3-4. ならず者達
一番近くの集団に向かって飛びながら、フィンは竜の目を意識し、相手の様子を探り出した。
聞こえてくる雑多な感情や物思いから推測するに、どうやらこの集団において力を持っているのは元軍団兵であり、そこへ、あの村の住民だった男達が下っ端兵士として加わっているらしい。幾人かはまだ村の事が気にかかるらしく、微かにではあるが、思いを馳せているのが分かった。
〈馬鹿げた縄張り争いだな、まったく〉
怒りを込めてフィンが唸る。レーナはただ不思議そうに応じた。
〈どうして、自分達の村を守らないのかしら。あの人達、戦うだけじゃ食べていけないでしょう?〉
軍隊ではないのだから食糧が支給されるでなし、戦いの為だけに集まって隠れ住んでいる集団など、何の生産性もないではないか。細々と生き延びている村から搾取を続けたら、いずれ奪えるものは何もなくなり、共倒れするだけなのに。
レーナの疑問はもっともだったが、フィンは簡単には答えられず沈黙した。しばらく考えて一言、やるせなくつぶやく。
〈まともに生きるのが嫌になったんだろう〉
畑を耕しても、家畜を育てても、外部からの暴力によって奪い取られる。何度も何度も、いつまでも、踏みつけにされ続けて、じっと耐えてなどいられるものか。
対抗して戦おうと思ったら、手に鋤や鍬を持ったままでは難しい。中途半端に逆らったら、より酷い目に遭うだけだ。やるからには、完全に相手を叩き潰さなければ。それまでは片手間に農作業をしているどころではない。――だが、そうなれば自分達もまたどこかから奪わなければ、日々の糧を賄えない。
(軍団が機能してさえいれば)
フィンは詮無いことを思い、唇を噛んだ。
帝国の軍団兵は単なる戦争屋ではなかった。平時には土木工事を行い、また都市周辺の治安を維持して、帝国市民が何の心配もなく農牧業や商売にいそしめるように、生活の環境を整えていたのだ。
もっともフィンとて、そうと実感したのは実際に軍団の規律が乱れ、帝国の支配が行き届かなくなって、すべてがぼろぼろと崩れ始めた後だったのだが。
――しかし。
(それは言い訳にならない)
フィンは表情を引き締めると、眼下に迫った森を睨みつけた。
今度は、驚かせないように気を遣う必要などなかった。むしろ不意を突き混乱させるため、あえて集団の真っ只中へと、隼のごとく急降下する。
標的とされた地上では丁度、武装集団の頭目と幹部が集まって飲み食いしているところだった。
いきなり突風が吹きつけて焚火の灰が舞い上がった、と見るや、巨大な白い塊が大地に激突した。鍋も人もひっくり返り、男達の叫びと馬や鶏の鳴き声がけたたましく響く。
大混乱が収まった時には、白い塊は消え、一人の青年が倒れた頭目を踏みつけにして、その喉元に剣を突きつけていた。
「武器を捨てろ!」
厳しい声が命じたが、そもそもこの時点で武器を手にしている者はいなかった。誰もが度肝を抜かれ、呆然と、予想外の光景を見つめている。剣や槍に手を伸ばそうとする者もいない。何が起こったのか、果たしてこれは現実なのか、ぽかんとするばかり。
その隙に、フィンは続けて言った。
「今、この場限りで、おまえ達の戦は終わりだ。武器を捨て、各々が逃げ出してきた場所へ戻れ! 傷付けられた家族のもとへ帰り、踏み荒らされた畑を再び耕し、村を建て直すんだ!」
と、フィンの足の下で頭目がもがいた。
「ふざけんな小僧、何様だてめえ!」
フィンは冷ややかな視線をくれ、髭で隠れた顎の下に剣の先を滑り込ませてやる。途端に男はぴたりと動かなくなった。
「俺が誰かなんて、どうでもいい。違うか?」
