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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
162/209

5-5. 打てる限りの手を


「手の施しようはありませんな」

 あっさりと突き放され、セナトはカッとなった。夏でも変わらず頭まですっぽり布で覆った魔術師は、そんな少年の反応を冷ややかに眺め、再度、床に目を落とす。その視線の先で、体を丸めたミオンが断続的にすすり泣きながら、虚ろな顔で宙を見上げていた。

 ほかに室内にいるのは、ネラだけだ。セナトはミオンが処分されることを恐れ、皇帝や他の家人には知らせず自室に匿っていた。三日あまり経った今も、回復する兆しはない。ようやく魔術師を捕まえて部屋まで連れてきたのだが、彼はミオンをじっと見ただけで、何を試すこともなく匙を投げたのだ。

「いい加減に、とぼけて言い逃れるのはやめろ」

 セナトは厳しく言い放ち、哀れなミオンのありさまを強調するように手で示した。

「おまえがお祖父様の命で、彼を利用したんだろう! おまえのほかに魔術師がいるとでも言うのか? 人をこんな風にして、何も感じないのか」

「私のした事ではありませぬ。申し上げましたぞ、私ごときのささやかな術では、小鳥さえ傷付けることは出来ぬと」

「そんな戯言を真に受けるか! いや、今はおまえが何をしたのだろうと、どうでも良い。おまえが本当に本物の魔術師だと言うなら、少しは役に立つところを見せたらどうだ!」

「…………」

 オルジンは落ち窪んだ目でセナトを見返したが、その目つきはまるで、人語を解さず鳴き騒ぐ家畜でも見るがごときものだった。

 ややあって魔術師は静かなため息をつき、根気強く繰り返した。

「私の返事は同じです。もはや、手の施しようはありません。この者は一生このままでしょう。何かしろと仰せなら、楽に眠らせる薬ぐらいは存じ上げておりますが」

「この恥知らず! よくも」

 セナトが思わず拳を振り上げる。それを止めたのは、ネラだった。

「どうかお気を静めて下さい、セナト様。ミオンが語ったことが本当なら、彼はフェルシウス議員に私達の情報を流していたのですよ。そのために、あちらの誰かに付け込まれ、このように利用されてしまったのでしょう。裏切りの代価を支払っただけのことです」

「ネラまでそんな事を言うのか? こんな姿にされるほど、彼は高くつくことをしたのか。主を裏切った使用人は、魂を食い尽くされても当然だと?」

「当然だとは申しません、ですが……相手が悪かったのです。仕方がありません」

 ネラになだめられ、セナトは苦い顔で渋々と拳を下ろす。怒りに満ちたまなざしの向こうで、オルジンはふむと小首を傾げてミオンを眺めていた。

「魂を食い尽くされた、とは、言い得て妙ですな。確かに、この者の心は既に虚ろになっておるようです。どこで蝕まれるきっかけを作ったものやら」

 独り言のようにつぶやき、ふと彼は顔を上げた。何か、聞こえない音に耳を澄まし、見えないものを見るかのように、目を細めて動きを止める。

「――答えが、聞けるかも……」

 萎びた唇の間から、微かな言葉がこぼれる。それにかぶさるように、セナトの耳にも人の声が聞こえてきた。王宮だけではない、もっと外からの騒ぎが。

「何が……」

 セナトが訝ると同時に、屋敷のあちこちから驚きと混乱の悲鳴が上がった。ネラがハッとなり、部屋から走り出て行く。セナトも慌てて追いかけた。

 ネラは遠くへは行っていなかった。中庭を囲む通廊に立ち、屋敷の屋根に切り取られた空を見上げている。セナトも首を仰け反らせたその時、羽ばたきの音がして、顔に風が吹きつけた。

「――うぷっ!」

 思わず腕で顔を庇う。一瞬、巨大な影が空を隠した。そして、

「セナト様!」

 聞き覚えのある声と共に、中庭に白い竜が舞い降りた。

 あまりのことにセナトは絶句し、息をするのも忘れて立ち尽くす。竜の巨体で庭木が潰されてしまう、と気が付いた時には、庭を覆いつくさんばかりだった白い翼が消え、一人の青年が宙から地面に降り立っていた。

