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灰と王国  作者: 風羽洸海
第一部 北辺の闇
18/209

3-2. 雨


 それからの数日、一行はのろのろと回り道をしながら西へ西へと動き続けた。

 夜には必ずレーナが現れ、フィンと、時にはネリスをも交えて、いつものように少々噛み合わない会話をしつつ、道案内を続けてくれた。

 日毎に食糧は減り、子供たちの足は傷だらけになって、馬も痩せ細ってゆく。それでも、街道をまっすぐ進む愚は犯せなかった。最初は大人たちを信じていた子供たちが、三日もすると虚ろな疑り深い目をして、反抗的になりはじめた。

 もう歩けない、嫌だ、おなか空いた、帰る!――ぐずって道端に座り込む子、癇癪を起こして金切り声で喚く子。あるいはむっつりと押し黙り、何を言っても答えない子。最初はなだめすかしていた年長者たちも、じきに疲れて余裕がなくなり、剣呑な態度で突き放す。そしてまた子供が泣く。その悪循環で、イグロスもオアンドゥスも不機嫌になり、ファウナも疲れを隠せなくなって、ますます雰囲気は殺伐としていった。

 そんな中でも、ネリスとマックが前向きであり続けてくれているのが、フィンにとっては救いだった。何しろ、苛立ちや絶望を夜まで持ち越せば、レーナが現れなくなってしまうかもしれないのだ。道案内を失えば、いずれは全員揃って野に屍を晒すしかない。

 四日目には、追い討ちをかけるように雨が降った。さほど激しい雨ではなかったので、木陰に逃げ込めばずぶ濡れになることは免れたが、皆の気をどん底まで滅入らせるには充分だった。

 北辺の内陸部は、晴天に限っては清々しいが、曇天や雨だとどうしようもなく陰気になるのだ。地面はぬかるみやすく、街道と違って舗装されていない場所はすぐに泥の半沼地と化す。霧がすべてを覆い、視界は灰色に塗りこめられ、じっとりと冷たい湿気が服にも髪にもまとわりつく。

 雨をしのぐ木立の下から先へ進むことは出来ず、一行はじっと天候の回復を待つしかなかった。

 イグロスはファーネインを膝に抱き、また何か物語を聞かせていたが、大人しく話を聞いている子供は多くはなかった。何人もがうずくまってぐずぐず泣き、ファウナはあやす言葉も尽きて、一人の子供を抱いたまま機械的に背をぽんぽんと叩き続けていた。オアンドゥスは怖い顔で押し黙り、少しでも乾いた場所を確保しようと、木の枝で屋根を作り続けていた。とても声をかけられる雰囲気ではない。

 フィンとマックとネリスは、そんな中でもなんとか気力を奮い起こし、この機会にと、靴の修繕や荷車の点検、食糧の確認など仕事を見つけては割り振り、雨ぐらい大した事はないと、自他共に思わせようとしていた。

 そうして陰気な一日の末、疲れ果てた面々は早々に眠りについた。

 例によって最初の見張り番についたフィンは、マックがまだ起きているのに気付くと、ささやき声で礼を言った。

「マック、おまえのお陰で本当に助かってる。ありがとう」

「お互い様だよ、フィン兄」

 マックは大人びた仕草で肩を竦める。いつの間にか彼は、ネリスと同じ呼び方をするようになっていた。フィンはちょっと笑い、マックの髪をくしゃりと掻き回す。マックは照れたように苦笑したが、その年頃の少年にしては珍しく、そんな仕草を嫌がらなかった。

 マックは辺りをざっと見回して、皆がすっかり寝入っているのを確かめてから、小声で切り出した。

「……あのさ、気になってたんだけど……フィン兄って、軍団の偉い人だったのかい?」

「まさか。そんな風に見えるか?」

 フィンが驚くと、マックは「わかんないけど」と首を傾げた。

「だって、あのおじさんとかおばさんとか、イグロスって奴とか、あんたより年上の大人は他にいるのに、あんたが指揮を執ってるみたいだからさ」

「ああ、それは……俺が言い出したことだからだ」

 つぶやくように答えて、フィンは目を伏せた。責任の二文字が、改めて肩に重い。

 フィンはナナイスでの状況や、あるきっかけで“生き返った”こと、それゆえにナナイスを発つと決めた経緯を話し、それから顔を上げて続けた。

「今は……道案内してくれる精霊が、俺と会ってくれるから、という理由が大きいかな。そろそろ出て来ると思うんだが」

 言いながらフィンが暗がりに目を転じたと同時に、まるでそれが合図だったかのように、ふわりと白い影が現れた。マックの顎がかくんと落ちる。フィンは小さく笑ってマックの頭をぽんとはたき、「目ん玉落ちるぞ」と一言からかってからレーナの方に歩いて行った。

