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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
133/209

1-6. 変わり変わらず


 女の子というのはいったいどうしてこう、驚くほどの変化を遂げるのだろう。三年ぶりだと言っても、変わりすぎじゃないか。

 そんなことを考えながら、フィンは阿呆のようにぽかんとして、眼前の娘を見つめていた。以前からして、山百合のように清楚ながらも色香の漂う少女だったが、いまや既に大輪の薔薇だ。

 久しぶりとさえ言えないままいつまでも固まっているフィンに、青葉の方が先に苦笑した。

「なぁに、その顔。相変わらずぼやっとしてるのね、竜侯様」

 おどけた皮肉を言いながら、ひょいと手を伸ばしてフィンの鼻をつまむ。流石にフィンも我に返り、己の失態に赤面した。

「いや……すまない、あんまりその……驚いて」

「あたしが美人になったから?」

 小さく笑って青葉は首を傾げる。フィンが正直にうなずいたので、訊いた青葉の方が奇妙な顔になった。

「まったくもう、少しは気の利いた返事をしなさいよ。黒駒の方がもうちょっとましなことを言うわよ?」

「黒駒って……確か、前に来た時」

「そ。何が不満だ、なんて偉そうに言ってた奴。今じゃ結局、あたしの連れ合いよ」

 さらりと告げられて、フィンは絶句した。次いで腹の底にごぼりと湧き出た醜い感情を自覚し、どうにかそれを抑えて、表情を取り繕う。

「それで良かったのか?」

「あら意外、竜侯様が妬いてくれるの?」

 青葉はからかう口調で言い、面白そうにフィンの顔を見上げた。金を散らした灰色の目が、海の色をしたそれとぶつかる。だが青葉はすぐに笑顔を見せて、危うい状況を回避した。

「馬鹿ね。『それでいい』んじゃなかったら、このあたしが我慢して受け容れるわけないでしょ。あなたは知らないでしょうけど、黒駒もだいぶ変わったのよ。まあ、青霧には遠く及ばないけどね。でも、もういいの」

「……本当に?」

「ちょっとちょっとお兄さん、あたしに何を言わせたいの」

 フィンの追及を、青葉はおどけてかわした。と言っても、見せかけの陽気さだけというのでもないらしい。彼女は本当に可笑しそうに、少しばかり気の毒そうな気配さえ漂わせて続けた。

「あんな奴よりあなたの方がましだ、今からでも駆け落ちしましょ、って? 自惚れないでくれる?」

「そうじゃない。俺はただ」

「ええそうね、ありがたくもご心配下さってるわけ。やれやれ、本当にどうしようもない人! 救い難いわ」

 青葉は首を振ってお手上げの仕草をした。フィンは困惑と失望のあいまった気分で、「すまなかった」と差し出口を詫びる。するとまた青葉は笑った。

「天竜がいるのなら、あたしが不幸なのかどうかぐらい分かるでしょう? どうしてそう、普通の男みたいに鈍いことばかり言うの。おかしな人ね」

「いつでも他人の感情が見えるわけじゃない。それに、断りもなく覗き見るのは良くないだろう」

「代わりに言葉であっちこっち余計な所をつつき回して、かえって失礼な結果になっても? ねえ、一度青霧にみっちりしごいて貰ったらどうなの、その辺り」

「…………」

 返す言葉もなく、フィンはがくりとうなだれる。青葉は苦笑して、下がった頭をぽんと叩いた。

「とりあえず、あたしの人生を気にかけてくれてありがとう。でもね、本当に納得してるのよ。青霧はいつまで経っても手の届かない人だけど、黒駒はいつまでも子供のままじゃない。あたしだって少しは大人になったし」

 語る口調はごく穏やかで、あるのは一抹の寂しさだけ。それは負け惜しみでも自己欺瞞でもなく、静かな諦念だった。フィンが顔を上げると、彼女は横を向いて、どこか遠くを見ていた。

「何もかも、ずっと同じままじゃないわ。……変わらないのは竜侯だけ」

 さりげなく急所を一撃され、フィンは息を飲んで怯んだ。青葉はそんな彼を振り返り、微かに辛辣な微笑を見せた。

「あなたはどうだか、知らないけど」

 そう言うと、青葉はくるりと踵を返して歩き出した。気まずい会話などなかったように、肩越しに明るい声を投げてくる。

「青霧はこっちよ。いらっしゃい」

 フィンは胸の痛みを堪えながら、急ぎ足に、しかし追いついて並ばなくても良い程度に、後を追って行った。レーナの見えない手が、言葉の槍でえぐられた傷をそっと覆ってくれる。その温もりさえ、今は新たな痛みになった。

 久しぶりに会う青霧は、確かに三年前と同じ姿に見えた。村外れで一人岩に腰かけ、小刀で木の枝を削って何か細工物をこしらえている。

 それじゃ、と青葉がひらりと身を翻して村の中へ戻って行く、軽やかな動きは相変わらず鹿のようだ。フィンはそれを目で追ってから、改めて青霧に向き合った。彼は座ったまま、穏やかにこちらを見上げていた。

