夏日の幻惑
三部と四部の間のどこかの夏。
※微妙にセクハラです。そしてギャグです。本編とのギャップに要注意。
「うひぃー! 水、水!!」
「いててて! 目がー!」
騒々しく悲鳴を上げながら双子が海から上がり、岩の上に置かれた桶めがけて走る。海原を前にして、水、と叫ぶのも妙な話だが、むろん彼らが求めているのは真水だ。
先を争って桶の水で顔を洗い、やっと人心地ついた様子で静かになる。焚き火の番をしながら騒ぎを見ていたネリスが、呆れ顔をした。
「そんなに辛いなら、無理せずにせめて顔を上げて泳げば?」
「いいや、何がなんでも達人並になって見せる!」
「ナナイスで暮らすのに、海に潜れないんじゃ女の子に相手にされない!!」
握り拳を作ったエウォーレスだかエウゲニスだかに、ネリスは眉を上げた。
「下穿き一丁の姿をあたしに見られるだけでも、大騒ぎしてたくせに。新しく来た女の子の前で泳ぎを披露できるの?」
「泳ぎの達人になってたら、恥ずかしくないさ。たぶん」
片割れが自信なさげに言い、火のそばに寄ってくる。残る一人もそれにならった。
「第一、普通の娘さんは男がこんな格好してたら目をそらすよ」
「悪かったわね。一緒に野宿生活してきたあたしに、慎みを要求する方が間違ってるのよ。そりゃ皇帝陛下ぐらい美形だったら恥ずかしくて見られやしないけど、今更いつもの面子に遠慮しなきゃならない理由はないでしょ」
ふん、とネリスは鼻を鳴らし、火にかけた鍋の中身を碗によそった。具は芋だけの質素なスープだが、少しとろみがついており、ほのかに甘い。
夏とはいえ、長時間海に浸かっていると体が冷える。双子はスープをありがたく頂戴し、嬉しそうにすすった。
それから二人は揃って沖合いを見やった。木桶がひとつ、波間にたぷんたぷんと揺れている。
「フィンの奴、よく潜れるよなぁ」
一人がつぶやくと同時に、ザバッ、と噂の当人が浮かび上がった。軽く頭を振り、手に持っていた貝を桶にゴトンと入れる。浜の三人に気付いてちょっと手を上げ、また海に潜って見えなくなった。
「しかも貝を獲るってことは、海の中で目を開けてるんだろ。信じられないなぁ、やっぱり竜侯様だからか?」
「そんなわけないでしょ」
思わずネリスはふきだしてしまった。ウィネア育ちの双子は、コムリスにいた頃も決して海に入ろうとしなかったのだ。今になってようやく覚悟を決め、海での泳ぎを会得しようと頑張っているのだが、ナナイス育ちから見ると滑稽な勘違いも多い。
「まさか二人とも、海の中で目を瞑ってるの? それじゃ何も見えないじゃない」
「いや、時々薄目は開けてるよ。でも痛くてさ……」
「慣れたらどうってことないよ。そりゃまあ、海から顔を出して目を開ける時は、どうしたって痛いけど」
「えぇー、本当かぁ?」
「本当だってば。でなきゃ、アワビとか食べられないじゃない。海の食べ物って、網とか釣り竿でとれるものばっかりじゃないんだよ?」
「それは分かってるけど」
そんなことを話していると、いつの間にかフィンが戻ってきた。やたらと飛沫ばかり立てる双子と違い、滑らかな泳ぎ方だ。桶を持って海から上がると、彼は特に急ぐ様子もなく、真水のところまで行って顔を洗った。
「お疲れ、お芋汁出来てるよ」
ネリスが新しい碗によそって差し出すと、フィンは礼を言って受け取った。彼が近くの岩に腰を下ろすと、いつものように、傍らにふわりとレーナが現れる。それを見てネリスは、やや鼻白んだ。
「あ、そっか。お兄はレーナがいるから、お芋汁は要らないよね」
「それは俺に食うなと言ってるのか?」
