三章
三章
茂みを回りこみ、木々の間を抜け、あるかなきかの“道”を辿り続けることしばし。
「止まれ」
前を行くヴァルトが手で制し、視線で足元を示した。フィンも目を落とし、そこに細い蔦が張り渡されていることに気付く。
「罠か」
蔦が這う先を追ってフィンがつぶやくと、ヴァルトも小さくうなずいてから後ろのティトを振り向いた。
「尻尾を引っかけるなよ、坊主。ウサギよろしく逆さ吊りにされちまうぞ」
「う、うん、わかった」
黒い目をしばたいてティトが答える。緊張にそわそわしているその様子は、正体を考えなければ愛嬌があると見えなくもない。ヴァルトは今更それに気付いた様子で、ふむと面白そうな顔になった。
「しかしなんだな、坊主。魔物だっても、案外と可愛いもんじゃねえか。見たとこメスだろうが、女の体を文字通り手に入れるなんざ、普通の男にゃなかなか経験できねえぞ。この機会に堪能しとけ」
自分で言ってにやにや下品な笑いを広げたヴァルトに、フィンがしかめっ面をし、ティトの方は何を言われたのか分からない顔で困惑する。だが意味を理解した途端、少年は見る間に真っ赤になった。
「――っむぐ!」
叫びかけたティトの口を、咄嗟にフィンが手でふさぐ。
「シッ、騒ぐな。気持ちは分かる、後で好きなだけ殴っても引っかいてもいいから、今は堪えろ。……すまないな、ヴァルトは昔からああいうことばかり言う駄目な大人なんだ」
今度はヴァルトが大きく口を開け、直前で思いとどまって空気を飲み込んだ。チッと舌打ちし、ごく小声で「ガキどもめ」とかなんとか、吐き捨てるようにつぶやく。フィンはそれが聞こえなかったふりで、安全な道を探して目を走らせた。
不穏な空気のまま、三人は罠を迂回してさらに進む。じきに、せせらぎの音が聞こえてきた。水場がある、ということは野盗のねぐらも近いということだ。案の定、フィンが竜の視力を使うまでもなく、一行は人の足音と話し声を聞きつけた。
ヴァルトとフィンは目配せを交わし、ティトには隠れているよう指示してから、身を低くして木立の陰伝いに進む。小川のそばの開けた場所に、掘っ立て小屋が数軒あるのが見えた。男が五、六人うろついているのも。
(少ないな)
フィンは眉を寄せた。これで全員ということはないだろう。小屋の中にいるのか、それとも一部はどこかに獲物を求めて外出中なのか。
横からヴァルトが肩をつつき、手振りで一角を示した。あれこれ動き回っている男達から離れて、一人ぽつんと丸太の上に腰掛けた小さな人影。恐らくあれがティトの体を乗っ取った魔物だ。
と、少年の方に男が近寄ってきた。にやつきながら何か話しかけている。離れた場所から別の男が、両手に麻袋を抱えて怒鳴った。
「おい、何やってんだ、急げよ! 早く追いかけねえと、頭がさっさと仕事を終わらせちまったら間に合わねえぞ!」
「分かってらァ、うるせえな!」
少年の前にいる男が怒鳴り返す。分かっていると言いながらも支度を急ぐつもりはないらしく、手ぶらだ。
大声でのやりとりにも、少年の影はぴくりとも反応しない。ただ目の前の男をじっと見上げているだけ。
その少年に、男がいやらしい顔つきで屈みこみ、また何か言う。少年は首を傾げた。
「それ、楽しい?」
声変わりしていない高めの声が、フィン達の耳にも届く。男がうなずき、急かすような身振りをした。それに従って少年が立ち上がり、ごそごそ動いたかと思うと、ズボンがばさりと地面に落ちた。
「何やらせようってんだ、クソが」
舌打ちしたのはヴァルトである。フィンも男の目的が分かり、ぎりっと奥歯を噛んだ。この場に女の姿がないことからして、野盗どもは外で商人や農家を襲撃した際に暴行することはあっても、攫ってまでは来ないのだろう。機会を得られなかった男が、手近にある捌け口を利用しようと考えたに違いない。
悠長に様子を窺っている場合ではない。フィンはヴァルトと素早く手筈を決め、身を低めたまま静かに走り出した。
