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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
122/209

6-5. 新たな始まり



 月が満ち、欠けて消え、そろそろと顔を出す。陽射しは日増しに強くなり、海の色も明るくなってゆく。

 街に二軒目の仮小屋が建って、漁のための小船が新たに作られ、網が繕われて。畑には緑の葉が茂る頃、船が再びナナイスを訪れた。今度は品物だけでなく、思いがけない人物が一緒だった。

「イスレヴ殿! 何かあったんですか?」

 迎えに出たフィンが驚くと、イスレヴは笑って「いやいや」と首を振った。

「ウィネアから叩き出されたというわけではないよ、安心したまえ。そろそろ落ち着いた頃かと、様子を見に来たのだ。移住を待ちかねた皆にせっつかれてね」

「えっ……」

 フィンが絶句し、ネリスが目を丸くする。

「こっちに来たいって人がいるんですか!?」

 信じられない、という正直な口調と表情に、イスレヴは声を立てて笑った。

「そこまで驚くことはなかろう。なに、元々ウィネアの外から避難してきた人々の中には、都会暮らしに嫌気がさしている人も少なくないというわけだよ。どこに行っても貧しいのは同じだ。ならば少しでも自由のあるところに、と望んでもおかしくはあるまい? この一年余りで土地を失った農民の数家族も、移住を希望している。ウィネア周辺も多少安全になったとは言え、それだけの土地では全員に行き渡らんのでね。ここでなら彼らも経験を存分に活かせるだろう」

「それにしたって……城壁も、住むところも、何にもないのに」

「それを言うなら、君達こそ一番何もない時にここへ来たじゃないか」

 イスレヴはおどけてからかうと、改めてフィンに向き直った。

「というわけで、そろそろ本格的な移住が可能かどうか確かめ、可能ならその準備を始めようと思ってな。皆を集めて話が出来るかね」

「あ、はい」

 慌ててフィンは、各所に散らばっている仲間達を呼びに行く。ほどなく、往年の面影を取り戻した広場に、全員が顔を揃えた。商船からはタズだけが加わり、あとはまた宝探しをさせられている。

 イスレヴは一同を見回し、おもむろに切り出した。

「さて、見たところあらかた瓦礫の除去も済み、水道も復旧している。君達の顔色からして、闇の獣の攻撃が激しくて眠れないというわけでもなさそうだ。新しい住人を迎え入れる準備は良いかね?」

 問いかけは主に、フィンやオアンドゥスら、古いナナイスの市民に向けられていた。新参者は誰も、ナナイスの人間ではない。どれほど待っても、以前の住民は帰って来ない。頭で分かっていても、心の準備は出来ているか、と。

 フィンは皆と順に目を合わせ、それから深くうなずいた。イスレヴはそれぞれの表情を確かめてから、よし、と応じた。

「では自治都市ナナイスとして再出発するにあたり、最初に代表者を選出して貰いたい。むろん自治が前提であるから、代表者以外に必要な役職はそちらで決めて貰って構わないが、本国が――すなわち当面は私が、交渉する相手を定めて貰いたいのだよ」

 話しながらも、彼の目は既に決まっているとばかり、フィンに注がれていた。聞いていた一同も、本人を除いて、言葉半ばにしてフィンの方を見る。

 注視に晒されてもまだ気付かず、フィンは真面目に考え込んでいた。

「それなら、おじさんに任せるのが一番……」

「何を言ってるんだ」

 息子の台詞を遮り、オアンドゥスは呆れ声を上げた。えっ、とフィンは驚いて顔を上げ、ようやく皆の視線の意味を悟って目を丸くした。

「俺ですか!? でも、こういうことは年長者の方が」

「いくら年長でも、竜侯がいるのにほかの人間が代表になるなど、馬鹿げているだろう」

 そんなことも分からないのか、とばかりプラストが頭を振る。オアンドゥスもうむとうなずき、

「第一、皇帝陛下が自治の約束をした相手は、フィニアス、おまえだろう。おまえが代表にならなくてどうする」

 正論で諭してから、にやりと笑って付け足した。

「俺は今よりややこしい仕事を引き受けたくはないからな。お偉いさんと膝を付き合わせて話をするのも御免だよ」

「おじさん……」

「いい加減に自覚しなよ、兄貴」とうとうマックまでがフィンを見捨てた。「兄貴はもう、立派にお偉いさんの仲間入りをしちゃってるんだよ。将軍と一緒にクォノスにいる間も、皇帝陛下のお供をして皇都まで行った時も、あの人達が話をしに来た相手は、いつも兄貴だったろ?」

