もういいかい?
第三部の閑話。復興二年目ぐらいのナナイスにて。
復興当初のナナイスに移住してきたのは、およそ二十代から四十代までの、体力に自信のある男が中心だった。家族連れで移住した者もいるが、その場合は幼い子供はおらず、子がいても十代の半ばは過ぎていた。医者もおらず、不便で日々の糧にも不安のある土地に越すとなれば、当然だろう。
だが少しずつナナイスが集落として機能し始めると――畑の実りや漁の獲物が充分になり、都会での貧乏暮らしよりも食糧事情がましになると――噂を聞きつけた人々が、女子供に老人連れでも、移り住むようになってきた。
そんなわけで。
「もぉーいーぃかーい?」
「まぁーだだよー」
広場で、やっつけ仕事の記念碑に顔をおしつけ、鬼の子供が声を張り上げる。作りかけの壁の向こうや、放置されている瓦礫の陰、白い花が満開のサンザシの茂みから、まちまちに声が応じた。遊んでいるのは五人ほどだが、それが今のナナイスにいる子供全員だ。
大人達は午前中の仕事をひとまず置いて、微笑ましく子供らを眺めながら、屋外のそこここで昼食をとっていた。
「あれは何をやっているの?」
レーナが不思議そうに尋ねる。フィンはファウナが作ってくれた昼食をつまみながら、「かくれんぼだよ」と答えた。ちなみに本日のおかずは、朝獲れた小魚をさばいて酢で締め、香草に包んで楊枝に刺したものである。主食のパンは焼き立てだ。この春に開業したパン屋がまた、色々と工夫したパンを作るので、住民の食事は随分と改善されていた。
「かくれんぼ?」
レーナが問い返す。フィンは布巾で指を拭い、ちょっと考えてから、ああそうか、と微笑んだ。
「君と違って、人間は物陰に隠れている相手を見つけるのが苦手なんだ。特に子供はね。あの遊びは、見付からないように隠れるのと、それを見つけるのと、どっちが上手いかを競っているんだ。昔の人は『兎と狐』と言ったりしたらしい」
見付かったからって食べられるわけじゃないが、と念のために言い添える。下手な説明をして妙な誤解をされては大変だ。
レーナは訝しげにしていたが、兎と狐のたとえには納得したようで、なるほどとうなずいた。
「だから見付かっちゃったら駄目なのね。フィンも遊ぶの?」
「今は流石にもうやらないな。でも昔はよく皆で遊んだよ。何も道具が要らないし、やり方も難しくないから小さな子も一緒に遊べたし」
懐かしそうに彼が言うと同時に、もういいよぉ、と子供の声がして、鬼が捜索を開始した。他の子供が隠れるところを見ていた大人達は、鬼のお手並み拝見とばかり笑いを押し殺している。
一人、また一人、と隠れ場所を暴かれていく。だが、最後の一人がなかなか見付からない。鬼の子供はだんだん泣きべそ顔になっていく。こっそり手振りで合図を送る大人もいるのだが、涙で潤んだ目には入らないようだ。
「あれはちょっと意地悪だな」
フィンは苦笑まじりにつぶやいた。最後の一人が隠れているのは、灯台下暗し、既に見付けられた子供達が記念碑のまわりに集められている、その中だったのだ。最初の隠れ場所から隙を見て移動し、紛れ込んだのである。一度見付かった者は助けて貰えないことになっているので、鬼は全くそこを意識していなかった。
と、不意にレーナがふわりと身を翻し、記念碑の方へ歩き出した。鬼の子供がびっくりして振り返り、そのついでに、最後の一人を見付けてあっと目を丸くした。
「見つけたぁ!」
「ずるーい!!」
わっと子供達が声を上げる。最初こそ竜と聞いて気後れしていた彼らも、ナナイスで暮らす内に、人の姿をしているレーナにはすっかり遠慮しなくなっていた。なにしろレーナは、同じ人間である大人達よりも、むしろ自分達に近い存在なのだから。
