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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 閑話
125/209

届かぬ後悔

オアンドゥスとファウナのなれそめ。


 瓦礫だらけになった街路を歩いていたオアンドゥスの足が、ふと止まった。寄り添っていたファウナも、無言で佇む。後から追いかけてきたネリスが、あ、と声を漏らした。

「ここ、クナドさんち……?」

 ナナイスを発つ直前まで、世話になっていた家だ。庭にこっそり瓜の種を蒔いたのが、まるで遥か遠い昔のような気がする。

 ネリスは残った塀の一部を乗り越えて、庭だった場所を探そうとした。が、両親の間に漂う不可解な空気に足止めされ、困惑気味に二人を見つめる。

 ややあって、ファウナが呟いた。

「不思議なものね」

 一歩、二歩。すこしずつ近付いて、腰までの高さになった門柱に手を置く。

「あんな事がなければ、今頃私は、あの下で……」

 崩れた屋根に目を当てて、独り言のようにファウナが言うと、オアンドゥスも横に並び、難しい顔で腕組みする。

「そうだな。俺もきっと、街に避難してきてそのまま……つまり今頃、ここには誰も立っていなかったってことだ」

 どういう意味だろう。ネリスは両親が何のことを話しているのか分からず、さりとて割り込んで尋ねるには見えない壁が高すぎて、ただ立ち尽くしていた。

 と、ファウナが不意に、娘を振り返って微笑んだ。

「お母さんね、本当はクナドさんと結婚することになっていたの」


 風車小屋から街に下りて、食料や日用品を補充するのは、一人息子の仕事だった。オアンドゥスはロバの手綱を引いて、青果店や雑貨屋をゆっくり回って行く。買う物はいつも決まっていて、それ以外のものは眺めるだけだった。

 一通り買い物を済ませたら宿屋に立ち寄るのも、毎度のことだった。幼馴染のクナドとは、学校に通う歳を過ぎて時々しか会わなくなってからも、変わらぬ友情が続いている。

「やあ、来たな。上がれよ」

 親しく肩を叩き、クナドはオアンドゥスを中へ通す。どうやら今日は、立ち話だけではない何かがあるらしい。オアンドゥスはロバをつないで、使用人に目礼しながら、家族の暮らす棟へ歩いていった。

 クナドの家は三代前からの宿屋で、小規模ながら交易も営んでいる。政治においては目立たないが、財産面から言って、ナナイスでは中の上に位置する家柄だ。一方オアンドゥスは祖父の代からの粉屋で、裕福とは言えないが、それなりに安定した生活基盤を築いている。中の中、と言うところか。

 二人ともそろそろ二十歳で、家業においても少しずつ任される部分が増えてきていた。そんなわけだから、

「実はな、婚約が決まったんだ」

 クナドが言い出したのも、驚くには当たらなかった。

「へえ、そうなのか。少し早い気もするが……おめでとう。相手は誰なんだ?」

 オアンドゥスは言いながら、祝いの品は何がいいかな、と早くも考え出す。クナドは機嫌良く答えた。

「紹介するよ。今日はおまえが来るだろうと思ったから、呼んでおいたんだ。父親は漁師なんだが、同業者の間じゃ、顔役みたいなものらしい。うちの親父は交易商人と縁組したかったんだけど、まぁ、漁師とのつながりを太くしておけば、宿で出す料理にも色々融通が利くようになるしさ」

「じゃあ、話をまとめたのは女将さんの方か」

「親父は認めたがらないが、そうだろうな。俺はどっちでも、うちの経営にとって損にならない限り、構わないんだ」

「美人なのか?」

 オアンドゥスはにやっとして問うた。不満がないのなら、そういうことだろう。

 案の定、クナドは視線をそらしてとぼけ、鼻をこすって表情をごまかした。

「いやぁ、まあ、どうかな。悪くはない。うん。見れば分かるさ」

 ほら、と自室に招き入れる。クナドの後から部屋に入ったオアンドゥスは、中で待っていた娘を目にした瞬間、棒立ちになってしまった。

 緩く渦を巻いた金髪、ふっくらと柔らかく丸みを帯びた頬、ぱっちりした榛色の目。働き者の証拠に少し日焼けして、顔にそばかすが散っている。貴婦人にとっては欠点だが、娘がにこっと笑った途端、それさえも愛嬌のある魅力となってオアンドゥスを打ちのめした。

