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灰と王国  作者: 風羽洸海
第四部 忘れえぬもの
132/209

1-5. 皇帝と魔術師



 白と黒。議事堂の床を正方形に区切る大理石と黒曜石は、整然として美しく、冷たい。その舞台にこれ以上なく相応しい佇まいで、皇帝が告げた。

「では、ヴィティア州への交付税は使途限定で増額、個人宅への水道料金引き上げに関しては暫時現行のままとする……以上の決定をもって、本日は閉会」

 淡々と告げる声には何の感情もこめられていない。議席にふんぞり返っているフェルシウスが満足げに拍手し、半数以上の議員がそれに続いた。一部の議員が苦い顔でおざなりに拍手し、ごく少数の議員は無言で席を立つ。この数年ですっかり当たり前になった光景だった。

 ヴァリスもまた、当然のように、誰から声をかけられることもなく議場を後にする。外に出ると、彼は険しい皺の刻まれた眉間をこすり、息を吐いた。

(一勝一敗……勝ちと数えて良いものならばだが)

 歩きながら今回の成果を反芻して自己評価し、次に打つ手を考え始める。

 本当は、使途限定せず交付税を増額したかったのだが、これは初めから不可能だろうと読んでいた。徴税を確実に遂行するための費用に、とされはしたものの、増額できただけ、成果に数えてもいいかもしれない。

 フェルシウスらは増額分を、徴税吏とその警備を増員して、彼らの北部での活動費に充てると考えている――そしてもちろん派遣されるのは彼らの身内だ――が、一度カネを北部に送ってしまえば、あとは何なりと理由をこじつけて“税収安定のため”に使えるだろう。

 だが皇都はじめ本国内での税制見直しは挫かれた。今のままでは財政が破綻するのは明らかだというのに、フェルシウスの一派は、どこか他所から搾り取ることばかり考えている……貨幣の純度など既に、信用を失う数歩手前の有様。

(加えて不穏なのは、グラウスの召喚だ)

 私欲のため、あるいは取り巻きの支援者に利便を図るため――それだけが行動基準である議員は、フェルシウスに限らない。昔からこの手の議員はいたものだし、そういう目的が透けて見える連中は、相応に御することも出来る。

 だが、異なる動きは制しにくい。

 まだ議題として提出されてこそいないが、ひそひそと交わされる不穏なささやきからして、早晩、東部から将軍を呼び戻せ、との声が上がるのは必至だ。延長した任期はとうに切れているのに、いつまで居座る気か、東部の勢力と癒着をはかっているのではないのか、等々。

 裏でそのように仕向けているのが誰なのか、ヴァリスは薄々気付いている。

(皇都にいながらにして、ナクテ領主に首を絞められるとはな)

 皇都守備隊がグラウスの下にあり、そのグラウスが彼の無二の友である限り、いかに議会での力を削がれようとも、玉座を追われる……あるいは命を奪われる心配までは、ない。

 だがグラウスが失脚すれば。

 苛立ちと警戒が顔に表れていたらしい。玄関で主を出迎えた家令が怯んだ様子で頭を下げた。ヴァリスはうなずきを返すだけにとどめ、一言も発さず奥へ進む。

 いつぞやフィン達が通された私用の客間を通り過ぎ、ヴァリス自身の部屋へと向かう。途中にある部屋のひとつは、扉が開け放しになっていた。ヴァリスの足音を聞きつけて、中から少年がひとり、顔を出す。

「陛下。議会は無事に済んだのですね」

 金をちりばめた灰色の目で見つめられ、ヴァリスはふと表情を緩めた。少年――セナトは、今ではすっかり王宮に馴染み、ともすれば陰気になりがちな家主に代わって邸内の空気を和らげている。

 彼が住むようになってじきに、屋敷の雰囲気が明るくなった。その原因が使用人達の機嫌によると気付いたヴァリスは、今まで彼らに対してあまりに無感覚だったと反省したほどだ。長年身近に仕えている家令と、客を喜ばせるのに必須の料理人ぐらいは別だが、ほかに誰がいてどんな仕事をしているのか、ほとんど注意してこなかった。

 身分からして当然のことだったが、セナトはそうではなく、その違いが使用人達の毎日に活気を与えたようなのである。

 セナト自身もまた、この三年で大きく変わった。外見的なことだけを言っても、背が伸び、声変わりして、顔つきも少しばかり精悍になった。

 ヴァリスは頼もしげに少年を見て、いつものように穏やかに答えた。

「少なくとも、こうして五体揃ってここに立っているからには、無事に終わったと言えるだろうな」

 仕草だけで部屋に入っても良いかと尋ねた彼に、セナトも無言のままうなずいて戸口の脇に避けた。はたから見ると、二人のやりとりは互いを良く理解している兄弟のようにも思われる。

