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灰と王国  作者: 風羽洸海
外伝 『逢魔』 ※本編ネタバレ有
191/209

二章


     二章


 問題の森の手前で、ヴァルトとフィンは村に立ち寄った。

 久方ぶりに馬で長距離を移動したフィンは、下馬してしばらく変な歩き方をしてヴァルトをにやにやさせるはめになった。竜の力があるおかげで鞍擦れなどはしないが、長時間曲げたままの足は、一瞬で普段の状態を思い出してはくれないらしい。

(たまには乗馬もやらなきゃ駄目だな)

 いささか情けない気分になりつつ、村人から盗賊の話を聞くヴァルトの背中を見やる。小さな村の広場で住民に囲まれる姿は、彼が知っているかつての隊長よりも少し頼もしく思えた。

「どうだ、その後は。また何かやられたか? なかなか捕まえられなくてすまんな。今日は助っ人を連れてきたんだ、今度こそ連中の首根っこを押さえてやるから待ってろ」

 元気づけるように語りかけたヴァルトに対し、村人達は口々に訴えてきた。本当に頼みますよ、こないだは誰某のところの豚が盗まれて、こんなんじゃ危なくて娘を家の外に出せやしない、等々。

 そうした陳情にまじって、一人だけ突出した憤怒を見せる男がいた。

「あんな奴ら皆殺しにしちまえばいいんだ!」

 顔を真っ赤にして拳を振り回し、ろくでなしの下衆どもが、と罵り倒す。フィンは眉を寄せてその男を見つめた。身内が殺されたとか何か、深刻な被害に遭ったのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。ヴァルトが「分かった分かった」となだめると、男はまだ怒りのおさまらぬ様子で追加の雑言を二つ三つ吐き捨ててから、荒々しい足取りで立ち去った。それを見送る村人の中に、いたたまれない様子で途方に暮れる女が一人。

(あんなに怒らなくても……)

(あの馬鹿、恥知らずのクソガキめ)

(殺せだなんて、ひどい)

 フィンの感覚には雑多な感情が聞こえていたが、奇妙な空気の理由はいまいちはっきりしない。首を傾げつつヴァルトに問いかける。

「何があったんだ?」

「ああ、奴さんのとこのガキがな、盗賊と一緒にいるらしい。村外れの家畜小屋を荒らした連中が逃げていくのを追っかけた時に、間違いなく見たって話だ」

 ヴァルトは答え、やれ難儀なこった、とため息をついた。続けて彼が説明するより早く、困り顔の女が急いで口を挟む。

「あの子が自分から盗人の仲間入りをするなんて、あるはずないんですよ。うちの人は決め付けてますけど……脅されたか、騙されたに決まってます。あの子はそりゃ、とびきり頭の良い子ってんじゃありませんけど、ちゃんと家のことも真面目にやってたんです。あの日も柴を集めに行ってて」

「あの日?」ヴァルトが眉を上げる。「盗賊どもが来たのとは別の日か?」

「いなくなった日ですよ! 話しませんでした? そこの森まで柴集めに行ったきり、日暮れになっても帰って来ないから心配になって見に行ったら、森際に枝が散らばってた、って」

「聞いてねえぞ。ちょっとそこまで案内してくれ」

 ヴァルトは女に言いつつ、険しい目になってフィンを振り向く。二人は村で一軒きりの宿に馬を預け、女の後から畑地を横切り、森へと近付いて行った。

 歩きながらヴァルトが声を潜めてささやく。

「おまえが『妙な感じがする』とか言ってたのは、こっちの方か?」

「ああ。今も何か……ひっかかる感じがしてる」

 フィンは行く手の森を睨んだままうなずいた。ヴァルトが嫌そうな顔で尻を掻いて唸る。

「野盗どもが魔術を使ってるってんじゃねえだろうな」

「違う」フィンは即答した。「魔術の気配じゃない。あれは独特だから、たとえ些細な術だったとしてもきっとすぐ分かる。この感覚は……分からないな、こんなのは初めてだ」

 ひそひそ会話する二人を、前を行く女が不安げに振り返る。ヴァルトが何でもないという手振りをすると、女は束の間逡巡したものの黙って先導を続けた。

「この辺りです」

 畑を区切って走る小道が木立の中へ吸い込まれている辺りで、女は足を止めた。耕された黒い土が途切れ、緑の草に覆われた空き地を挟んだ向こうはもう、真昼の今でも薄暗い森だ。杉や樅が鋭い穂先を連ねて空を指している。ヴァルトは小道の消え行く奥を見やって問うた。

