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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
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5-3. 導き


 真夏の山脈は緑がまぶしく、冬の記憶が嘘のように、色とりどりの花が咲き乱れている。雪も山頂の一部を除いてほぼ消えており、鳥も獣も短い夏を謳歌すべく忙しない。

 フィンがサルダ族の夏の宿営地に着いたのは、ナナイスを出て二日後のことだった。フィン一人ならもっと早く着けたが、ネリスとマックを連れているので、あまり急げなかったのだ。

 突然の訪問にも、青霧は驚いた様子は見せなかった。いつものように落ち着き払って、微かな笑みを浮かべたまま、客人を出迎える。

「久しぶりだな、マック、ネリス。結婚おめでとう」

「えっ……あ、ありがとうございます。ご存じだったんですか」

 いたって普通に挨拶され、マックは面食らって言葉に詰まる。青霧は軽くうなずいた。

「行商の者から噂は聞いた。ナナイスで盛大な結婚式があるらしい、と。しかし、その報告に来た様子ではないな」

 そう言って彼はフィンに視線を向けた。フィンは常にもまして厳しい顔で、はい、と応じる。

「この春以来、本国側に闇の獣が引き寄せられているようだと、あなたもお気づきでしたね。彼らを引き寄せているものの正体が、感じ取れました」

「際限のない飢え。命も活力も希望も、怨念や絶望さえも、一切を呑み尽くす奈落」

 青霧が淡々と、ささやくように描写する。フィンは驚きに目をみはった。

「あなたも、あれを見られたんですか」

「ああ。小人族が大森林からの知らせを届けてくれたのでな、少し南へ降りてみた。その時はまだ、静かに密かに活動しているだけだったが、恐らく時間の問題だろう。何かきっかけがあれば、一気に溢れ出すだろうな。おまえに知らせるべきか否か、迷っていたところだ」

 何を悠長な、と口から出かかり、フィンは寸前でそれを飲み込んだ。

「どうしてそんなに落ち着いていられるんです。今でさえ、北部にまで良からぬ影響が出ているのに、そんな事になったら」

「本国は滅びるだろうな。ウティアは大森林を拡げて、侵蝕からわずかでも多くの土地を守ろうとしているそうだ。俺も、山脈の南の麓に沿って、部分的にではあるが境界線を引いておいた。もっとも、山中にまで侵蝕が及ぶとは思わんが」

 そこで青霧は、マックとネリスに向けて言い添えた。

「山脈の北側まであれが拡大することはないだろう。その前に自分自身を喰らい尽くして消滅する。心配せずとも、北部の人間はまず大丈夫だ」

「…………」

 そうですか、とも言えず、二人が絶句する。青霧があまりにあっさりと、本国は滅びる、などと口にしたのが信じられなかった。ややあって、どうにかネリスが気を取り直す。

「つまり、じゃあ……本国の人を、大森林や山脈や、あるいは北部に逃がせば、助かるってことですよね?」

 あっそうか、とばかりマックも我に返ってフィンを振り向いた。

「兄貴はレーナと一緒に先に遠くへ飛んで貰って、俺とネリスで近場から知らせて回れば、間に合うかな。……兄貴?」

 マックの提案も、フィンの耳には届いていなかった。彼は凝然と青霧を見つめて、立ち尽くしていた。竜侯同士であるせいか、これだけ近くにいれば互いの考えていることが漠然と感じ取れる。強い感情を抱かずとも、思念で語りかけることをせずとも。

 青霧は黙って、金を散らした灰色の目で、穏やかにフィンを見つめ返すだけだ。ネリスやマックの言葉に、そうだとも違うとも言わず、どうすべきかと共に考えるでもない。

(何も、する気はないんだ)

 本国の人間を助けるために、何らかの行動をとるつもりは、青霧にはない。ウティアが少しばかり森林で土地を囲い、青霧は山脈を守るために防波堤を築いた。あとはあの“飢え”が自滅するのをただ待てば良いだけ――。