 セナトの机には、つい今しがたまで読んでいた書物が広げられたままになっていた。ヴァリスもかつて家庭教師に言われて読んだことのある、古典的な議会政治論の教本だ。

「退屈ではないか?」

 微かに皮肉な口調で問うたヴァリスに、セナトもやや苦笑した。

「実際の議場を見学する方が、よほどためになります。かつての理念や理想からは、遠く隔たってしまったようですが、それだけに尚のこと」

「まったくな。だが少なくとも北部への交付金を増額させることは出来た。東部の税収を上げられぬのだから、北部に力を入れざるを得ぬ事ぐらいは、酒浸りの頭にも通じたようだ」

「北部は比較的順調のようですね。イスレヴ議員がもうじき戻られると聞きました」

「ああ。彼が戻れば、少しは議事を進めやすくなるだろう。だが代わって北部に赴いた者が愚かな振る舞いをすれば、ようやく出たばかりの芽が踏み潰されかねん。議会の承認を得られる人物の中では、一番ましな者を指名したつもりだが」

「任地に着いた途端、一公僕から王に転身する官僚の多いことは驚くに当たらない。……ですね」

 属州統治論の教本から引用したセナトに、ヴァリスは厳しい表情でうなずく。セナトは気を取り直して、明るい声を出した。

「ですが北部には竜侯がいます。それも、実際に闇の獣と戦い、住処を失った人々を導いてきた当の本人ですから、監査官でも好き勝手には出来ないでしょう。もちろん法的には彼の権限が及ぶのはナナイスだけですが、実質的には北部全土に影響力を持っていると言えるかと」

 そこまで言い、セナトは自分の論に含まれる矛盾に気付いて、曖昧に言葉を切った。天竜侯が北部を掌握すれば、すなわち帝国は北部を失う。だが同時に、そうでなければ、帝国は北部を健全なままつなぎとめておけない。

 セナトは己に注がれている静かなまなざしに対し、仕方なく肩を竦めた。

「ややこしい状況ですね」

「帝国の現状からすれば無理もない」

 ヴァリスは淡々と応じ、ふと顔を上げて、壁に掛けられた織物の地図に目をやった。

「評議会からも、地方選出の議員がほとんどいなくなってしまった。今となっては、どこからどこまでが帝国だと言えるのであろうな」

「陛下……」

 セナトは息を飲み、絶句した。そして、何をも言えない己の無力に唇を噛む。ヴァリスが帝国の各州を順に見つめるのを、黙って共に目で追うしか出来なかった。

 北部は、昔からややもすれば本国の支配が及びにくくなる土地だった。一度壊滅寸前にまでなった今では、本国が押さえていると確信を持って言えるのは、北部の南端、山脈際のわずかな地域だけだ。ウィネア駐在の監査官やナナイスの竜侯とつながりはあっても、そこまで帝国の土地だと言うには、あまりにも遠い世界になってしまった。

 東部は言うまでもなく、エレシアの反乱以来、いまだ安定しない。しかも闇の獣に侵蝕されて、途切れることなく難民が発生し、西へ西へと流れてくる。農地は放棄され、流通は滞り、まさに三年前の北部と同じ状況。

 ――そして、西部。

 表向きは反乱もなく、闇の侵蝕による荒廃も目立っておらず、いまだ健全な帝国の土地であるが、そこに君臨するのは……。

「祖父の考えは、私にも分かりません」

 搾り出すようにセナトは呻いた。ヴァリスが物思いから覚めたように振り返る。その視線を受け止められなくて、セナトはうつむいた。

「この三年で、私も多少は物事を見る目が出来ました。祖父が私を励まして、偉大な皇帝になれ、と言うのも、決して単純な肉親の情ゆえではないと分かるぐらいには。……最近では、祖父は勝利を求めているのだと思います」

「私に対する、か? 評議会を籠絡し、皇帝を蹴落として、そなたを通じて権力を握ろうとしている、と? 孫に告発されるとは竜侯セナトも気の毒なことだ」

 ヴァリスは苦笑し、小さく首を振った。むろん小セナトの不安はヴァリス自身も感じているものだ。この少年にも見抜かれるほど竜侯セナトの権勢欲が露骨になっているのだとしたら、いよいよ大胆な行動を起こす予兆かも知れない。

(もっとも、そんな事はとうに承知だが)

 誰に指摘されるまでもなく、ヴァリス自身がよく分かっている。

 だが、セナトの言葉には続きがあった。

「もちろん、そうした勝利も祖父が求めているうちのひとつだと思います。ですが、何かもっと別の……うまく言葉に出来ないのですが、抽象的なものに対して、それを打ち負かし踏みつけにして上に立とうというような……そんな気迫を感じます。魔術師などを抱きこんでいるのも、そのためではないかと」

