石像
個人サイトでの企画で、辞書を適当に開いて出てきた単語をお題に設定し、題材を読者様からご指定いただいて書いた掌編。なのでタイトルが微妙。
本編完結から70年ほど後の話です。
「閣下の像を造らせて下さい!」
意気込んで握り拳を作り、上気した顔でずずいと迫る石工の男。
勢いに押されてフィンはたじろぎ、後ずさりつつ聞き返した。
「私の?」
「はい、いえ、閣下と天竜様の!! 素晴らしい大理石が見付かったんです、目にした瞬間これはお二人を彫るしかないと直感しました! どうか是非! お許しを!!」
空けられた距離をずいっと縮める石工。フィンはさらに逃げたくなったが、きりがないと諦めて堪えた。
目をキラキラさせている中年男は南部出身なのだが、散逸した旧時代の美術品を共和国が調査・保護していると知り、数年前にナナイスへやって来た。以来、古美術の逸品に学びつつ腕をさらに磨き、ナナイスでも指折りの石工となったのだ。
「初めて天竜様のお姿を目にした時から、いつか必ずと心に決めていたのです! 日夜腕を磨き、そろそろ挑戦しても良いだろうかと思い始めたところへ、石切り場での出会い……運命です、これはっ! というわけで是非!!」
「と言われても……まさか、石切り場を占拠するつもりじゃないでしょうね?」
「あ、いやいや、まさかそんな巨大な彫像は……可能ならば造ってみたいとは思いますが、流石に無謀ですので。縮めたお姿になりますが、お許し頂けるのなら完成品は、感謝の心でもって広場に置かせて頂きたいと!」
まるで明日にも出来上がるかのような興奮ぶりである。フィンは石工の熱意に戸惑いながら、曖昧に答えた。
「まあ、彫るのは自由ですが」
竜と竜侯を絵画彫刻にしてはならない、という決まりがあるわけではない。流石に自宅の門に竜をあしらうのは、不遜不敬以前に勘違いの元となるので禁じられているが、天竜に親しむナナイス市民は、様々なかたちで生活に竜のモチーフを取り入れている。
竜らしき形をしたパンや菓子は既に名物だし、議員や官吏や軍人は皆、竜の刺繍を施した空色の何かを身に着ける。幼児には竜のお守りが与えられるし、少年らは手製の木剣に竜のしるしを刻んで将来の夢を膨らませ、少女らは白い布に竜や月星を一針一針刺しながら花嫁となる日の幸福を願うのだ。
――が、石工がわざわざ“お願い”に上がったのは、単に許可の有無の問題ではあるまい。
フィンは苦笑し、頭の中で自分の裁量に任されている予算について計算してから、うん、とうなずいた。
「出来上がるまで、最低限の生活費ぐらいはお渡し出来ます。特殊な材料や道具が入用でしたら、なんとかしましょう。完成したら広場に置いて、市民の承認を得てから対価をお支払いします。市の予算から出しますから、引渡しと同時とは行きませんが、それでも構いませんか?」
「もちろんです!」
ぱあっ、と石工の顔が輝く。もう早速と仕事場に駆け戻りそうな男を、フィンは慌てて引きとめた。
「待って下さい。ひとつ条件があります」
「はいっ、何でしょう」
「台座は無しで」
「――え?」
思いもよらない注文に、石工はぽかんとなる。フィンは真面目な顔で繰り返した。
「台座は作らないで下さい。広場に置くのなら、高い台座の上から見下ろすのではなく、人と同じ高さになるように」
「……しかし、それでは」
「よじ登られても落書きされても構いませんよ。もう昔のことですが、広場に竜侯像を建てるのだけは勘弁してくれ、と言われたんです。通る度に、台座の上で格好をつけている私が目に入るのはげんなりだ、と」
言葉尻でフィンは苦笑をこぼした。遠慮容赦のない発言の主たる妹はもういないが、自分でも尤もだと思う。だから今まで、天竜の国といわれながらもその首都の広場に自分達の像など建てずに来たのだ。
「ですから、仰ぎ見られるのではなく、普通に正面から見られることを考えて、造って下さい」
穏やかながらも譲らない意志のこもった声に、石工は黙って頭を下げた。
――数ヶ月後。
晴れて広場に安置された石像の前で、フィンはレーナと共に市民に囲まれ、照れ臭そうな顔をしていた。
「わぁ、そっくりだー!」
「流石に大きさは変だけど、でも良い感じよね」
「レーナしゃん、おっきいー」
「こりゃ立派なのが出来たなぁ、これで竜侯様のお顔も知れるってもんだ!」
「そうだね。こないだ観光客にあれが竜侯様だって教えたのに、信じてくれなかったもん」
「あはは! これからは大丈夫だね!」
様々な感想をまじえ、市民達がわいわいと口々に祝いを述べる。