「どうしてですか」

 フィンがかすれ声で問うと、青霧は小首を傾げて問い返した。

「おまえこそ、なぜだ。俺は山のものらを守り、ウティアは大森林を守る。小人族はもう避難を始めているし、聞く耳と聡い目がある者は、それにならっているだろう。あとは災厄がひとりでに終息するのを待てば済む」

「それまでに何万人が死ぬと思うんです!」

 思わず声を荒らげたフィンに対し、青霧は苦笑を浮かべた。

「本国の大部分が不毛の地と化すのに、その何万人を生き延びさせて、何になる? 危難を逃れる運も自力もない大勢が生き残れば、荒廃が長く続くだけだぞ。あれの餌食にならずに済んだ狭い土地に、今、本国じゅうに散らばっている人間が集中したら、それこそ奈落に呑まれるよりも悲惨な結果になるだろう」

「それは……、ですが、被害を抑えることは出来るはずです! あれが溢れ出すというのなら、拡がらないように囲い込むとか、せめて一方向に誘導するとか……」

 説得の途中で、フィンの声から力が消えた。レーナの恐れが伝わってきたからだ。青霧に何を言われるまでもなく、フィンは己が天竜の力を過信していると気付いた。

 絆を結んでたかだか数年の竜侯と、まだ若く経験の少ない竜。そんな二人よりも、遥かに長い時を共に過ごしてきた竜侯たちが、揃って直接あの“飢え”と対決することを避けているというのに、何が出来るつもりでいるのか。

 フィンは唇を噛んでうつむき、ぎゅっと拳を握った。青霧はやはり、何も言わない。

 剣呑な雰囲気に、ネリスとマックが不安げなまなざしを交わす。ややあってフィンは、絞り出すように呻いた。

「そんなに、あれは強大でしょうか」

「そうだな」ふむ、と青霧は考えるそぶりを見せた。「正確なところは俺にも、相棒にも分からん。だが少なくとも、竜一頭の力だけでは近寄るのも危険だろう。おまえが何か試みたいと言うなら止めはせんが、試す相手は人間だけにしておくのだな。死の淵にわざわざ近寄って石を投げるのは馬鹿げている」

「……はい」

 到底納得できる話ではなかったが、しかし、ほかに答えようがない。フィンは苦いものを飲み込むようにうなずいた。気に入ろうが入るまいが、謎めいた予言の通り、青霧の言葉はひとつの指導だ。己にはそれを拒否出来るだけの知識も経験もなく、無謀を許されるほど無責任でもない。

 沈鬱になったフィンの心に、レーナがそっと触れた。優しい温もりが、じんわりと沁みこんでくる。我知らずフィンは吐息を漏らした。

(でも、そうだ、まだ出来る事はある)

 何もかもが駄目になったわけではない。諦めるには早い。彼は顔を上げると、改めて青霧に向かい合った。

「あなたの予測はもっともだし、対策は必要だと思います。ですが、目先の災難を切り抜けてもいないのに、後のことを心配しても始まりません。どのみち……」

 彼はそこまで言って顔をしかめた。言いたくなさそうに口ごもってから、諦めたように続ける。

「どんな手を打ったとしても、全員を助けることは出来ないでしょう。あなたの危惧が現実になるほど大勢が生き延びられたら、むしろ喜ばしいでしょうね。危険だから逃げろと言って、どれだけの人が真に受けるか」

「それが分かっているなら良い」青霧は微笑んだ。「おまえのことだから、聞く耳を持たぬ者まで含めて全員を助けようとして、一人で危機そのものに突っ込んでいくのではないかと恐れていた」