「こんばんは」

 レーナがはにかみながら挨拶し、あら、というようにマックを見る。フィンは振り返り、苦笑しつつ手招きした。

「来いよ。いい機会だから、おまえにも紹介しておこう。前に言ってた、レーナだ」

「はじめまして」

 ふわりとレーナが微笑む。途端にマックはかあっと耳まで赤くなった。

「あ、あの、俺、えっと」

 あまりのうろたえぶりが可笑しくて、フィンは笑いを噛み殺すのに苦労した。いささか妙な顔になりながら、なんとか真面目な声を保つ。

「マック、もし俺が負傷したりして、こうして夜中に起きていられなくなったら、おまえかネリスが代わりに道を聞いてくれ」

 さり気なく投げかけられた言葉を受けて、マックはぎくりとたじろいだ。フィンを見上げた顔は一瞬で蒼白になっている。フィンはわざとおどけた口調で、そのまなざしに応じた。

「頼むぞ、副官マクセンティウス」

「…………」

 マックは何か言いたげに口を開いたが、結局それは飲み込み、代わりに小さく「分かった」とかすれ声で承諾した。

(強い奴だな)

 頼もしいと同時に悲しくなる。自分が彼ぐらいの歳だった頃を思い出し、フィンの胸が痛んだ。ちょうどオアンドゥスの家に引き取られたばかりの頃だ。遠慮して、いい子でいようとして、少しばかり息苦しい生活ではあったけれど、決してこんな重荷を背負ってはいなかった。

 そんなフィンの心を代弁するかのように、レーナがマックに歩み寄り、そっと抱きしめた。マックは驚きに目を見開き、赤面しながらもおずおずと抱擁を返す。レーナの肩に顔を埋めた時には、その両目に涙が溜まっていた。

 ややあって、そっとレーナが腕をほどくと、マックは照れ臭そうに手の甲で目をこすった。

「……あ、あのさ」

 ごまかすように、たどたどしく言葉を押し出す。レーナが小首を傾げてマックの顔を覗きこむと、彼は慌てて視線をフィンに向けた。

「レーナが精霊なんだったら、この辺の地面、ちょっと乾かすとか出来ないかな。チビどもが風邪ひいたら大変だからさ」

「ごめんなさい。そういうことは出来ないの」

 申し訳なさそうにレーナが答えた。マックはどぎまぎした様子で、別にいいんだけど、とかなんとかごにょごにょ言う。レーナは寂しそうに微笑んだ。

「そういう力は封じられているから。でも、地面は乾かせないけど、あの子たちが風邪を引かないようにするぐらいは出来るわ。そのぐらいの力は、あの子たち皆、本来備えているものだから」

 言いながらもうレーナは両腕を広げ、漠然と野営地全体を包み込むような仕草をする。同時にフィンとマックは、自分の体が少し温かくなった気がして目をしばたいた。

「これで大丈夫」

 レーナがにこりとしたので、マックはもごもごと礼を言い、それからふと思いついたように問うた。

「封じられてるって言ったよね。それ、解けないのかい? 昔話で、洞窟に閉じ込められていた精霊を助けた旅人の話とかは聞いたことあるけど」

 言われて初めてフィンも気付き、レーナを見る。両親がかけた封印だというなら、悪い魔法使いに閉じ込められた精霊よりも、助けるのは簡単なような気がした。が、レーナは小さく首を振った。

「封印を解く方法が、ないわけじゃないけど……私は望まない。とても……とても大きな犠牲を、必要とするから。だから、このままでいいの」

「でも」

 食い下がろうとしたマックを、フィンが制した。

「よせ、マック。レーナの封印が解けて助かるのは、俺たちだけだ。彼女自身が望んでいないことを強いるのは、大昔の人間と同じ過ちを犯すことになるぞ」

 諭されてもマックはまだ不満顔だった。封じられている、と聞けば反射的に、解放することが善いことだと考えてしまいがちだ。とりわけそれが精霊とあらば。だが何かを成すのに代償がまったく無いということはない。時にはそれを天秤にかけ、そして諦めることが必要にもなる。

 マックはそこまでは考え至らないようだったが、それでも、不承不承「分かったよ」と引き下がった。

「さて、と」

 こほんと咳払いして、フィンは地図を取り出した。

「明日はどこまで行けるかな。今日は結局、ほとんど進めなかったが」

 レーナの放つほのかな光が、地図を照らす。フィンの手元を覗き込んで、レーナは地図を指でなぞった。回り道をしたとは言え、既にテトナからウィネアまでの道程を半分以上はこなした。今は少し北の方から、ウィネアに回り込もうとしているところだ。