「この道はどこまで続いてるんだ?」

「ちょっと奥の沼までですよ。村の者が入るのは、大体その辺りまでなんです。野苺とか茸とか、あとは薪や柴なんかも、そこまで行くか行かない間に集まりますから。沼より奥には、滅多なことじゃ入りません」

 女はそこまで説明すると、もう一度自分の足元に目を落とした。

「ここに柴が落ちてたんです。束ねた縄がほどけていて……ただ、物騒な感じはなかったですけど」

「あン?」

 ヴァルトが妙な顔をする。横からフィンが代わって説明した。

「乱闘の跡はなかった、ってことだ。誰かが騙して連れ去ったか、攫ったんだとしても素早く怪我させずに済ませたんだろう」

 女は黙って何度もうなずき、嗚咽を堪えるように口をぐっと引き結んだ。次いで静かに吐き出された息にまじって、ティト、と名前が漏れた。聞きつけたヴァルトが確認する。

「坊主の名前はティトってのか」

「……ええ」

「分かった。見つけて連れ戻してやるから、そんなに思い詰めるな。何か勘違いして山賊暮らしが格好いいとか考えてやがるようだったら、ぶん殴って目ェ覚まさせてやるよ」

 言葉は荒っぽいが温情のこもったヴァルトの口調に、女はもう何も言えず、目を潤ませて頭を下げる。心配と期待で重たいほどのまなざしに見送られつつ、ヴァルトとフィンは森の中へと踏み込んで行った。


 湿った土を踏みしめて、小道を進む。そこかしこで鳥がせわしなく鳴き交わし、リスや野鼠が逃げていく小さな音がする。しばらく歩いて沼に出ると、ヴァルトは目の前に飛んできた虫を追い払い、不機嫌に唸った。

「どうだ。何か分かるか」

「今の所は何も。多分、もっと奥だ」

 フィンは目を眇めて向こう岸を見やり、首を振った。ここで道は行き止まりになっている。村人達がさらなる収穫を探す場合も、沼の縁をまわるぐらいなのだろう。向こう岸の木立はこちら側よりもさらに鬱蒼と暗い。

 と、フィンの横に柔らかな光が渦巻き、レーナが現れた。首を傾げて奥を見やり、心配そうに彼を見上げて袖をぎゅっと握る。

「危ない感じはしないけれど、やっぱり見えにくいわ。気をつけてね、フィン」

「大丈夫だよ」

 フィンは苦笑し、よしよしと頭を撫でてやった。相変わらずの二人に、ヴァルトはげんなりした風情で歩き出す。フィンがそれを追うと、レーナはちょっと迷ってから姿を消した。自分が一緒だと、良くも悪くも力が大きく作用してしまう。繊細な注意が必要な探索には良くないと判断したのだ。

 冷たい臭気が立ち昇る沼の岸を歩きながら、ヴァルトは用心深く周囲を観察していた。足跡や獣道、不自然な高さで折れた枝など、人間の入ったしるしがないか探しているのだ。

 ややあって二人は同時に立ち止まった。

 ほとんど分からない、微かな道の痕跡が木々の間に入り込んでいる。獣道ほどはっきりしてもいない、明白な足跡もない。だがその場所だけがわずかに“空いて”いるのだ。

「ここだな」

「そのようだ」

 短く確認し、そちらへ足を踏み出す。顔の前にかかった細い枝を払い、草を踏みしだきながら、空気に溶けてしまいそうな“しるし”を見失わないように辿って行く。

 そうして黙々と歩き続け、どのぐらい来たか。不意にフィンは我に返り、ハッと顔を上げてヴァルトの腕を掴んだ。突然の行動にヴァルトはぎくりと竦み、驚いたのをごまかすような怒り顔で振り向いた。