 セナトが唖然としている間に、彼、竜侯フィニアスが、庭を突っ切って駆け寄ってきた。

「セナト様、礼を無視した訪問、何卒お許し下さい。どうしても、今すぐ皇帝陛下にお会いしなければなりません」

 切迫した様子で告げられ、セナトは我に返ってどうにか気を取り直す。だが彼が返事をするより早く、背後から嗄れ声が言った。

「いよいよ、あれが動き出しましたか」

 予想外の人物から、事情を把握しているらしき言葉をかけられ、フィンが当惑する。だが彼はすぐに、深くうなずいた。

「そうです。クォノスは全滅、第四軍団も大半が取り込まれてしまい、司令官の命令を無視してクォノスへ向かっています」

「さようですか」

 それだけ聞くと、オルジンは一人勝手にすいとフィンの横をすり抜けて歩き出した。

「待て、どこへ行く!」

「どちらへ」

 セナトが咎めるのと、フィンが問いかけるのが同時だった。オルジンは顔だけ振り向き、陰気にぼそりと応じる。

「私の務めを果たしに参ります。皆様方にはかかわりなきこと」

 周囲をあまりに軽視した物言いに、セナトが前へ踏み出す。フィンがそれを止めた。

「あなたが何をされるにしても、市民の避難はやはり必要だし、我々の為すべきことに変わりはない。そう理解して良いのですね」

「……なるほど、竜侯ですな」

 オルジンは返答代わりに、くっと微かに低く笑い、そのままいつものようにほとんど足音を立てず歩み去った。

「フィニアス殿、なぜ行かせるんです!?」

 噛みつかんばかりにセナトが詰問する。だがフィンは魔術師の後姿に目を凝らし、小さく首を振った。

「私にはよく分かりませんが、彼は彼で、何か思惑というか……使命があるようです」

「それこそ止めさせなければ危険ではありませんか!」

「いいえ。三年前も言いましたが、彼はやはり、危険な存在ではありませんよ。そもそもあの“飢え”に与するなど、およそ命あるものなら考えないでしょう。心を蝕まれてしまった人は別ですが」

 フィンは冷静に言い、それから本来の用件を切り出すべくセナトに向き直った。

「こちらはこちらで、すべき事をしなければ。セナト様、皇帝陛下はどちらにおいでですか」


 王宮の会議室は重苦しい空気に包まれた。さもありなん、警告を受けて慌しく対策を立てたばかりなのに、早くも事態が動き出したと知らされたのだ。

 しかもフィンが告げた内容は、ヴァリス達の心胆を寒からしめた。漠然と『災厄』としか聞かされず、その規模も様相も、具体的な脅威も想定し得なかったとは言え、よもやまさか、都市を丸ごと飲み込む暗闇だの、歩いた跡に枯死した草の筋を残す軍団だのとは。

 ヴァリスは険しい顔で、しばし黙って思案に耽った。室内に集められた面々――フィンとセナト、ネラ、加えてたまたま櫂船競争の打ち合わせに訪れたイスレヴ――は、固唾を呑んで彼の反応を見守る。

 ややあってヴァリスは、唸るように問うた。

「フィニアス、そなたの見るところ、猶予はいかほど残されているだろうか。その災厄は、今にも皇都に襲いかからんとしているのか?」

「正確なところは、私にもよく分かりません。ただ、クォノスにあったものは酷く飢えている様子で、周囲のものをことごとく呑み尽くしていましたが、それ自体はまだ動き出していませんでした。恐らく……第四軍団の到着を待っているのでしょう」

 何かきっかけがあれば溢れ出す、と青霧は言っていた。周囲のものを喰い尽した“飢え”が、新たに第四軍団という餌を与えられたら、それは充分な『きっかけ』ではあるまいか。

 だとすれば、少なく見積もっても第四軍団がクォノスに着くまでは、猶予があるということだ。そしてまた、あれが溢れ出したら一瞬で全土に拡大するわけでもないだろう。もしそうなら青霧は、フィン達が巻き添えを食わぬように警告しただろうし、そもそも災厄の自滅を「待つ」などと悠長なことは言うまい。