「今は、ここね。明日進めるとしたら……」

 レーナはふと眉を寄せ、背伸びをして周囲を見回した。いつもより時間をかけて目を凝らしているようなので、フィンも不安になって眉を寄せる。

「何かいるのか?」

「ええ……この先は、難しいわ」

 レーナは地図に目を戻し、指をつと動かした。

「ここから南西に進んでウィネアを目指すと、街道に近付くことになって……この辺りには闇の眷属がいるわ。多分、あちこち見回っていると思うの。でも、まっすぐ西に進んでウィネアの真北か西側まで移動してから入ろうと思ったら、そこには人間がいる」

「どのぐらい?」

「よく分からないけど、十人か二十人ぐらい。移動してるみたい。昨日見た時は、ここにはいなかったもの」

 レーナの言葉に、フィンとマックは顔を見合わせた。

「俺たちと同じなんじゃないかな」マックが自信なさげに言う。

「だったらいいんだが、この雨の中を移動して来たのなら、よほど体力があるか、馬や幌馬車に乗っているかだろう。同じ境遇とは言えない気がする」

 フィンは唸り、地図を睨んだ。しかしどれほど視線に力を込めたところで、第三の道が現れることはない。いずれかを選ばなければならないのだ。闇の獣か、正体不明の人間たちか。もちろん、後者に決まっている。

「祈るしかないな」

 フィンはつぶやき、地図を畳んだ。それから顔を上げると、レーナとマックが揃って心配そうに彼を見つめていた。フィンは目をしばたたき、苦笑する。

「そんな顔をしないでくれよ、二人とも。どのみち、俺たちに選択肢は残されていないんだ。空を飛ぶか地面の下を潜って行けるなら別だが、この顔ぶれで進むなら、北側からウィネアを目指すしかない」

 フィンの言葉に、マックも無言でうなずく。フィンは自分を励ますように続けた。

「闇の獣とは到底戦えないが、相手が人間なら……たとえ山賊でも、俺たちから奪える物なんて何もないんだし、交渉すれば見逃してもらえるかもしれない。あるいは単に俺たちと同じ難民で、こんな話は取り越し苦労に終わるかもしれない。さあマック、おまえはもう寝ろよ」

 そこまで言って、彼は不意に冗談を思いついた。

「寝る子は育つって言うだろう。それとも、そのまま背が伸びなくてもいいか?」

「なっ……、寝るよ! 朝にはあんたを追い越してやるからな!」

 途端にマックはむきになって言い、憤然と背を向ける。そりゃ楽しみだ、とからかうフィンの声を無視して、彼は野営地に戻ると倒れるように横たわった。

 フィンがくすくす笑っていると、横でレーナも楽しそうに笑みを広げた。

「フィンはもう背が伸びなくていいの?」

「うーん、もう少し伸びて欲しいかな。だが無理に眠らなくても、いつもと同じで足りるだろう」

 フィンはおどけて言い、地図をポケットにしまう。そこでふと気付いて、彼はレーナを見た。

「君は眠らないのか?」

「私は昼間、眠っているもの」可笑しそうにレーナは答えた。「起きていられるほど、昼間の地上は静かじゃないから。人の思いが澱んでいて、とても無理」

「……そうか。残念だな」

「なぁに?」

「君は青空を見られないのかと思って。晴れた日はこの辺りも、気持ちのいい場所だよ。……ナナイスの海を見せたかったな。水平線まで、本当に何にもないんだ。光が波に反射して眩しいぐらいで、陽射しの加減で青や緑に色が変わるんだ。波打ち際は水がほとんど透明で、小魚の腹が時々光って」

 聞かせるために語っていたはずが、気付くとすっかり思い出に耽っていた。懐かしい光景が鮮やかによみがえり、今まさに故郷の海にいるように思えた。

 否、フィンの意識は確かに過去のナナイスに立っていた。季節ごとに移り変わる海の顔を見ながら過ごした日々、光に溢れたかつての世界に。そして、傍らにレーナが立っていることを意識した。

 寄せては返す波の音、ウミネコの声。澄んだ空と、太陽を映して輝く海原。

 同じ景色を、彼女も見ている。

(――でも、これは現実じゃない)

 身を切られるような痛みと共に目を閉じる。再び瞼を上げると、そこは雨に濡れそぼつ夜の木立だった。隣にいるレーナだけが、幻の中と変わらない。

「私にも見えたわ」

 レーナがささやき、フィンの目を見つめた。

「あなたの大好きな景色。あなたの瞳は、きっと今もあの海を映しているのね」

 柔らかな指が頬に触れる。郷愁の重みに耐え切れず、フィンは目を閉じて、レーナの額にこつんと自分の額を預けた。

「フィン、あの海はあなたの中にあるわ。それは決して消えてしまわないの。決して」

 ささやくレーナの声が、耳にとても優しかった。


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