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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
152/209

4-3. 婚礼


 目の回るような忙しさが続き、何回もの『前祝い』を経てようやくのこと、お祭り騒ぎの当日がやって来た。

 早朝から二組の新郎新婦は神殿で身支度にかかりきりだ。フィンは久しぶりの礼装に袖を通し、落ち着かない気分で花嫁の支度が終わるのを待っていた。うろうろ歩き回りこそしないものの、身の置き所がなくて始終足を踏み替えている。

 平静に見えるマックが羨ましかったが、彼とて緊張は同様だったらしい。胸に飾った花をいじって散らしてしまい、ヴァルトに直してもらうはめになって、恥ずかしそうに苦笑した。

 オアンドゥスが隣室の扉越しに、時間がかかりすぎだ、今日中に式を挙げられないぞ、などと急かすと、しばしの後にようやく花嫁が姿を現した。

「――!」

 息を呑んだのは花婿二人だけではない。ヴァルトでさえ、冷やかしの口笛を吹きもせずに絶句した。

 純白のドレスを纏ったネリスは、日頃からは想像もつかない、女性らしい清楚な美に輝いていた。そしてネリスの横でもじもじしているレーナは、髪も服も花で飾り立てられていた。蔦に花を編みこんで、落ちないように体に沿わせ、波打つ髪にも細い三つ編みを作って花を挿してある。まさに精霊そのもののような姿。だが、恐る恐るフィンを見上げる様子は、やはりまだ仔犬のようなあどけなさを残している。

 フィンは口元をほころばせると、ごく自然に進み出てレーナの手を取った。横でマックも動くのが分かったが、フィンの視界には殆ど入っていない。レーナの存在を改めて己の内と外の両方で意識し、彼女の高揚した幸福感を受け止めるだけで、もういっぱいいっぱいだ。

 オアンドゥスに促され、フィンは半ば無意識に祭壇のある大広間へと歩きだす。ここで誰かが足を引っ掛けたら、まともに全身で転ぶかも知れなかった。幸い、悪戯者の双子も今ばかりは大人しく、また不埒な段差もなかったので、一行は無事に広間に到着した。

 詰めかけた市民が一斉に拍手する。二組の新郎新婦がしずしずと歩いて祭司の前まで来ると、打って変わって場はシンと静まり返った。

 フェンタスが厳粛な声で、朗々と名を読み上げる。

「これより、竜侯フィニアス=エルファレニア=オアンディウスと天竜ディアエルファレナ、ならびに竜侯付副官マクセンティウスとネーナ神殿祭司ネリス、二組の結婚式を執り行う。天なる神々も祝福し給わんことを」

 祭司が頭を垂れ、一同もそれにならう。短い黙祷の後、フェンタスがオアンドゥスを振り向き、進み出るよう促した。

 緊張でカチコチになりながら、オアンドゥスは息子と娘の前に立ち、ごほんと咳払いする。一呼吸の間だけ、彼は我が子たちに感慨深げなまなざしを当て、それから顔を上げて宣言した。

「オアンディウス家の家長として、我、ナナイス市議会議長オアンディウスがこの結婚を承認する!」

 わっ、と拍手。続いてクヴェリスがこの結婚に何ら法的問題がない旨を宣言すると、フェンタスが形式として異議申し立ての有無を問いかけた後、沈黙の承認を得て、二組それぞれの結婚を認めた。

「ネーナ女神の祝福があらんことを」

 彼は言いながら、常緑樹の枝で四人それぞれの体に触れた。子宝に恵まれ、家が絶える事なく続き繁栄するように、という古来の願いを込めたしきたりだ。

「最後に……慣例では、象徴の交換を行うのだが」

 そこまで来て、初めてフェンタスは言葉を濁した。打ち合わせと違う成り行きに、フィンは戸惑いながらマックと顔を見合わせる。

 一般的にここでは、花嫁と花婿がそれぞれ、家庭における己の役割を象徴するものを、相手に差し出すしきたりになっている。木や陶器の小さな模型で、むろん金持ちならば宝石を使ったりしてそれ自体に価値のある品物になるが、普通はしばらく飾っておいて忘れ去られる類のものである。女は紡錘、男は鋤や鍬、あるいは直截に貨幣を模したものが多い。フェンタスが事前に、こちらで用意しておくと約束したのだが……。

