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灰と王国  作者: 風羽洸海
外伝 『逢魔』 ※本編ネタバレ有
194/209

四章 (2)


 日が傾き、黄昏が彼我の境を曖昧にする頃になって、ティトとヴァルトも村に戻って来た。応援に行った村人と一緒に、捕らえた野盗をひきずっての凱旋である。

「竜侯様!」

 フィンを見つけたティトが、興奮に手を振りながら駆けて来る。打って変わって生き生きした様子になった少年は、フィンの前まで来ると勢いよく頭を下げた。

「色々すみませんでした! 待ってる間に話を聞いて……あのっ、いまさらだけど、握手してくださいっ!」

 目を輝かせて言いつつ、勢い任せに両手を突き出してくれる。フィンはややたじろぎながら片手を握り、後からやってきたヴァルトを睨みつけた。

「何をどう吹き込んでくれたんだ」

「ありのままを聞かせただけだぞ?」

 ヴァルトは耳をほじり、指先をフッと吹いてから肩を竦める。

「我らが天竜侯様が、いかに融通の利かない頑固者で、しつこくて退屈で、どうしようもない馬鹿かって……」

「あのっ、おれっ!」

 ヴァルトの台詞を遮って、ティトが割り込む。身の内に生じた勢いを持て余してか、大きく両手を振り回して彼は続けた。

「本当に、何にも知らなくて。竜侯様がどんな人で何をして来たかとか、今どこにいるのかとか、東部で軍団の人が何やってんのか、とか。たぶん母さんとか話してたんだと思うけど、ちゃんと聞いてなくて……それで、それなのに、一人で疲れたとかつまらないとか考えてて、それじゃ駄目だって気が付いたんだ!」

 言葉にはまとまりがないものの、熱意はよく伝わってくる。フィンの目元が和らぎ、ヴァルトの苦笑もひねくれてはいるが温かい。二人のそんな表情に、ティトは赤面して両手をすこし大人しくさせた。

「畑のこととか、確かにしんどいけど……楽したかったら、楽する方法を自分で考えなきゃいけなかったし。何にも変わらなくてつまらないとか言う前に、何がどうなってるのかをちゃんと知って、自分から変えていかなきゃ駄目なんだ。竜侯様みたいにすごいことは、出来っこないけど。それでも、最初っから諦めて何にもしなかったら、そりゃつまらなくても当たり前だよな、って」

 なんで気付かなかったんだろう、と照れ隠しのようにつぶやき、首を竦める。縮こまったその頭を、ヴァルトが笑ってくしゃくしゃにかき回した。

「気が付いたんなら、おまえはそれだけ前に進んだってこった。こちとらとしても、坊主みたいなガキんちょに早々と人生つまらねえとか言わせちまうようじゃ、大人の面目丸潰れだからな。坊主さえその気があるんなら、手助けはしてやるよ」

「だったら、ガキ扱いしないでよ」

 ティトがむうっと膨れる。と、そこへ、狙ったような怒声が飛んできた。

「このクソガキ!! どの面下げて帰って来やがったァ!!」

 あまりの大音声にティトがぴょんと飛び上がり、フィンもびっくりして振り返る。ティトの父親が、真っ赤な顔でこめかみに血管を浮き上がらせて、熊のようにどすどす迫り来るところだった。

 ティトは思わず後ずさり、ヴァルトにぶつかる。その衝撃で気を取り直し、かろうじて体勢を立て直した。

「お、おれのせいじゃねえよ! 話を聞いて……」

「うるせえ!! 魔物だとかなんとか、ひとのせいにすんじゃねえ馬鹿野郎!!」

「ちょっ、何言ってんだよ!? ひとのせいも何も、本当におれは」

「村の者にさんざん迷惑かけやがって、なんだそのしれっとした面は!!」

 果敢に反撃を試みるティトだが、ことごとく父親の雷に粉砕されていく。魔物に乗っ取られたのだという事情はフィンが既に話したのだが、どうやらいざ息子を迎える段になると、心配させられたことへの怒りが抑えきれなくなったらしい。