 フィンはあれこれの可能性を考えながら、ヴァリスに頼んで地図を出して貰った。

「ルフス軍団長を見つけたのは、この辺りです。オルヌ街道から伸びる南北の街道が、ナクテ街道と交わっている」

 正確な測量をもとに作られた帝国地図は、上空からの眺めとほとんど一致している。間違えようがない。フィンが指差した先を、一同は身を乗り出して見つめた。

「ここからクォノスまで、通常の行軍なら何日ぐらいかかりますか」

「そうだな」ヴァリスが答える。「標準で四日だろう。強行軍なら三日」

「では恐らく、五日ほどは猶予があるでしょう。第四軍団の足取りは非常に遅かった。とは言えあの様子では、休憩も野営もしないでしょうから、差し引きしてその程度かと。彼らがクォノスに達した後、どのような動きが始まるかは予想出来ませんが」

「厳しいな」

 ヴァリスが唸り、イスレヴも難しい顔で眉間を押さえる。その程度の日数しかないのでは、船競争を口実にするなど到底不可能だ。ヴァリスは失望を隠さず首を振った。

「一ヶ月は欲しいところだというのに」

「残念ながら、そこまではないでしょう。災厄の拡がる速度がいくら遅くても、皇都まで一ヶ月もかかるとは思えません」

「ならば、数日で出来ることをするまでだ。櫂船競争の人出に備える名目で、小麦輸送の準備は既に始めさせている。人員を増やして急がせよう。体裁を取り繕っても仕方ない、すぐにも議会を召集して全住民に退去命令を出させねば」

 言うなりもう出て行きそうなヴァリスを、セナトが慌てて止めた。

「お待ち下さい、陛下。評議会にはフェルシウス議員がいます」

「だからなんだ? 確かに奴は難物だが、避けては通れぬ。天竜侯の言葉とあらば、いかに奴でも無下には出来まい」

「そういう事ではないのです」

 セナトは言いさしたものの、ためらいに口をつぐんだ。フェルシウスについて警告するなら、ミオンのことも話さざるを得ないと気付き、不安になったのだ。しかし、もはや個人的な懸念を優先させている場合ではない。彼は唇を湿してから続けた。

「フェルシウス議員は、恐らく……正気ではありません」

「なんだと?」

 不審げにヴァリスが聞き返す。セナトは出来る限り事実だけを述べるよう注意しながら、かつて議場で目にしたフェルシウスの虚ろな目と声、その彼と接触があり、かつ同様の異状を示したミオンのことを説明した。

「今もまだ彼は、まともに口をきくことも出来ず、放心しています。あれが魔術師あるいは祖父の仕業だったのか、それとも第四軍団と同じく“災厄”に蝕まれたものなのか、私には判りません。ですがフェルシウス議員もやはり、理を説いて通じる状態ではないと見るべきです。陛下に危害を加えようとする可能性もあります」

「そうか」

 意外にもヴァリスは驚きを見せず、軽くうなずいただけだった。肩透かしをくったセナトが目をしばたくと、ヴァリスは淡々と言った。

「あの男が狂気と正気の境に立っているのは、前から分かっていた。対応を少々荒っぽく変更するだけだ。イスレヴ、すぐに臨時議会の召集を。カリュクスを呼んで厳戒態勢を敷くよう命じてくれ」

「承知いたしました。議会にはどのように説明なさいますか。ナクテ竜侯が皇帝に背いたと?」

 イスレヴが一礼し、退室前に確認する。セナトがわずかに怯んだが、ヴァリスもイスレヴも、それを見ていない。

「そうだ。ルフス軍団長に成り代わって第四軍団を掌握し、皇都の明け渡しを迫ってきたことにする。あの御仁には気の毒だが、もはや申し開きの出来る状態でもないらしいし、被れる限りの汚名を被って貰おう。都合の良いことに、天竜侯が大慌てで王宮まで飛んできたのは、大勢が目撃している。彼が軍団からの知らせをもたらしたとすれば良かろう。竜侯フィニアス、議場にも同行を願う。フェルシウスのほかにも障害となる者がいれば、警告して貰いたい。それに、そなたが側にいれば私の身も安全だろう」