「なんだ、いきなり」

「――前を」

 視線で示され、ヴァルトはしかめっ面のまま前へ向き直り、

「うッ!?」

 石を飲み込んだような声を漏らした。愕然とした彼の目に映るのは、間違いでなければ確かに、彼らが後にしてきたはずの沼だった。

「いつの間に回れ右しちまったんだ?」

 信じられない、とヴァルトは首を振る。霧が出ていたわけでも、何の目印もなくさまよっていたわけでもない。同じ場所に出てくるはずがなかった――が、足元を見れば、確かに来た道だと認めざるを得なかった。真新しい自分達の靴跡が、向かい合う形についている。

「あれが別の沼だってことはなさそうだな」

 フィンは憂鬱に唸ると、背後を振り返った。なんとなく見覚えのある景色が広がっている。ほんの少し前に、そちらへと踏み込んで行ったはずの木立だ。

「昔話ではよく聞くが、まさか自分が体験することになるとは思わなかったな」

 山や森で迷った旅人が、永遠にぐるぐる同じところをまわり続けるという話。あるいは、迷った末に辿り着いた人家が実は魔物のすみかで、もてなしの後で寝入ったところを喰われかけて大慌てで逃げ出す話。

 どれも、人の住まぬ領域に迂闊に踏み入るなという、先人達の警告だ。とは言え今回は、大人しくそれに従って森を去るというわけには行かないのだが。

 さてどうしたものかと考えていると、おずおずとレーナが話しかけてきた。

〈フィン? あのね、さっき、もう少し奥に行ったあたりで、急にヴァルトさんが見えにくくなったの。フィンのことはずっとちゃんと見えているんだけど、でもヴァルトさんがぼやけてしまって、そうしたらフィンも少しだけ、ほんの少しだけど、霞んだみたいになったの。あの辺り〉

 声と同時に、意識がフィンの視線を導く。生い茂る潅木の一株に目を当て、フィンはゆっくりそちらへ歩いて行った。

〈あの辺りから奥がおかしい、ってことかい〉

〈多分。あのね、そこに誰か隠れているみたいなの〉

「…………」

 そういう事は先に言ってくれ。

 思わずフィンは脱力しかかり、いやそんな場合ではなかった、と気を取り直して身構えた。後ろから静かにヴァルトもやって来る。

「何か見つけたのか」

 ささやいたヴァルトに、フィンは声に出しては答えず、山脈で覚えた手振りで人が隠れていることを伝える。ヴァルトはうなずき、ゆっくり小道からそれて茂みの背後に回りこもうと動き出した。

 フィンも物音を立てないように、ヴァルトの動きと連携が取れるよう間合いをはかりながら、じりじり距離を詰める。ヴァルトが一息で踏み込めるほどにまで近付くのを待ち、フィンは静かに呼びかけた。

「そこに隠れている奴、出て来い」

 ガサッ、と茂みが揺れた。誰かがその陰でびくりと身を竦ませたのだろう。フィンはその正体を見極めようとしたが、竜の視力をもってしても、そこに何がいるのか分からなかった。ただ、レーナが言った通り、危険な気配はしない。

 フッと浅く息を吐き、フィンは剣の柄にかけていた手を離し、はっきり見えるように両てのひらを広げた。

「大人しく出てくるなら、たとえ盗賊の仲間であっても、痛めつけたりはしない。約束する」

 返事はない。だが逡巡しているのだろう、密生する葉が微かに震えて相手の緊張を伝えてきた。

 長い沈黙の末、ようやっと発せられたのは、

「兄ちゃん、軍団のひと……?」

 舌足らずな子供の声だった。直後ヴァルトが走り出し、茂みの裏から飛び込んで声の主を押さえ込む。

「そら捕まえた! 観念しろ、家に帰るぞ!」

 ヴァルトの大声に、キイッ、と猿のような悲鳴がかぶさる。フィンは慌てて駆けつけ、枝葉をかきわけた。どうやらヴァルトは、隠れているのが例の子供だと思ったらしい。だが、

