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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
151/209

4-2. 祝典準備


「血の臭いがしないか?」

 くん、と空気を嗅いでフィンは顔をしかめた。鍋をかき回していたネリスが、ああ、と振り返って苦笑する。

「今朝方、豚を一頭、祭壇に供えたから。匂い消しは撒いてるんだけどね、まだしばらく残ると思う。後で腸詰にしたり煮込んだりして、宴会の料理にするんだって、オルシーナさんとか張り切ってたよ」

「その鍋は違うよな」

「結婚祝いのご馳走を自分で作れっての? これは煮詰めて、スープの素にするの。薄めて飲めるようにね。今の時季は暑いから胃腸が弱ってて、せっかく食糧を届けても食べられなかったり、おなか壊したりしやすいでしょ」

 これなら栄養もあるし、胃腸に負担もかからないから。そう説明しながら、ネリスは杓子を持ち上げて具合を確かめる。フィンは微笑んで、妹の頭に軽くぽんと手を置いた。

「ありがとう」

「別に、お礼言われるほど特別なことはしてないよ。それよりお兄、こんなとこで油売ってていいの? 忙しいんでしょ」

 ネリスは照れ隠しに迷惑そうな顔をして、じろりと兄を睨んだ。フィンは少し首を竦めてから、そそくさと退散する。

 外に出ると、神殿の敷地はどこもかしこも市民で賑わっていた。

 東部の戦も南西部の異変も、この北辺までは伝わってこない。目下、ナナイス市民の一番の関心事は、竜侯様の結婚式であった。今はその準備のため、大勢が神殿に集まっているのだ。掃除をしたり、飾りつけをしたり、当日の手順を打ち合わせたり。

 もちろんフィンの意向ではない。

 彼はマック一人だけにこっそりと、結婚式に便乗させてくれと頼んでおいたのである。冷やかされたくなくて、東に発つ直前に。だが帰ってみると、主客転倒した知らせが街中に広まっていた。手間や費用をかけずにこぢんまりとした式を、というフィンの希望は完全に無視され、全市を上げてのお祭り騒ぎに発展しつつある。

 広場での祝宴、市民による競技会など、計画は既に当日の主役そっちのけで進行中。最初は閉口したフィンも、いっそ自分だけが見世物になるわけではないから良いか、などと妙な風に諦めた。

 催事としての規模は大きくなってしまったが、その分、人手も増えたので準備は着々と進んでいる。ネリスの婚礼衣装などはファウナが前から用意していたし、レーナには衣裳も嫁入り道具も必要ない。祭司はウィネアに要請済み。フィンの仕事は殆どない。挨拶に行くべき相手方の両親というのも、いないわけだし。

 お陰でフィンはマズラへの支援に専念することが出来た。ナナイスとて余裕はないのに、と渋る市民もいるにはいたが、復興当初からの面々がこぞって賛成してくれたので、議会でもすんなり承認された。困った時はお互い様、余剰がなければ無理などと言っていては人助けは出来ない、というわけだ。

 既にフィンは二往復して、塩や小麦など真っ先に必要なものを配っていた。量はわずかだが、本当に戻って来てくれた、という事の方が村人達には重要だったらしい。二回目に訪れた時には、初回よりも人々の表情が随分と明るかった。

(南へ向かうまでにもう一回、行けるかな)

 ネリスの心尽くしを一刻も早く届けたくて、ふむとフィンは思案した。と、そこへ、

「あ、いたいた! 兄貴、タズが来たよ!」

 マックの明るい声が呼んだ。フィンは振り返り、門のところで崖下を指差しているマックを見つけた。どうやら船が港に入ったらしい。フィンは急いでそちらに向かった。マックは先に立って坂道を下りながら、声を弾ませる。

「ウィネアと皇都とコムリスの三箇所に手紙を出しておいたんだけど、コムリスで受け取れたらしいんだ。ウィネアに寄って結婚祝いを買ってきた、ってさ」

「間に合って良かった。もしかして……」

「うん、祭司様も乗せて来た。びっくりするよ、兄貴」

「……?」

 きょとんとしたフィンだったが、桟橋でその人を見て予告通りに仰天させられた。あろうことか、ウィネアのネーナ神殿を預かる立場である筈のフェンタスが、大荷物を背負って、えっちらおっちら歩いて来るではないか。

