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灰と王国  作者: 風羽洸海
閑話 ※完結後ネタバレ有
185/209

求めよ、さらば

フィンの子供時代の話。特にネタバレはなし。

クリスマスシーズンに合わせて書いた話です。作中世界では冬至祭。



 冬至祭が近付き、ナナイスの街は忙しない空気に包まれていた。

 通りには大勢の使用人や主婦が繰り出し、まるでこの世の終わりが来るかのように切羽詰った顔で、買い物に走り回っている。

 というのも、まず冬至祭のために御馳走の材料や贈り物を買わねばならないし、その祝祭が終われば、あらゆる商売が実質的に休みに入るからだ。

 漁はもちろん、農作物の市もあと数回で終了、店も棚を片付けて大掃除。備えておくべきものを買いそびれたら、新年早々不便と侘しさに耐えるはめになる。

 孤児院の暮らしも例外ではなく、その日、フィンは院長のお供をしてあちらこちらの店を回っていた。

「ふう、やれやれ、毎年のことながら凄い人出だな。さて、これで全部か……」

 よいしょ、と道路の脇に荷物を降ろし、院長は点検を始める。フィンも自分が持っていたものを下ろし、人波からそれらを守るように立った。そこへ、

「うあぁぁぁん!! 買ってー、買ってえぇぇぇ!!」

 子供の甲高い泣き声が、雑踏の喧騒をしのいで響き渡った。束の間、辺りの人々が動きを止め、騒動の元を振り返る。そしてすぐに、やれやれと首を振り、あるいは顔をしかめ、あるいは同情的な苦笑をこぼして、また各々の用事へと急いだ。

「あれも風物詩だな」

 院長が苦笑し、通りの向かいを見やった。様々な玩具を商う店だ。今の時期はただでさえ大忙しなので、店先で座り込んで泣き喚く子供に誰も構わない。裳裾を掴まれた母親が声を尖らせ、駄目って言ってるでしょ、やめなさい、と叱りつけている。

「欲しいー、欲しいぃぃ~~!! 買ってー!!」

 激しい駄々はおさまる気配がない。フィンは母子の様子を見て、そこそこ裕福な家なんだろうな、と見当をつけた。家族で贈り物を交わす、それだけの余裕があるのだろう。

 フィンは一般家庭でどんな風に冬至祭が過ごされるのか、実際には知らない。だが街の子らの話を聞いていれば、互いに贈り物をするとは言っても、子供らはただ貰うだけのことも少なくないようだ。

 恐らくあの子供も、毎年なにかしら贈り物を貰うのだろう。そして、必ず貰えると分かっているから、ああして自分の欲しいものを求めている――親の財布の中身などお構いなしに。

 孤児院では違う。もちろん皆でご馳走は食べるし、この時期に気前が良くなる篤志家のおかげで毛布や防寒着を新調できたりもする。だが、一人一人への特別な贈り物など無い。

 どんな気分なんだろう、とフィンは少し不思議に思った。ただ子供であるというだけで、冬至祭であるというだけで、贈り物を貰えるというのは。

 自分だったら、なんだか落ち着かないかも知れない。

 そんなことを考えていると、院長が気遣うように優しく声をかけてきた。

「おまえも何か、欲しいものがあるのかい」

「……?」

 思いがけないことを訊かれて、フィンは目をしばたきつつ顔を上げる。と、院長は腰を屈め、ひそひそ小声でささやいた。

「皆には内緒で、おまえには特別に贈り物をしてもいいんじゃないかと思うんだが、どうだね? なにしろおまえは、もうほとんど一人前に皆の世話をしているわけだし」

 それに、と言いかけて院長が口をつぐむ。先に続きかけた言葉を察し、フィンは目を伏せた。

 ――それに、普通なら他の子のように、とっくにどこかの家に迎えられて、冬至祭を祝っている齢なのだから。

 そんな院長の思いやりに、フィンは何とも答えられず黙り込む。院長はやや気まずそうに咳払いしたが、すぐに明るい口調になって話を続けた。

「まあ、冬至祭はたまたま理由にしただけで、前々からおまえには何かご褒美をやりたいと思っているんだよ、フィニアス。この機会に、欲しいものがあったら言ってみないか。私にねだるのは懐具合が心配だというなら、神々にお願いするつもりでもいい。ひとつぐらい、おまえも欲しいものがあるだろう?」

「…………」

 問われてもなお、フィンは無言だった。その背後で、とうとう怒りを爆発させた母親が子供の手をつかみ、引きずるようにして歩き出す。遠ざかる泣き声を、フィンは茫然と眺めやった。

 玩具の店は確かに魅力的だった。彼も時々、お遣いの途中で足を止め、手に取りたい誘惑と戦いながらじっと見つめていたものだ。美しく彩色された木製の馬や兵士、枠の中に上手く嵌めるとひとつの絵になる小さな動物達。どういう仕掛けか、転がすとぴょこぴょこ首が動く鴨の親子。

