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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
173/209

7-2. 月日の末に


「――!?」

 竜侯でない全員がぎょっとなった。エレシアとフィンも、表情に驚きを浮かべる。竜の精神と触れ合う時に己の意識が多少『あちら側』へ入っている感覚はあったが、さすがに天界そのものにお邪魔したことはない。

 一呼吸置いて、フィンはレーナを通じてウティアの意図を理解した。

「つまり……意識だけで、ということですね」

 念のため、口に出して確認する。ウティアはあっさりうなずいた。横から青霧がいつもの落ち着き払った態度で言い添える。

「俺の相棒は闇だから、あれと直面しても多少のごまかしがきく。闇に隠れて侵入すれば、いきなり取って喰われることはあるまい」

「私が件の男の意識を過去へ引き戻そう」ウティアが続けた。「既に飢えそのものと深く結びついたものを、消し去るのは流石に無理だ。その男の残った自我が有する過去の出来事の記憶と、それに伴う感情とを、少しずつ作り変えてゆけば……最終的に、その男もただの犠牲者の一人になるはずだ」

「…………」

 フィンは絶句し、聞かされたことの意味を咀嚼しようと頭を忙しく働かせた。そんなことが可能だとは、今までの――人間としての、自分の常識からは、到底思えない。だが。

 無意識に目をそらし、ファーネインを見やる。明らかに年齢が一致しない、なのに確かにあの少女だと感じられるのは、ウティアが彼女の時間を細工したからなのだろう。

「記憶を作り変えるのは、フィニアス、エレシア、そなたらの仕事だ」

 不意にウティアに言われ、二人は目を丸くした。

「どうやって――」

 エレシアは性急に言いかけたが、ゲンシャスの意識に触れられて言葉を飲み込んだ。フィンの心にも、レーナの声が届く。

〈大丈夫。今までにやったのと、同じことよ〉

 人々の精神に光を注いできたのと、原理としては同じことだ、と。

 セナト侯が経験した出来事そのものを変えられずとも、その時に抱いた感情を少し操作することは出来る。恨みや憎しみや怒りを増大させるのではなく、絶望を抱かせるのではなく。そこに一筋の光を差し込ませてやるのだ。ひとつひとつ、転機となった出来事すべてについて。

〈大変そうだな。でも、やるしかないか〉

〈ええ。私達だけじゃないから、きっと大丈夫よ〉

 レーナの暖かさがふわりと全身を包んでくれた。フィンはうなずき、理解と承諾のしるしに、ウティアと青霧に目礼する。

 ウティアは二人の若い竜侯が納得したのを見ると、「では」と初めてヴァリスに目を向けた。

「皇帝よ、我らが失敗した場合に備え、人々を海へ逃がす船を用意するが良い。ルフス、そなたは既に大森林に避難している人々を、さらに奥地へ移動させる準備をしておくように」

 淡々と下された命令に、異を唱えられる者はいなかった。

 ヴァリスはただ畏まり、無言で頭を下げた。ディアティウスの命運を委ねる決意と共に。


 すぐにも退去しようとしたヴァリスとルフスを、ウティアは意外にも引き留めた。

 急がずとも時間はある、せっかく来たのだから一休みしてから行動にかかるが良い。そう言って彼女がファーネインに手を振ると、じきに木々の間から小人族が現れ、食事を運んで平岩の上に並べ始めた。もちろんファーネインもそれを手伝っている。

 フィンは客分扱いにいたたまれず、思わず立ち上がって、何か運びましょうか、などと言ってしまい、小人族の女に大笑いされてしまった。

「ファーネイン、あんたの『フィン兄さん』は面白い人だねぇ」

「フィン兄さんは優しいのよ。そんなに笑わないで」

 たしなめるファーネイン本人も笑い出しそうなのだが、こちらはなんとか堪えている。フィンは二人のやりとりに、安堵と申し訳なさのあいまった気分を抱いた。

「ファーネイン」数年ぶりに呼ぶ名前だ。「元気そうだな……良かった」

「色んな人のおかげよ」

 ファーネインは穏やかに答え、果物の皿を置いてから、フィンとセナトに歩み寄った。

 姿勢を正し、改まってお辞儀する。

「フィン兄さん、……セナト様。お久しぶりです。親切にして下さったこと、忘れていません。こうして今、笑えるようになったのも……あなたのおかげです」

 言葉の後半から、ファーネインはセナトだけを見つめていた。おや、とフィンはそれに気付き、目をしばたく。ここは外すべきだろうか、と迷ったが、きっかけがつかめなかった。

 セナトもまた、彫像よろしく固まってしまっていた。大森林を訪うと決まった時、密かにあの小さな女の子のことを思い出しはしたが、まさかこんな形で再会しようとは。少女のままであったなら、久しぶりだね、僕のこと覚えてるかい、ぐらいは普通に言えただろうに。いきなり年上のお姉さんになってしまったのでは、何をどうして良いやら、頭が真っ白になって考えることも出来ない。

