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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
178/209

7-7. 告白


 風に乗って小糠雨が舞う中、白い竜の巨体が広場に降りると、濡れるのにも構わず人々が集まってきた。

 一番に駆けつけたファウナが、ネリスに毛布を被せて雨から庇う。フィンはマックとネリスが地面に立つのを確かめてから自分も降りたが、同時に、心身に満ちる光を出来る限り覆い隠すよう意識した。

 だがファウナは、フィンが絆を結んだ日にそうであったように、息子の変化にすぐ気付いた。ネリスの髪を拭きながら顔を上げ、次はフィンの世話を焼こうとして――そのまま、動きを止める。

 祭司の目を持っているわけでもないのに、ネリスと同じ反応だ。フィンは目礼で彼女が気付いたことを肯定したものの、今度は素早く口を開いた。ファウナにまで殴られては、かなわない。

「ただいま、……母さん」

 流石に少し照れくさくて、言葉がつかえる。それでも、ファウナの表情を緩めるだけの効力はあった。

「お帰りなさい」

 柔らかな笑みを広げると、ファウナは手を伸ばして、息子の前髪から滴る雨粒を払ってやった。

「さあさあ、突っ立ってないで屋根の下に入りなさいな。それとも、皆をずぶ濡れにしてでも今すぐ言わないといけない事があるの?」

「あ、いえ、今すぐでは……ないんですが。でも、そうですね、議事堂に集まるよう、皆に知らせて貰えますか」

 言葉の後半は、周囲に向けたものだった。人々は顔を見合わせてざわついたが、それぞれ親しい者を呼びに、ばらばらと散っていく。

 入れ違いに出てきたオアンドゥスが、なんだなんだ、という顔をした。

「フィニアス! 無事に帰って来たか、良かった。あれは何の騒ぎだ?」

「大事な知らせがあるんです。父さんも、議事堂に来て下さい」

 フィンは答えながら、市庁舎に向かって歩き出す。オアンドゥスが慌ててその後を追いかけた。

「母さんも来て」

 ネリスがファウナの袖を引く。そうね、とファウナは答えたが、すぐには動かなかった。フィンが振り向かないのを確かめてから、両手を広げ、マックとネリスの二人をまとめてぎゅっと抱き寄せる。

「二人とも……ありがとう」

 感謝の声は、小さくかすれていた。

「あの子を連れ帰ってくれて、本当に、ありがとう」

「おばさん……」

 マックは慰めるように抱擁を返してから、ちょっと苦笑まじりに言った。

「連れ戻したのはネリスだよ。俺はなんにも出来なかった。兄貴がどうなっても、ついて行くとは決めていたけど……連れ戻そうってことは、考えつかなかったんだ。ネリスがいてくれて良かったよ」

「別にあたしは、そんなつもりじゃなかったんだけどね」

 ネリスはいつもの癖で、嫌そうな顔をして己の本心を否定する。

「ただ無性に腹が立ったから、ぶん殴ってやっただけで」

「ぶん殴った? ネリス、あなたって子は……」

「いいから早く行こうよ、母さんまで濡れちゃう」

 引っ張られて、ファウナはやれやれと頭を振りながら歩き出す。結婚して少しは大人しくなるかと思ったのだが、儚い望みだったようだ。

 ともあれしばしの後、議事堂にはほとんどすべての市民が集まっていた。竜侯の帰還を喜びながらも、何の知らせかと不安にざわついている。

 フィンは演壇に立つと、一同が静まるのを待って、ゆっくり切り出した。

「重大な知らせです、落ち着いて聞いて下さい。……本国の皇帝と評議会は、山脈の北側すべての土地を放棄すると決定しました」

 一呼吸の静寂。そして、どよめき。寝耳に水の知らせを受け、フェンタスやクヴェリスも目を丸くしている。フィンは怒涛の質問が押し寄せる前に、手を上げて場を静めた。

「これからは、ここはもう帝国の領土ではありません。監査官は来ないし、徴税人も来ない。本国側の戦に徴兵されることもない。その代わり、もう交付金は入ってこないし、水道や街道の保守も、凶作に備えた穀物の備蓄や買い付け先の確保も、治安維持も、何もかも自分達でやらなければならない。そういうことです」

「ウィネアも同じなのかね?」

 ざわめきの中、フェンタスが手を挙げて問う。フィンはうなずいた。

「はい。コムリスとウィネアにも知らせを届けました。彼らのところも事情は同じです。アンシウス司令官は、聞くなり大喜びでシムルス監査官を追い出していましたよ。あんな嬉しそうな顔を見たのは初めてです」

 フィンはおどけて肩を竦める。以前の襲来で嫌な目に遭った者は、ことごとくにんまりした。監査官も少しは役に立つというわけだ。フィンは場の緊張がほぐれたのを見て取り、話をさらに続けた。

「コムリスとウィネアには元々軍団が駐屯していますから、治安維持の面でも労働力の面でも不安はないようです。帝国の軍団としては解体されますが、本国側に帰って年金を貰える人は少ないだろうから、実質ほぼそのまま各都市の軍団に移行するでしょう。市議会と軍団との間で調整して、都市国家として自治を行う方針だと聞かされました。周辺の農村などももちろん、彼らが世話を見てくれます。それで……当面、両者とも、軍事行動は起こさないと約束してくれました」

