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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
139/209

2-5. 密談


「こちらにおいででしたか、セナト様」

 ネラに声をかけられて我に返り、セナトはやや恥ずかしげに顔を上げた。いつの間にか考え事はぐるぐる同じところを回り、しばらくするとただ茫然と庭を見ているだけになっていたのだ。

「ヴァリス様がお戻りになられたのに、セナト様がお部屋にいらっしゃらないので、どうされたのかと。考え事のお邪魔をしてしまって恐縮ですが、懐かしいお客様がお見えです」

 にこにこと来客を告げる。その笑顔は、一緒に身を隠していた頃に比べて、成熟した大人の雰囲気を漂わせるようになっていた。竜の血を引くゆえに一般人より長命だと言っても、それなりに歳は取るようだ。セナトはふと、タズが今の彼女を見たらどう感じるだろうかと考えた。

「ありがとう。お客って、まさか、タズ?」

「いいえ。そういえば、あの方も懐かしいですね。もうずっとお会いしていませんけれど」

「違うのか。ネラが嬉しそうだから、そうかと思ったんだけど。タズも薄情だな」

「セナト様」

 たしなめる声音で呼びかけ、ネラは少し怒ったように睨む。セナトは首を竦めた。彼女が言いたいことは分かる。別段二人は恋仲だったわけではないのだし、タズが王宮へ顔を出さないのも、別れ際に言った懸念を忘れていないからだろう。

(だからって、本当にあれっきりにすることはないじゃないか)

 案外向こうは、セナトと離れて清々しているかもしれない。手のかかる坊ちゃんとは縁を切り、自分の生活で手一杯になっているのかも。セナトにとってタズは唯一の、気の置けない友人だが、彼にとってはそうではない。

 セナトは少しばかり憂鬱になったが、続くネラの言葉でころっと機嫌を直した。

「フェルネーナ様がお見えですよ」

「母上が!?」

 思わず笑顔で言ってから、おっと、と口をつぐんで辺りを見回す。幸い人影は無かった。もっとも、誰かが聞いたとしても微笑ましく思う程度で、いまだ竜侯家の一員のつもりかと眉をひそめることはなかっただろうが。

 セナトはすぐに、ほとんど小走りの早足で歩き出した。

「そういえば、しばらく前に頂いた手紙の中で、エフェルナに会わせたいって書いてらしたっけ。もしかして……」

「ええ、ご一緒です。とても愛らしいですよ、昔のセナト様を見ているようです」

「その喩えは僕には良くわからないけど」

 セナトは複雑な声を漏らした。

 エフェルナは彼の曾祖母の名だが、二年ほど前に生まれた小さな妹がそれを受け継いだのだ。まだ一度も顔を見ていないが、ネラが言うのだから可愛らしいのだろう。多分。

 客間に通したというので、セナトはそちらへ向かった。部屋に入るとすぐに、幼子を連れた母に目を奪われる。ネラがいつの間にかいなくなっていたが、彼はそれに気付かなかった。

「母上! お久しぶりです。知らせを下されば、こちらから迎えを遣りましたのに」

「ああ、本当に久しぶりね、セナト」

 フェルネーナは心の底から安堵した表情を見せ、しっかりとセナトを抱きしめた。彼もこの数年で成長したものの、まだ母親の方がずっと背が高い。セナトは気恥ずかしくなったが、懐かしさが勝って抱擁を返した。

 フェルネーナはセナトを離すと、今度はエフェルナを抱き上げて兄に紹介する。

「あなたが元気そうで本当に良かった。エフェルナ、お兄様よ。ほうら」

 初めて見る妹にセナトは少しばかり緊張しながら、小さな手を取って軽く握った。

「こんにちは、エフェルナ」

 柔らかくて小さくて、髪はふわふわと細い金髪だ。そして目は濃い灰色。ネラが言った通り、兄と同じ特徴だ。セナトがにこりと笑いかけると、エフェルナは小さな丸い目をぱちぱちさせ、戸惑ったようにきょときょとして母親にしがみついた。

「ちょっと人見知りなの」

 詫びるようにフェルネーナは言い、娘をソファに下ろして自分も腰掛ける。セナトは横に並んで座った。フェルネーナは娘の丸い頭をなでて自分にもたれかからせながら、ゆっくり話し出した。

「この子が生まれてから、お祖父様はますます塞いでしまわれて。女の子だったのが、気に入らなかったのでしょうね。だから屋敷の空気が悪くて、この子も始終おどおどするようになってしまって。まあ、しばらく外に出ていれば元気になると思うけれど」

「お祖父様は……お元気ですか」

「相変わらずよ。最近はクォノスの兵営としょっちゅう行き来していらっしゃるわ。ナクテの屋敷には『女ども』がいるから腹立たしいのでしょう。今のお祖父様の望みは、あなたが立派な皇帝になってくれることだけのようね。あなたの方に、何かと言ってくるのではなくて?」

