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灰と王国  作者: 風羽洸海
その他閑話
195/209

故郷は遠くなり

※この話から先は、個人サイトの企画や拍手御礼に書いたSSばかりです。

内容も長さもバラバラでとりとめがありませんが、予めご了承ください。


完結後閑話の『面影』でヴァルトが妻子連れでナナイスを訪れた時のことを書いていますが、その後プラストに会いに行った話。

「ああ。おまえか」

 久方ぶりに会う旧知の友だというのに、相変わらずの素っ気なさ。ヴァルトは部屋の戸口に立ったまま、呆れて眉を上げた。

「もうちょっと喜べないか?」

 近所の野良猫が訪ねてきたとしたって、これよりましな歓迎を受けているのではなかろうか。そんなことを言ったら真顔で干物を投げつけられそうだが。

 良く来たな、どころか久しぶりだなと事実の確認さえもせず、プラストは何やら黙々としたためている。急ぐでもなく最後まで書き終えてから、おもむろにペンを置いて顔を上げた。そして、視線だけで対面の椅子を示して座れと促す。

 ヴァルトは苦笑いで腰を下ろし、室内を見回しながら言った。

「部下の連中も大変だな、ほんのわずかの言葉だけで司令官の御意向をお察しせにゃならんとは。上手くやれてんのか? 元は田舎村の一弓兵で、隊長の経験もないおまえが」

 真面目な心配と軽い揶揄が半々の質問に対し、プラストは「まあまあだ」と答えた。それきり言葉が続かない。この男の寡黙さに慣れていたはずのヴァルトも、数年ぶりのこととていささか調子が戻らず、居心地悪そうに椅子の上で身じろぎした。

 そんな彼を珍しくも気遣ってか、プラストの方から問いかけてきた。

「妻子連れで来たと聞いたが」

「おっ、ああ、今は竜侯様と取り巻き連中にちやほやされてるとこだ。赤ん坊連れでここまで来るのはさすがにちと疲れたみたいでな、休ませてやってる。後で見に来い、娘ってのは可愛いぞおぉ」

 露骨に脂下やにさがったヴァルトに、プラストはまた「そうか」と一言。自慢ものろけも甲斐のないこと甚だしい。ヴァルトは興醒めして天を仰いだ。

「本当に、相変わらずだな、おまえは。昔からちっとも変わりゃしねえ。俺やドラティスがげらげら大笑いしてる時でも……そういや、おまえを転がしてよってたかってくすぐったこともあったよなぁ」

 子供時代の悪ふざけを思い出し、小さく笑う。どんな話からそんなことになったのだったか、もう忘れたが、三人か四人か、いつもつるんでいた仲間で草の上にプラストを引っくり返し、脇腹や首やそこらじゅうを攻撃して笑わせようとしたのだ。

「あれは苦しかった」

 ぼそりとプラストが唸った。その時は結局、彼は真っ赤な顔でゼィゼィヒーヒー息を切らせるばかりで、悪童達が期待したような笑い声はついに発さなかった。

「ガキの悪ふざけだよ、まぁ、すまなかったが」

 首を竦めて今さら詫び、ヴァルトはふと遠い目をした。二人の間にたゆたう時が、ゆっくりと巻き戻ってゆく。将来を思いわずらうこともなく、畑や家畜の世話の傍ら、泥だらけになって遊んだ毎日。フェーレ川の水音、夏の草いきれ、茅葺屋根の向こうに広がる青空。何もかも鮮やかに、今まさにその場にいるがごとく匂いまで伴ってよみがえる。

 束の間、追憶に耽っていたヴァルトは、我に返って頭を振った。

「やれやれ、昔のことほどはっきり思い出せるなんて、お互い歳だな」

「…………」

 さり気なく『お互い』扱いされたプラストだが、あえて抗議はしない。実際、同い年なのだし、四十代も終わりに近付きつつある今、否定しても始まらない。

 しばしの沈黙を挟み、ヴァルトが深いため息をついた。

「テトナか」

 多くの思いが込められた独白。

 記憶に焼きついた様々の景色、人生の大半を過ごした村。だが今はもう存在しない。ヴァルトはうつむき、唇を噛んだ。

「見に行くか」

 プラストがささやいた。独り言なのか問いかけなのか、判然としないほどの声で。だからヴァルトも、ほとんど首を動かさずに小さく否定の仕草をした。

 東部からここまでの長旅で疲れているのに、それよりは近いと言っても、南へ足を伸ばすなんて面倒くさい。女房と赤ん坊まで連れているのだ、予定外の遠出はできない。

 頭の中で言い訳しながら、胸の痛みを無理やり抑え込む。

 しばらくかかって内なる嵐をどうにか静めると、彼は辛辣な自嘲の笑みを浮かべてつぶやいた。

「おまえとマックは、強いな。たいしたもんだ」

 返事はない。その沈黙がありがたかった。

 ――かつてウィネアで、春になったらどうするかと去就を問われた時。無意識に、反射的に、北へは行かない選択をしていた。

(ああそうだ認める、俺はテトナを見たくなかった)

 幸せな子供時代も、最初の妻と恋に落ちた青春も、血と復讐に荒れた毎日も。全部、闇の前に打ち捨てて逃げ出した。部隊がそう決めたのだ、家族もおらず仇もいなくなったテトナに執着する理由もない、そう言って自分を騙して。

 今さら故郷に足を踏み入れる勇気は、彼にはなかった。ヴェルティアで工事に明け暮れながら、こんな所で何をしているのかと虚しくなる瞬間もあったが、それでも、テトナに戻ることは決して考えなかった。