フィンはちらっと天を仰いだが、やれやれと腰を上げて仲裁に出向いた。
「だって、あんまり意地悪してはいけないわ」
「かくれんぼなんだから、見付からないようにするのが、当たり前なの! 横から教えちゃだめでしょー!?」
最後まで見付からなかった子供が、ぷりぷり怒っている。フィンはその頭にぽんと手を置いて、くしゃくしゃ撫でてやった。
「悪いな、せっかくもうちょっとで鬼が降参するところだったのに」
「あ、竜侯さま」
途端に子供は声の調子を落とす。極端な反応に、フィンは微かに苦笑した。
「それにしても少し粘りすぎだ。適当なところで終わらせてやらないと、鬼が怒って帰ってしまうぞ。それじゃ、つまらないだろう」
鬼が降参するか、最後の一人が自ら出て来てやれば、どっちにしてもその回は終わりで、鬼が交代する。もう一度全員でじゃんけんやクジ引きをして、鬼を決めるのだ。いたって単純素朴なルールである。
「だってぇ……でも、レーナはずるいよ。そうだ、次はレーナが鬼をやりなよ!」
まだ不満げにしていた子供が、ぱっと思いついて笑顔になる。絶対に見付からないように隠れる自信があるのだろう。フィンは気の毒やら笑いたいやらで複雑な顔になった。
「それは意味がないな。レーナは誰がどこに隠れていても、すぐに見つけてしまうから」
「嘘だぁー!」
と、これは全員の合唱。
おやおや。フィンは眉を上げた。どうやらレーナは、子供には親しまれすぎて、その能力を――空を飛べるとか姿を変えられるとかは別として――甘く見られているらしい。
フィンはレーナを振り返り、どうする、と目顔で問う。早くも彼女は楽しそうな笑顔になっていた。
「いいわ。目を瞑って二十数えて、皆がもういいよ、って言ったら、探すのね?」
「そうだよ。見ちゃだめだからね!」
厳しく念を押し、じゃあ行くよ、と子供達が構える。泣きかけていた子も、すっかりそんな事は忘れたように隠れ場所を探してきょろきょろしている。
レーナが先の鬼の真似をして記念碑に顔を伏せると、わっと子供が散らばった。
「竜侯さま、早く早く」
一人に袖を引かれ、フィンは目を丸くした。いつの間にか数に入れられていたらしい。なんだかなぁ、とフィンは苦笑気味に、自分の図体を隠せる場所を探し始めた。もう子供ではないのでなかなか良い場所はないが、
(まあ、どうせすぐに見付かってしまうんだし)
本気で隠れるまでもあるまい。慣れた子供ならすぐに見付けてしまいそうな、近場の物陰にしゃがみこんだ。
「……じゅーうく……にじゅーう。もういいかぁい?」
レーナの声が、子供達の真似をして呼ぶ。
「もういいよー」
そこかしこから上がる声に紛れるように、フィンもかなり恥ずかしい気分で、もういいよ、とあまり大きくない声で言う。途端にレーナがびっくりした気配を寄越した。
〈フィンも隠れることにしたの?〉
〈いつの間にか、そういう事になったらしい〉
苦笑したフィンに、愉快げなレーナの声が朗らかに届いた。
〈無理よ! フィンみたいにきれいな人、どこにいたって見付けられるのに!〉
〈……それはどうも〉
危うく空気にむせかけ、フィンは曖昧な返事をした。いやはや、まったく。
(まあでも、確かに目立つんだろうな)
自分の事はさて置き、竜の視力を共有するようになった今では、レーナの言うことにもうなずける。マックやネリスのように小さな光をまとった人間は、遠くにいてもその存在を感じ取ることが出来るのだ。実際に目をそちらへ向けるまでもない。
そこまで考えて、ふとフィンは疑問を抱いた。
(隠れられるんだろうか?)
普通の人間なら、竜の目を欺くことなど出来ないだろう。だが竜侯なら?
