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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
138/209

2-4. 紛糾する議会

 ナナイスでフィン達が監査官に辟易しているのと同じ頃、皇都ではグラウスが、フェルシウスを筆頭とする評議員らに難癖をつけられ、釈明に難儀していた。はなから聞く耳を持たない相手に対し、怒りを堪えて理を説くことの苦労ときたら、戦場の方がまだましだと思えてくる。

 同席するヴァリスは険しい顔で唇を引き結び、次々に放たれる陰湿な質問や弾劾演説にじっと耐えていた。論理の隙を見つけて指摘したり、そもそもの議題である東部問題から外れる内容は止めさせたりと、出来る限りの援護はしている。だが露骨にグラウスを庇えば、ここぞとばかりフェルシウスは皇帝自身に矛先を向けるだろう。それこそが狙いなのだ。

(奴らの手に乗ってはならない)

 何度も何度も自分自身に言い聞かせ、拳を握り締めて耐える。イスレヴが戻っていなければ、グラウスと二人して自棄を起こし、議場から飛び出していたかも知れない。

 フェルシウスの背後にナクテ領主がいることは明白だった。書簡が忙しなく行き来していることは公然の秘密だったし、論調にも気配が見え隠れしている。

 そのフェルシウスが今もまた演壇を独占し、唾を飛ばして熱弁をふるっていた。

「そもそも既に竜侯エレシアの死から三年以上経過し、ノルニコムではもはや戦は起こらぬというのに、なにゆえ軍団最高位の司令官が必要なのか! 後任の士官を任命する権限を持ちながら、一度下ろした腰を動かしもせぬとは、よほどノルニコム領主館の椅子は座り心地が良いようですな。さながら玉座の如くに!」

 内外の敵意に晒されて針の筵に座っているような心地だが、とグラウスが反論したげな顔をする。だがフェルシウスが先制した。

「三年前ならいざ知らず、今ではノルニコムの民心も落ち着き、それどころか随分と協力的になっているとは、既に広く知られているところ。グラウス将軍のご尽力によるものだ、流石は将軍だと、皇都でも大層な人気でございますぞ。戦のみならず、政治においても巧みな手腕をお持ちのようだ」

「なればこそ」ヴァリスが代わって反論した。「エレシアの死後、ノルニコムを背かせることなくこれまで統治してこられたのだ。貴君は東部に誰がいれば安心するのだ。ティウス家の寡婦が生きている間は復讐の炎に恐々として首を竦め、グラウス将軍を盾として背後に隠れていただろうに、今度はその盾を引き倒そうというのか。貴君の安心のために、いっそ東部を虫一匹棲まぬ地獄に変えてしまえ、と命じねばならぬのか」

「ふさわしき者が統治すれば良いのです! 帝国と評議会を決してないがしろにせず、都を離れていようとも野心を抱かぬ者を」

 二人が睨み合い、視線が火花を散らす。と、そこで、壁際にひとつだけ離れて作られた席から、「あの」と遠慮がちに手が挙がった。思わぬ発言者に、皆が驚いて振り返る。そこに座っているのは、小セナトだった。議員ではなく、議論に参加する権利もないが、将来のためにという理由で傍聴だけは許されているのだ。

「発言を許して頂けますか、皇帝陛下、フェルシウス議員」

 次代の皇帝から丁寧に頼まれて、断れる議員はいない。

 促されてセナトは立ち上がり、一同をぐるりと見回した。

「さきほどから皆さんの議論を拝聴していましたが、ひとつ、なぜ皆さんが……議員の方々も皇帝陛下も、揃って見落としているのか、私には分からないことがあります」

 ゆっくり言葉を選びながら言い、彼は灰金色の目でじっとフェルシウスを見つめた。

「なぜ誰もが、竜侯エレシアは死んだと、信じて疑わないのでしょう」

 議論の前提になる条件を突き崩され、フェルシウスが怯む。グラウスが口をぎゅっと引き結んで、小さくうなずいた。セナトはそれを視界の端に捉え、励まされたように続けた。

「私はこの三年余り、シロスの皇帝別荘に残された文書などから、失われた知識を拾い集めて来ました。竜と竜侯がどういうものなのか、わずかでも手がかりを得るために。それゆえに推測するのですが、東部からの報告を見る限り、炎竜とその竜侯が、グラウス将軍の攻撃を受けて斃れた可能性は低いと思われます。通常の人間が鍛えた武器では、竜を殺すことは出来ません。もし将軍の放った弩の矢が竜侯を直撃していたら、エレシアだけは死んだかもしれませんが……しかし、ノルニコムが降伏した後、領内の篝火の一部には、ゲンス神の加護が残っていたそうですね」

