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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
149/209

3-7. 逃げも隠れも


 好奇心と疑惑と、いくばくの賛嘆。遠慮は微塵も含まれていない。あけすけな視線を浴びて、ファーネインは流石に少々居心地が悪そうだ。

 数十人の村人は全員、巨木のまわりに集まって地べたに腰を下ろしていた。ファーネインと、後からやって来たイゲッサだけが、木を背にして立っている。

 ざわめきが静まると、ファーネインはひとつ息を吸い、緊張気味に話し出した。

「皆さんにとっては、一晩で森が動いてきたように思えるでしょう。こうなる前に知らせておくことが出来なくて、ごめんなさい。この森の拡がりはフィダエ族の王ウティア様が、オルグ神の竜の力でやっていることなんですが、色々と難しい事があるみたいなんです。ただ、これは皆さんを守るためにしたことで、森の中にいれば安全だということは、分かって下さい」

 とは言ったものの、村人達は誰も彼も、不可解げな顔をするばかりだった。その心情を、村長が代表して述べる。

「いったい何が危険だってのか、そこの所をきちんと教えて貰いたいね。自分の身ひとつ守れない憐れなあたし達にも、知る権利ぐらいあるだろうさ」

 ファーネインが怯み、イゲッサがおやおやという顔をする。ニクスが横から抗議した。

「村長、そんな棘のある言い方をしなくてもいいでしょう。ファーネインは俺達を守りに来たと言ったんです。彼女が面倒事を持ち込んだわけじゃない」

「どうだか」

 村長はしかめっ面で鼻を鳴らした。胡散臭げにファーネインとイゲッサを見比べ、ニクスを振り向いて、痛いところを突く。

「そもそも、ここにいるのは確かにあんたの言っていた『ファーネイン』なのかい。あたしが聞いた話じゃ、もっと子供の筈だけどね」

「人違いじゃありません」

 ファーネインが急いで答えた。

「私、早く大人になりたかったから、ウティア様に力を貸して頂いたんです。今の私は暦の上ではまだ十一歳ほどで、同時に十八ぐらいの体と、十年ぐらい余分に歳を取った心を持っていて……ちぐはぐの状態と言えるかも知れません。でもとにかく、私は確かにファーネイン本人です」

「あたしも保証しますよ」

 イゲッサが横でちょっと手を挙げて誓いの仕草をした。

「森に来たばっかりのこの子は、そりゃあ惨めな有様でした。それをウティア様やあたしらで世話して、立ち直っていくのをずっと見守ってきましたからね。間違いありませんよ。第一、仮に別人だとしても、今はそんなことは問題じゃありませんでしょう」

「まあ、確かにね」

 村長も食い下がりはせず、肩を竦めてうなずいた。が、態度を和らげたわけではなかった。厳しい表情のまま、それで、と先刻の要求に対する答えを促す。ファーネインはイゲッサと顔を見合わせてから、ゆっくりと丁寧に話しだした。

「イゲッサは外の世界の小人族とも連絡を取り合っていて、どんなことが起こっているかを知らせてくれました。大森林のすぐ北に皆さんが村を作ったことも、三年前に皇帝陛下とナクテ竜侯が和解して、東の竜侯が打ち負かされて、平和になったことも。でも今はまた、大きな戦になりそうなんですよね。

 私はそれが不安になって、ウティア様に、大丈夫でしょうか、ってお尋ねしたんです。そうしたらウティア様は、それよりも危険な兆しがあると教えて下さいました。何かとても暗くて貪欲なものが力を増している、このまま放っておけばそれが大地に溢れ出すだろう、って。その力に呑まれたところは、一切が……荒廃してしまうそうです」

 話が進むにつれ、村人達は半信半疑から真剣な表情になり、彼女の言葉ひとつひとつを聞き逃すまいと、息を殺して聞き入りはじめた。ファーネインは言葉を切り、深く息を吸ってから続けた。

