四章 (1)
四章
森を越えて村までのわずかな間に、フィンは竜の目で野盗の姿を見つけていた。
獰猛で醜い大型の一匹と、それに準ずる数匹に率いられた、飢え荒んだ魚の一群。ねぐらに残っていた連中とは比較にならない、欲望に濁った色をしている。フィンが頭目の見当をつけると同時に、レーナが話しかけてきた。
「ねえフィン、私にも手伝えない?」
「ええっ!? いや駄目だ、危ない」
フィンは頓狂な声を上げ、次いですぐさま却下した。少女の姿では論外だが、本来の姿であっても、ならず者どもが驚き畏れて逃げてくれるとは限らない。恐慌をきたして捨て身で突撃されたり、闇雲に武器を投げつけられることは充分あり得る。
レーナを愚かな人間の騒ぎに巻き込んで、たとえかすり傷でも負わせるなど、フィンには耐え難かった。竜に対する冒涜であるし、何より彼女は大事な大事な伴侶なのだ。
その思いはレーナにも伝わっており、フィンの中で光がくすぐったそうに揺れた。
「ありがとう。でも、フィン一人であの人たちを皆、逃がさないようにするのは難しくない? だって、あんまり追い払ってしまったら、ヴァルトさんの方にいっぱい行ってしまうんでしょう?」
「それは……そうだが」
フィンは渋面になった。かつて一人でこの辺りの山賊集団を解体した時は、逃げていく連中にまで注意を払う必要はなかったが、今回はそうはいかない。だからと言って、レーナの巨体で退路をふさいで貰うというのも危険ではあるまいか。
返事を渋るフィンに、レーナが楽しそうな声で言った。
「なるべく逃がさないように、ひとつにまとめたらどうかしら? それなら多分、私にも出来ると思うの。この前、フィンと一緒にちょっと南へ畑や牧場の様子を見に行ったでしょう、あの時に牧場の人が犬と一緒に羊を集めてたの。あんな風にすればいいわよね?」
「って……」
思わずフィンは盛大に吹きだし、白い毛並に突っ伏してしまう。気が抜けることこの上ない。いやいや待て待て、笑い事じゃない、と自分に言い聞かせつつ、フィンは妙な想像をしそうになるのを堪えた。
「うん、そうだな。でも連中は羊みたいに大人しくないから、俺が危なそうなのを片付けるまで待ってくれないか。残りがすっかり意気を挫かれた後でなら、君に集めてもらうのが確かに手っ取り早そうだ」
「分かったわ。うふふ、フィンのお手伝いが出来るのね、嬉しい!」
レーナは無邪気に言ってから、少し声の調子を落としてささやいた。
「フィンは私が怪我しないようにって心配してくれるけれど、私も、フィンが傷つけられるのは怖いの。だから……気をつけてね」
「ああ、気をつけるよ」
フィンは優しく答え、ぽんぽんと白い毛並を叩いた。その時には、眼下に森の終わりが近付いていた。竜の視力で、荒れ狂う魚の群れに追われる数匹の小さな魚が、岩場を目指していっさんに逃げていくのが見える。恐らく畑に出ていた村人が、野盗の襲撃に気付いて村へ逃げ帰っているのだろう。
(そろそろか)
フィンは意識を弱めて通常の視界に近付ける。予想通り、豆粒ほどの人間がばらばらと畑や牧草地を走っていくのが見えた。
「よし。それじゃレーナ、俺を下ろしたら一旦姿を消してくれ。合図したら、そうだな――あの辺りなら牧草地だから、麦を押しつぶさなくて済むだろう」
フィンは畑地の隣に広がる緑の絨毯を見やり、心でレーナに示す。
「あの辺りに出てきて、森に逃げ込みそうな連中を囲い込んでくれ。俺もなるべくそっちに追いやるようにする」
「分かったわ。上手く出来るといいんだけど」
レーナは珍しく緊張に引き締まった声で答え、ぐんと大きく羽ばたいた。
農夫は顎を上げて荒い息をしながら、ちらちらと何度も背後を振り返った。
森から現れた一人目の野盗を見付けた時、彼は勇敢にも一度、鍬を構えようとしたのだ。が、しかし、ほかにも続々と湧いてくるのを目にして一気に青ざめ、身を翻して逃げ出した。