 間に合わなかったのだろうか、とフィンが不安を抱くと同時に、フェンタスが重々しく花嫁二人の名を呼んだ。

「レーナ、ネリス、前へ。……さて考えてみるに、レーナは言うまでもなく天竜、人のしきたりにはとらわれない。そしてまたネリスも、人ではあるが祭司という特殊な立場であり、家庭を守る妻としての伝統的な役割を強いるべきではないだろう。であるから、ここは私からひとつ頼みをしたい」

 彼はゆっくり、全員に声が届き理解されるように話し、二人の花嫁を順にじっと見つめて微笑んだ。

「それぞれ、己に出来る方法で、夫を助け支えてやって欲しい。頼めるだろうか?」

「……はい!」

 短い沈黙の後、レーナとネリスはそれぞれはにかみながら、はっきりとそう答えた。フェンタスが満足げにうなずき、控え目な拍手が起きる。続いてフェンタスは、花婿の方にも呼びかけた。

「フィニアス、マクセンティウス、前へ」

 既にはいと応じる心積もりで進み出て、フィンとマックはしゃちこばって続きを待つ。

 と、不意にフェンタスは、儀式用の畏まった表情を脱ぎ捨て、左右両手で二人の肩をそれぞれがっしと力強く掴んだ。そして、面食らっている二人に対しつくづくと真情を込めて、一言。

「健闘を祈る!」

「…………」

 一瞬の空白。次いで、どっと爆笑が巻き起こった。

 フィンとマックは顔を見合わせて苦笑し、ネリスが膨れ、レーナがきょとんとして。笑いの内に、式はすべて滞りなく、終了したのだった。

 儀式の後、会場は街の広場へと移動した。普通一般庶民の挙式なら、そのまま神殿で親族と招待客が宴を催すのだが、何しろ今回は規模が違う。とても全員はおさまらない。

 新婚ほやほやの二組が、花と祝福を滝のように浴びせられながら、広場まで歩いて行く。着いた先には既に御馳走が並べられており、なぜかエウォーレスとエウゲニスの双子が「竜侯様ばんざーい!」などと乾杯の音頭を取って、あとはもう、飲めや食えやの大宴会になだれ込んだ。

 本国式での貴族の結婚となれば、客が飲み食いしている最中も、新郎新婦は延々と続く贈り物を受け取り続けなければならないところだが、幸いここはナナイス、そして竜侯とは言っても名ばかり貴族。

 幾つかのささやかな品――新しい布巾だとか、貝殻の首飾りだとか――の他は、皆で用意した花や御馳走、それに惜しみない祝福の言葉が贈り物のすべてだった。

 ワインや蜂蜜酒は、全員がつぶれるまで飲んでも余りそうなほど大量にあった。タズとゴヴァリアスからの祝儀だ。取り分を気にせず飲めるとあって、男達は大喜びである。

 テーブルの端で腕相撲大会が始まるかと思えば、広場の真ん中では酔っ払い達が輪になり、ボールを蹴って遊びだす。誰かが歌えばすぐにそれは大合唱になり、即興の踊りが披露される。ナナイスが復興して以来初めての、底抜けに明るい祭りだった。

「ようし、嫁さん持ちは集まれ! 一着には肉の一番いいとこをたっぷり取らせてやるぞ!」

 ヴァルトが陽気に、若い夫婦を呼び集める。夫が妻を抱くか背負うかして競走するのだ。当然、新婚の二組は強制参加である。

「無理すんな、マック! 潰れっぞぉ!」

「竜侯様、一人だけズルいぞ!!」

 野次が飛ぶ中、フィンとマックは苦笑を交わしてそれぞれの花嫁を抱え上げる。と、

「おまえはそれじゃあ勝負にならんだろうが」

 ヴァルトがにんまり笑って言うなり、ドサッとおぶさってきた。

「ちょっ……待て、あんたを背負えってのか!? 無茶な!」

「そらそら、もたもたしてっと遅れるぞぉ!! いち、にの、」

 フィンを無視してヴァルトが掛け声を上げ、参加者がわっと走り出す。フィンは唸ったが、お荷物を放り出そうにもがっちり首に腕を回されていて、かなわない。遠慮のない爆笑を浴びながら、歯を食いしばって走るはめになった。もちろん最下位。竜侯様も形無しである。

 そんな馬鹿騒ぎに揉まれながらも、時々フィンは群集の中に両親の姿を探していた。我が子が二人同時に巣立ってしまうということで、オアンドゥスなど式の途中からしきりに目をしばたたいていたものだ。

