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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
145/209

3-3. 荒廃

 ドルファエの兵がノルニコム北部の町や村を次々に制圧し、そこで加わった新たな兵と共に州都コムス――彼らの呼び名で言えばロフリア――に向かって着々と歩を進めている頃、フィンは何も知らず、レーナと共に東へ向かっていた。

 かつてマズラ州と呼ばれ、帝国の総督が治め、軍団兵が駐屯していた土地。だが今フィンの眼下に広がる大地に、もはやその面影はなかった。まっすぐに伸びる街道だけが、かろうじて昔日の繁栄を伝えている。

「すっかり寂れているな」

「そうね。この辺りは随分、静かだわ。何もかもが」

 レーナの返事が意味するところを感じ取り、フィンはわずかに眉をひそめた。街が廃れて人間の活動が沈滞している、というだけではない。竜が「何もかも」と言うからには、闇の眷属や精霊といった人外のものも含まれているわけだ。

「……南へ行ったんだろうか」

 問いかけるでもなく独りごちる。この春以来の奇妙な闇の動きは、ナナイス周辺だけの話ではないのかもしれない。

 レーナは答えなかった。代わりに、彼女が見つけたものがフィンの意識にも伝わる。

 海底の景色が視界に重なった。複雑に入り組んだ岩場の陰に、ひっそりと身を寄せ合って息を殺している、小さな魚群。腹をすかせ、すっかり弱っている。放っておけばそのまま消えてなくなるだろう。

〈降りてみよう〉

 フィンのささやきと同時に、レーナは大地へと首を向けた。群に気付かれないよう、充分な距離を取って着地すると、レーナはふわりと少女の姿になって辺りを見回した。

「本当に静かね。……寂しいぐらい」

「君がそう感じるからには、この状態は普通じゃないってことか」

「多分。あんまり生命の気配がしないもの。人間ほど活発ではなくても、普通ならもっといろんな生き物や精霊たちの気配があるはずなのに、ここは……」

 少し言葉に迷ってから、彼女は恐ろしげにつぶやいた。「空っぽだわ」と。

 フィンは油断なく周囲に警戒しながら、さきほど見つけた小さな群の方へ歩いていった。

 ほどなく、荒れ果てた村の残骸が現れた。だが人影はない。フィンはぐるりを見回したが、捜索はせず、そのまま村の中を通り過ぎた。かつて目抜き通りだったらしき道の両側には、打ち壊され、火を放たれた建物が屍を晒している。

「人間の仕業だな」

 フィンは険しい顔になった。散乱する壺や袋、荒らされた家具、往来に残る焚き火の跡に加えて、そこかしこに落ちている排泄物。闇の獣に襲われたのなら、こんな様にはならない。

 彼は迷わず村を抜け、盛り土と丸石だけの墓地を過ぎて、畑地の向こうに見える小さな丘を目指した。

 微かな足音がいくつも、大急ぎで逃げてゆく。フィンの姿を見て、慌てて身を隠したのだろう。荒れた畑に残るみすぼらしい作物の間に、置き去りにされたぼろぼろの籠がひとつ転がっていた。

 フィンは地面に残る足跡を見下ろし、その小ささに胸を痛めた。

 丘の裏側に回ると、今にも涸れそうなせせらぎが岩から染み出していた。草生(くさむ)した源流の傍らには潅木が茂り、不注意な人間の目から深い穴の入口を隠している。だがもちろん、フィンにははっきりとそれが見えていた。

 近付くフィンの足音が、中の者に聞こえたらしい。息を殺して竦む気配が伝わってきた。フィンは穴のそばにしゃがみ、出来るだけ穏やかに声をかけた。

「隠れなくてもいい。危害は加えないから、出て来て話を聞かせてくれないか。誰を恐れているんだ?」

 返事はない。フィンはどうしたものかと首をひねり、それからふと、横で一緒に穴を見つめているレーナを振り返った。

「君からも言ってくれ。俺達は敵じゃない、って」

「私? うまく言えないと思うけど……」

 レーナは困惑顔で目をしばたいたが、それでも、穴の縁に身を乗り出した。

「あのぅ……、聞こえてる? 怖がらないで。フィンは怖い人じゃないわ」

「…………」

 微妙になんとも言えない気分になったフィンが、眉間を押さえる。と、穴の奥でこそりと動く気配がしたので、彼は気を取り直してそちらに注意を向けた。

 凍ったように固まっていた魚達が、恐る恐る動き出している。フィンはレーナの光を意識して、コムリスで群衆に対してやったように、少しずつ静かに働きかけた。暗く冷たい水の底に、薄い光の幕を下ろしてゆく感覚。

 ややあって、穴から子供が一人、汚れた顔を覗かせた。怯え警戒して忙しなく動く目が、フィンに続いてレーナの姿をとらえた途端、驚きに丸くなる。

 子供はぽかんと口を開けたかと思うと、野兎のようにぴゅっと奥へ引っ込んでしまった。

「お姫様だ!」

 甲高い、かすれた叫びが響く。フィンは笑いを堪えつつ、きょとんとしているレーナを見やった。確かに、宝飾品こそ身につけていないものの、波打ち輝く金銀の髪と、一点の染みもない白い服は、貴族の娘だと思われても無理はない。