 真面目な話なのだが、堪えきれずにマックとネリスが失笑した。フィンは複雑な顔になり、目をしばたたく。彼が気を取り直せずにいる間に、青霧が続けた。

「だがやはり、俺は下界の者らを積極的に助けるつもりはないぞ。おまえ達が低地人を山脈へ避難させるなら拒みはしないが、少しでも我々に害をなすと判断したら即刻追い出す。我々の協力は期待するな」

 聞きようによっては冷淡な言葉だが、フィンはただ「分かりました」と応じた。ナナイスの復興に携わって三年、新しい住民が増えることの問題を、彼もまた理解しているのだ。単に食糧や住居だけのことではない。

「小人族はもう避難を始めているとおっしゃいましたね。ほかの……人間の方にも、少しは知らせを広めているんですか?」

「エイファネス――ああ、小人族のことだが――彼ら同士のやりとりほど露骨にではないが、噂は流しているそうだ。彼らとかかわりのある人間を中心にして」

 青霧は言って、小人族のことを少し教えてくれた。北部にはあまり住んでいないが、大森林や山脈だけでなく、彼らは人の社会にも紛れて密かに暮らしている。小人とは言っても体格にばらつきはあるので、小柄な人間、程度に認識されるような者は、普通の人間と商売をしていたりするらしい。

 へえ、とネリスが感心した声を漏らした。

「そうやって一緒に暮らしている人達が、そそくさと何人もよそへ逃げ始めたら、小人族だとか知らなくても、きな臭いって気付きますよね。そうかぁ……。大戦の後、すっかり地上は人間だけになったように錯覚されてきたけど、本当は皆、同じ所にちゃんと暮らしていたんですね」

「そういうことだ。マック、おまえの話ではないぞ?」

 さっきから身の置き所がない風情でもじもじしているマックに、青霧は少し意地の悪い言葉をかける。マックは返事に詰まり、曖昧に肩を竦めてごまかした。

 フィンは、気に病むな、と言う代わりに義弟の背中をぽんと叩くと、そ知らぬ顔で話を先へ進めた。

「ともかくそれなら、少しは皆、何かしらの気配や噂を受け取っているわけですね。危険だと言い出しても、突拍子のない戯言と思われずに済むかもしれません。どの辺りが一番危険なのか、一度確かめに行きます。多分……クォノスの西側だろうと思いますが」

「だろうな。元々あの辺りは闇の眷属が大地に封じられた所だ。余計なものも色々と溜まりやすい」

 うむ、と青霧がうなずく。それを見てフィンはふと、不安と疑問のあいまった顔をした。

「あの……あなたにとっては、どうなんですか。古の大戦で封じられた闇の眷属が、恨みを晴らす為に暴れだすというのなら……」

「心配無用だ。確かに俺は闇竜侯だが、闇の眷属と同じではないし、彼らの憎しみや復讐については同調もしない。それにそもそも、大地に封じられた闇そのものは既に、歳月をかけて少しずつ本来の居場所へ還っている」

「天界へ――神々や竜や精霊の存在する側の世界へ、ですね」

「そうだ。歪み澱んだものだけが後に残され、己自身の飢えによってさらに変質してしまったのだろう。もはや、闇の眷属どころか、竜も竜侯も、ナルーグ神そのひとでさえも、あれを闇とは呼ばんだろう。俺にとってもあれは脅威だ」

「よく分かりました」

 フィンは真面目な表情でうなずく。と、青霧は微かに揶揄する口調で言い足した。

「だからと言って、俺の為にあれを何とかしようなどと、優しいことを考えてくれなくてもいいぞ」

「まさか」思わずフィンはつられて失笑する。「そんなおこがましい事は考えませんよ。俺がそこまで思い上がったら……」

「青葉に張り倒される、か。相変わらずおまえの立場は弱いようだな」

「…………」

 しまった墓穴を掘った。沈黙したフィンに、ネリスがやれやれとため息をついたのだった。

「本っ当、フィン兄はどうしてこう、最後で格好悪いとこを露呈するのかなぁ」


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