「いいえ、そんなには。手紙もひと月かふた月に一度ぐらいですし、皇都においでになっても、王宮にはお見えにならないことが多いぐらいです。私が他家の者になったからと、配慮されているのだと思います」

 というか、セナトがそう思いたいだけ、なのだが。評議員やその腰巾着など、祖父の耳目となって情報を流しそうな者はこの皇都にうようよいる。王宮内にでもいるだろう。直接会う必要がないだけ、などとは、考えるとそら寒くなる。

 フェルネーナは辛辣な微笑を浮かべて首を振った。

「本当にそうなら、もっと領地の管理や治安に心を砕いて下さっても良い筈だわ。お父様……ルフスが、領内を回って軍団の規律を引き締めているけれど、ほかにも問題が多くて手が回りきらないの。あなたが皇帝になった時に、ひどく苦労する国になっていなければ良いのだけれど」

「もとより、楽な務めだとは思っていません。安逸を求めるのならば、大森林に留まっていたでしょう」

 セナトはそう答えてから、ふと不思議そうに母親をまじまじ見つめた。視線に気付いたフェルネーナが、何、と問うように小首を傾げる。セナトは目をしばたいた。

「母上、少し……なんというか、雰囲気が変わられましたね。以前はもっと、慎ましいというか……上手く言えませんが」

「頼りない母親だった、かしら?」

 フェルネーナは苦笑気味に自ら言い、返答に困っているセナトの頭を軽く撫でた。

「お祖父様の影に怯えるのはもう止めたのよ。昔はよく、あなたのことでお祖父様と衝突して、あなたに辛い思いをさせてしまったわね。ごめんなさい」

「……そんな、ことは」

 曖昧にセナトはつぶやいた。母が自分の感情だけでなく、その時にセナトの置かれていた状態を慮ってくれたというのが、いささか驚きだった。少なくとも昔の母なら、祖父に対する憤懣はあれども、それがセナトを板挟みにして苦しめているとは気付かなかったものだが。

 フェルネーナは微笑み、セナトの頭を引き寄せて口付けした。

 と、ちょうどそこへネラが戻ってきた。ヴァリスを連れて。

「皇帝陛下、ご機嫌麗しゅう」

 フェルネーナはさっと立ち上がり、膝を折って礼をした。セナトも慌てて起立する。ヴァリスはフェルネーナに一揖(いちゆう)し、手振りで座るよう促した。

 ヴァリスは親子の向かいに座り、膝の上で手を組むと、静かなまなざしでフェルネーナを見つめて問うた。

「私に内密の話がおありだとか。セナトの様子を見に来られたというのは建前でしたか」

 セナトが驚いて母を見る。あくまで冷静な彼女の横顔は、かつて見たことのないものだった。

 フェルネーナは深くうなずき、声を低めて話し出した。

「ほかでもない、我が父にしてナクテ竜侯セナト=アウストラ=イェルグのことでございます、陛下。既にご承知の通り、彼は陛下の父君ゲナス様によって竜侯会議が解散され、国政の場より遠ざけられて以来、皇都に対して深い恨みを抱いております。むろん明言するようなことはございませんが、陛下が警戒すべき相手であることは公然の秘密。ここにいる、このセナトが、その巻き添えにならぬように、陛下には慎重なご判断をお願いするために御前へ参りました」

「セナト侯は随分と身内に嫌われておいでのようだ。気の毒に」

 ヴァリスが皮肉な微苦笑を浮かべる。だがフェルネーナは毫もたじろがなかった。

「好き嫌いの問題ではありません。私と父では政治的な立場が異なると、ご理解下さい。我が夫にして第四軍団長ルフスの帝国に対する忠誠はいささかも揺るぎなきもの。士官の多くが父セナト侯の配下であることは否定出来ませんが、実質的に軍を支える下士官達は皆、ルフスの命に従います。陛下がこのセナトを養子に迎えられてより以後、私共は陛下のお力となれるよう、西部諸都市とのつながりを強めて参りました。そのことを、陛下のお心に留めておいて頂きたいのです」

「……それは、次期皇帝の生母としての言葉だろうか。それとも次期イェルグ家当主の妻からの言質と取って良いのかな」

「後者でございます」フェルネーナはきっぱりと言った。「次期皇帝であろうとなかろうと、我が子に無事でいて欲しいと願う母の思いを、あえて申し上げる必要はございません。今私がここにいるのは――」

「奥方様」

 壁際にいたネラが鋭くささやき、言葉を遮った。どきりとした様子でフェルネーナが口をつぐむと同時に、ネラが素早く廊下に身を乗り出し、一人の召使を見つけた。

「ここで何をしているのです」

 詰問され、ドルファエ人の召使は驚いたように黒い目をしばたかせた。果物と水差しの載った盆を捧げ持ち、なぜこんな状況なのかわからないと言いたげに、用心深く、それでも逃げ隠れせず客室に入ってくる。

