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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
163/209

5-6. 魂を喰われた者


 予想通り、議場は怒号と混乱の渦に呑まれた。

 有無を言わせぬ緊急の召集に、あるいは何事かと慌て、あるいは不快を隠さず渋りながら、それでも決議に必要な人数はすぐに集まった。不審げなざわめきは、守備隊が議場の扉をひとつずつ閉めていくにつれて、不安のささやきに変わる。そして、フェルシウスが輿から億劫げに降り、取り巻きに見守られて議場に入った直後――嵐が起こった。

「フェルシウス議員、国家反逆罪で逮捕する!」

 カリュクスの厳しい宣言に続き、兵士が素早く動いた。従者や取り巻きの議員を槍で追い払い、抵抗の隙を与えず、フェルシウスの腕を掴んで後ろ手に縛り上げる。同時に、最後まで開いていた正面扉が荒々しく閉じられた。

「何をするかッ!!」

「おのれ、謀ったな!?」

 フェルシウスとその徒党のみならず、突然の暴力に驚いた議員らが、口々に抗議の怒声を上げる。だが、誰もフェルシウスを助けには行けなかった。議場に配置された兵士が、席を立ちかけた者に容赦なく槍を向けたのだ。わずかでも口を開こうものなら突き刺すぞとばかり、穂先を顔の前まで近付けさえして。

 さすがに怒りと憤懣の声も飲み込まれ、騒ぎは次第に緊張に満ちた静寂に取って代わられてゆく。

 だがむろん、フェルシウスは黙っていなかった。議場の中央、座席と演壇に囲まれた空間に引き出され、出番を得た舞台俳優のように声を張り上げる。通常そこに立たされるのは、問責や弾劾を受けて答弁する“被告”であるのだが、彼はそこから壇上の皇帝を攻撃した。

「なんという専横だ!! 竜侯会議に続いて、ついに評議会までも潰すというのだな、皇帝よ! 帝国を我が物とし、意のままに弄ぶ為ならば、民主政治を殺すことをも厭わぬのか、恥知らずめ! 議員諸君、力に任せたこのような暴虐を、拱手して見ているだけなのか!! 次は諸君が刑場へ引っ立てられるのだぞ!」

 唾を飛ばして喚き立てるフェルシウスに、ヴァリスは冷ややかな目をくれた。

「帝国を意のままに弄んでいるのはそなたであろう、フェルシウス。評議員の過半数を買収や脅迫で抱き込み、議会を形骸化させ、己の欲を満たす策ばかりを強引に押し通してきたではないか。挙句、とうとうナクテ竜侯と手を結び、この都を彼の手に引き渡そうと画策した。かほどの裏切りを見過ごすほど、私の目は曇っておらぬぞ」

 そこでヴァリスは議席に目を向け、動揺を浮かべた議員らの顔を見回した。

「どうせ次の議会で、もっともらしい理由をつけて第四軍団が皇都を通ってノルニコムへ進軍することを、可決させるつもりだったのだろう。既に根回しを受けた議員もいるようだな。それが何を意味するか本当に理解した上で、承諾した者がいるとしたら、同じく逮捕させねばならぬが……さて、命じる必要があるだろうか」

 皇帝の視線の先で、そわそわと目をそらしうつむく議員が続出する。ヴァリスは内心、彼らの愚かさに慨嘆しつつ、フェルシウスに目を戻して続けた。

「議員、そなたは我が家の使用人を買収して逐一邸内の動きを報告させていたな。彼は有用だったか? 我々にとっても、多少の役には立ってくれたが」

「根も葉もない虚言を、よくも白々しい! 侮辱だ、濡れ衣だ! 騙されるな、諸君! 奴は我々、市民の代弁者をこけにし、抹殺するつもりだぞ。見よ、現に守備隊の力を振りかざして我々をねじ伏せ黙らせ、正当な裁判すら開かせず私を葬ろ、うっ……ごほっごほっ!」

 フェルシウスは顔を赤黒くして怒鳴ったが、勢い込みすぎて胸を詰まらせた。ヴァリスは黙ってそれを見下ろし、彼の呼吸がおさまるまで待ってやったが、医者を呼べとは命じなかった。

「勘違いしているようだな、フェルシウス。グラウスが不在であっても、皇都守備隊は果たすべき務めを弁えている。そして私も“皇帝の番犬”ほど強くはないにせよ、まだ牙は残っているし、使いどころも知っている。諦めろ、そなたの主の思い通りにはさせぬ」

 言って彼は、滅多に見せない好戦的な笑みを浮かべた。今なら挑発すれば簡単にぼろを出す、そう見越しての笑みだった。

 二人の舌戦を、フィンは演壇の脇に控えたままじっと見守っていた。すべての扉が閉ざされた議場は天窓からの明かりしかなく、薄暗い。フィンの姿は議員達から見て、巨大な円柱の陰に紛れていた。