「ウティア様は、それを『飢え』に喩えられました。具体的に何が起こるか、はっきりした事までは分かりません。ただ最後には、それは自分自身を食い尽くして何も残さず消える運命だけれど、そうなるまでに、触れる端からディアティウスの土地を、虫一匹住めない荒地にしてしまうだろう、と予想されています」

「そんな、まさか」

 誰かがかすれ声でつぶやいた。それを皮切りに、ざわめきが一気に広がる。オリアが不安げに問いを発した。

「どうにもならないの? 森を拡げられるほどなのに、オルグの竜侯の力でも、その恐ろしいものを止められないの?」

「残念ながらね、奥さん」

 イゲッサが代わって答えた。

「ウティア様が言うには、その力は竜侯一人の力ぐらいじゃ、どうにもならないんだそうですよ。古い闇の怨念と、人間の欲と、あれこれ色々混ざり合って生まれ、長い時間をかけて膨れ上がったものだとか。まともに太刀打ち出来るものじゃない。それに、フィダエ族にとっては、大戦の頃と同じですからね。災いが過ぎるのをじっと待って、また、少しずつ大地をよみがえらせてゆけば済む話です」

「…………!」

 剣呑な気配がさっと場を走った。それほどの危険を察知していながら見逃すとは、同じ人間のすることか、とばかりに。

 ファーネインがこくりとうなずいて言った。

「でも私は、ただ待つだけなんて、とても我慢出来なかった。だから、ウティア様にお願いしたんです。この……森の拡がりは、その結果です。最初、ウティア様はすべてが終わるまで皆さんの時を止めてしまうおつもりでしたけど、何も知らせないのはあんまりだと思ったので……」

 沈黙が場に降りた。誰もがすぐには納得できず、顔を見合わせたり、難しい顔で考え込んだりしている。ことがあまりに大きすぎて、現実として捉えられないのだ。もっとも、子供達の中には既に飽きて上の空の者もちらほらいたが。

 しばらくしてオリアが、ふっとため息をついた。安堵ではなく、諦めを込めて。

「それじゃあ、私達はこの森の中にいる限り安全だけれど、外でその災いが自滅するまでは、じっとしていなくちゃならないのね」

「気に入らないね」村長が唸った。「確かにあたし達はそもそも、逃げ隠れしてこの村に集まってきた流れ者ばかりだ。だけどそれだって、自分達で決めてそう行動したんだ。何も考えず何もせず、竜侯様や偉いさん方のなすがままってのは、まったく気に入らない。そりゃもちろん、あたし達じゃその危険に立ち向かえないってんなら、それは仕方ないだろうさ。だけど、あちこちに知らせを遣るぐらいは出来る筈だよ」

 きっぱりとした村長の言葉に、しかし、村人の反応はまちまちだった。熱心にうなずく者がいるかと思えば、余計な危険に自ら突っ込むなんて、とばかりに顔をしかめる者もいる。その両方をなだめるように、イゲッサが口を開いた。

「手をつかねて見ているだけは嫌だ、って気持ちは分かりますよ。でも安心なさい、知らせはあたしらが仲間を通じて運んでます。だけどね、村長さん。信じられると思いますかね? 普通の人らには、何も見えもしなけりゃ、聞こえもしない。戦になりそうだから危ないな、ってのは分かっても、得体の知れない力が機を窺っているなんて、ねえ」

「それは……」

「しかもそんな理由で、住処も仕事も何もかも捨てて、どこかうんと遠くへ逃げなさい、ったって、誰が従うんです? だから結局ウティア様は、黙ってせっせと森を拡げていなさるんですよ。皆さん方が眠っている間に何もかも終わらせて、一言の説明もなく変わり果てた世界に放り出すことも出来なさるのに、こうしてあたしらと皆さんを会わせて下さっただけでも、親切だと思っちゃくれませんかね」