(最悪だ)

 眩暈を堪え、オアンドゥスはお辞儀に紛らせて顔を伏せる。

(出会った瞬間に失恋だなんて、過去最短記録じゃないか)

 泣きたい気分になりつつ、どうにか表情を取り繕って、初対面の挨拶をした。

 オアンドゥスは外見だけで言えば決して不細工ではないが、残念なことに、愛想も気働きもかなり不足している。金持ちでもないし、洒落た会話が出来るでもない。これまで何度か街の娘に熱を上げたが、ことごとく振られてきた。

 話が結婚となれば、いずれはオアンドゥスにも相手が見付かるだろう。恋仲の相手がおらずとも、親同士が各家の利益を秤にかけて取り決めるのが慣例だ。だが、それでいいさと諦めるには、オアンドゥスはまだ若すぎたのだった。


「へえー、そうだったんだ。母さんの方はどうだったの? やっぱり一目惚れして、婚約相手を間違えたって後悔した?」

「いいえ」

 ファウナが失笑し、ちらりと夫に悪戯っぽい視線を投げる。オアンドゥスは苦笑いで首を振った。

「出会ってしばらくは、俺のことなんか眼中にない感じだったな。許婚の友達だから、一応それなりに挨拶も会話もするってだけで、実のところ名前も覚えられてないんじゃないかと思ってた」

「流石に名前は覚えたわよ。でも、今だから言うけど、正直なところ最初はどうしてクナドはこの人と友達なのかしらって不思議だったわ」

「ぼさっとしてて冴えなくて貧乏でつまらない男なのに、か?」

「そうね」

 否定するかと思いきや、ファウナは笑って肯定した。そして、傷ついた顔をしたオアンドゥスの腕を、おどけてぽんと軽く叩いた。

「それだけ私に見る目がなかったってこと。若かったのよ」


 婚約から実際に結婚するまで、当の二人がまだ若いこともあって、段取りはごくゆっくりと進められていった。

 その間、オアンドゥスとファウナも多少親しくなりはしたものの、相変わらず互いの距離は『知人』程度のままだった。

 ――が。

 状況が一変したのは、婚約から半年が過ぎた頃だった。

 ファウナの父親が漁に出たきり帰らず、数日経って無残な姿で浜に打ち上げられたのだ。

 最後の漁は一人でほんの沖合いまで出るだけのものだったから、仲間に殺されたとか海賊にやられたというような話ではなく、単純な事故だとしか考えられない。にもかかわらず、遺体のありさまは酷いものだった。

 神罰だ。

 誰かが恐れて呟いたのも、無理はなかった。家族でさえ正視できないほどだったのだから。

 しかしその浅慮な一言は、瞬く間に野火のごとくナナイス中に広まった。まともな葬式も出せず、ファウナと母親は、人目を憚りながらひっそりと埋葬を行った。生前さんざん世話になった者でさえ、参列せずに遠くからこっそり見守るのが関の山。

 悪いことは重なるもので、その後間もなく母親が病に臥した。体のあちこちが醜く腫れ、手足の自由がきかなくなってしまったのだ。本来なら救いの手を差し伸べるべき近隣住民も母娘から潮が引くように遠ざかり、神殿でさえ、伝染性の病が考えられるからと、介護を断った。

 そうなれば、婚約が破棄されるのも当然の成り行きだった。

「おまえが薄情だとは思わんが、はっきり言うぞ、失望した」

 街の住民よりも遅れて噂を知ったオアンドゥスは、憤然とクナドの家に押しかけ、玄関先で挨拶もせずに言葉を叩きつけた。

 クナドが基本的には優しく親切な人物だということは、幼馴染ゆえによく知っている。だから、家族や親類が何を言っても、ファウナを守ってくれるだろうと予想していたのに。

 一方的な非難に、クナドは唇を噛みしめたまま反論しなかった。オアンドゥスもしばし沈黙し、言おうか言うまいか考えてから、ゆっくりと静かに、堪えきれない無念の声を漏らす。