とても敵わない。近くで一緒に野良仕事をしていた妻は彼よりも早く、村に向かっていた。
「逃げて……ッ! 早く、隠れなさい!! 家に!!」
何度も金切り声で叫んでいる。村には子供たちがいて、戸外でアヒルの番をしながら遊んでいるのだ。
農夫は喘ぎながらまた背後を振り返った。
何日もかけて耕した畝を、野盗どもが踏み荒らして追ってくる。あそこは豆を蒔いたばかりだ。悔しさに涙が滲んだが、今は命が大事だ。逃げるしかない。
喉がヒュゥヒュゥ嫌な音を立て、脇腹が痛む。もつれそうな足を必死で動かして、村の境にある低い柵にとりつき、乗り越える。
「山賊だ、皆っ……! 家に!!」
ほかに取るべき対処も思いつかず、彼は闇雲に怒鳴った。戸につっかい棒をして立てこもり、荒くれ者どもが諦めて去るのを待つしかない。
その頃には、騒ぎに気付いた大人たちが大慌てで子供を家に入れていた。一方で数人の男が、鎌などを手にして外に出てくる。
「駄目だ、数が多い!」
逃げて来た者が叫び、自分も隠れようと家に走る。野盗の集団はもうすぐそこまで迫っていた。
野盗どもが手にしているのは、鉈や棍棒や短剣程度のお粗末なものだが、戦いに出たことのない農民達にとっては脅威だ。
だがそんな村人の中に一人、まだ矜持のある退役兵がまじっていた。既に戦から遠ざかって長いにも関らず、彼は槍の代わりに丈夫な棒をつかんで、逃げ帰ってくる村人を助けようと自ら柵の方へと走り出た。
「おぉっと、でかい豚が出てきたぞ! まずはあれをバラしちまえ!!」
野盗の頭目が嘲笑いながら命令する。従う五人ばかりの賊が数の勢いに乗って雄叫びを上げ、迎え撃つ男の顔がこわばった。軍団の剣と盾を持っていたならいざ知らず、棒一本で複数のならず者を相手にして勝てるはずがない。
ただ時間を稼ぐだけのつもりであるのは明らかで、だからこそ野盗らも男を侮った。障害ではなく、なぶり殺しにして楽しめる獲物だと。
頭目が振りかぶった武器は、剣だった。かつて軍団で支給されていたもの。立ちふさがる男は、受け止められないと承知で棒を構える。
「大人しく尻尾巻いて逃げりゃ良かったんだよ、馬鹿が!!」
侮蔑に苛立ちのまじった怒声を放ち、頭目が剣を薙ぐ――その、直前。
いきなり頭上が翳ったかと思うと、白い光が鋭く一閃した。ドッ、と重い音が落ちる。
影が消えて視界が明るくなった時には、頭目の体は首から上がなくなっていた。
剣を振り下ろそうとした動きはそのままに、斜めに傾いで、血を噴き出しながら倒れる。
あまりのことに凍りついている村人の眼前で、どこからか現れた一人の青年が素早く剣を振るい、立て続けに二人の首を飛ばした。
「ヒイッ!! な、なんだてめえっ!」
「来るなっ、化け物!!」
残った野盗が悲鳴を上げ、貧相な武器でシッシッと追い払うような仕草をしながら、へっぴり腰で後ずさる。青年がそちらに大きく踏み込むと、彼らは弾かれたように背を向けて走り去った。
「な……、ん、……えっ?」
頭目の血を浴びたまま、果敢な男は呆然とする。それを振り返り、青年――フィンは、平静に告げた。
「主力は俺が倒します。残った奴らが逃げようとしたら、捕まえるか、あっちの牧草地の方へ追いやって下さい」
言って彼は、剣の先で村はずれの緑の土地を示す。その刃は、まるでたった今鍛え上げられたばかりのように白く輝き、血の一滴もついていない。
絶句したまま立ち尽くす男に、フィンはちょっと困った顔をした。どうやら退役兵らしいと踏んで協力を頼んだのだが、いささか刺激が強すぎたようだ。フィンは男に昔の習慣が残っている事を願い、軍団式に短く命令した。
「指示を復唱!」
「はっ!」