 フェルシウスの声が激しさを増すと、フィンも緊張し、身構える。フィンの目には、フェルシウスを覆う濃い灰色の影が見えていた。ほかにも薄い影を帯びている者はいたが、危険だとまで感じられるのはフェルシウス一人だ。

 皇帝に挑発されたフェルシウスが、怒りに身を震わせる。と、

〈フィン、あの人は怖い〉

 レーナの恐れが伝わり、フィンは険しい目つきになった。声が届くと同時に、フェルシウスの中心に穿たれた穴がはっきり露顕したのだ。

(まずい)

 フィンは込み上げる嫌悪と恐怖を抑えながら、用心深く一歩踏み出した。

 議員の精神の色は既にすっかり薄くなり、灰色の影の周縁部に怒りや憎しみの色だけが残っている。中心は……見えない。そこに何もないから、見ようとしても見えない。

 だが、それがフェルシウスの魂を蝕んでいるのは明らかだった。

 フィンの脳裏に、数年前の記憶がよみがえった。ニクスとオリアを探していた頃、立ち寄ったナクテ領主館でセナト侯と相対した日の記憶が。

(あの時に、もう兆しは現れていたんだ)

 狂おしいまでの切望、力を求めて伸ばされた見えない手。深い絶望の淵。あの頃、セナト侯の内に、“飢え”は既に入り込んでいたのだ。今また、同じものがフェルシウスを虜にし、宿主の精神と活力を奪い去っている。セナト侯よりもはるかに容易く。

 フィンの足音に気付いたのか、それとも凝視する気配を感じ取ったのか、フェルシウスが不意にハッとなった。皇帝に向けていた憎悪の視線を外し、薄暗がりに立つ青年をはったと見据える。目は限界まで見開かれ、狂気を宿していた。

「お……お、お……」

 フェルシウスは何事か言おうと唇をわななかせたが、声は出なかった。まるで呼吸を止められてしまい、肺に残るわずかな空気をかき集めているかのように、首まで赤くなって何度も微かな息を漏らす。

 いまだしっかりと彼を取り押さえているカリュクスが、流石に不安げな表情になった。ここで発作を起こして死なれでもしたら、寝覚めが悪い。眉をひそめ、皇帝の命令を求めて顔を上げる。

 その瞬間、

「寄越セエェェェェ!!!」

 およそ人間のものとは思われぬ金切り声が、フェルシウスの喉を裂いて飛び出した。見えない鎌で切りつけられたように、カリュクスが怯む。その隙にフェルシウスは、猛然と駆け出していた。両手を背中で縛られたまま、つんのめるように、しかし決して転びはせず――

「あっ!!」

 カリュクスは思わず叫びを上げた。彼のみならず、ヴァリスも、多くの議員や兵士達も。

 彼らの目にも、ほんの刹那、奇怪な光景が映ったのだ。

 フェルシウスの体が突然実体をなくし、黒い影だけになって、破裂するがごとく四方八方へ広がった。直後、鞘から抜かれたフェーレンダインが輝き、白い星屑を撒き散らしながら、影をまっぷたつに切り裂く。

 ドサッ……

 重い音が議場に響いた。だがカリュクスは、それが人間の倒れた音だとは思わなかった。古い土嚢が落ちて崩れた、無意識にそう考えながら茫然とする。

 しばし誰もが身じろぎひとつせず、ため息さえも聞かれない静寂が続いた。

 フィンは皆が凍りついている間に、しゃがんでフェルシウスの瞼を下ろしてやった。そして、小さく祈りの言葉をつぶやく。

(闇の神ナルーグよ、わずかに残ったこの男の魂を迎え入れ、安らがせて下さい)

 剣を振るった直後、フィンは一瞬だけ、フェルシウスの顔を安堵がよぎるのを確かに見た。虚無の穴にすべてを食い尽くされる前に、ごくわずかだけでも逃れることが出来た、これでもう苦しまなくて済む――そんな風に見える表情だった。

〈俺は間に合ったのかな〉

〈ええ、きっと。少しだけ〉

 レーナの返事はひどく悲しげで、痛々しい。フィンは意識の中で彼女の頭を撫でてやりながら、ゆっくり立ち上がった。

 それでもまだ、口を開く者はいない。今しがた目にした光景が信じられない様子で、誰もが愕然とし、恐ろしげな目でフィンを凝視している。ヴァリスやイスレヴでさえ、畏怖めいた気配を漂わせていた。