「確かに、ご親切なことだね。でも、それとこれとは別。事情を知ったのに何もしないでいるよりは、一人二人でも逃がすことが出来たら……」

「あたしらが何もしてないっておっしゃるんですかね?」

「そういう意味じゃないよ」

 言い負かされて、村長は不機嫌に口をつぐんだ。気詰まりな沈黙が、重く場にのしかかる。ややあってファーネインが、ゆっくり静かに呼びかけた。

「村長さん。逃げ隠れするのは、そんなに恥ずかしいことですか」

「恥の問題じゃないよ。あたしはただ、実際的な問題を言ってるんだ」

 村長は言い返したが、ほとんどそれは負け惜しみだった。ファーネインは首を振り、淡々と続ける。

「だったら、出来る事は何もないと認めるのが、それこそ実際的です。嵐が過ぎるまで安全な巣穴でじっと待つのは、むしろ賢いことじゃありませんか?……私はかつて、無力な子供でした。世の中に吹き荒れる嵐のことなど何も知らず、逃げも隠れもしなかった、その結果が……これです」

 言って彼女は、顔の半分を隠す仮面を外した。ひきつり、変色したままの半面があらわになり、押し殺した悲鳴がいくつか上がった。ファーネインはすぐに仮面を着けると、悲しげに言った。

「この傷から立ち直るのに、ウティア様やイゲッサや、多くの助けがあってもまだ、とても時間がかかりました。けれどもし、もっと酷く打ちのめされていたら、逃げ込む場所がなかったら、助けてくれる人がいなかったら……今、こうして皆さんとお話しすることもなかったでしょう」

 もはや、抗議や不満の気配すらなかった。ファーネインが皆の前から去り、イゲッサが代わって明るい声を上げる。

「さて納得のいったところで、いくつか、ここで暮らす際の注意を聞いて貰えますかね」

 火を使うに際しての注意や、耕作するからと樹木を切り倒さないこと、数十人を食べさせるだけの実りは森に充分あること。あれこれとイゲッサが話している声を、ファーネインは巨樹の裏側でぼんやりと聞いていた。

 と、そこへ、村人達の輪から抜けて、オリアがやって来た。

「ファーネイン……」

 痛ましい表情から、何を言いに来たのかは明らかだ。ファーネインは無理に微笑んだ。

「大丈夫、もう痛くないから。それに、オリアさんのせいじゃない。私が馬鹿だっただけ。世の中には悪意が満ちていることも、贅沢には代償が求められることも、何も知らなかった。考えてみようともしなかった」

「……なにも、皆にまで見せなくても良かったのに」

「説得力はあったでしょう?」

「…………」

 オリアは震える指先でファーネインの仮面に触れ、堪らず涙をこぼした。

「ごめんね。ごめん、ごめんね……っ」

 何度も何度も、かすれ声で詫びる。守れなかった、救いに行けなかった、傷を癒す助けにさえなれなかった。自分が不甲斐ないあまり、彼女が仮面を外したのは自分に見せつける為だと、責めているのだと思えてならなかった。

「私のことなんか、もう嫌いになったわよね。憎んでるわよね」

「オリアさん……」

 ファーネインは絶句し、愕然としてオリアを見つめた。その声に含まれる感情に気付き、オリアは顔を上げてハッと息を呑む。

「あっ……、ご、ごめんなさい。こんなこと言うなんて」

 詫びの言葉を口にしながら、考えているのは自分の事だけ。相手を思いやるべき時に、その当人のことではなく、自分が憎まれているか否かなどを訊くとは。許しの言葉でも引き出すつもりだったのだろうか。無意識とはいえ厚かましいにもほどがある。

 オリアは相手の傷に更なる傷を重ねたことを恐れて青ざめ、羞恥のあまり再び顔を伏せた。息苦しい沈黙は、しかし幸い、長くは続かなかった。

「オリアさんも大変だったんですよね。大丈夫、私はもう平気だから」

 ファーネインは慈悲深く言ったが、その声は寂しさに暗く沈んでいた。もはや相手は昔の『お菓子のお姉ちゃん』ではなく、自分もそれに甘えていられる子供ではないのだと、悟って訣別する声だった。