 そこまですらすらと述べてから、ふとヴァリスは皮肉めかした微笑を浮かべた。

「それとも、やはり皇帝を守るための戦いはせぬか?」

「いいえ、まさか」フィンは即答した。「お守りします。陛下の双肩にかかる、皇都市民の命の為にも」

「なるほど、そう来たか」

 ヴァリスが失笑する。フィンは瞬き数回の後、いたって真面目に言い添えた。

「もちろん、陛下ご自身も守るべき市民の一人だと心得ております。通常の戦とは違いますので」

「これはこれは。お気遣い、痛み入る」

 一般市民扱いされた皇帝は、灰茶色の目を丸くしてから、いささか仰々しく礼を言ったのだった。

 ともあれ、使える時間は一秒も無駄にすまいとばかり、ヴァリスは次なる決断を下した。

「セナト、そなたには先に南部へ向かうことを命じる」

 むろん、ヴァリスに何かあった時の為に継承者を先んじて逃がす、というのも理由だが、実際問題として誰かが先触れを務めねばならない。避難民が大挙して押し寄せるとなったら、川下の町や村も混乱する。加えて、物資輸送の監督も必要だ。

「護衛の近衛兵をつけるゆえ、明日にでも、第一陣の輸送船に乗って発て。行く先々で警告し、かつ、恐慌を抑えるのだ。略奪や食糧隠匿の起きぬよう厳重に監視せよ。オルドスに着いた後は市議会を掌握し、現地での受け容れ準備を進めるのだ」

 一連の指示を与えた後、ヴァリスはふと、いたわるまなざしを向けた。

「いずれはそなたも漕ぎ出すべき海だが、嵐の最中の船出になろうとはな。だがそなたならば乗り切れるだろう。ネラ、補佐を任せるぞ」

「微力を尽くします」

 ネラが深く頭を下げると、ヴァリスはうなずき、手振りで退室を促した。すぐ準備にかかれ、というのだろう。セナトとネラが去ると、じきに入れ替わりで胸当てを着けた兵士がひとり、現れた。

「カリュクス、参りました」

 ぴしりと背筋を伸ばして敬礼し、彼はフィンにも一礼した。ヴァリスは「早いな」とつぶやく。イスレヴはよほど急いだに違いない。

「フィニアス、彼はカリュクス=セスティウス=ファリダ、皇都守備隊の副司令官だ。グラウスが不在の間は彼が守備隊を任されている。カリュクス、彼が噂の天竜侯だ。フィニアス=エルファレニア=オアンディウス。だったかな」

 言葉尻でヴァリスはややおどけた気配を見せ、フィンを振り返った。他人の口から仰々しい正式名を呼ばれ、フィンは表情を取り繕うのに苦労しながらうなずく。ごまかすように急いでカリュクスに手を差し出すと、力強い手にしっかりと握られた。剣だこのある、ざらついた武人の手だ。挨拶する口調も同じくやや無骨だが、温情と堅実さが滲んでいた。

「お目にかかれて光栄です、フィニアス殿。お噂はかねがね。貴殿のお力添えを頂けるとあらば心強い。陛下、緊急の議会召集、相当荒れるとお考えで?」

「乱闘沙汰になりかねんな。が、それよりも、話にならんと勝手に帰られては困るのだ。議員が集まったら、一人も外へ出すな。議場の扉を閉じたらすぐに、フェルシウスを拘束しろ」

「問答無用で、ですか。罪状は?」

「国家に対する叛逆だ。奴は竜侯セナトと結んでこの皇都を彼の手に渡そうとしている。現に今、第四軍団はルフス軍団長を司令官の座から追放し、セナト侯の命令でクォノスを目指しているとの知らせが入った」

「――!」

 カリュクスが息を飲み、さっとフィンに視線を向けた。フィンは思わず目をそらしそうになり、きわどいところで堪える。が、無用の努力だった。すぐにヴァリスは事実を暴露したのだ。