 フィンは一人一人の顔を順に見てから、ゆっくり切り出した。

「驚かせて、申し訳ありません」

 いつもと変わらぬその口調に、ヴァリスとイスレヴが表情を緩める。フィンは彼らにうなずきかけ、事前に打ち合わせた建前と矛盾しないよう考えながら続けた。

「ご覧の通り、フェルシウス議員は狂気に憑かれていました。皆さんにも何かが見えたようですが……私は以前、セナト侯にも同じ狂気の兆しを見たことがあります。その時は、それほど重大な事とは思いませんでしたが、間違っていました。今や彼の狂気は第四軍団を巻き込んで、この皇都を目指しています。ルフス軍団長と少数の兵が逃げ出し、知らせをもたらしてくれました」

 そこまで言うと、フィンは皇帝に目顔で先を託した。ヴァリスが咳払いし、議員らの注意を向けさせる。

「彼の要求は皇都の明け渡しだ。以前からナクテ竜侯が皇帝の座を窺っていたことは、諸君らも知っていよう。小セナトを後継者とすることで、彼も落ち着いたように思われていたが、どうやら我が養子の今の姿は彼の望みとは異なったらしい。東の反乱に乗じ、グラウス将軍不在の間に、それこそ力ずくで帝国を手に入れることに決めたようだ」

 ヴァリスはちらっと冷笑を浮かべ、フェルシウスの骸を一瞥した。慌ててカリュクスが部下に指示し、遺体を片付けさせる。血と死の臭いに、前の方にいる議員らが顔をしかめて口元を覆った。

「残念だが諸君、今の皇都には立て籠もって抗戦できる兵力がない。東部に派遣した軍団は呼び戻せぬし、どこからも援軍は来ない。よって、皇都市民を全員、一時退去させる」

 ヴァリスが言った途端、直前の騒動を忘れたかのように、場がどよめいた。大半の議員が腰を浮かせ、身を乗り出して声を上げる。無茶苦茶な、乱暴だ、非現実的だ、あれこれあれこれ。

 ヴァリスはしばらく彼らに叫びたいだけ叫ばせておき、自身は無言で、血の跡に砂を撒く兵士を眺めていた。

 ややあって驚きと非難の嵐がおさまり、不満のざわめき程度になると、イスレヴがおもむろに手を挙げて発言した。

「ナクテ竜侯に憎まれている方々は逃げる準備をした方が良いとしても、まずは交渉すべきではありませんかな?」

「その通りだ」ヴァリスはうなずいた。「交渉している時間があり、使節を務められる人物がいれば、そしてまた相手に聞く耳と理性があれば、の話だがな。最前のフェルシウスを見るに、今となってはセナト侯が交渉に応じるとは思えぬ」

 推測に基づく断言だが、異議を唱える者はいなかった。フェルシウスの豹変と末期は衝撃的で、あれと同じだと言われるともう、何の反論も出来なかったのだ。

「しかし、市民全員を退去させるとなったら、受け入れ先の準備も必要です。市民らにも仕事があり、いつまでになるか分からぬ避難生活を納得させるのは難しいかと」

「受け入れ先については、幸か不幸か先日の櫂船競争の知らせが役に立つだろう。既に川下の町では準備が始まっているはずだ。オルドスから船で沿岸諸市に分散させれば、一箇所に集中することはない。臨時の食糧輸送も既に準備中だ。市民の理解は得られまいが、逃げろと言うほかあるまい。実際に第四軍団が接近すれば、誰の目にも状況がはっきりするだろう」

「そうなってから全員が逃げ出そうとして恐慌をきたすよりは、少しでも先に退去させるというわけですな」

 イスレヴがふむと納得した風情を装う。態度を決めかねていた議員らも、顔を見合わせ、ささやきを交わして、自らの進退を考え始める。

 フィンは彼らを見渡して、駄目押しをした。

「もし、セナト侯と第四軍団の様子を探りたい、あるいは彼らと密かに交渉して助かりたいと思っても、使者を送るのはやめて下さい。ほぼ確実に死なせるだけです」

 むっ、と何人かが不快げなまなざしをくれる。図星を指されたせいだ。フィンは反論や文句が来る前に続けた。

「ルフス軍団長でさえ説得を諦め、軍団の進路に当たる村や町に警告を送られました。どうしてもセナト侯と接触したい方がおいでなら、私が途中までは案内しますから、ご自身で出向かれて下さい。ただし、帰りについては保証しません」

 フィンとしては単に事実を述べたのであり、脅しのつもりではない。だが彼の生真面目な表情と口調は、結果として、甘い見込みを抱いていた議員らの目を覚まさせた。

 天竜侯がああ言うのだ、唯人である我々に何が出来よう?

 そら寒い空気が議場を満たす。議員らはそれぞれなりに、その中で自分の立場を決めた。騒いでも喚いても否定しても、事態は去ってくれず、渦中から逃げ出すことも出来ないと、ようやく悟ったのだ。

 やがて一人が咳払いし、「では」と切り出した。

「市民への告知をいつ、どこから始めるかですが――」


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