 そこまで言って、セナトはグラウスに確認する。

「うむ。コムス奪還後数ヶ月してから、闇の獣の脅威が増したために夜間の防備を確認したが……」

 彼が言いかけた途端、数人の議員が聞こえよがしに鼻を鳴らした。また闇の獣か、とばかりに。グラウスはむっとなったが、この場は無視することにした。

「明らかに一部は、祭司のものよりも強力な加護が施されていた。竜侯によるものだとの証言は得られなんだが、それ以外にはあるまいというのが当方の祭司の見解だ」

「それならやはり、竜侯も死んでいない筈です。相当な痛手を負ったのだとしても、生きている限りいずれ再び、ノルニコムに戻ってくると考えるべきでしょう。その時に、一度は確かに勝利した実績のある将軍が東部を守っていれば、軍団兵もノルニコムの民も浮き足立つことはないでしょう。しかしそうでなかったら、思わぬ被害が出るかもしれません。竜侯の帰還がいつになるかは分かりませんが、わずか三年で呼び戻すのは早計ではないでしょうか。どうか議員の皆さんも、もう一度はじめから考え直して下さい」

 議論に不慣れな少年の言葉であり、しかもその内容は評議会で真面目に取り合うのが滑稽にも思われるような、御伽噺の要素を含んでいる。それでも、議員達はざわめき、顔を見合わせてひそひそと相談を始めた。

 ひとまずは良い反応を得られ、セナトはほっと息をつく。だが、ふと顔を上げた瞬間、暗く不吉なフェルシウスの視線に射抜かれて、ぎくりと竦んだ。

 老議員の目は底なしの闇のようだった。唇が微かに動き、うわごとのような声が隙間から這い出る。

 ――惰弱ナ。愚物ニ堕シタカ――

 確かにそうと、セナトの耳には聞こえた。その声が祖父の叱責を思い出させ、彼はぞっとなって思わず身震いした。後退ろうとして座席にぶつかり、へたっと腰を落とす。

 近い席の何人かが彼の様子に気付いて不審げな顔を向けたが、しかし誰も、フェルシウスの侮辱に気付かなかったようだ。セナト自身すら、既に今の出来事が幻覚だったように感じられ始めていた。

 改めて見ると、フェルシウスに別段変わった様子は見られなかった。ただ哀れむような、尊大で傲慢な微笑をこちらに向けているだけだ。

「呑気なことをおっしゃって良いのですかな、セナト=ネナイス様」

 ねっちりと厭味たらしくフェルシウスが口を開く。

「本当に竜侯が生きているなら、どこからか風聞の届きそうなものを、三年余もの間ささやかな噂ひとつ聞かれないではありませんか。百歩譲って、唯人の知り得ぬ世界で傷を癒しているのだとしても、さほどに深手であるなら帰還は遠い先のことになりましょうな。その頃には将軍も、槍ではなく杖をついておいでかと」

 くっくっと喉の奥で笑い声を立てる。一部の議員が追従して笑った。

「慎重さは帝王に必要な資質のひとつでありましょうが、度を越すと下の者に付け入られ、増長を許すことになる。お気づきでないようだから教えて差し上げましょう。グラウス将軍は己の留守中、代わって皇帝陛下をお慰めするよう妹君を説得しているとのことですぞ」

「――!」

 はっ、と息を飲む気配。グラウスと皇帝、それにセナトと数人の議員らが、顔色を変えた。フェルシウスは満足げにうなずき、横槍の入らぬ内にと声を張り上げた。

「東部に居座っているのも、ノルニコムを己が権力の地盤とし、妹に生ませた子を新皇帝に擁立する時、後ろ盾にするためであろう、将軍! 東部の経済と軍団を掌握し、なおかつ新しい皇帝の伯父となれば、帝国を実質的に乗っ取ってしまえるのだから!」

