表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰と王国  作者: 風羽洸海
その他閑話
197/209

星霜を見る

書籍版完結記念の追加番外。ウティアの過去の話、大戦の頃。



 世界は暗く、激しい嵐の中にあった。

 各地で人間達と闇の眷属との戦いが続き、またその戦いの中にあってさらに、人間達は派閥をつくり徒党を組み、(われ)が我がと肩で他人を押し退けるようにして相争っていた。

 とはいえ、大陸南西部、海に近いフィダエの地は、比較的穏やかな情勢であった。

 元より争いを好まぬこの地の人々は、各地での闇との戦いに人を派遣してはいたが、そのほかの争いについては積極的にかかわろうとはしていなかった。

 自分達の領分を守り、時折境を侵そうとする闇を追い返しながら、畑を耕し、森の実りを採って暮らす。

 少女が生まれ育ったのは、そうした穏やかな暮らしを営む村のひとつであった。


「かかさま」

 袖を引き、蒼い目でひたむきに見つめる子に、女は畑仕事の手を止めて「なあに」と応じた。十歳に満たない少女は、畝の芽生えを示して、つたなくも真剣に問いかける。

「この豆の芽は、いつ出たの。毎日、見る度に少しずつ大きくなっていくけれど、誰も見てない間も、ずっと育っているの?」

 幼い娘の問いを把握しきれず、母親は首を傾げながら「もちろんよ」と答えた。ほかに何があるというのだろう。

「誰も見ていなくても、草木は芽生え、育ち、花を咲かせて実を結ぶ。それが自然の営みというものよ。私達はそれを手伝って、代わりに実りを得ているの」

 ごくごく当たり前の、疑問を挟む余地のないこと。そんな風に母親は説明し、娘を畑仕事に戻らせた。我が子の小さな頭の中で、世界のありようにかかわるほどの深遠な問いが渦巻いているなどとは、考えもせずに。


 ――でも、もし本当に誰も見ていないのだとしたら、その間に起きた変化を、誰が『確かなこと』と言えるのだろう?


 少女はその時以来、折に触れてこの疑問を思い出すようになった。

 草が地に根を張る、その瞬間を誰か知っているだろうか? 引き抜いてみればむろん、土のついた根がぞろりと現れる。だから、根を張っていたのだな、とわかる。しかし実際にこの根の先が土中を這うその瞬間が、間違いなく本当にあったと、果たして誰が言えるのだろう。

 確かに草木は芽生え、葉を広げるが、その変化はいったい何によって定められているのだろう? 人の赤子も犬猫の仔も、あんな小さな姿で生まれて、しかし気付けばいつの間にか大きく育っている。

 ――何が、この世界の『変化』を司っているのだろう?

 その疑問を抱く少女自身もまた、歳月とともにすくすくと成長し、変化していった。


 一応の答えを教えてくれたのは、村の祭司だった。

「そりゃあ、おまえさん、神々に決まっておろう。わしら人が与り知らぬところで、神々はすべてをご覧になっていて、世界のありようを定めていらっしゃるのじゃよ」

「本当に?」

 普通なら、神々の御業、の一言で面倒な質問者を納得させることができるのに、それが効かなくて祭司は面食らった。その間に、娘は言葉を重ねる。

「なら、神々のことは誰が見ているの。神々だって、時には休んだりもするでしょうし、自分の背中まで自分で見ることは出来ないでしょう?」

「なんじゃ、おまえさんはえらく不遜なことまで考えよるのう……神々に出来ないことなぞありはせんのだが、しかしまぁ、神々もお互いを見ていらっしゃるのじゃろうよ」

 互いに観察しあう。なるほどそれなら、と娘はひとまず得心しかけたが、祭司が余計な一言を付け足した。

「大体、そういうことを司っておるのは、秘めたる力の神オルグ様じゃと言われておる」

「…………」

 娘は困惑し、小首を傾げる。だが祭司がもう帰れと手を振ったので、煩わせて機嫌を損ねないよう、娘は引き下がった。このところ、闇との戦いがいよいよ苛烈になり、人間の魔術師達が派手にやりあっているせいで、祭司たちは神々の力を鎮めたり、各々が住まう土地に障りが出ぬようはからうのに忙しいのだ。

 家に帰る道々、娘はつらつら考え続けた。

 変化を司る神がいる。ということは、オルグは他の神々よりも上位の存在なのではなかろうか。もしそうならば、そのオルグ神の「背中を見る」のはいったい何なのか。そもそも神に背中があるのだろうか?

 ふっ、と微風が頬を撫でる。

 誰かにささやかれたような、見つめる視線を感じたような、妙な気がして娘は立ち止まった。ぐるりを見回し、何気なく天を仰ぐ。精霊でもいたのだろうか。この辺りの土地は様々な力が強く、精霊も多いようで、昔から人々も日常的に人ならぬものの存在を感じ、共に生きてきた。今も村では何人もが、精霊が見えると言っている。

 娘が『何か』を感じ取ったのはその時が初めてだったが、そんなわけで、あまり不思議とも感じなかった。ただ、なるほどこれがそうか、と思っただけだ。

 彼女のまなざしの先で、遙か北に霞む山脈の連なりに至るまで、空は青く澄み渡っていた。


 日々畑仕事に精を出しつつ、作物や虫や家畜の些細な変化を見逃すまいと目を凝らす。そんな彼女は村ではすっかり変わり者扱いだったが、それでも年頃になれば懸想する若者も現われた。娘の容姿はそれなりに無難であったし、彼女自身も別段、若者を嫌っているわけでもなかったので、二人の間には特に大きな障害もなかった。