下卑た男が自分の腰紐をほどこうとしている間に、二人は丸太のそばまで忍び寄る。
息を合わせ、フィンとヴァルトは同時に飛び出した。腰紐に手間取っていた男がぎょっとなって口を開く。そこから叫びが発せられるより早く、フィンの手刀が首筋を打ち据えた。
かはっ、と音のない空気だけを吐き出し、男の体が膝からくずおれる。
一方ヴァルトは素早く少年の両腕をつかみ、背中側に回して取り押さえていた。中身が魔物であるから、暴れるか逃げ出すかと予想したのだ。しかし意外なことに、相手は全く無抵抗だった。拍子抜けしたヴァルトが手を緩めたのと同時に、先刻がなっていた男が異状に気付いて叫ぶ。
「なんだてめえらッ!? おい、やばいぞ、片付けろ!!」
左右の仲間に向かって言いつつ、自分も抱えていた麻袋を落とし、腰に吊るした手斧を構える。
瞬く間に四人ばかりの盗賊が集まり、いっせいに侵入者めがけて突撃した。
ヴァルトが素早くティトの体を背後に隠すようにして立ち、剣を抜く。フィンもその横に並ぶと、一瞬ためらってから、神剣ディアイオンの鞘を払った。
まばゆい刃のきらめきが走り、向かってきた盗賊の目を眩ませる。その隙にフィンは大きく踏み出し、手斧を引っ掛けるようにして弾き飛ばした。思わず盗賊が得物の行方を目で追いかけ、刹那、胴ががら空きになる。そこへフィンの肘打ちがまともに入った。
「ぐぼっ!」
湿った悲鳴と共に男が後ろへ倒れこむ。それを見届けるまでもなく、フィンは続く動作で剣先を斜め上へと振り抜く。横から襲いかかった男が腕を浅く斬られ、ぎゃっ、と叫んで飛び退った。左手で傷を押さえた拍子に、右手から力が抜けて短剣がぽろりと落ちる。
チィン、と刃が石の上で音を立てたと同時に、フィンの足払いをくらった男はまともにひっくり返り、頭をぶつけて目を回した。
(よし、次)
いつもの冷静さでフィンは三人目となる標的を探す。ヴァルトが二人を相手取ってうまく捌いている、その向こうから新手が一人駆けつけるのが見えた。
フィンは横から滑るように割り込み、ヴァルトの敵を一人、引き受ける。
「もう一人来る」
短い一言だけで、ヴァルトは状況を理解した。それまで防御に徹していたのから一変し、正面の盗賊にいきなり肩から突っ込んで体当たりを浴びせ、吹っ飛ばす。
稼いだ時間で、新手が振り下ろした棍棒を受け流し、肩口に剣を突き立てた。浅い傷にしかならなかったが、すぐに剣を引き、横に払って顔に斬りつける。
「あがッ!!」
反射的に目を庇おうとした盗賊は、頬を切り裂かれてのけぞった。そこへ足を引っ掛けられては堪らない。身を守ろうとした体勢のまま横ざまに倒れ、ごろごろ転がっていく。それがちょうど、先に吹っ飛ばされた男が起き上がろうとした所へぶつかり、もつれあって再度倒れた。
ひとまず担当分を片付けたヴァルトはフィンの様子を振り返り、あっ、と声を上げた。腹を押さえて這いつくばっていた男が手斧を拾い、立ち上がったのだ。フィンはまだ、ヴァルトから引き受けた敵を倒していない。
まずい、とヴァルトが援護に踏み出すより早く、フィンは目の前の敵を強引に横へ投げ飛ばした。空いた正面に、手斧を振りかざした盗賊が突っ込んでくる。
「クソがぁッ! 死ねぇぇ!!」
狂気に近い叫びは、しかし、いきなりぶつんと断ち切られた。文字通り、首ごと。
大きく薙いだ神剣の軌跡が微かに光を放つ、その細い弧に交わるように朱を振り撒いて、男の首は宙を飛び――バシャン、と小川に落ちた。
残った体も同時に倒れ、その血を浴びた仲間が悲鳴を上げて這いながら逃げる。
ヴァルトは呆然とそれを見ていたが、フィンが無言のまま歩き出したのでハッと我に返った。どこへ行くのかと視線を走らせると、掘っ立て小屋の傍にうち捨てられた縄の束があるのが見付かった。
あれか、と納得し、彼は急いで少年の無事を確認した。相変わらずティトの姿をした魔物は、逃げるでも騒ぐでもなく、ただぼんやりと宙を見ている。