「フェンタス様! 何事ですか、これは。まさかご自身で来られるなんて」

 フィンが駆け寄って荷物を受け取ると、フェンタスは丸顔にいつもの温和な笑みを広げて答えた。

「竜侯様の結婚式に、下手な者を遣るわけには参りませんよ。それに……ついでと申しますか、この機会に、私もこちらの神殿へ移ろうと思いましてね」

「え?」

「ネリスには以前、代理の祭司を遣った時に話をしてあります。いつまでも、祭礼の度に祭司を派遣するわけにもゆきませんし、と言ってネリス一人に任せてしまうには、あまりに彼女は年若い。ナナイスでの役割も多岐に渡る上に、いよいよ結婚するとなったら、常任の神官がもう一人は必要です」

「しかし、あなたは……」

「ウィネアの神殿は、後任の祭司に任せて来ました。私もそろそろ神殿祭司長の役職を譲るべき時期ですしな。いつまでも同じ人間が居座るのは、好ましくない」

 フェンタスは軽く首を振ったが、束の間、その面を翳がよぎった。都市の神殿となれば、何かと内部の悶着もあるのだろう。危機が去って団結の必要が薄れ、反目が表面化したということか。

 フィンはそう見当をつけたが、その点については触れず、黙って神殿への坂道へ向かう。その背中に、「おおい!」と二人分の声が飛んできた。

「フィン! 薄情な奴だな、ここまで来ておいて俺に挨拶もなしかよ!」

「ちょっと、待って頂けませんかね、あわわ……っと」

 タズの声はすぐに分かったが、もう一人は誰か。フィンは聞き覚えのある声に目をしばたき、くるりと向き直る。桟橋を、小さな光のきらめきが転がってくるところだった。もとい、クヴェリスが荷物につまずいて転げたところだった。

 フィンが絶句している間に、タズが小柄な法律家を助け起こして連れて来る。クヴェリスは砂まみれになった服を忙しなくはたきつつ、急ぎ足でフィンに追いついた。

「どうも、お久しぶりです、閣下! この度はご結婚おめでとうございます!」

 にこにこしながら、例によって両手でフィンの空いた片手を握ってぶんぶん振る。タズがフィンの顔を面白そうに眺めて言った。

「コムリスで拾ったんだ。昔の仲間の知り合いだって?」

「ああ、うん、ニクスが世話になったんだ。でも……本国に帰られる筈では?」

 当惑しながら、フィンはクヴェリスとその手荷物をちらちら見比べる。するとクヴェリスは奇妙な顔をして、やや気恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。

「その節は、お招きを断って失礼しました。ええ確かに、南に戻るつもりでいたんですよ。閣下にあそこでお会いしてから、ニクス君達の様子も気になりましたのでね。それが、コムリスの町で奇妙な占い師に忠告されまして……」

「変な婆さんなんだ」タズが補足した。「おまえも見かけたことぐらい、あるんじゃないか? 首飾りとか腕輪とかじゃらじゃらつけてて、人の話ちっとも聞かずに、言いたいことだけ言う困った婆さんだよ。コムリスでは人気の占い師らしくて、しょっちゅう行列が出来てる」

「……なんとなく、誰だか分かる気がする。クヴェリスさん、何て言われたんですか」

「それがね……戻っても無駄だ、って言うんですよ」

「は?」

「オルゲニアの大森林が動いた、だから戻ってもおまえに出来る事は何もない。それより北に向かって竜侯の……あー、ごほん。竜侯閣下をせっついて来い、と。そうそう、これを押し付けられたんでした」

 がさがさと荷物を探り、折り畳んだ紙を取り出す。フィンは背筋の冷える思いをしながら、フェンタスの荷物を一旦下ろして、その紙を用心深く受け取った。

(読みが甘かったのか?)

 はるか南に感じられた、暗く恐ろしい気配。もたもたしている間に、あれが惨禍を招くというのでは?

 ――違った。

 手紙の行を目で追い、フィンの頬に朱が差す。なんだなんだ、とタズとマックも両横から覗き込んで、思わずのように失笑した。

「『閨にて溺れるなかれ、導きは暗中にあり』ってか。これから新婚生活を始めようって奴には良い忠告だな」

 タズがにやにやしながらフィンの背を叩く。フィンはむっつりしながら紙を畳んでしまい、下ろした荷物をまた持ち上げた。

「俺はフェンタス様を神殿に案内する。マック、すまないがクヴェリスさんを市庁舎まで送ってくれ」

「そうだね、家は今、準備でひっくりかえってるし」

 マックは苦笑すると、応接室で待って貰ったらいいかな、と確認してから、クヴェリスを促して歩き出した。

「じゃ、俺らは神殿に行きますか。ネリスもあっちなんだろ?」

 タズはフェンタスに適当な会釈をしつつ、分担して荷物を持つ。自分の荷袋も肩に提げているが、中身はネリスへの贈り物だろう。三人は連れ立って坂道を登っていった。


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