 これではティトも反発するだけだ、とフィンは仲裁の隙を窺ったが、それよりもティトが癇癪を起こすほうが早かった。

「ああもう、うるさいな分かったよ、おれなんか帰って来なきゃ良かったんだろ!! 出てってやるよ、家になんか帰るもんか! このまんま竜侯様についてって、軍団に入れてもらうさ!!」

「この上まだ他人様に迷惑かけるつもりか、このクソガキ!! こっち来い、馬鹿野郎!」

 父親も怒鳴り返し、フィンをおしのけるようにして腕を伸ばすと、息子の耳をつかんで引っ張った。

「いたっ、痛い痛い痛い!! 離せクソオヤジー!!」

「誰がクソだ、おまえみたいなガキが兵士になろうなんざ十年早い!! 甘えんな!!」

「離せぇぇぇ!! ちくしょう、嫌だっ、離せってば!!」

 ティトは散々泣き喚いて抵抗したが、父親の腕力には敵わない。そのまま強引に連れ去られていく。フィンは呆気に取られて騒々しい父子を見送っていたが、ややあって同じく気の抜けた顔をしているヴァルトと目を合わせると、揃ってやれやれと首を振った。

「あれは後が大変だな」

 フィンが言うと、ヴァルトも苦笑でうなずいた。

「ああ、だろうな。まぁどうせ野盗どもの処理に兵を呼ぶから、坊主にはその時に、軍団ってのがどういうところかみっちり教えてやるさ。それでもまだ入りたいってったら、俺から親父さんに口添えしてやろう。新兵はいくらでも欲しいからな。……ってことで、後は有能な俺様に任せてとっとと帰っちゃどうだ、竜侯様。でないと、あのガキが親父んとこから逃げてきて、連れてってくれとかせがみだすぞ」

 おどけて言い添えられた一言に、フィンは思わずふきだした。まさに、その光景が目に浮かぶ。

「ありがたく、お言葉に甘えさせてもらう。それじゃヴァルト司令官、後は頼んだ」

 フィンは皮肉っぽく敬礼し、相手が嫌そうな顔で応じるのを確認してから、空を仰いだ。

 言葉を意識して伝えるまでもなく、白い翼が広がり、空高く舞い上がる。小さな人影がいくつも首をのけぞらせてこちらを見ているのに気付くと、フィンとレーナはその場で大きく一度旋回してから、夕陽の方へ――ナナイスへと、羽ばたいていった。


「あっ、お帰り兄貴!」

「お帰りぃー」

 早朝の広場に下りて市庁舎に入ると、ちょうどマックとネリスが揃っていた。笑顔で振り向いた二人に、フィンも笑みを返す。

 マックは今、竜侯の副官という曖昧な肩書きではなく、正式に天竜軍ナナイス部隊の隊長となっている。総司令官プラストや、よそから招いた軍団の士官経験者から、部隊の運用や維持について日々学んでいるところだ。

 その妻であるネリスは祭司職の傍ら子育てに奮闘中で、今も背負い紐で下の子をおぶっている。夏から秋頃には三人目が生まれる予定だ。普通なら倒れそうな忙しさでも、ネリスはまったく堪えた様子がない。どうやらネーナ女神の加護のおかげらしく、最初の子を産んで以来、彼女は病気知らずの疲れ知らずで毎日元気一杯に過ごしている。

 今朝は家から二人一緒に出て来て、この後ネリスは神殿に向かうつもりなのだろう。

「東はどうだった? 予定より遅かったけど、何か厄介事でも?」

「朝ごはん食べたの? スープは残ってないけど、パンなら家にあるよ。卵も一個だけあったかな」

 二人はそれぞれの懸念を投げかけてくる。フィンはちょっと考えてから、簡単に報告した。

「大した事じゃなかったんだが、野盗に魔物が関ってヴァルトだけじゃ対処出来なくなっていたんだ。それで、協力して片付けてきた。詳しい報告は後でプラストを呼んでからするが……ネリスも、急ぎの用がなければこのまま待っていて一緒に聞いてくれ。とりあえず何か食べてくる」