「根拠のない中傷だ!」グラウスが怒鳴り返した。「議員諸君、賢明な貴君らがこのような謂われない告発を信ずるのか!? 私がかつて皇帝陛下と評議会に背いたことが、一度でもあったか! 思い出して欲しい、私が帝国のためにどれほどこの身を捧げてきたか!」

 続けていくつかの功績を自ら数え上げたグラウスだったが、見よこれぞ慢心の証だ、と容赦なく断罪されるに終わった。

 非難と怒号の渦が議場を飲み込み、収拾がつかなくなるかに見えたが、しかし唐突に、騒ぎを始めた張本人が幕を引いた。あまりに興奮して怒鳴りすぎたせいで喉を詰まらせ、喘ぎながらよろめいて、ばったり倒れてしまったのである。

 議場はさらに混乱したが、今度の事態はじきに落ち着いた。幸か不幸かフェルシウスは絶命せず、ただ呼吸が乱れて苦しんでいたのだが、じきに医師が駆けつけて老議員を連れ出したのだ。

 興奮しすぎだ、皆も頭を冷やせ、ということで、その日は閉会と相成った。

 ヴァリスとセナトは、ともに疲れ切った顔で議事堂を後にし、王宮に帰り着くまでお互い一言も口をきかなかった。

 が、屋敷の奥までなんとか辿り着くと、セナトは人目を気にしながら、小さな声で問いかけた。

「ヴァリス様。将軍の妹君とのご結婚は、本当ですか」

「まだ決まったわけではない。どこから話が漏れたのか……」

 ヴァリスは首を振り、ため息をついた。庭を望む通廊の手摺によりかかり、噴水からちょろちょろと水路を流れてくる水を目で追う。そして彼は唐突に言った。

「人は予期せず死ぬ。そこの水路に浮かぶ泡沫のように。そなた一人を跡継ぎにしたとて、安心は出来ぬのだ」

「そうですね」

 それは分かります、とセナトはうなずき、遠慮がちに皇帝の横に並ぶ。ヴァリスは相変わらず、流れる水だけを見ていた。

「そなたが第一の後継者であることは、誰を妻とし、どんな子が生まれようと変わらぬ。だがそなたが万一、私よりも早くこの世を去れば、誰もいない、では済まされない。私もそれほど丈夫な性質ではないのでな。先行きについて楽観してはおれぬ。さりとて新たに養子を取るのは、そなたの祖父の手前、出来ぬ相談だ」

 そこまで言い、不意に彼は辛辣な嘲笑をこぼした。

「フェルシウスはよくも楽観していられるものだ。私が本当にグラウスの妹と結婚して子をもうけ、しかもその子が無事に帝位につけるほどの年まで成長すると、なぜ確信しているのだろうな。その上同じくそなたが生き延び、グラウスもそれまで健勝であり、帝位をめぐって争うことが出来る、などとは」

 愉快な冗談を聞きでもしたかのように、ヴァリスは声を立てて笑った。あまりに棘々しく、ひりつくような笑いだった。セナトは怯み、かける言葉も見付からず、ただ沈黙する。

 すぐにヴァリスは笑い止み、自分に対して頭を振ると、セナトに微苦笑を向けた。

「すまぬな、下らぬことを言った。忘れてくれ。ともあれ、私はそなたに対して何ら含むところはない。妻にする女についても、そなたを排して己が子を帝位に即けようとする恐れのない者を選び、またそのように躾けるつもりだ。案ずるな」

「……もとより、陛下のご厚情を疑ってはおりません」

 辛うじてセナトは声音を取り繕った。咳払いして、こわばったままの顔をなんとか動かす。

「問題になるのは私や陛下のような当事者ではなく、フェルシウス議員や……あるいは私の祖父のような、周囲の動向でしょう」

 フェルシウスの口から漏れた祖父の声を思い出し、セナトは眉をひそめてうつむく。あれは本当に聞き間違いだったのか。それとも……。

 暗い顔になったセナトをいたわるように、ヴァリスが穏やかな声をかけた。

「そうだな。先のことより、明日の議会を乗り切る方策を練らねば。じきにイスレヴと何人かが来るだろう。そなたは部屋で休むが良い。……今日は助かった。感謝する」

 堅苦しく礼を言うと、ヴァリスは静かにその場を去った。セナトはその後もしばらく庭を見つめて佇み、これからどうすべきかをじっと考えていた。


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