 ――そう、『二人の間』には。

 割り込んできたのは、世界の方だった。


 見慣れぬ男が村に来ている、との噂を娘が耳にしたのは、一番遠い畑からの帰り道だった。例によってあれこれと観察していたがために、娘は一人、村に戻るのが遅くなっていたのだが、作業を終えて立ち話をしていた女達の声が聞こえたのだ。

 珍しい、魔術師のようだった、もしやまたどこぞの戦に人手を寄越せと言うのだろうか……不安と好奇心の半ばする会話。

 娘自身は特に関心も抱かずそれを聞き流したが、しかし、どこか上の方で『何か』がざわりと動揺するのを感じた。

「……?」

 無意識に彼女は宙を仰ぎ見る。目に映る変化はないが、その『何か』の存在は、幼い頃から時折、ふとした時に感じてきたものだった。が、それが意思らしきものを感じさせたのは、これが初めてだった。

 胸騒ぎがして、娘は小走りになった。

 村の家々が近付く。同時に、熱を含んだ風が顔を打ち、髪を巻き上げた。後からやって来た噂話の女達も、ぎょっとなった様子で駆けてくる。だが。

「駄目だ、逃げろ!」

 村の中から誰かが叫んだ。直後、家が一軒、轟音と共に火柱を噴き上げ、弾け散った。

 あまりのことに現実だと信じられず、娘はその場に立ち竦む。躍る炎を背にして、人影がひとつ、壊れたように笑っていた。

「寄越せ! 全部だ、全部寄越せぇ!! ははははは!!」

 哄笑しながら、何かを受け止めるように両腕を広げる。実際に、渦巻く炎から舞い散る火の粉が、男の両腕の中へ吸い込まれていくように見えた。

 馬鹿な。これはいったい何だ。何が起こっている?

 愕然と立ち尽くす娘の横を、かろうじて逃げ出した村人が、わき目も振らず駆け抜けていく。噂話をしていた女達も、それにつられて悲鳴を上げた。坊や、と泣き叫んで戻ろうとする女を、逃げ出してきた者が捕まえ、無理やりひきずっていく。

「早く逃げろ!」

 全身煤けた男が村を振り返り、立ち尽くす娘に怒鳴った。しかし娘は動けなかった。

 わななく唇が、若者の名をつぶやく。その者だったはずの影が、笑う男の足元にうつぶせに倒れているのが見えた。背中にぽっかりと大穴が開いているのも。

 家が新たにひとつ、見えない手に押し潰されたようにメキメキ音を立ててひしゃげ、潰れた。娘の住まいだった。

 男が笑う。火の粉が、光が、影が、すべてが吸い寄せられていく。

(嫌だ)

 娘は瞬きもせず見入り、意志の力だけでそれを止めようとした。『何か』が己のすぐそばにいて、同じ思いを共有するのが感じられた。

(何もかも奪われてたまるものか。やめろ、やめろ……っ)

 ――止まれ!


〈ああ、やはり避けられぬか。我が絆の伴侶よ〉


 吐息のようなささやきが聞こえた瞬間、時が静止し、娘はすべてを()った。

 遙か遠い過去、時の始まりから、無限に広がる彼方の未来までも。己のなしたこと、これからなすこと。定まらぬことも定められたことも、すべてを。

〈オルゲナディウス〉

 うたかたのように、名が意識に浮かぶ。そうだ。私は知っている。

 絆の伴侶。秘めたる力の神オルグの竜――


 男が動いた。娘は驚きに目をみはる。

「おのれ、竜侯が……ッ」

 憎悪に燃える目で彼女を睨み、魔術師は血を吐くように叫んだ。

「奪ってやる。最後の血の一滴までも奪ってやるぞ! 呪われろォ!!」

 強烈な悪意と憤怒が、枷を引きちぎり打ち壊す。竜の力をもはねのけて、魔術師は怨嗟の叫びを残し、消え去った。


 風が吹く。

 柱や屋根の焦げた臭いと共に、生き物の燃えた異臭が鼻をつき、娘は我に返るなりくずおれて、土に両手をついた。胃の中身が空になるまで吐き、青白い顔を歪めてよろよろと立ち上がる。

 柵に寄りかかってなんとか一息つくと、彼女は村を見渡した。

 ひどいざまだ。あれほどひしめいていた精霊は半減し、何軒もの家が焼け、崩壊し、そこかしこに人が倒れている。

 だというのに、彼女の心には悲歎も痛苦も届かなかった。なぜなら、もう彼女はこれを知っていたから。時の流れの中の一点であり、いずれ己から遠くなるものであること、そして遠ざかった後の己自身をも、識っていたから。

 彼女は顔を上げて空を仰ぎ、それからゆっくり周囲を見回した。

 逃げていた村人達が、恐る恐る様子を窺いつつ戻ってくる。彼らの辿る道もまた、彼女には見えていた。今ここにある村がいずれ朽ち果て土に還り、巨樹の足元に埋もれてゆくことも、それをなすのが己であることも。

〈ウティア〉

 竜が名を呼ぶ。今初めて、そして既に遠い過去から伴侶となった者の名を。

 竜侯ウティアは、心でそっと絆に触れ、柵から離れた。今はまだ、『今』だ。平穏と静寂の森に引きこもれるのは先のこと。

「さて、行くか」

 つぶやいて歩き出す寸前、ちらりと元恋人だったものに視線を向けたその瞬間だけ、青い目に悲しみがよぎる。

 だがふたたび前を向いた時には、その瞳はただ、遠く星霜の彼方を見ていた。



(終)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