「おいこら、大人しく……、うぇっ!?」

 彼が地面に押さえつけたのは、驚いたことに人間ではなかった。ヴァルトは組み伏せていた手を反射的に離し、飛びのきそうになったのをかろうじて堪える。その膝の下でじたばたと振り回される、毛むくじゃらの四肢。

「……猿?」

「猿がしゃべるか!」

 不審な顔をしたフィンに、ヴァルトが怒鳴り返した。その間も、押さえつけられた生き物はキーキー鳴き続けている。

「どいてやれよ、ヴァルト、痛そうだ」

「ちっ……逃がすなよ」

 フィンに言われて、ヴァルトが渋々離れる。猿のようなその生き物は、情けない鳴き声を漏らしながら、四つん這いに近い姿勢でかさかさ逃げて、二人から距離を置いた。

 怯えて二人の男を見るのは、一対の真っ黒な――虹彩も白目もない、黒一色の目。全身が茶色の毛に深く覆われているが、腹側はやや薄く、小さな乳房が見て取れる。それだけなら少し変わった猿かと思うところだが、長い尻尾はなぜか蛇のような鱗に覆われていた。

 しばし絶句した後、ようやくフィンは思い当たってつぶやいた。

「……魔物、か?」

 森の奥で人を惑わす魔物の昔話を、ついさっき引き合いに出したばかりだ。それにしても、まさかこれがその実物なのだろうか。

「違うよ!」

 途端に金切り声が叫んだ。自分の声に驚いたように猿は竦み、それから黒い目をしきりにぱちぱちさせる。見る見る涙が盛り上がり、ぽろぽろこぼれ落ち始めた。

「おれ、魔物じゃないよぅ、こんなんじゃなかったんだよぅ。とられたんだよぅ」

 めそめそ泣きながら、甲高い声でよく分からないことをしゃべりだす。

「こんなんなっちまって、村に帰れないし、誰もおれだってわからないし、おれは勝手に行っちまうし。いらないなんて、おれ、言ってないじゃないかよぉ、なんでとってくんだよぉ」

 しまいに泣き言は完全に嗚咽に飲み込まれ、鼻水まで垂らしながらの大泣きになった。

 ヴァルトは胡散臭げにそれを見ていたが、次第に自分が悪者のような気分になってきたらしく、曖昧な表情で少しばかり詫びるような声音を作って話しかけた。

「あー……もしかして、ティト、か?」

「うっ、うぐ、っ、えっく」

 しゃくり上げながら、猿の姿をしたティトが何度もうなずく。ヴァルトはフィンを振り返り、わけがわからん、とお手上げの仕草をした。

「参った。なんだこりゃ、山賊どもを潰しに来て、なんでこんな事になってんだ」

「とりあえず、泣き止むまで待とう」

 フィンも当惑を隠しきれず答え、自称ティトを眺めて、ちょっと頭を掻いたのだった。


 しばらくかかってどうにかティトが涙を引っ込めるまでの間に、嗚咽の海から拾い上げた言葉の断片を寄せ集め、およその事情を組み立てることが出来た。

「整理するぞ。つまり坊主は確かにズィルス村のティトで、柴を集めて帰ってきた時に森際で『いらないならちょうだい』とか声が聞こえた直後に気を失った、と。目が覚めたら自分が勝手にどっか行っちまうのが見えて、追いかけようとした時にはその体だった……つまり、体を乗っ取られちまったらしい、ってことだな?」

「う、うん。うぐっ、ひぐっ」

 ヴァルトが相手をしている間、フィンは相変わらず首を傾げてティトを観察していた。

〈レーナ、俺は魔物に体を取られたとかいう昔話は聞いたことがないんだが、君は何か知っているかい? 今もなんだか彼の姿がよくわからないんだが〉

 竜の視力を使わないように意識すれば、普通に魔物の体は見える。だがわずかでも感覚をずらすと、輪郭がぼやけたような、見えているのに何なのか分からないような、妙な気分になってしまうのだ。

