをぐっと堪え、奥歯で挽くようにして唸る。流石にユーチスも怯み、鼻白んだ表情で口をつぐんだ。ごまかすように小鼻を掻き、肩を竦めて、それでもそばを離れずに歩き続ける。
フィンは奥歯を噛みしめると、断固として相手を無視したまま、立ち止まって背後を振り返った。
盗賊の死体に、もう烏が集まりだしている。埋葬してやる必要がないのは明らかだった。烏や野犬が食い荒らした後は、一晩放置するだけできれいになるはずだ。ひょっとしたら、骨さえも残さずに。
(待てよ……どうしてあいつらは無事なんだ?)
不意に気付き、フィンは眉を寄せた。そこへ、前の方からヴァルトが呼びかける。
「おいフィニアス、何か見えるのか」
「いえ。ただ、どうして奴らは闇の獣に襲われないのかと、不思議に思ったんです」
「知るもんか」ヴァルトは吐き捨てるように言った。「奴らは屑だ。闇の獣も喰いたかないんだろうさ。さもなきゃ、連中が仲間に見えるんだろうよ。ぐずぐずするな!」
さっさと来い、と怒鳴られて、フィンはもう一度辺りを見回してからゆっくり体の向きを変える。微かに夏の熱を帯びた風が、フィンの体にまとわりつく血の匂いを吹き飛ばしてくれた。
(奴らでも喰いたくない人間がいるんだろうか。だとしたら、俺も)
その中の一人に入るんだろうか……?
「――っ」
ぶるっ、と頭を振って、嫌な物思いを払う。フィンはそれ以上考えるのはやめて、皆に追いつこうと走りだした。