「家の事情は想像出来なくもないが、おまえなら、好いた女を守り抜くぐらいの気概はあると思っていた」

「俺だって」クナドが素早く遮った。「出来るならそうしたいさ。おまえに何が分かる」

 お定まりの、捨て鉢な売り言葉。オアンドゥスはそれを買わず、ただじっと相手を見つめ返す。先に目をそらしてうつむいたのは、むろんクナドだった。

 長く重い沈黙の末、オアンドゥスが言った。

「……ファウナは、俺が面倒見る。文句はないな?」

「勝手にしろ。もう、うちとは何の関係もない」

 クナドは、奥歯の間で挽くかのようにして答えると、くるりと踵を返した。去り際に、拳で壁を叩きつけて。


 根拠のない噂のせいで街に居辛くなっていたファウナと母親は、オアンドゥスの申し出を受け入れ、ほとんど日を置かず風車小屋に移り住んだ。

 噂がおさまるまでの数ヶ月、彼らはひたすら耐え忍んだ。

 ファウナを庇ったことで粉屋の評判も落ちたが、オアンドゥスはめげなかった。陰口を叩かれても、得意先に門前払いを食わされても、荒れたり怒ったりせず、とにかく今までと変わらず誠実に仕事を続けたのだ。

 そうこうする内にファウナの母親の病状も少し快復し、噂の声も小さくなって。

 いつの間にやら、何事もなかったかのようにクナドは交易商の娘と結婚し。

 街の住民も、やっぱり風車に粉挽きを頼まないと不便だと考え直して。

 ――すべてが、雪解けのようにゆっくりと緩み、流れ去っていった。


「その後も、色々あったのよねぇ」

 ファウナは遠い目をして言った。介護が必要になった母親は、病が完治することなく数年で没した。同じ季節にオアンドゥスの父親も、怪我が元で死亡。さらに、ファーネインに話した『可愛くて素敵な従妹』が、夫に浮気され愛人経由で重い性病をうつされた上に家を追い出され、ファウナを頼って来たものの余命いくばくもなく世を去った。

「でも、その頃にはもう、この人と一緒なら大丈夫だって分かっていたから」

 頼もしげに夫を見上げて、ファウナはにこりとした。オアンドゥスは照れた様子で、なんとも答えずに明後日の方を向く。

 ネリスは冷やかそうとして睨まれ、素知らぬふりで、崩れた塀をひょいとまたいだ。

「ふうん、それであたしにはお祖母ちゃん一人しかいなかったんだね。でもなんか……意外だなぁ。クナドさん、そんな人には見えなかったけど」

「ああ、クナドも本当は善い奴なんだ」

 オアンドゥスが言った。過去形でないのは、まだその死を実感できないからだろう。自覚のないまま、彼は続けた。

「あの頃は俺も若くて、自分が正しいという信念さえあれば、親類のしがらみだの利害だのは、どうにでもなると考えていたから……悪いことをしたな。実際あいつも、しばらくは俺達のことを無視していたが、祖父さんが死んだ後ぐらいから、また仕事を頼んでくれるようになったし」

「そうね」ファウナも懐かしそうにうなずいた。「言葉にして謝ったりはされなかったけど、私達に負い目を感じているのは、なんとなく分かったわ。……もういいからって、ちゃんと伝えた方が良かったかしらね」

「どうだろうな」

 曖昧に応じたオアンドゥスの声が、少しかすれて揺れた。

 もう、分からない。伝えたくても、声は届かない。ただ祈るしか――

 黙って立ち尽くすオアンドゥスの手を、ファウナはそっと軽く包んだ。指の欠けた手が、それを強く握り返す。

 ネリスがそっと立ち去ったことにも気付かないまま、二人は長い間、静かに佇んでいた。



(終)

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