「久しぶりだな、フィニアス。例によって青葉には、いいようにからかわれたか」

「からかわれたと言うか……敵いませんね。ともあれ、お久しぶりです。お元気そうで良かった」

「ああ」

 青霧はうなずき、小刀と枝を置いて立ち上がった。そのまま、黙って歩き出す。村の者に聞かれない場所へ、ということだろう。フィンは何も問わず後に従った。

 少し歩いて見晴らしの良い場所に出ると、青霧は眩しそうに空を仰ぎ、適当な木陰に入って幹にもたれた。

「いつ来るかと思っていたが、随分遅くなったな」

「すみません。ナナイスのことがあれこれと忙しくて」

「順調か?」

「はい、どうにか形になってきました」

「ならば良かった。この春からは闇の眷属も遠のいて、楽になったろう」

 ごく当たり前のように青霧が言った。フィンはこくりとうなずき、表情をひきしめる。

「日が長くなってくるにつれ、どんどん遠ざかって行きました。今も毎晩やって来ますが、数はごくわずかです。あなたは何か理由をご存じですか」

「闇に近しい我々と言えども、彼らの考えが分かるわけではない。だが、多くの眷族が南へ移動しているのは感じられるな」

「山脈よりも南へ、ですか? まさか、北を存分に食い荒らしたから今度は本国を襲うつもりでしようか。本国はまだ豊かで人も多い。だから彼らも勢力を集めて……」

「分からん」

 青霧はフィンの憶測をすっぱり断ち切ると、谷に落ちている暗い陰を見やって言った。

「確かに、人の欲望や盛んな活動は、闇の眷属の嫌うところだ。加えて太古からの憎しみを抱き続けている平地のものらが、街や村を攻撃するのも不思議ではない。だが今、闇を呼び集めているのは、そうした動機とは少し違うようだ」

「何か感じられるんですか」

「多少な」

 青霧はうなずき、目を閉じる。一瞬、彼がもたれている木が巨大な暗闇の影のように見えて、フィンは目をこすった。よく見ようと目を凝らした時には、もうどこも不自然ではない。はてと訝った直後、彼は理由を察してどきりとした。

(竜だ)

 視界がおかしくなったのは、そこに真の闇があったからだ。青霧でさえほとんど姿を見た事がないという、闇の竜。

 青霧は片目をぱちりと開けて、面白そうな微笑を浮かべた。

「相棒に気付いたか。あいつが人前に出てくるのは珍しいぞ、運がいいな」

 言うだけ言ってまた目を閉じる。フィンはつくづくと相手を見つめ、まるで彼本人こそ竜のようだ、などと考えた。そういえば孤児院にいた頃、仲間達とあちこちの家を観察して、飼い犬と飼い主のおかしな似通い方を見つけては笑ったものだ。

(待てよ、それでいくと俺はレーナに似てくるのか?)

 それはちょっと困る。色んな意味で。

 一人奇妙な考えに囚われて複雑な顔をしているフィンにはお構いなく、青霧は目を閉じたまま言った。

「俺が不審に思ったのは、山のものらまでが南へ引かれている様子だからだ。人への復讐だけが目的なら、山に住む眷族は簡単に引かれはせんし、仮に応じたとすれば、怒涛の如きうねりとなるだろう。それこそ人の世界などひと呑みにするほどにな。今は違う。何かは知らんが、闇の眷属を呼び集めているものは、非常に巧妙だ」

「……本国へ、様子を見に行くべきでしょうか」

 フィンは難しそうに唸った。青霧の情報は気がかりではあったが、ナナイスを放り出して行くほどかと言うと、そこまでではない。どのみち彼一人では、何か分かったとしても何が出来るとも思われない。むろん、本国あればこその北部であるから、なおざりには出来ないのだが。

 顔をしかめているフィンに、青霧は軽く首を振って目を開け、答えた。

「急を要するほどとは思えん。だが警戒するよう、おまえの本国の知り合いに手紙を送る程度は、しておくべきだろうな。俺は山のものらが下界に引き込まれぬように気を配りはするが、平地のことまでは知らん」

 話は終わりだというしるしに、青霧は木の幹から離れて、元来た道を戻り始めた。フィンはあれこれ考えながら歩いていたが、ふと思いついて顔を上げ、青霧の背中に話しかけた。

「魔術、ということはあるでしょうか」

「なに?」

 青霧が足を止め、不審げに振り返る。フィンは三年前の記憶を掘り起こしながら説明した。

「ナクテ竜侯の館に、魔術師を名乗る者がいたんです。三年前にセナト=ネナイス様が皇都に帰還した折、館からお連れになったのを目にしましたが」

〈違うと思うわ〉

「それはなかろう」

 レーナと青霧とが同時に否定した。目をしばたいたフィンに、青霧の方が説明する。

「魔術の気配というものは独特で、我々には分かりやすいものだ。北部の端からも闇の眷族を呼び寄せるほど大掛かりな魔術が行われたのなら、竜侯になって日の浅いおまえはともかく、竜には必ず分かる」

〈私、フィンと絆を結ぶまであまり外の世界を見たことはなかったけれど、それでも魔術の気配だけは分かる。あの剣を見た時みたいに。魔術って、私たち竜や精霊に働きかけて力を引き出す技だから、とても嫌な感じがするのよ〉

「そうなんですか」

 フィンは声に出して青霧に答え、心の中で、魔術でないのなら良かった、とレーナに伝える。謎のままの真相はともかく、それなら君は嫌な思いをせずに済むんだな、との意味で。

 その気遣いは、言葉にするまでもなくレーナに伝わった。途端に、

「フィン!」

「うわっ!?」

 レーナが満面の笑顔で出現し、思い切りフィンに抱きついてきた。フィンは危うく小道から足を踏み外しそうになり、慌てて体勢を立て直す。青霧は面白そうに、そんな二人の様子を眺めていた。

 レーナの歓喜の表現が一段落すると、青霧はごほんと咳払いして言った。

「まだしばらくは、様子を見ても良いだろう。もし何か大きな動きに変われば、すぐに知らせる。それまで、おまえは北部の復興に力を注いでくれ」

 それから彼は、珍しくおどけた表情になって言い添えた。

「そうすれば我々サルダ族も、獲物が増えて懐が潤うというわけだからな」


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