「おい、そこから動くなよ。それといい加減にその貧相な足を隠せ」
苦々しく言い捨て、ヴァルトはフィンを追いかけた。手分けして縄を拾い集めながら、ようやくほっと息をつく。
「相変わらず、そら寒いほど冴えた腕前だな」
辛うじて平静を保って言ったヴァルトに、その苦心を察したフィンは複雑な顔をして答えた。
「どうかな」
「どうかな、って、なんだそりゃ。首が飛んだのはおまえの技量じゃなくて神剣の力だってことぐらい、分かってるぞ。別に畏れ入っちゃいない」
ヴァルトは鼻を鳴らした。少しばかり虚勢もあるようだが、あくまで自分が言っているのは剣士としての腕前についてであって、恐ろしい見世物についてではない、との含みだろう。
フィンは一瞬だけほろ苦い微笑を浮かべ、真顔になって自分の手元に目を落とした。
「……迷ったんだ。最初にあの男が向かってきた時、本当は……殺すしかないと、直感したのに」
「あァ? なんだ、殺さずに済ませたかった、とか甘ったるいこと考えてんのか? おいおい止せよ、へっぴり腰で槍を構えてた頃から、盗賊を殺すのに微塵も迷わなかった奴が、いまさら何言ってんだ」
ヴァルトは呆れ声で言いつつ、戦意喪失した盗賊を縛り上げていく。フィンも自分が投げ倒した男を後ろ手に拘束し、ため息をついた。
「そうじゃない。あの感覚に従ってすぐにディアイオンを抜いていたら、最初の一撃で首を飛ばせていただろう。そうしたら、その後の余計な戦闘は避けられたかも知れないのに、俺は……直感を信じていいのかどうか、分からなかった」
「…………」
流石にヴァルトも返答に詰まる。二人はしばらく無言で作業を続けた。盗賊達は痛みに呻いたり、小さく毒づいたりはしたものの、喚きも暴れもしなかった。仲間の首が玩具のように宙を飛んだことに慄き、とんでもない相手に見付かったと悟ったのだろう。
ややあってヴァルトが、縛った盗賊を軽く蹴飛ばして一所にまとめ、盛大なため息をついた。両手をはたいて埃を落とし、フィンに向き直る。
「信じられないのは、おまえが人間だって証拠だ。気に病むな」
無造作に放り出すような口調だったが、まなざしは真摯だった。フィンは意外な思いに打たれて立ち尽くす。彼の凝視に照れ臭くなったのか、ヴァルトはごまかすように肩を竦めて顔を背け、「それに」と、足元に転がる野盗を見下ろした。
「はなっから正解が分かってたって、わざわざ間違った方に進むのも、よくあるこった」
「……ああ、そうだな」
フィンはつぶやき、小さくうなずいた。
しんみりした沈黙が落ちる。だがそれを待っていたかのように、ガサガサと草を踏み分ける音がして、
「うわ――!?」
素っ頓狂な叫びが響き渡った。
フィンとヴァルトがぎょっとして振り返ると、丸太のところで、小さな魔物が少年の足にとりつき、ズボンを引っ張り上げようと必死になって飛び跳ねている。
「何やってんだよぉ!! 早くはけよ、うわあぁぁぁん!!」
泣き出しそうな悲鳴を上げつつ、ティトが自分の下半身を隠そうと悪戦苦闘している。周囲にいるのは男ばかりだし、それももう彼のことなど忘れかけている状況なのだから、そこまで騒ぐ必要もないようなものだが、やはり彼の年齢でそんな開き直りは無理らしい。
フィンはヴァルトと顔を見合わせ、つい失笑してしまった。間の悪いことにティトが目敏く気付き、非難の声を浴びせる。
「笑うなよ! ひでえ、おれがっ……こんな目に遭わされて、おかしいかよ!」
傷付いたことがありありと分かる声音に、フィンはすぐさま笑みを消し、悪かった、と詫びる。考えてみれば笑い事ではない、無力な少年が犯されかけたのである。幸いティト自身は己の危機を目にしていまいが、屈辱的な状況に変わりはない。ヴァルトもそれに思い至り、いささか鼻白んだ顔をしながらも謝罪した。