 フィンはそんなセナトに助け舟を出すべく、自然な態度を装って会話をつなげた。

「タズやニクス達から話は聞いたよ。ファーネイン、よく頑張ったな」

 言って、いつもの癖で頭を撫でてやろうと手を伸ばす。と、一瞬、ファーネインがびくっと竦んだ。フィンが宙で手を止めると、彼女はいくらか緊張した表情で、大丈夫と言うように微笑んだ。

 フィンはうなずきを返すと、慎重な動作で、ファーネインの頭にそっと手を置いた。

「……偉いな」

 ぽんぽん、と、ごく軽く触れる。ファーネインは双眸に涙を浮かべたが、唇をきゅっと結んで笑みを作って見せた。そしてフィンが手を引こうとすると、自らその手を取り、両手で包み込んだ。この手は大丈夫、安全だ、と確かめるように。しばらくそうしてから、彼女は顔を上げ、今度は自然に微笑んだ。

「ありがとう、フィン兄さん」

 声を出したはずみに、涙が一粒こぼれ落ちる。もはや感情を隠せず、ファーネインは片手で口元を押さえ、ぽろぽろ泣き出した。だがそれは、悲しみのゆえではなく安堵の涙だった。

 今度はセナトが、恐る恐る手を伸ばす。涙に揺れる細い肩を、彼は優しくさすってやった。それ以上の接触はいけないような気がして、てのひらに思いの丈を託して。

「あり……が、っ、ありがとう、ございま……す」

 ファーネインはしゃくりあげながら、何度も礼を言った。昔ならばしがみついて泣きじゃくったであろう、その代わりとばかりに。

 しばらくかかって彼女が落ち着いた頃には、セナトもいくらか状況に順応していた。

「でも、驚いたよ。あんなに小さかったのに、まさか……僕より背が高いなんて?」

 言葉の途中で気付き、セナトは打ちのめされたように一歩下がった。並んで身長を比較したくなかったのだろう。フィンはふきだしかけたのを危ういところで堪え、とりなした。

「少しですが、殿下の方が高いですよ。殿下はまだこれから伸びるでしょうから、追い越される心配はないでしょう」

 セナトはあからさまにホッとして、元の位置に戻る。ファーネインが笑うと、セナトは少し気を悪くしたような顔を見せた。

「笑い事じゃないよ。ただでさえ自分があんまり子供でうんざりしているのに、背丈まで置いてきぼりを食わされたら、立場がないじゃないか」

「そんな」ファーネインは首を振った。「セナト様はご立派です。私はただ……どうしても、あなたにお会いする時には、ちゃんとお顔を見てお話ししたかったから。ウティア様にお願いして、無理を聞いて頂いたんです」

 言いながら、恥ずかしそうに目を伏せる。もじもじ袖を弄り回している姿は幼いようにも見えるが、しかし昔のファーネインならしなかった仕草だ。

 フィンはこほんと咳払いした。やはり自分は完全にお邪魔虫だ。

「すまないが、ひとつだけ確認させてくれ。ファーネイン、つまり君は……意識だけが体よりも時間を先に進んだんだな?」

 体の方も通常より早く成長したのは明らかだが、フィンの目には、それにもそぐわない精神の色彩が見えている。予想通り、ファーネインはうなずいた。

「ええ。ウティア様の……オルグの竜は、そういうことが出来るんです。私が人と普通に話せるぐらいになるには、それだけの時間が必要だったから。まだちょっと、男の人は怖いけど。でも今の私は、小さい子供じゃないから、それだけでも大分、楽なの」

「……そうか。もう、大丈夫なんだな」

 しっかり自分で立っていられる、よろけそうになっても支えてくれる人がいる。そうなんだな、と言葉にせず問いかけたフィンに、ファーネインはにっこりしてうなずいた。その笑みが、ようやくフィンの肩からひとつ重荷を下ろしてくれた。

 フィンはほっと息をつき、またファーネインの頭をぽんと撫でた。

「良かった。それなら俺も安心だ。ウティア様にお礼を言ってくるよ」

 うまい具合に口実も見付かったので、フィンはさり気なくそう言って、二人の前から立ち去った。

 竜侯同士の話をしに行くフィンを見送り、セナトは複雑な顔になった。

「僕もあのぐらい、大人になれたらな。竜侯に当惑させられたり、魔術師に疑心暗鬼になったり、……君を相手にすっかり上がってしまうことも、ないだろうに」

「セナト様……」

 今度はファーネインの方が、返す言葉に困って赤面する。彼女が話をそらせようとして、セナトの視線の先、フィンのいる方を見やったと同時に、

「うわっ!」

 まるで誰かが仕組んだかのように、フィンが木の根につまずいて盛大につんのめった。大きく数歩、とっとっ、とたたらを踏み、危うくウティアに衝突しかける。

 際どいところで青霧に助けられ、フィンは真っ赤になって恐縮していた。

「……大人……?」

「だと思うけど」

 一抹の不安を滲ませたファーネインに、セナトは自信なさげな答えを返す。

 二人はどちらからともなく顔を見合わせると、揃ってふきだし、くすくす笑い出したのだった。


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