「…………」
男は怒りにぎろりと目を剥いたが、命は惜しいと見えて、反論はしなかった。フィンは油断なく剣を握ったまま、場を取り巻く男達をぐるりと見回した。事前に探っていた、元村人らの感情が薄く漂ってくる。どこか安堵したような、終わりにする口実が文字通り降って湧いたことに感謝するような。
フィンは彼らに向かってうなずきかけた。
「村に帰れ。残っている皆は傷つき疲れて、腹を空かせている。あんた達の力が必要だ」
むろんそうは言っても、まだ幹部連中が目を光らせているこの状況では、誰も動き出せない。フィンは自分の隙を窺っている男に気付くと、素早くそちらを睨みつけた。
「先に死にたいか」
言った声は無感情で、脅しと言うより単に確認のようだった。男は既に剣に手をかけていたが、ぎくりと一瞬竦む。だが、いかに理解不能な出現をしたと言っても、相手はたった一人、それもほんの若造なのだ。倒せると思っても当然だった。
「失せやがれ!!」
罵声と共に剣を抜き、一人が斬りかかる。呪縛を解かれたように、わっと数人がそれに続いた。踏まれている頭目も好機とばかり、体に力を込める。
だが、その読みは甘かった。
フィンは頭目をしっかりと踏みつけたまま、最初の一撃を半身で逸らし、左手で襲撃者の喉を打った。ぐほっ、とくぐもった声を漏らし、男が後ろによろけて倒れる。後続が負傷者に邪魔されている隙に、フィンは反対側から斬りかかってきた男を素早い一突きで地に沈めた。
さらに一人、二人。瞬く間にフィンの周囲には屍が積み上がる。流石に攻め手もぞっとなり、囲みを解いてひとまず下がった。
フィンは血に濡れた剣をもう一度、頭目の喉に当てて冷ややかに言った。
「あんたが命令すれば、無駄に死ぬ奴はいなくなるかな。それとも、あんたを殺せば手っ取り早いか」
「クソガキが、ふざけやがって……っ」
「俺は真面目に言っているんだが」
「うるせえ! ああ殺せ殺せ、好きにしやがれ。言っとくがな、俺達を潰したって生き残りはまたよそへ行くだけだ。腰抜けどもが村に逃げ込んだって、すぐにまた襲ってやるさ。奪って、犯して、火をつける。へッ」
侮蔑しきった声を漏らし、彼は笑った。フィンが答えずにいると、彼はがらりと怒りの表情に変わり、目を剥いて喚いた。
「てめえ一人が格好つけたって何にもなりゃしねえんだよ!」
(どうにかなるもんなら、こんな事にはならなかった)
屈辱と後悔が声に滲む。もう何年も前、すべてが変わってしまった日の記憶が男を縛り付けているのが、フィンの目には見えた。
物資が届かず、退去命令も出ず、地方に置き去りにされて日々荒んでゆく軍団。職務を放棄する上司、横領や暴行が日常となり、止めようにも崩壊は止まらず、身を守るために逃げ出した……
「いい大人が不運を言い訳にするな」
フィンは低く唸った。男の顔が赤黒く染まったが、彼はそれを見下ろして容赦なく言った。
「闇の獣に仕事や住まいを奪われたのが、自分だけだと思っているのか。ナナイスの兵営も本国から見捨てられて、酷い有様だった。それでも彼らは逃げ出さなかった。やり方は決して正しくも立派でもなかったが、自分達と市民の食糧を確保し、安全をぎりぎり守りながら、最後まで諦めなかった!」
知らず、声を荒らげていた。フィン自身、マスドやナナイスの軍団兵に対して、己がこんな思いを抱いていると気付いていなかったのだ。冷酷な仕打ちも受けたし、兵らの行状には恥ずべきものも多かった。忘れてはいない。だが確かに今、フィンは彼らを誇ると同時に、同じ軍団兵の異なる末路に憤慨していた。