「ナナイスに干渉はしないと見て良いのでしょうか?」

 クヴェリスが不安げに確認する。フィンは「今のところは」と正直に答えた。

「新しい体制を整え定着させるのが先で、北部に王国を築くところまでは、手が回らないでしょう。その気になったとしても、ナナイスまで支配しようとはしない、と思います。実は軍団兵が一部、こちらに向かっています。いえ、進軍ではなく、天竜隊に加わりたいと言って」

 ほう、とプラストが声を漏らした。物好きな、と言いたげな声音だ。マックが横から自慢げに補足した。

「コムリスにもウィネアにも、天竜侯に助けられた恩を忘れていない人が結構いるんだよ。それに本国に見捨てられたってことは、帝国法の制約も受けないってことだから。軍団を定年前に辞めても、罰せられることはないからね」

 その説明に、フィンは苦笑いするしかなかった。実際には以前の法を少し書き換えるだけでそのまま使うだろうから、各自が勝手に個人都合で辞職するのは合法ではないだろう。だが今なら混乱しているから、どさくさに紛れて軍団を離れられる、というわけだ。

 むろん、フィンに対する恩義というのも確かにあるだろう。だが、いつ潰れてもおかしくない組織に、馬鹿正直に縛られている必要はない、という心情が背中を押したのが本当のところではあるまいか。

 ともあれフィンはそのことは口にせず、プラストに向かって言った。

「彼らが来てくれたら、東部の復興も進むだろうし、南の方も、安全な土地をもっと広げられるかもしれない。その辺りのことは、お任せします。……ところで、ヴァルト隊長は? まだ東部ですか」

「ああ。一度も戻って来んよ。向こうで後家さんと良い仲になったらしくてな」

「……は?」

「結婚するつもりだとか、この前の補給部隊が伝言を持ってきた。東部司令官だか、守護職だか、適当な肩書きをつけてあっちに定住させてやるべきだろうな」

 プラストはあくまで淡々と言う。その後ろでいつもの如く、エウォーレスとエウゲニスの双子が「いいなー」の二重唱。フィンが絶句している間に、クヴェリスがふむと考えるそぶりで口を挟む。

「そうなると我々の“領土”は、それなりの広さを持つことになりますな。今後どう自治を進めるにしても、ナナイス一都市だけ、という考えでは不都合が生じる。もう少し幅の広い国家としての体裁を整える必要があるでしょう」

 そう言って彼は、意味深長なまなざしをフィンに注いだ。多くの目が、同じ期待を込めてフィンに集まる。

 ぽかんとしていたフィンは我に返ると、ぎょっとなって一同を見回した。まさか、本気なのだろうか。本気でこの人々は、自分を主に戴こうとしているのか?

(……どうやら、そうみたいだ)

 竜の視力に頼るまでもなく、どの顔も明らかに、さも当然とばかり新しい元首の誕生を待っている。フィンは眉間を揉んで頭痛を堪え、ひとつ息をついてから顔を上げた。

「だとしても、その元首の座に就くのは私ではありません」

 きっぱりと言い切る。ええっ、とこぼれた不満の声を無視して、フィンは力強く続けた。

「確かに私は竜侯です。貴族の肩書きも一応あります。これからもナナイスを守っていきたいし、皆さんが望むなら、今までそうだったように、代表として他所との交渉に出向くぐらいはやりましょう。でも、ナナイスを支配し、政治を動かしていくつもりはありません」

「フィニアス、そう警戒しなくても良いだろう」オアンドゥスがなだめた。「何もおまえに、独裁者になれと言っているんじゃない。国王でも皇帝でも何でもいいが、そういう座に相応しい誰かが必要だってだけの話だ」

「だったらそれは父さんの方が適任です」

「おいおい、止せよ……」

「冗談でも謙遜でもありません」

 フィンは首を振り、沈痛な表情になった。言いたくはなかったが、言わなければならない。今、ここではっきりさせておかなければ。

「分かって下さい。俺は竜侯で、普通の人間とは違う。ただの粉屋の息子だと言ってきたし、今でもそうありたいと願っていますが……でも、違うんです。俺にはもう、普通の人間がどんなものだったか思い出せない。記憶はあっても、実感がない。遠くまで見通せる視力も空を翔る翼もない、暑さに倒れ寒さに凍える、その感覚が、もう思い出せないんです。そんな人間が……いえ、そんな竜侯が、人の上に立ってはいけない。だから、俺は決して、王にも皇帝にもなりません。……どうか、分かって下さい」

 震える声が、静まり返った議事堂に響く。

 たまりかねたオアンドゥスが、公衆の面前にもかかわらず、息子を引き寄せて抱きしめた。フィンは全身をこわばらせたまま、身じろぎもしない。

「すまなかった、フィニアス。……本当に、すまん。許してくれ」

 オアンドゥスが小声で詫びると、フィンは微かに首を振った。許さねばならない事など何もない、と言うように。


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