 多分これからも、あの村を訪れることはないだろう。たとえ将来再建され、昔のように茅葺屋根の家が並び、畑が広がり牛や羊が草を食む、馴染んだ景色がよみがえったとしても。

 ヴァルトは憂鬱を払うように勢い良く頭を振って、気を取り直した。

「どっちにしろもうすっかり、今の家が俺の家だ。昔を振り返ってしんみりしてる暇もありゃしねえよ。赤ん坊がいると毎日忙しくてたまらん」

 空元気の感じられる声だったが、やはりプラストは何も言わなかった。そうか、とうなずいただけだ。友人の決心に異を唱えることも、余計な気を回すこともない。その静かな優しさをいいことに、ヴァルトは調子に乗った。にやりと笑って要らぬお節介を切り出す。

「おまえはどうなんだ、え? ナナイスも随分人が増えたし、物好きな相手の一人ぐらい見付かるだろう。それともまさかずっと女っ気なしか?」

 途端にプラストが迷惑そうに眉をひそめた。ヴァルトは獲物を見付けた猫のようにますます笑みを深くする。

「まあなぁ、おまえはずっと独り身だったし、今さら女の尻を追っかけるのもねえだろうが、やっぱり女房子供がいるってのはいいもんだぞ」

 偉そうに腕組みしてそっくり返り、先達ぶってご高説を垂れようとした、その時だった。

「お話し中、失礼します」

 涼やかながらも温かみのある声が、戸口から呼びかけた。プラストがぎょっとしたように身をこわばらせたので、何事か珍しい、とヴァルトも驚きつつ振り返る。そして、あんぐり口を開けた。

 目の覚めるような美人――まさにその形容通りの、若い娘。現実に存在するとは思ってもみなかった、夢から抜け出てきたような。

 度肝を抜かれているヴァルトの前で、娘は含羞の微笑で一礼し、もてなしの一揃えが載った盆を運んできた。葡萄酒の卓上壺と杯、干し果物や木の実やチーズ。

「プラストさんの、大切なお友達がいらっしゃっているとお聞きしましたので」

 机の空いた場所に持参したものを置き、杯のひとつを客人に差し出す。だがヴァルトはまだぽかんとしたまま反応できずにいた。代わってプラストが渋面で「いい」と小さく首を振る。それだけで察したらしく、娘はふんわりと極上の笑みでうなずくと、杯を盆に戻し、聞き分けよく下がった。

「お邪魔しました。どうぞごゆっくり」

 しずしずと去っていく時も、女神のような微笑みはプラストに向けられたままだ。軽やかな足音が遠くなり完全に消えてから、やっとヴァルトは我に返った。

「おい! なんだ今のは、どういうこった!!」

 弾かれたように立ち上がり、机越しにプラストの両肩を掴んで問い詰めた。プラストはしかめっ面で答えない。

「おま、どうやってあんな……! まだ二十歳かそこらだろう、親子ほど歳が離れてるじゃねえか! この野郎、どうやって口説きやがった吐けぇ!!」

「口説いてない」

「嘘つけ! あんな、おまえ、あんなとろけるような目で見つめられておいて、なんでもない関係だとかぬかすんじゃねえだろうな!?」

 がくがく肩を揺さぶる。プラストは苦い顔のままだったが、その目元に微かに朱が差した。

「……近いうち、結婚する」

「んな――っっ!? ちくしょう、てめ……っっ、くっそ絶対許さん、おまえなんか絶縁だ、うがああぁぁー!!」

 怒鳴り喚いて足を踏み鳴らす騒々しい旧友に、プラストはやれやれとため息をつく。昔からこの男はちっとも変わらない。

 ひとしきり叫んで息切れしたところを見計らい、黙って杯を差し出す。ヴァルトはひったくるように取り、自分で葡萄酒を注いだ。ぐいっと呷ってから、机に肘をついて身を乗り出す。

「教えろよ、どうやって落としたんだコラ」

「…………」

「澄ました顔しやがって、本っ当にムカつく野郎だな。せめて嫁の名前ぐらい教えろ」

「……ティリア」

「ぐぁー! やってらんねえ、頬染めてんじゃねえよおっさんが!」

 下らないやりとりの間にも杯を重ね、チーズや木の実が減っていく。それにつれて、懐古の痛みもまた小さく遠くなっていく。

 いつしか二人は時を忘れ、歳を忘れ、ただ変わらぬ友人として酌み交わしていた。



(終)


※※※※※※

おまけ。プラストとティリアの一場面。



 まだ自分の置かれた状況が信じられなくて、プラストは戸惑いながらもぐもぐ言った。

「俺は、随分歳が離れているぞ」

「はい。もとより承知です」

 ティリアは動じない。尊敬と憧れと愛情に満ち満ちた、眩しいばかりの笑みでうなずくだけ。プラストは、この娘は現実がわかっているのだろうかと怪しみながら念を押した。

「……さっさと死んでしまうぞ」

 社会的地位も健康も、そう長くはもつまいから、いつまでも庇護してはやれない。多少の財産ぐらいは遺してやれるだろうが、生涯の伴侶というにはあまりに短い期間しか共にできないだろう。

 そんな彼の懸念を、ティリアは若さと希望であっさり吹き払った。

「でしたら、一日も無駄にはできませんね。これから婚姻届を出しに行きましょうか」

 にっこり笑って言ってのける。プラストは反論の無駄を悟り、黙って細い手を取った。いっそ豪胆なほどに思われる彼女もやはり緊張はしていたのだと、その指の熱と震えが教えてくれた。


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