その間に、ようやく魔物は本来の体の持ち主が何を要求しているのかを理解したらしい。相変わらず無表情のまま、ズボンを引き上げて腰紐を結んだ。その後はまた、何の行動を起こす様子もなく茫然としている。フィンは不審げに眉を寄せた。
「おまえは何なんだ?」
問いかけてみたが、ティトの体を乗っ取った魔物は、数回瞬きしただけだった。
〈フィン〉レーナが不意に語りかける。〈多分ね、魔物たちには名前がないんじゃないかしら。自分が何者か、っていう定義が必要じゃないから〉
〈定義が必要ない、って……ああ、そうか、存在自体が曖昧だからか〉
〈ええ。この子自身も、自分が何者で何をしたいのか、ってことは分かっていないと思うの。そういうことは、彼らにとっては無意味なのよ。だから、苛めないであげて?〉
おずおずとした頼みに、フィンは微苦笑をこぼす。ヴァルトが気味悪そうな目をくれたので、彼は急いで咳払いして取り繕った。
「何でも構わないが……その体は、本来はティトのものだ。今、元のおまえの体に入ってしまっている、人間のものなんだ。それは分かっているな?」
フィンが慎重に話しかけると、魔物はこくんとうなずいた。言葉はない。ヴァルトが静かに身構え、一度は収めた剣にまた手を伸ばす。いささか物騒な目つきでティトを――魔物の体を見たのは、いざとなったらそれを盾にして脅す事も考えた為だろう。フィンは微かに首を振って制すると、感情のない少年の双眸をじっと見つめて続けた。
「返してやってくれないか」
「うん」
拍子抜けするほどあっさりと、魔物は首を縦に振った。そして、元々の自分の体を見下ろし、わずかに首を傾げて言った。
「あんまり、楽しくなかった。だから、返す」
刹那、少年の体が揺らいだ。まるで本当は水面に映った影であったかのように、そこへ誰かが小石を投げ込んだかのように。
瞬き一つの後には、その現象は消え、少年の体は実際によろめいた。ととっ、とたたらを踏み、危うく魔物の体につまずきそうになって、なんとか体勢を立て直す。その動作も、驚きに目をしばたく表情も、明らかに最前までとは異なっている。
ティトか、とフィンが確かめようとしたが、より早くキィッと悲鳴が上がった。
「まぶしい、いたい!」
舌足らずな幼い声で叫び、魔物は尻尾を使って大きくひとつ跳ね、丸太の向こうの茂みに飛び込んだ。
「あっ、待て!!」
ヴァルトが反射的に怒鳴り、追いかけようとする。フィンはそれを止め、急いで自身の光に意識の覆いをかけた。まだ茂みの葉が揺れ、微かに霧がかかったようにぼやけて見えるのを確かめると、彼は静かに声をかけた。
「どうしてこんな事をしたんだ? あまり人間に関らない方がいいぞ」
「……楽しいかと、思ったの。そのヒト、つまらないって言うから。遊んだら、楽しいのかと思って。でも、もういらない」
無造作に、要らない、と言い捨てられて、ティトの顔が歪む。むろん魔物がそれに頓着する由もなく、茂みが一度大きく揺れて、軽い足音が遠ざかっていった。
「おい、逃がしちまっていいのか」
ヴァルトがフィンを小突き、渋面をする。フィンは肩を竦めて応じた。
「闇の獣をさんざん相手にしてきたあんたなら、ああいう生き物に人間の理屈を押し付けるのが無理だってことは分かるだろう」
「そりゃあそうだが、また同じ事をするんじゃないのか?」
「人間になってみてもつまらないと判ったんだから、もうしないさ。それに、黄昏時に森の境に行かなければいい話だ。あるいは……付け入られるような迷いを持たなければ」
言いながらフィンは、ティトを見る。少年は唇を噛んでうつむいていた。
「おれ……っ」
地面に向かって、絞り出すように屈辱を吐き出す。
「毎日こんなことばっかりで、つまらないとか疲れたとか、思ったよ、思ったけど……! だからって、『要らない』なんて、おれが要らないなんて、そんなこと……っ」
「ああ、そんな訳ァねえ」
ヴァルトが肯定し、少年の細い背をどやしつけた。