 予想外の言葉に、ヴァリスは眉を上げてつくづくとセナトを見つめた。御伽噺の影に怯える幼子のようなことを、と思わなくもなかったが、少年の真剣な表情を見ると、簡単にいなすのは気が引けた。

「あの魔術師は、それほど恐るべきものには思えぬが」

 揶揄していると思われぬよう、真面目な口調を保って言う。

 セナトはそんなヴァリスの苦心に気付かぬ風情で、窓の外へ視線をやった。小さな庭を挟んだ向こうの棟に、噂の魔術師オルジンが部屋を与えられている。彼はセナトに従ってシロスと皇都を行き来していた。一応は、一人で勝手に行動してはならない立場だと理解しているのだろう。あるいは単に、セナトがいなければ自由に書庫にも入れぬから、かも知れないが。

「何をしているのか、何が出来るのか、私達には悟られぬようにしているのかも知れません。大戦の記憶は遠い過去のものになっていましたが、今になって新たな竜侯が立て続けに二人も現れたのです。魔術の技が復活したとて、何の不思議があるでしょう」

「そこまでの話になると、私の手には負えぬな」

 ヴァリスは敢えて平静に、日常の会話の如く答えた。夢物語だと一蹴することは出来ないにしても、真剣に突き詰めて考えたら絶望するしかないと予感したからだ。

「竜の力と魔術に、唯人の身では対抗も介入も叶わぬ。我らをお守り下さるよう神々に祈るとして、己に出来ることをするしかあるまい。すなわち、現状をありのままに見ようとせぬ、目隠しをした議員達の手綱を取り、少しはましな方向に進ませる努力をな」

「……そうですね」

 セナトは頼りなげに微笑み、うなずいて視線を窓から逸らせた。

 ――と、その時。

「うッ!?」

「わ……っっ!」

 閃光が走り、二人は咄嗟に顔を庇って呻いた。わずか一瞬だが、世界が白光に塗り込められ、あらゆる音までが消えた。

 詰めた息を吐き出す頃には、もう何事もなかったように、世界は元通りになっていた。鳥がさえずり、庭園の噴水がちょろちょろ音を立て、風が窓から優しく流れこむ。

「一体、何が」

 ヴァリスは呆然として顔を上げ、窓に駆け寄った。セナトもすぐに横に並ぶ。

 だがいかに目を凝らしても、何ら変わった様子はなかった。雷でも落ちたかと思ったが、どこも崩れておらず、焦げた臭いもしない。

 しばらく辺りを見回してから、セナトはぱっと窓から離れた。

「何をしでかしたのか、問い詰めて来ます」

 危ないから陛下は来ないで下さい、と言葉にするまでもなく気迫で牽制している。ヴァリスは目をしばたき、それから外を見やって「その必要はなさそうだ」と告げた。不審げにセナトが窓際へ戻ると、オルジンが庭に姿を現していた。

 相変わらず体と顔をすっぽり隠す外套をまとい、風に吹かれて浮き上がる落ち葉のような足取りで歩いてくる。

 セナトが身構えていると、オルジンは、声は届くが顔は見えない距離に立ち止まり、わざとのようにゆっくりと一礼した。

「お騒がせを。些細な実験につき、害はありませぬ」

「あれがただの光であったとしても、目を潰された家人が一人や二人はおるのではないかな」

 ヴァリスが皮肉めかして応じると、オルジンは頭を下げたまま答えた。

「それはありますまい。今の光は、ごくごく弱い精霊のもの……それももう、消え申した」

 乾いた声で言い、彼はそっと顔を上げる。だがフードの陰になって、セナト達から表情は見えない。暗い声だけが届いた。

「我が術ごときでは、人はおろか小鳥に害なすことさえ叶いませぬ。ご安心を」

 もう一度頭を下げてから、彼はまた不自然な動きで己の居場所へと戻ってゆく。

「安心しろと言われて、あれほど安心出来ぬ者もおるまいな」

 ヴァリスが辛辣につぶやいた横で、セナトは手の甲の骨が浮き上がるほど強く窓枠を握っていた。

 これほどまでに警戒し、どうにかしてしまいたいと願っているのに、何も出来ないとは。相手は老人、しかもセナト侯の庇護も決して厚くはなさそうなのだし、監禁でも追放でも好きに出来そうなものだというのに。

(どうにかするだけの根拠が得られない、根拠がなければ行動出来ない。悔しい)

 問答無用で人間一人をどうにかするほどに、思い切れない。それは己の弱さなのだろうか。それとも、下手に手を出すよりは監視を続けろという、本能の警告なのだろうか。

 セナトは奥歯を噛みしめ、じっと魔術師の後ろ姿を睨みつけていた。


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