男は反射的に背筋を伸ばし、それでやっと我に返ったらしく、目をぱちくりさせる。
「戦意喪失した敵を捕縛、ないし牧草地方面へ追い込みます!」
「お願いします」
フィンはそれ以上の時間をかけず、確認のしるしにうなずいてから身を翻した。
既に他の野盗は家畜小屋や、閉ざされた家の戸口に取り付いている。悲鳴を上げて逃げ去った仲間に気付いた数人は、不審げにこちらの様子を窺っていたが、状況を理解するには至らない。
フィンはぐるりを見回して賊の所在を把握すると、一旦剣を収め、民家の方へ走り出した。
「出て来いよオラァ! 娘がいるのは分かってんだぞ!!」
「無駄なことして手間かけさせんじゃねえ!」
ゲラゲラ笑いながら戸口を揺さぶり、蹴り、斧を突き立てて打ち壊そうとする一群。その一番外側にいた一人が、いきなり宙を舞った。
えっ、と思う間もなく地面に叩きつけられ、立ち直る間もなく蹴飛ばされて転がる。何事かと振り向いた野盗らの目の前に、白い火花が散った。
「あッッ!?」
「いてェッ!!」
ただの光で殺傷力はないはずだが、閃光に射られた盗賊は悲鳴を上げて目を覆う。その隙にフィンは次々に賊を捕らえて、肩を外し、蹴り飛ばし投げ倒していく。
だが全員を片付けるより早く、一番奥にいた男が視力を回復し、斧を振り上げ襲いかかってきた。罵声を吐き散らしながら迫った男はしかし、腹に蹴りをくらって横ざまに倒れた。
ぐぼっ、と湿った声を漏らし、背を丸めて嘔吐しながら悶える。そのざまを見下ろし、フィンは冷たい目で剣を抜いた。
男がぎくりと顔を上げ、恐怖に目を見開く。
「ひっ、た、助け……」
命乞いの言葉が終わるまで待たず、フィンは草でも刈るように、汚れた首を刎ねた。
既に這いつくばっていた雑魚どもが、間近に転がってきた首に悲鳴を上げ、失禁する。フィンはそれを無視し、もうひとつの集団へと標的を変えた。
「後は、あれだな」
口の中で無感情につぶやきつつ確認すると、彼は、腰を抜かしている連中を一瞥もせず走り出した。
しばらく後には野盗の集団は完全に戦意もまとまりも失い、我先に逃げ出していた。難を逃れた村人が退役兵の指示に従い、痛みと恐怖にすすり泣く野盗を捕らえ、あるいは追い立て始める。
〈よし、そろそろいいか。レーナ、頼む〉
〈はぁい!〉
剣を収めてフィンが言うと、周囲の惨状にはまったく不釣合いな明るい声が返り、緑の牧草地に暖かな輝きが翼を広げた。
そして――
「うわあぁぁぁー!?」
「ぎゃー!! 助けてぇぇ!!」
悲鳴だけ聞けば阿鼻叫喚の地獄絵図、だがそう言うにはいささか、かなり、滑稽な状況が出現した。
白い巨体を遠目に見上げ、呆然と立ち尽くす村人達。その視線の先で、レーナは慣れないことに興味津々かつ試行錯誤といった風情で、柔らかい尻尾や手足や、時には鼻の先まで使って、逃げ惑う野盗をころころ転がしつつまとめ始める。
「こっち、こっちね。あっ、そっちには行かないで!」
離れた場所から眺めているぶんには心和む光景と言えなくもないのだが、突如現れた巨大な生き物に追われ突かれ転がされる人間にとっては、恐怖以外のなにものでもない。
魂を振り絞るような悲鳴が遂に聞こえなくなるまで、フィンは何とも複雑な顔でレーナの初仕事を見守っていた。迂闊に手助けしようなどとして自分が巻き込まれたら、笑い話にもならない。その横顔から、先刻までの冷厳さが雪解けのように消えてゆく。
ややあってレーナは、足元に集めた人の山を慎重にあちこちから眺めて検分し、
「もういいかしら、もう大丈夫?……いいみたい、フィン、見て見て! ちゃんと出来たわ!」
褒めて褒めて、とばかり嬉しそうに報告してくれた。その時には、元から小汚かった野盗の集団は、擦り傷だらけで血まみれの土まみれ、草の汁まみれで、顔の判別がつかないほどに成り果てていたのだった。