「というのが、表向きの理由だ。現実の理由は、聞いてもすぐには納得出来ぬだろうよ。得体の知れぬ災厄が軍団を飲み込み、クォノスから全土に拡大しようとしている、などとはな」

「……陛下、今少し詳細にご説明願いたいのですが」

 カリュクスが困惑する。ヴァリスはフィンに状況説明をさせて、自分はさっさと議場に向かう準備を始めた。フィンが第四軍団とクォノスの状況を話し終えると、ヴァリスが続きを引き取った。

「そんな事情であるから、議会で全住民の皇都退去命令を通さねばならぬ。そなたらにも、皇都守備隊という名に反して、都を捨てよと命じることになろう。カリュクス、今はそなただけが心得ておいてくれ。籠城したがる者には、援軍の来る見込みがないことを思い出させて説得しろ」

「グラウス将軍を呼び戻すことは……」

「いや、召還はせぬ。使者を送って状況を知らせ、あちらの判断に任せよう。ノルニコムが戦を止めるかどうかは分からぬが、災厄が皇都を越えてさらに東へ拡大するのであれば、多くの血を流して勝利をもぎ取ったところで無意味だからな」

 ヴァリスは鼻を鳴らし、壁にかけられた織物の地図を見上げた。口元に、冷たく皮肉な笑みが浮かぶ。彼の目には、地図が端から色を失って剥げ落ちてゆくように見えた。

 ついに中心部さえ失われようとしている今、もはや“帝国”も“皇帝”も、名ばかりの存在だ。残るは南部、海縁のわずかな土地だけ。とは言え、義務は義務として、厳然とあり続けるのだが。世の無常を思いつつ、ヴァリスは淡々と言葉を続けていた。

「災厄が実際に迫ってくれば、退去を渋る者にも真実が知れよう。それまでは、セナト侯は狂気に憑かれたとでも噂を流しておけ。皇都に残れば皆殺しに遭うだけだ、とな。まずは使えそうな部下を説得して、議場の警備に当たらせろ。議会をねじ伏せられたら、次は港と城門、商店を重点的に警戒し、暴動を防げ」

「了解しました」

 カリュクスは敬礼し、フィンにも「また後ほど」と会釈してからきびきびと出て行く。その足音が消えるのも待たず、ヴァリスは懐から小さな鍵束を取り出し、一本を外した。

「フィニアス、取れ。宝物庫の鍵だ。議員が集まるまで少し時間があるだろうから、中を見ておいて欲しい」

「……?」

 意図が分かず、フィンは目をしばたたく。とりあえず、大事な鍵は両手で受け取ったものの、なぜ今、宝物庫なのか。続く言葉を待っているフィンに、ヴァリスは苦笑をこぼした。

「そう不思議そうな顔をするな。この緊急時に、竜の翼で財宝を運び出してくれと頼んでいるのではない。むろん、すぐれた美術品が破壊されるのは大きな損失だが……そなたならば、あれらの骨董品の中にまだ力を宿したものがあるのかどうか、分かるだろう。わずかなりとも災厄を遠ざけられるならば、持ち出しておくに越した事はない」

「分かりました、見てみます。あまり期待は出来ないと思いますが」

 フェーレンダインのような剣が何本あったところで、あの災厄を相手にして出来ることといったら、せいぜい所持者の精神を守るぐらいだろう。いっそ、芸術的に傑作だからという理由で避難させる物を選ぶ方がましかも知れない。

 フィンがそんなことを考えていると、ヴァリスも同感ではあるらしく、肩を竦めた。

「そもそもが、竜侯や魔術師が用いてこその品々だ。我々の役に立つとは思っていない。だが、それを喰らった災厄が力を増すかも知れぬとなれば、わざわざ珍味を食卓に残しておいてやる必要はあるまい」

「……そうですね」

 気の利いた言葉を返せず、フィンはただ首肯した。

 ぞっとするような事を冗談にしてしまうのは、権力者ならではの危機対処法なのだろうか。召使の案内で宝物庫へ向かう道すがら、フィンは少しだけヴァリスを気の毒に思った。


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