仄かに黄金色を帯びた大理石は、翼を広げた竜に青年が寄り添って立つ姿に彫られていた。実際の比率は無視して、青年の頭が竜の胸の辺りに来るよう造られている。竜は瞳の黄金のほかは大理石の肌そのままだが、竜侯は彩色され、頬の傷跡までしっかり再現されていた。表情は微笑が浮かびかけるまさにその瞬間のようで、本人が思っているよりもずっと穏やかで優しい。
フィンは己の像をまともに見られず、細緻に仕上げられた竜の翼や毛並に見とれているふりをした。
「離れて見たら、大理石だと気付かないぐらいですね。これは素晴らしい」
「本物は、こんなものではないのですが」
賛辞にも石工は喜ばず、苦渋の表情になる。フィンとレーナが揃って目をしばたくと、石工は翼に手を置き、首を振った。
「やはり石像では限界があるのか……っっ! あの、白くてきらきらふわふわのもふぁぁーっ……っっ、な素晴らしさを、この程度にしか表せないとはっっ!! 不本意です、きわめて遺憾です!!」
「あの……ええと」
「この石ならば! 可能だと!! 奇跡が起きるに違いないとっ、期待したのに!! 私の腕が未熟であったばかりにぃぃぃ!!!」
「いやあの、充分、素晴らしいと思いますが」
たじろぎながらフィンが曖昧に慰める。まわりで見ていた市民らも、笑いながら石工の頭や背を叩いて賞賛した。
「そうだそうだ、これなら充分だって! 大体、本物の天竜様そのまんまを像にしようってのが不遜だろ」
「石像なんだから、ふわふわしてないのは当たり前じゃないか。そんなことで気落ちしなさんな!」
「レーナしゃんかわいーの!」
「ほらほら、お祝いしようじゃないの、こっち来て!」
祝杯を用意した女達に引っ張られ、石工はまだ否定の仕草を続けながらも杯を受け取る。フィンの手にも麦酒のコップが押し付けられた。
集まった皆の手に酒杯が行き渡ると、たまたまその場で一番フィンの近くにいた男が一同を見回し、よしとうなずいて杯を掲げる。
「天竜と竜侯様に!」
「かんぱーい!」
祝いの音頭と共に、広場は陽気で幸せな笑い声に満たされた。
それからの長い月日、北部の厳しい風雪に晒されながらも、石像は広場で人々と共に在り続けた。
フィンが願ったように、段差も囲いも設けられず、誰もが気軽にもたれかかり、手を触れ、幼子は竜の背によじ登った。特に決めずとも毎日誰かが像を拭き清め、祭りや催しの際は花や色布で飾られて。
歳月と共に不在がちになっていく竜と竜侯に代わり、石像は人々に親しまれ続けた。
そうして――
「これも、随分になるな」
石に刻まれた青年よりは少し男らしくなった顔で、フィンは懐かしそうに微笑した。
「出来た時は確か、ふわふわじゃない、とか造った本人が嘆いていたが……なんだか柔らかくなったような気がするよ」
「本当ね」
若い女の姿をしたレーナが、はにかみながらも嬉しそうに笑う。仄かに光を帯びた手で竜の背に触れると、冷たい石の肌が暖かな蜂蜜色に染まった。
「すっかり丸くなってる。こんなに愛されて、幸せね」
ふふ、と笑って、すべすべの石像を撫でる。
多くの人に触れられてきた竜の姿は、全体にふんわりと丸みを帯びていた。それこそ本当に柔らかいと錯覚するほどに。
レーナはしばらく己の分身を愛しそうに撫でていたが、ややあってふと、青年の像に目をやり――苦笑した。
「フィンはあんまり丸くなってないのね」
「……うん、まあ、仕方ないさ」
すっかり色が剥げ落ち、元から浅く彫られていた頬の傷跡は判別出来なくなって、服の皺や神剣の装飾などに鋭く刻まれていた角は残っていない。だが竜の部分と比べると明らかに、磨り減り具合が違う。
フィンは分身を慰めるように軽く頭をはたくと、レーナに向かってうなずいた。
羽ばたきの音が響き、広場に風が舞う。
箒と桶を手に市庁舎から出てきた掃除夫が目を庇い、それから、あれっ、という顔をして辺りを見回した。遅れて出てきた同僚が、きょろきょろしている相棒に問いかける。
「どうした?」
「いや、なんか……誰かいるような気がしたんだが。その……」
掃除夫は言い淀み、無意識に空を仰ぐ。早朝の澄んだ青色に、白い鳥がひらりと弧を描いて飛び去った。
「……気のせい、だな」
うん、と自分に言い聞かせるようにつぶやき、彼はまっすぐ広場を横切っていく。いつものように、石像の前に相棒と二人して並び、軽く会釈をして。
「竜侯さん、おはよう」
「今日もいい日になりますように」
ぞんざいに拝んでから、日課の掃除を始めた。
陽が昇り、建物の影が移動して、石像に光が当たる。柔らかく微笑む竜と竜侯の前を、今日も人々が行き交う。
笑い、走り、座ってくつろぎ、時に泣いて――遠い日々からずっと、変わることなく。
(終)