 当のレーナは小首を傾げ、ただ目をぱちくりさせていた。

 しばしの後、フィンは穴から這い出てきた女と子供ばかり十数人と対面していた。

 どの顔にも疲労が濃い影を落とし、まなざしは疑り深くこちらの様子を窺っている。フィンは彼らの心に自分の言葉が果たして届くかどうか、怪しく思いながらも説明した。

「俺とレーナはナナイスから来ました。今はあちらは闇の獣の襲撃も少なくなって、以前よりずっと安全です。皆さんは誰を恐れているんですか。俺に出来る事なら、手助けさせて下さい」

 語る間も、誰一人フィンと目を合わせようとしない。重苦しい沈黙が続き、フィンはいたたまれなくなる。何もしてはいないのに、ただ自分が存在するというだけで非難されているような気がした。

 その感覚は、あながち間違いでもなかった。ややあって一人の女が暗い顔のまま、ささやくように言った。

「あんたは男で、剣を持ってる。手助けなんて嘘っぱちだろ」

「それは、どういう……」

 半ば無意識に問い返しかけ、フィンは言葉を飲み込む。どういう意味かなど、訊くまでもない。あの村の惨状、隠れているのが女子供だけという事実から、今ここで何が行われているのかは明らかだ。

 フィンは唇を噛み、拳を握り締めた。うつむいたフィンに、別の女が感情のない声を投げた。

「悪党退治をしたけりゃ、好きにして。あたし達のことは、そっとしておいて」

(どうせ男どもは殺し合うだけ)

 悲しみすら色褪せて抜け落ちた、絶望の靄が漂ってくる。

(助けて欲しかったのに。そばにいて助けて欲しかったのに)

 傷ついてうずくまる女の元から、男が去ってゆく。手に武器を取り、復讐の為なのか単に怒りの為なのか、振り返りもせず。

 フィンは黙ってゆっくり深呼吸すると、顔を上げて一人一人をしっかりと見つめた。

「そう言われても、このままあなた方をここに放って行くことは出来ません。ナナイスに移住するか、ここに住み続けるか、いずれにせよ手を貸します」

 真摯な言葉も、しかし、強張った心には簡単に届かない。フィンはもどかしく感じながらも、返答を急かさずに辛抱強く待った。その間に、周辺を竜の目で探って問題の存在を調べる。

(西南の森にひとつ……南にひとつ)

 荒んだ様子の群がふたつみっつと、すぐに見付かった。どれもさして大きくはないが、互いに“敵”を食い殺そうと牙を研いでいる。そして必ず一匹二匹、他より大きく荒々しいものが目立っていた。群の支配者だ。

(東部のことは関係ないみたいだな)

 ノルニコムやドルファエの情勢がここまで波及しているのかと懸念したのだが、どうやら単に、治安が悪化して山賊化した男達が互いの村や町を荒らし合っている、ということらしい。武器や戦闘経験をもつ軍団兵崩れも、大勢いるに違いない。

 闇の獣に滅ぼされる直前のヴィティア地方と同じだ。ただ、ここでは闇の獣がより気長に、人間達の自滅を待っていたのだろう。そして結果を見届ける前に、なぜか彼らは姿を消し始めた……恐らくは南へと去って。

 残された人間達は生活を再建するどころか、相変わらず共食いに夢中というわけだ。フィンは密かに辛辣な思いを抱いた。

「ナナイスなんて、遠すぎるわ」

 小さな声が言い、フィンは意識を引き戻した。女達は互いに視線を交わしながら、ひとり、ふたりと、ぽつぽつ口を開く。

「生まれた土地だし……」

「ここで暮らせるのなら」

 ぼそぼそと頼りなく口にされる言葉に、力はない。だがフィンは「分かりました」と励ますようにうなずいた。

「村を建て直しましょう。幸い今は北部全域で、闇の獣の数が減っているようなんです。だから夜も火を焚いておきさえすれば、彼らの襲撃は心配しなくて済む」

「闇の獣は来なくても、あの連中が来たら何もかも滅茶苦茶にされるわ」

 見たでしょう、と一人の女が村の方をちらりと目で示す。フィンはまたうなずき、言うべき言葉に迷って目を伏せた。それを無力のあらわれと取ってか、別の女がため息をつく。

「あんた一人じゃ、殺されるだけよ。もう沢山」

 帰って頂戴、とばかりの声音だった。何も期待しない、希望なんか要らない、死ぬのを待つだけだ――そんな諦めが漂う。あまりに厳しい毎日が、彼女達から思考力を奪っていた。フィンとレーナが旅の汚れも疲れもなく突如現れたことも、それは即ち彼らが特異な力を有する証拠だということも、まるで認識出来ていない。

 フィンは迷いを捨て、ゆっくりと首を振った。

「簡単には死にません。俺は竜侯です」

 静かに告げられた言葉に、すぐには何の反応もなかった。え、と聞き返す者さえいない。

 フィンは皆の理解が追いつくのを待たず、淡々と続けた。

「少しだけ待っていて下さい。村から出て行った人達を連れ戻せるかどうか、やってみます。無理でも、少なくともこの村が荒らされなくなるように、手を打ちます」

 まだ日は高い。今日中に一番近くの集団を解散させてしまえば、明日にも襲撃されるという心配はなくなるだろう。

〈レーナ〉

 呼びかけただけで、レーナはすぐに本来の姿に戻る。驚愕と恐怖の叫びを浴びながら、フィンは空へ舞い上がった。


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