「お客様がおいでと伺いましたので、水と果物をお持ちしました」

 何も悪い事はしていない、いつもの仕事ではないか。そう言いたげな表情で一同を見回しながら、慣れた動作でテーブルにそれらを置く。ヴァリスが手振りで退去を命じようとしたが、先んじてセナトが声をかけた。

「ミオン。どこか具合が悪いのかい」

「……は? いいえ?」

 思いがけない言葉に、問われた当人のみならず皆が怪訝な顔をする。セナトは相手から目を離さず、あくまで親切な主人らしく言った。

「なんだかいつもより、ぼんやりしているようだから。熱でもあるような顔をしているよ。無理はしないで、少し休憩を貰っておいで」

「粗相がございましたでしょうか。大変失礼致しました」

 ミオンは深く頭を下げて詫びると、温情に礼を言ってから退室した。セナトはその足音が消えるまで待ち、ネラ、と声を低めてささやいた。

「彼を見張って」

「はい」

 皆まで言わずとも、ネラは察して素早く部屋を出て行く。ヴァリスとフェルネーナは共にいささか不可解な表情で、それを見ていた。もの問いたげな彼らの視線を受け、セナトは外の気配に注意しながら説明した。

「陛下はお気付きになりませんでしたか。確かに彼はいつもと少し様子が違いました」

「そなたのようにすべての使用人を観察しているわけではない」

 そもそも今の召使の名前も知らなかった、とヴァリスは応じる。皇帝の仕事に家内の采配までは含まれない、とばかりに。セナトはうなずいた。

「そうですね。彼らは主の邪魔をせぬよう、静かに、自然に、風景の一部のように仕事をします。だからどこで何をしていても大抵は気付かれない。ですがミオンは、いつもはもう少し如才なく応対します。私達の気を散らさないようにしながらも、声をかけられたら覚えが良くなるように振舞う性質の召使なんです。あのように上の空で、目が落ち着きなくさまよっているようなことは、今まではなかった」

「誰かに雇われて邸内でのやりとりを密告している、と?」

「そうではないと思いたいのですが。いずれにせよ、ネラが突き止めてくれるでしょう」

 セナトは慎重に答え、唇を噛んだ。ミオンがネラに呼ばれて室内に入ってくるまでの、ごくわずかな間に見せた虚ろな表情が、強く瞼に焼き付いていた。

(同じだ)

 議場でのフェルシウスと。

(まさか、お祖父様が彼らに何か細工を……?)

 だが魔術師は祖父から引き離して、目の届くところに置いている。先日の“実験”とやらを除けば、大抵は書物を読むばかりで、何か術を行っている様子はない。

「ネラは頼りになる侍女ですわ、陛下。ご安心下さい」

 フェルネーナの声がセナトの物思いを破った。顔を上げたセナトに気付かず、彼女はヴァリスに向けて話し続けている。

「昔からアウストラ一門に仕えてくれている、優れた一族の者なのです。彼女だけでなく、何人もの侍女が多くの家で奥方や子供達に仕えておりまして、互いの侍女を通じて家庭の様子なども耳に入って参ります。年に何回かは、ささやかな茶会なども……。父は女どもの下らぬおしゃべり会だと蔑みますが、私がナクテより西の貴族達とつながりを強められたのも、その茶会があればこそなのですよ」

「ほう。アウストラ一門はかねてより女の家と言われているが、ただの悪意ある噂ではなかったようだ」

「そのお言葉は現当主の耳に入れられませぬように。彼は女が実権を握ることの多かった我が一族の歴史を、忌み嫌っておりますので。実際のところ、噂ほどに女ばかりが強い一門ではございません。ただ、他の貴族よりも女同士のつながりが強く、生まれてくるのも娘が多いというだけのこと」

 フェルネーナは柔らかく微笑んでヴァリスの皮肉をいなし、退屈して指をしゃぶっている娘に目をやった。ヴァリスもあどけない幼子を見て表情を和らげ、小さくうなずくと、半ば瞼を閉じかけている彼女を驚かせないよう、静かに立ち上がった。

「フェルネーナ殿、貴方の意志は確かに承った。ルフス殿にも感謝を伝えて貰いたい。第四軍団が貴殿の指揮下にある限り心強くいられる、と。さて、私はこれで失礼しよう。久方ぶりの親子の団欒をいつまでも邪魔しては心苦しい。それでは」

 彼は優雅にお辞儀をすると、立ちかけたフェルネーナを手で制し、部屋を出て行った。エフェルナは途端に、もたれかかっていた体を完全に倒し、母親の膝の上にだらんと寝転がってしまう。その豪胆ぶりに、セナトは呆れてしまった。

「母上、私もこんな風でしたか? ネラにはそっくりだと言われたのですが」

 見た目だけの話ですよね、と不安げに問いかける。

「あら、ネラがそんなことを言ったの」

 フェルネーナは面白そうにくすくす笑っただけで、過去の事実については教えてくれなかった。


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