フィンが本気で当惑した声を出したので、ネリスは笑ってしまった。
「そうじゃないけど。いいよ、せっかく作ったんだから食べて」
お許しを頂いて、フィンは安心したように口をつける。ナナイスの家庭では、海に潜る家族のためにこのスープを用意しておくのが夏の日常だった。孤児院でもそれは同じで、子供達がそろって海へ行くと、いつも職員たちが大鍋にいっぱい用意してくれたものだ。
「やっぱりこれがないとな」
懐かしそうにつぶやいたフィンに、ネリスも「そうだね」と同意した。
その時になってネリスは、フィンにくっついて興味津々と芋を見ているレーナに視線を移し、ふと目をしばたいた。
「そういえばさ。レーナって泳げるの?」
「え?」
唐突な話題に皆が怪訝な顔をする。ネリスはやや遠慮がちに、質問を繰り返した。
「だってさ、ほら、レーナが川とか海に入ってるとこ、見たことないから。デイア様の竜だし、もしかして水に潜れないのかなって思ったんだけど」
「出来なくはないけど……」
レーナは少し困ったような表情で、小首を傾げて答えた。
「海はちょっと頑張らないと駄目だと思うわ。アウディア様の領域だもの。でも、炎や風と違って私の性質は光だから、浅くて少しだけの水なら平気よ。ただ、必要がないのに潜りたいとは思わないけれど」
「水そのものと相容れないわけじゃないんだな」
フィンがなるほどと納得する。ネリスも、ふうん、とうなずいてから、何気なく言った。
「そっか。じゃ、海で泳ぐのは無理でも、お風呂ぐらいは入れるんだね」
「…………」
場に奇妙な沈黙が降りる。
フィンはある想像をしてしまい、何とも言い難い表情でレーナを見た。それに気付いたレーナが不思議そうにフィンの意識に触れ、途端にかあっと赤面する。フィンは慌てて謝ろうとしたが、より早く、双子がきゃーっと甲高い声を上げてはやし立てた。
「フィニアス君、やーらしーいっ。何考えてるのー」
「いやーん、お年頃なんだからぁーもぉー」
気持ちの悪い声色を使い、大袈裟にしなを作ってくすくす笑う。二人のはしゃぎようにフィンは一瞬ぽかんとし、次いで何をからかわれたのか察して真っ赤になった。
「違うっ!! あんたらこそ何を考えてるんだッ!!」
フィンは怒鳴ったが、双子は面白がるばかりだ。
「そんなこと恥ずかしくて言えませーん」
「ねーっ」
にやにやしながら尚も声色を続ける。ネリスは既に兄を白眼視しつつ、我関せずの位置までじりじり遠ざかっている有様。
フィンが唸っていると、横でレーナが恥ずかしそうに口を開いた。
「あのね、フィン、そんな風にはならないから」
「え?」
「大丈夫だから。私達、隅から隅まで神様のお力で創られているのよ? だから、水に潜ってもそんな風にはならないわ」
「あ……そうか。ごめん、変なこと考えて」
ばつが悪そうにフィンが謝る。レーナは苦笑して首を振った。
二人の様子に、双子も茶化すのをやめて、何の話だと顔を見合わせる。フィンは小さくため息をついて、やれやれと説明してやった。
「ふわふわした犬とか猫が雨でずぶ濡れになったら、随分ほら……惨めになるだろう? ああいうのを想像したんだよ」
「――ああ!」
なるほど、と双子が手を打ち、次いでどっと笑い崩れた。レーナはまたしても不名誉な想像をされてしまい、抗議のまなざしをフィンに向ける。ごめん、とフィンもまた謝って、慰めるようにレーナの頭を撫でた。
レーナは彼にもたれ、双子の笑いが止むまでじっと耐えるかのようにうつむく。フィンは彼女の心に触れて直に気遣いを伝えようとしたが、触れたと同時に、相手が別段傷ついてはいないことに気付いた。どうも他のことに気を取られているようだ。