 言葉尻でフィンはネリスに目顔で感謝し、軽く手を上げてから踵を返した。

 広場に出て、爽やかな朝日を浴びながら伸びをする。東から戻る間、あちこちに寄り道して闇の気配を確かめたりしていたので結局一睡もしていないのだが、あまり眠気も疲労も感じなかった。むろん空腹でもない。

 このところ、そうした傾向が次第に強くなってきている。それでもフィンは家族が心配するので、出来るだけちゃんと睡眠も食事もとるようにしていた。そうしている限りは人間でいられる気がしたし、実際、ネリスがパンだの卵だのと言ってくれるおかげで、忘れかけの食欲も湧いてくるのだ。

「どこかの店で、出来たてのスープを買って帰ろうか」

 どの店ならもう開いてるかな、と考えながら広場を見渡して道を探す。その傍らに、ふわりと光が渦を巻き、レーナが少女の姿で現れた。

「パン屋さんにも寄って、あの可愛いのがあるか見てもいい?」

 うきうきと嬉しそうにねだる彼女のお気に入りは、かなり強引ながら竜の形に見えなくもないパンだ。もちろん食べはしないのだが、名物にしようと悪戦苦闘の末に開発されたそのパンが店先に並んでいると、毎回飽きもせず喜んで眺めている。

 フィンは笑って了承し、じゃあまずそっちに行こうか、と歩き出した。レーナも金銀の髪をふわふわ波打たせながら軽やかについて来る。

 数歩行ってから、レーナはちょっと考えるそぶりをし、照れ笑いしつつフィンの腕に手を絡めてきた。普段あまり手をつないだり腕を組んだりしないので、フィンはやや驚いた顔をしたものの、すぐに微笑して左腕を彼女の為に空けてやる。途端にレーナは嬉しそうにくっついてきた。ただそれだけの事で、たとえようもない幸福感がフィンの心にも満ちてくる。

 その一方で、彼は胸にちくりと痛みを感じた。

 自分はこうして天竜と絆を結び、暑さも寒さも身に堪えず、未来に希望を持ち続けていられる。だが多くの人間にとっては、日々が戦いなのだ。

 地道に畑を耕したり、節々の痛みを堪えて工具をふるったり、不自由を忍んで商品を町から町へ運んだり――そんな生活から逃げ出し、一方的に奪って楽をしたいという誘惑との、戦い。

 実行に移す力がないなら諦めもつく。守るべき人がいるなら踏みとどまれる。小さくとも喜びや楽しみを日々に見出せるなら、他人から奪う必要などない。遠い未来を見据えて次の世代のことを想えるならば、言うまでもなく。

 だがそうではない人間が多くいる証拠に、盗賊の類がはびこるのだ。

(忘れてはいけない)

 フィンは前を向き、自戒する。

 もうその感覚を思い出せなくても、その苦しみに共感することは出来なくても。

 かつては自分もそうであったように、人は昼と夜の境を絶えず行き来する。どんな人間であっても、その曖昧な黄昏の刻に迷い、魔のものとすれ違うことは起こり得るのだ。

 その時、魔に魅入られてしまえば、あの森の中でそうだったように同じ場所でいつまでも惑い続け、どこへも行けなくなってしまうだろう。

 危うさを抱えて、人は生きている。

(忘れるな)

 フィンはぎゅっと拳を握り締め、てのひらに爪を食い込ませた。竜のもたらす光にかき消されないように、強く、深く。

「フィン?」

 わずかに不安げな声でレーナが問いかける。フィンは黄金の瞳を見下ろし、微笑んだ。

「――大丈夫だ。行こう」



(終)


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― 新着の感想 ―
[良い点] こんにちはv  外伝『逢魔』を拝読しましたので、ちょこっと感想欄にお邪魔します。 レーナちゃんの初仕事ですね(違う)。巨大なふわふわが賊徒をころころ突っついている様を想像して、和んでしま…
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