「親父さんは完全に頭に血が上ってたし、お袋さんは半泣きで心配してたぞ。帰ったら相当揉まれるだろうから、覚悟しとけ」
「えぇっ」
不意を突かれて、ティトが変な呻き声を漏らす。フィンとヴァルトが失笑し、今度はティトも笑うなとは言わず、情けない顔でもじもじした。
「そ、そっか……おれ、じゃなくてあの魔物、盗賊と一緒に豚を盗んだりしたんだっけ……。あ、あのさ、一緒に来てくれるよな? ちゃんと説明してくれるよな、おれじゃなかったんだ、って」
な、な、と必死で縋りつく。ヴァルトは意地悪くにやにやしつつ、言を左右にして確約しない。
フィンは苦笑を堪えて二人のじゃれあいを見ていたが、ふとティトの言葉で思い出して顔を曇らせた。
(そういえば、早く追いかけないと、とか言っていたな。頭を含む主力が『仕事』に出ていると)
まさか。
嫌な予感がしてフィンは縛り上げた盗賊の一人に近付き、「おい」と襟首を掴んで顔を上げさせる。
「おまえ達の頭はどこへ行った? 獲物を襲いに出たんだろう、どこへだ」
「ひっ……」
盗賊は喉を鳴らし、恐怖に駆られてじたばたする。逃げ場を探して忙しなく動く目が、ティトの姿に吸い寄せられて、止まった。それが答えだ。
「村か」
舌打ちし、フィンは乱暴に盗賊を地面に落とす。向き直ると、ヴァルトは真顔になり、ティトは青ざめていた。
「村……って、家畜小屋、とかじゃ、なくて……? でも、そんなこと、今までは」
血の気の失せた唇がわななき、か細い声が恐れを紡ぐ。フィンは周囲を見回し、さらに険しい目になった。
掘っ立て小屋の数や広さからして、ここをねぐらにしているのは、少なく見積もっても二十人から三十人。たった五人を残して総出で襲うとなれば、けちな盗み追い剥ぎ程度ではない。
恐らく、しばらく魔物と暮らして、外でどれだけ何をしても森に戻れば追っ手を惑わす霧の中に隠れられると安心し、大胆な行動に出たのだろう。
フィンはすぐに決意を固め、ヴァルトに向けて言った。
「俺が村に戻る。あんたはここで捕らえた連中を見張っていてくれ」
「な――」
ヴァルトは拒否しようと口を開けたが、喉に石が詰まったように言葉を途切らせる。眉間を揉み、奥歯を噛みしめながら黙考することしばし。出てきた声は、苦渋に満ちていた。
「頭を潰せば追い散らせるか」
「多分。一人では無理でも、何人か片付けたら効果があるだろう」
冷静に予想するフィンに、ヴァルトはそれでも疑わしげな目つきをする。フィンは剣の柄に軽く触れて見せ、自分に対するように小さくうなずいて言った。
「次は迷わないから、大丈夫だ」
静かな宣言は思った以上に重く響き、ヴァルトが怯むのが分かった。フィンは咳払いしてごまかし、何でもないことのように装って続ける。
「光で目潰しをする手もあるし、戦意を失わせた後なら村の人でも対処は出来るはずだ。それでも多分、何人かはここまで逃げ帰ってくるだろうから、それについてはあんたに頼む」
ヴァルトはこの上なく苦々しい顔で聞いていたが、反論の余地がないのは明らかだ。盛大に舌打ちし、地面を蹴り付ける。
「ああっ、ムカつく! なんで小隊丸ごと連れて来なかったんだ、くそったれめ! 二人しかいねえんじゃ、どうしようもねえ。また竜侯様の武勇伝が増えちまうってわけかよ、ああぁ!!」
腹が立つのはそこか、とフィンが呆れている前で、ヴァルトは両手を振り上げてひとしきり意味不明の叫びを上げた。それで少しは気が済んだのか、手を下ろすと彼はいつもの口調で言った。
「何ぼさっとしてんだ、早く行け! 賊が村に入っちまったら遅ぇだろうが!」
「了解」
いささか緊張をそがれてしまい、フィンは妙な表情で気のない敬礼をする。直後、その場に光が渦巻き、白い輝きが翼を広げた。
「うわっ!?」
ティトが驚愕の叫びを上げた時には、既に白い光もフィンの姿もなく、風に煽られた草木のざわめきだけが残されていた。