「おまえ達のように、弱者を庇い生活を守るという目的を忘れ、戦う為だけに戦い、敵を取り違える、そんな真似はしなかった。軍団兵だけじゃない、何の力もないただの市民でさえ、救援を求めて闇の獣の待ち受ける只中へ、自ら出て行ったんだ」
あの頃はフィンもただの粉屋の息子だった。まさしく何の力も経験も、特別な武器もない、頼りになるのは強い意志だけ――そんな状況で、オアンドゥスもファウナもネリスも、一緒に行くと言ってくれた。家族であるフィンを守るために、ナナイスに助けを呼ぶために。
「恥じ入るならまだしも、開き直るな」
厳しく言い切ったフィンに、男は憎悪に満ちた目をぎらつかせると、渾身の力でフィンを跳ね除けた。
際どいところでフィンは自ら飛び退き、素早く体勢を立て直して身構える。
一瞬後、フェーレンダインが白い軌跡を描いて、男の首を胴から飛ばした。
息を呑む音。そして、どさりと首が落ち、襲いかかろうとした姿勢のまま残っていた体が倒れる。
しんと重い静寂が降りた。転がったままの首を、皆が凝視している。ようやく誰もが、ここにいるのが見た目そのままの若造ではないと、本当に実感したようだった。いくら手練の戦士であっても、右腕の一振りで大の男の首を飛ばすなど、出来るものではない。
むろんこれはフィン自身の力ではなく、神剣フェーレンダインの成せる業なのだが、余人の与り知るところではない。ついさっきフィンを襲った男が怯えて後ずさり、剣を取り落とした。
フィンはそちらを振り向き、静かに言った。
「もう武器を取るな。帰る場所がないのなら、西の村に身を寄せるか、あるいはナナイスまで来るといい」
「……あんた、一体……」
藍色の目に見据えられた男が、震えながら問いかける。フィンは口を開きかけたが、結局黙って首を振った。
自分が誰かなど、言いたい気分ではなかった。言って、なるほど竜侯だから特別なのだと誤解されたくなかった。特別だから正義ぶった台詞を吐けるのであって、普通の人間である自分達がそう出来ないのは当たり前だと、開き直らせたくなかったのだ。
(俺だって、元はただの粉屋の息子なんだ。ここにいる大半と同じ、ごくごく普通の市民だったんだ。今だってその感覚に変わりはない)
フィンは元村人達を振り向くと、表情を和らげて促した。
「さあ、村へ戻るんだ。どうやらここには家畜もいるようだから、連れて帰れば生活の足しになるだろう。使える物は全部持って行こう。食べ物はもちろん、鍋でも皿でも」
言うと、彼は自ら、最初にひっくり返して遠くへ転がしてしまった鍋を取りに行く。匙や椀を拾い、逃げ出した鶏を捕まえて。
最初は戸惑っていた男達も、それでようやく実感が湧いてきたらしく、いそいそと帰郷の準備に取りかかった。彼らの安堵と不安とが、さざ波のように寄せてくる。家に帰れる、だが畑はどうなっているか、妻は、子供は、自分を迎えてくれるだろうか……。
そうした動きに加わらず、こっそり姿を消す者もいた。フィンは気付いていたが、止めなかった。どうせ近隣の集団はこの後すぐに潰しに行くのだし、それらがすっかりなくなれば、行き場を失った男達も覚悟を決めるだろう。どこかの町や村に身を寄せるか、荒野でひっそり家畜を飼うか。
(面倒が少なければいいが)
フィンは自分が倒した男達をちらと見やり、そんなことを思った。何人かは迷わず殺したが、残りは命までは奪っていない。じきに呻きながら目を覚ますだろう。もっとも、怪我を抱えて、つい今日まで下っ端だった連中の世話になるのを我慢するかどうかは別だが。
(後始末の方が大変だな)
やれやれ。フィンは既に疲労を覚えながら、荷造りを手伝い続けた。