 今も二人は寄り添って、客の差し出す祝杯に付き合いつつも、フィンとネリスをじっと見守っていた。

 とは言え実際には、新しい官邸が建ったでなし、宴がお開きになればフィンもネリスも、今まで通り両親と同じ家に帰るのだったが。

 以前マックと相談した通り、建物はそのままで改築などはせず、部屋割りだけ変更した。廊下の左右に分かれてそれぞれの部屋に引き取る時には、流石にお互い恥ずかしくて、誰も目を合わせようとはしなかった。

 そして。

「……なんだこれ……」

 レーナと一緒に自分の部屋に戻ったフィンは、脱力して床に懐きそうになった。どうやら彼が式のために家を空けている間、お調子者どもが飾り付けをしてくれたらしい。どこで手に入れたのか、胡散臭い小道具があれもこれもと置いてある。

 扉をまだ閉めていなかったので、ネリスとマックの叫び声が小さく届いた。あちらも驚かされたらしいが、すぐに調子外れの笑い声に変わる。二人とも、悪戯に腹を立てるには幸福すぎるのだろう。

 フィンはそっと扉を閉めて、やれやれと首を振った。レーナが蠱惑的な下着を拾い上げ、首を傾げてしげしげ眺めているのに気付くと、彼は複雑な気分でそれを取り上げた。

「例の双子の悪戯だよ。まったく」

「人間同士だと、こういうのが必要なの?」

 少しばかり恥ずかしそうだが、レーナは至って真面目である。必要だと言ったらどうするんだ、などとフィンは妙に怖い気分になって呻いた。

「必要と言うか……」

 なんでこんな日にこんな事を真面目に話し合わねばならんのだ。あの双子め余計なことを。

 フィンは鈍い頭痛をおぼえながら、それでも律儀に説明する。

「好きな奴もいるってだけだよ。俺は好きじゃないが」

 露骨に性欲を刺激しようと訴えかけてくるものには、かえって嫌悪感を催してしまう。潔癖なつもりはないし、何も感じないわけでもない。が、

(おまえは女と寝るのを特別に考えすぎだ)

 以前ヴァルトに言われたことは、多分正しいのだろう。ため息をつきたいのを堪え、花と獣の香りをぷんぷんさせている代物をまとめて部屋の隅に押しやる。

 明日の朝一番に捨てに行ってやろう、と決めて向き直ると、目の前にレーナが立っていた。不意を突かれてたじろいだフィンに、レーナはふわりと両腕を投げかけて身を寄せた。

「フィン」

 名前を呼ばれると同時に、心の中に暖かい喜びの光が流れ込んでくる。初めて出会って名を呼ばれた時の記憶がよみがえり、フィンは微笑んだ。今はもう、驚かない。彼は抱擁を返し、レーナの想いを受けながら、意識を開いて自分の中にある幸せを送り返した。

 柔らかな光を帯びた金銀の髪に、そっと唇をつける。ごく自然に、心の奥深いところから、愛情が湧き上がってくる。口をついて声がこぼれた。

「レーナ」

 ディアエルファレナ。心の中では、その本名を呼ぶ。それが相応しいことのように思われたのだ。レーナの意識が応えて歓喜に震えるのが分かった。

 互いに頬を寄せ、唇を求め、穏やかに重ねる。やがてそれは、熱のこもった口づけに変化した。

 求め合っているのは確かだった、しかしフィンは一方で戸惑ってもいた。

 しっかりと体を抱きしめているのに、普通なら感じるはずの感触がない。腕の中にあるのは陽だまりの熱だけのようで――否、確かにそこに物質の手応えはあるのだが、しかし見た目通りならば服越しにでもわかるはずの、女らしい柔らかさや曲線が一向に伝わらないのだ。一体どうしたら良いのか分からない。

「レーナ」

 口付けの合間に、助けを求めるように名を呼ぶ。

 ――刹那。

 何の前触れもなく、フィンは己の肉体が消え失せる感覚に呑まれた。一瞬ですべてが変容し、そのことに驚く間もなく、彼はレーナともつれ合って空を飛んでいた。

 現実の空ではない、意識の片隅でそう理解する。空気は軽い水のように体を支え、フィンとレーナはその中を共に泳ぐように飛翔していた。

 己がどうしたいのか、彼女が何を求めているのか、考えるまでもなく分かった。

 募る思いそのままに、翼を打ち合わせ、軽く相手の首を食み、尾を絡める。互いの歓喜が共有され、何倍にも増幅されて、光をまとった翼が大気を震わせた。

 いつしか時間の感覚はなくなり、互いを隔てる境さえ感じられなくなってゆく。歓喜と熱情だけが、渦を巻いて遥かな空へと昇り続けていった。


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