はて、とフィンが訝った直後、レーナの手がいきなり脇腹に触れた。
「っっ!?」
気構えがなかったもので、フィンはぎくっと身を竦ませてしまう。レーナは慌てて手をひっこめた。
「ごめんなさい。もしかして、まだ痛い?」
そう問うたのは、触れたのが古い傷痕だったからだ。フィンは急いで首を振ってごまかした。
「いいや、びっくりしただけだよ。ここを怪我したのは十年以上前だから」
「そうなの? じゃあ、これも?」
レーナはことんと首を傾げ、今度は膝に残っている白い痕に触れる。フィンは苦笑し、スープの碗を安全圏に置いてから、目立つ傷痕をひとつひとつ指差して記憶を辿った。
「いつの間についたのか覚えてないのもあるが、全部子供の頃の怪我だと思う。昔はよく、そこらの磯で走り回って転んだりしたから。これははっきり覚えてる、十……二歳の時、貝を獲っていてざっくり切ったんだ。血がなかなか止まらなくて、流石に怖くなったな」
ほかにもひとつふたつ、記憶に残る傷痕があった。レーナはその説明を真剣に聞いていたが、話が終わると、何やら納得した様子で両手の指先をちょんと合わせて、まぶしいほどの笑顔になった。
「人間は体を見たら色んなことが分かるのね。フィンの昔の事がいっぱい分かって、すごく嬉しい」
「…………」
再び、えもいわれぬ空気が沈黙となって落ちてくる。むろんレーナには他意も含みもないのだろう、それは分かる。分かるのだが。
返事に困ってフィンは曖昧にもごもご言い、ごまかすように、碗を取ろうと手を伸ばす。そこでハッと不吉な気配を感じて振り返り、素早くその場から飛びのいた。
間一髪、双子が何の前触れもなくフィンめがけて飛びかかり、空をつかんで悔しそうな声を上げる。
「ちっ、勘のいい奴め」
「しかし次は逃がさんぞ」
二人して芝居がかった台詞を吐き、大仰に身構える。フィンはじりじり後ずさり、海に逃げ込もうと機を窺う。
フィンがパッと砂を蹴って駆け出すと同時に、双子が雄叫びを上げて襲いかかった。
「出し惜しみするな、フィニアス!」
「大事なレーナちゃんのためだ、全部脱いじまえ!」
「なんでそうなるんだ!!!」
ぎゃあぎゃあ叫びながら砂浜を走り回る男三人。ネリスは呆れて頭を振り、鍋をかきまぜた。
問題発言をした当のレーナはきょとんとして、逃げるフィンを見ている。やがて追撃を振り切った竜侯様が海へ逃げ込むと、双子は波打ち際でなにやら喚き、続いて持久戦の構えを見せた。砂で塁壁を築き始めたのである。
「本っ当に、馬鹿なんだから」
付き合ってらんない、とネリスはため息をつく。貝の入った桶をつかんで立ち上がると、服についた砂を払って言った。
「レーナ、あたし先に帰ってこれを片しておくから、お鍋と火の番、頼める? とろ火にして、焦げ付かないように時々かきまぜといて」
「はい」
レーナは素直な返事をすると、にっこりして火のそばに寄った。無邪気なその笑顔に、ネリスは和むやら気が抜けるやら、複雑な気分で微笑を返した。
「ほんと、レーナってお日様だよね」
「??」
太陽はただ、空の高みで燦々と輝いているだけ。あったかいのも暑いのも眩しいのも、人間の勝手。暑熱にやられて頭のネジが飛んだかのような馬鹿騒ぎをやらかすのも……。
怪訝な顔でこちらを見上げるレーナに、ネリスはただ、なんでもない、と苦笑したのだった。
(終)
双子が阿呆ですみません……(笑)
次の話から気を取り直して、本編に戻ります。