〈ごめんなさい、私もあんまり、魔物の事はよく知らないの。私達と違って、そもそもが曖昧な存在だから〉

〈曖昧……ああ、そうだな〉

 魔物は善でも悪でもなく、どの神に属するという決まりもない。ただ彼らが何か人とかかわりをもつとしたら、それは大抵、日暮れ時や夜明け前、あるいは雨の日など、光と闇の境が曖昧な時間帯だと言われている。それがゆえに、黄昏時の別名は“逢魔が刻”なのである。

 フィンは改めてぐるりを見回し、どこかがずれてしまったような感覚に顔をしかめて首を振ると、ゆっくりティトのそばに寄って膝をついた。

「ティト、自分が何かをしているような自覚があるか? この森の奥に進もうとすると、同じ場所をぐるぐる回ってしまう。野盗の根城が分からないのも、たぶん君の……というか、その魔物のもつ力が作用しているんだろう。何か分からないか」

「ふぇ……? お、おれ、何か悪いことした? おれのせい?」

 黒い目にまた涙が盛り上がる。フィンは手を伸ばし、毛の密生するふかふかした頭をぽんぽんと撫でてやった。

「落ち着いて。君が悪さをしてるわけじゃないのは分かってる」

 言いながら、用心深くそっとわずかに光を注ぐ。魂が人間であっても、今の体は魔物だ。存在が曖昧なものに対してどんな影響をもたらすか、予測がつかない。

 幸いなことに、注いだ光が一点に集まるのが感じられた。魔物の体ではなく、恐らくティトの魂だけがそれを受け入れたのだろう。

 ティトは驚いたように目をしばたたき、それから不意にきょときょとして、何かを見つけたように背後を――森の奥を向いたまま動きを止めた。

「おれ、あっちに行ったんだ。こいつに捕まる前に、いっそ山賊になったら楽かなぁ、って考えちまったから……たぶん、そのせいで」

 つぶやくように言った声は落ち着きを取り戻していた。舌足らずで甲高いのは同じだが、口調には理性と意志が宿っている。

 同時に、周囲の気配がわずかに変化した。ヴァルトもそれに気付いたらしく、はたと顔を上げて木々の間を見渡した。

「おっ、なんだ、さっきよりはっきり道が見えるぞ」

「ああ。霧が晴れたみたいだな」

 フィンは応じつつ立ち上がり、次いでヴァルトに確認を取る。

「どうする? 今なら恐らく盗賊の根城を探り当てられるが、部隊を呼んで包囲するか?」

「その方が安全だとは思うが、この状態がずっと続く保証はねえんだろう。いつまたぐるぐる回らされるはめになるか知れないってんじゃ、迂闊に兵を森に入れることも出来ねえ」

 ヴァルトは渋面で唸り、ティトを見やる。フィンも少年の様子を見ながらうなずいた。

「よし、奥に進もう。他の事は状況次第だが、ともかくティトの体だけは取り返さないとな」

 二人の視線を受けて、人間の膝までほどの背丈しかない体に押し込められてしまった少年は、何か言いかけて口を開いたものの、黙ってこくりとうなずいた。

(おれは、おれじゃないと駄目だ)

 ささやきがフィンの意識に届き、同時に精神の色彩がその言葉に込められた意味をはっきりと示す。

 ――あの体を動かし、行動を、生き方を、決めるのは己自身でなければならない。ほかの誰かに譲り渡して良いものではない。

 体を奪われて初めて得た自覚が、少年の心を奮い立たせていた。フィンはそれを見て取り、よし、と一安心する。

〈こっちはもう大丈夫みたいだな。レーナ、先が見えるかい?〉

〈ええ、見晴らしが良くなったわ。先の方に人がいるみたい〉

 返事と同時に視覚が重なり、行く手に小さな魚群が現れた。ひとつ妙なものがまじっているように見えるのは、恐らくティトの体を奪った魔物だろう。

 何を考えてそんなことをしたのか分からないが、対処はせねばならない。

 フィンは再び手を剣の柄にかけ、ヴァルトと目配せを交わすと、静かに木立の奥へと歩を進めた。


※注:現実には日本語の「逢魔が時」は「大禍時」(=災いの起きやすい時間帯)からの転。


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