 だが今、欲しいものは何かと訊かれて、不思議とそれらは思い浮かばなかった。

 院長は辛抱強く待っている。

 ややあってフィンの胸に、ひとつの答えがあらわれた。だが、唇を開いてもそれは声にならず、喉元に留まったまま頑として出ようとしない。結局また口をつぐむしかなかった。

 院長はふと笑みをこぼし、そんなフィンの頭にぽんと優しく手を置いた。

「人には言えない秘密の願い事か。それも良い、いや、本来冬至祭の贈り物はそういうものだったかも知れないな」

「……?」

 フィンが怪訝な顔で見上げると、院長は小首を傾げて相談するかのように続けた。

「そもそも昔の北部は、相当に貧しかったのだからね。冬至祭も今のようなものではなかったろうよ。何しろ蛮族の土地だったわけだし。特別な贈り物にするような素敵な品物が、こんな風にあふれていたとは考えられないだろう。あれが欲しい、これが欲しいと駄々をこねるほどの物、それ自体を知らないのだから、欲しがりようがない。だからかね。昔話に出てくる冬至祭は、神々に願い事をする日とされているだろう」

 言われてフィンも、こくりとうなずいた。帝国化して長いとは言え、ヴィティア人部族に伝わる民話も消え去ったわけではない。孤児院で子供達に語られる昔話には、そうした筋書きのものがいくつかあった。院長はその内のどれかを思い出し、軽く目を瞑って暗誦するように言う。

「若者は勇気と勲を、乙女は永遠の愛を、神々に授けてくれと願った――そんな感じだったかな」

 おまえもそうかい、と、院長はまなざしで問いかける。フィンは思わずのように目をそらし、路面を見つめた。そして、

「……俺も」

 小さな小さな、雑踏に紛れそうな声でつぶやいた。

「勇気が、欲しいです。どんな時にも打ち負かされない、強い心が」

 ――しばし、返事はなかった。ざわめく通りの中で、二人だけの静寂が生まれる。

 それから院長が、ゆっくりと感嘆の吐息を漏らした。

「そうか。おまえらしい願い事だなぁ。打ち勝つのではなく、打ち負かされないため、か」

 しみじみと繰り返しながら、院長はまたフィンの頭を撫でた。その違いなど意識せずに望んだフィン自身は、当惑と気恥ずかしさで顔を上げられない。院長がくすりと笑った。

「おまえは無意識に言ったのかも知れんがね。いずれ分かるだろうよ。生きてゆく上では、勝つことよりも、ただ負けないことの方が大事になる場合が多い、とな。まあ、それはずっと先の話だ。今は……はてさて、しかし勇気となると、そこらでひとつ買って来てやろう、というわけにはいかんなぁ」

 困ったな、と苦笑してから、院長は真面目な口調になって続けた。

「それに神々とて、たやすく授けては下さらぬだろう」

「駄目、ですか」

 フィンはおずおずと、残念そうに問う。院長はしゃがんで目線を合わせると、重々しく説き聞かせた。

「フィニアス、勇気とは誰かから与えられるものではない。自ら奮い起こすものだ。たとえ神々とて、勇気を持とうとせぬ者にそれを与えることは出来んのだよ。だが、おまえの願い事が無駄だと言うのじゃない。その望みを忘れない限り、神々も力を貸して下さるはずだ。勇気を願い、強くあろうと自らを励ますならば、神々はおまえが熾した小さな火に風を送り、あかあかと輝かせてくださるだろう。だから、その願いは大切にしなさい」

「――はい」

 一言一句、心に刻むが如く聞き入っていたフィンは、話が終わると深く静かにうなずいた。それを確かめると、院長は表情を和らげ、不意におどけた風情になって腰を伸ばした。

「さて、そろそろ帰るとしようか! それにしてもフィニアス、おまえは時々、やけに難しい事を言うんだなぁ。私もうかうかしておられんよ」

「??」

 唐突な言葉にフィンは面食らい、きょとんとする。難しい事を言ったのは、院長の方ではないのか。自分はただ、単純に望みを告げただけだろうに。

 困惑顔のフィンに院長は悪戯っぽく笑いかけ、なぜか満足げに「よしよし」とつぶやく。フィンは一層わけが分からなくなったが、説明してくれる様子はないので、諦めて無言のまま荷物を抱えたのだった。

 

 長い歳月が過ぎ、自らが親の立場になった今、フィンは時折あの日の院長を思い出して苦笑する。

 思えば随分、扱いづらい子供だったろう。何気ない会話さえ時に真剣勝負のようになり、手応えを得られると大人の面目を保てたかとホッとする――そんな気持ちが、彼にも分かるようになっていた。

(院長先生)

 記憶の中の、おぼろな姿に向かって呼びかける。

(あの日、確かにあなたは俺に勇気をくれました)

 勇気そのものではなかったかも知れない。だが、あの時の言葉は後々まで、フィンにとって支えであり続けたのだ。

 勝てなくとも負けないこと、望みを忘れないこと。

(俺もあなたのように、何かを与えられると良いのですが)

 どうにも自信が持てない。あの頃の院長もこんな気持ちだったのだろうか。

 冬晴れの空を仰ぎ、フィンは一人複雑な微笑を浮かべる。白い薄雲の向こうから、笑いを含んだ懐かしい声が、励ましてくれたような気がした。



(終)

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