ふむ、とフィンは首を傾げた。
無理だと言われたのを見返したくなっただとか、出来るなら隠れて驚かせてやろうとか、そんな考えがあったわけではない。あった方が罪はなかったろうが。
彼はいたって真面目に、それはもう平静に理性的に、疑問を抱いただけである。そして真面目さは、この墓石竜侯様の美点であり欠点でもあるのだった。
(俺がレーナの存在を感じ取れなくなったことは、あるよな)
コムリスでの一夜を思い出す。あの時は、レーナが遠くへ飛んで行っていたから、また恐らくはフィンから意識をそらしていたから、呼びかけに返事がなかった。
(絆が断たれることはないにしても、“見失う”ぐらいはあり得るんだろうか)
あの時の感覚や、常日頃あまり絆を意識していない状態を思い出しながら、フィンはいつの間にか己の内深くに沈み込んでいった。竜の力のみならず、自分自身をさえ幾重にも覆い隠す壁を築いていると気付かないまま。
一方レーナは、フィンはいつでも見つけられるからと、先に子供達を隠れ場所からひょいひょいつまみ出していた。
壁の後ろにいても、茂みで息を潜めていても、子供らの活発な心の動きは様々な色彩や光の波となって、ちらちらこぼれ出ている。レーナは一度として迷うことなく、まっすぐそれぞれの居場所へ向かって行き、
「見ぃつけた」
「わあっ! どうして!?」
相手を驚かせてはくすくす笑った。子供達の心の動きが可愛らしく楽しかったのだ。
そうこうして、あれよと言う間に全員が記念碑のまわりに集められてしまった。
「ほら、これでみんな見付けた」
「まだだよ! 竜侯さま、まだ隠れてるもん!」
そうだそうだ、と子供達が抗議する。レーナは笑顔のまま、ちょっとだけ待ってね、と言うような風情でぐるりを見回した。
――しかし。
「……?」
すぐに見付かるはずの、フィンの存在が分からなかった。すっ、とレーナの顔から笑みが消える。
遠くへ行ってしまったわけではない、それは分かる。どこか近くにいるらしき気配が感じられる。だが、見慣れたあのきれいな光もなく、呼びかけても返事がない。
「……フィン?」
唇が震え、黄金の瞳が潤んで揺れた。レーナは忙しなく周囲を見回し、おろおろと行ったり来たりし始めた。なまじ竜であるがために、人間と同じように物陰を一つ一つ覗き込んで探す、ということが考えられないのだ。見失ってしまったら、もはやそれまで、だった。
心で三度、四度と呼びかけ、絆に意識を向けても反応がない。とうとうレーナは泣きそうな声を上げた。
「フィン、どこ!?」
訊いて返事が来たら、かくれんぼの意味がないではないか――と、突っ込めるような声ではなかった。子供達が思わぬ展開に戸惑い、ばつが悪そうに目をそらしてもじもじする。広場の近くにいた見物人も居心地悪そうにそわそわしたが、むろんレーナはそんな周囲など眼中になかった。意識しているのはただ一人、見失ってしまった一人の存在だけだ。
絆を結んで以来初めて味わう孤独に、レーナは堪えようと思うことさえなく、大粒の涙をぽろぽろこぼして泣き出した。
「フィン……ふっ、うあぁぁ――ん!!」
ようやくフィンが、慌てて隠れ場所から飛び出してきた。泣き声が耳に入るまで考え事に没頭しているとは、もう呆れるしかない。
「レーナ! すまない、うっかり……うっ」
声が詰まったのは、レーナが胸に突進してきたせいだ。が、その程度は甘んじて受けるべきだろう。
「フィン、フィン!! 隠れちゃいやあぁぁぁ」
わんわん泣きながらレーナがしがみつく。フィンはすっかり困り果て、彼女の頭や背中を撫でながら忙しく言い訳した。
〈悪かった、本当に隠れてしまうつもりじゃなかったんだ。二度としない、約束する。本当にすまない〉
言葉だけでなく、感情も併せて精一杯慰める。だが動揺したレーナの心は、その程度では簡単に静まらない。
ひたすら謝り倒し、ずっと一緒にいるから、大丈夫だから、と小声でなだめ続ける。必死のフィンのまわりで、子供達がここぞとばかりに囃し立てた。
「泣かせたー、竜侯さまが泣かせたぁー」
「いけないんだぁー」
「やーい、やーい」
フィンに返す言葉のあろう筈もなく、情けない顔で立ち尽くすばかり。レーナもがっちりしがみついたままで動く気配がない。
ややあって、見かねた大人が子供らを連れて、三々五々、広場を後にした。彼らとてフィンと同じぐらいには、いたたまれないのだ。若い娘がわんわん泣きながら、途方に暮れた青年に抱きついている図など、そういつまでも見物していられるものではない。少なくとも、堂々とは。
そんなわけでフィンはしばらく、そこかしこから様子を窺っている視線を痛いほど感じながら、ひたすら耐える羽目になったのだった。自業自得。
その後、ナナイスではかくれんぼ禁止令が出たとか出なかったとか……。
***
余談。
「そういう時は、地道に、人間と同じ方法で探すのよ。覚えときなさいね」
ことの顛末を聞いたネリスが呆れて言った。こくんと大人しくレーナがうなずく。だがその手は、まだフィンの腕にすがったままだ。
「もう隠れないよ」
だから大丈夫、とフィンが慰める。と、ネリスが眉を上げた。
「それは当たり前でしょ。だけど、ぶん殴られて気絶しちゃったりしたら、見失うってこともあるんじゃないの?」
「…………」
物騒な仮定にフィンが顔をしかめ、レーナはまたぎゅっとしがみついた。
「分からないわ。眠っているだけの時には、見えなくなることはないから……フィンが意図して隠れない限りは、大丈夫だと思うんだけど」
「そっか。ちょっと試してみる?」
「勘弁してくれ……」
(終)