 オリアも漠然とそれを察し、それ以上は言わず、黙って涙を拭く。ややあって、オリアは自嘲気味に苦笑した。

「あなたの方が、すっかり大人になっちゃったわね。はぁ……情けないわ。私のまわりの人は、皆、なんだか凄い人になっていくのに、自分だけ馬鹿で駄目なまんま」

 皆、と言われてファーネインは小首を傾げた。オリアは目尻に残った最後の滴を指で拭き取ると、肩を竦めて答えた。

「フィニアスのこと、覚えてる? コムリスであなたの世話をしていた粉屋さん。竜侯になったんですって」

「えっ……」

「一度、私とニクスを捜しに来てくれたわ。あなたが大森林にいたことを、友達から聞いたんですって。それで、私とニクスの安否を確かめる為に、わざわざ一人で捜し回って。律儀よね」

 オリアはつい、思い出して苦笑をこぼした。ファーネインの方は驚きに目をしばたたき、何とも言えない顔をしている。

「北の天竜侯のことは、イゲッサから聞いたけど……まさか、フィン兄さんだなんて。それじゃあ、マックや皆は?」

「一緒にナナイスに帰ったみたい。北部から闇の獣を退けて、また人間の住める場所にするんだって言ってたわ。あれから特に噂は聞かないけど、こっちに戻ってきたわけじゃないみたいだから、何とかやってるんじゃないかしら」

 オリアの説明に、ファーネインは茫然と懐かしむ表情になった。穏やかな沈黙の後、ファーネインは温かな微笑を浮かべてつぶやいた。

「良かった」

「ええ」

 オリアも静かにうなずいた。そしてふと想像し、ファーネインを改めてつくづくと眺める。

「きっとまた会えるわ。あなたが大きくなって、びっくりするでしょうね。しかもこんなに美人になってるんだもの」

「えっ」

 久しぶりの賛辞に、ファーネインは驚いた様子で赤面した。おや、とオリアは意外に思って目をしばたたく。オリアの知っているファーネインは、きれいだの可愛いのと、雨あられの賞賛を浴びて当然の顔をしていたものだが。

 本当に変われば変わるものだ、などとオリアが考えていると、ファーネインは赤い顔のまま、おずおずと確かめてきた。

「あの、ほ、本当に……その、美人だと思う? だって、あの……半分はこんなのだし、気を遣っているんだったら……」

「違うわよ!」思わずオリアは声を大きくした。「いくら私が馬鹿でも、そこまでじゃないわ。本当にきれいだと思うから、そう言ったのよ。昔のあなたはただ可愛いだけだったけど、今は違うもの。見た目だけじゃない。うまく言えないけど……神秘的で、何かを乗り越えてきたのが分かる。女の私でも見惚れてしまうぐらいよ」

「ほ、本当? 本当に本当?」

 重ねて念を押すさまは、神秘も過去もすっかり感じられない、ただの女の子である。オリアは呆気に取られ、数呼吸してからやっと、ああ、と理解した。やや明後日の方向に空振りしてはいたが。

「ええと……あのね、ファーネイン。一応言っておくけど、フィンには竜の恋人がいるみたいよ?」

「え? あっ、ち、ちちち違う、違うの!」

「うん? それじゃあ、マックって子の方?」

 目をぱちくりさせたオリアの前で、ファーネインは仮面が飛びそうな勢いで首を振る。

「き、気にしないで! いいの、いいから!」

 何が良いのやらさっぱりだが、とにかくファーネインはそれだけ叫び、両手で顔を覆ってしまう。ふうん、とオリアはそれを観察していた。

「まあ、時間はたっぷりあるみたいだし。その辺のこと、是非じっくりたっぷり聞かせて欲しいわねぇ」

 のんきな希望に対する返事は、当面、意味不明の呻き声だけであった。


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