「いや、でも、あれは」

 なおも抵抗を試みるフィンに、双子が追い討ちをかける。

「往生際が悪いなぁ」

「諦めがつくように本音を聞かせてやるよ」

 そこで二人は顔を見合わせ、なぁ、とうなずきあった。「本音?」とフィンが眉を寄せると、双子はぴったり声を揃えて言った。

「おまえが代表だと便利だからさ」

 本音にしても少しばかり正直すぎやしないか。フィンが顔を歪め、皆が失笑した。双子は歌うような節を付けて続ける。

「おまえが面倒を引き受けてくれたら、俺達は無心に家を建てたり畑を耕したり出来るし」

「おまえだったらレーナに乗って、ウィネアまでひとっ飛び、連絡役にはもってこいじゃないか」

「水道壊れたのでぇー技官を寄越してくださーい」

「人口増えたからぁー医者を寄越してくださーい」

「収穫少なくてぇー税金納められませーん」

 厄介なことばかり羅列した挙句、

「ぜぇんぶぅー竜侯様にーおまーかせぇー」

 などと高らかに歌い上げてくれた日には、フィンでなくとも逃げ出したくなろう。爆笑の渦の中、フィンは一人だけ頭を抱えてしまった。

「あんたらは……っっ」

 険悪に唸ったフィンの肩を、ぽんと叩く手がひとつ。振り返るとイスレヴだった。

「諦めたまえ。では、代表は竜侯フィニアスということで」

「ちょっ……!」

 待て、との抗議は、盛大な拍手にかき消された。竜侯様がいくら睨んでも、まったく効果がない。フィンは深いため息を吐き出すと、やれやれと頭を振った。

「分かりました、引き受けます。でもイスレヴ殿、俺は行政的なことは何も知らないので、実際の仕事は皆に任せることになると思いますが」

「むろんそれは構わんよ。君は皆の意見や要望をまとめ、本国側との窓口になってくれれば良い。早速始めようかね」

 イスレヴはまったく動じず、まるで何事もなかったかのように仕事にかかった。

 決めなければならないことは山ほどあった。一番の問題は土地の所有権だ。基本的に土地はすべて国のものだが、自治都市であるから国が土地を貸し与えて運用を任せる、という形になる。なんらかの収益が上がればそこから税金を納めなければならないわけだが、そうでなければ無償だ。

 周辺の農地に関しては、かつて国から土地を与えられた富農もいたのだが、今は所有者も借り手も誰もいない。

「そうした土地の調査を行い、所有者のいない農地で再び耕作を始める場合、当人の代に限ってその土地の所有権を与える。当人が死亡した後は国のものとなり、引き続き農業を営む場合は国に賃借料を支払う義務が生じる。これはまぁ、新規農地の開墾に準ずるわけだがね。君達にはそうした土地の管理も行って貰わねばならん」

 ナナイスの活動は、城壁の内側だけで完結するものではない。ナナイスと密接に結びついた周辺の農地までを包括して、ひとつの都市なのだ。自治を行うのならば、そこまで含めた管理を自分たちでやれ、というわけである。

「まあ、そこまで手が回るようになるのは、まだ先だろうがね。それから、公共水道だが……」

 あれもこれもと、イスレヴはてきぱき話を進めてゆく。取り決められた内容が書面にされ、次々に積み重なっていく様を、不慣れな一同はぽかんと見ているばかりだった。

 今後ナナイスが自治都市としてやっていくのに必要な最低限の協約をまとめ終えると、イスレヴは「ああそうだ」と思い出したように、最後の取って置きを持ち出した。

「つい先日、皇帝陛下からの書簡が着いてね。ウィネアまで無事に郵便が届くようになったのはめでたい限りだ。まあともかく、その内容なんだが」

 ご覧、と丸まった羊皮紙を差し出す。この上まだ何が、とフィンは恐る恐る受け取ったが、文面に目を走らせ――きょとんとした。

「……『ディアティウス帝国皇帝ヴァリス=グラアエディウス=ゲナシウス、ならびに評議会は、ナナイスのフィニアスを北部天竜侯として認定し、家門および家族名を名乗ることを許可する』って……これはつまり?」

「土地はやれないが貴族としての名乗りは認める、ということさ」

 イスレヴがしらっと答え、奇妙な沈黙が生じる。次いで、タズとネリスがぶふっと失笑した。つられて双子もふきだし、プラストがなんとも言えない面白そうな顔になる。フィンはありがたいのか何なのか分かりかね、複雑な顔で書状を何度も読み返した。

「そう言われても、家門も家族も、ないものは名乗れませんよ」

「自分で好きなように名乗れば良い。君がその初代になるというわけだよ。うんと偉そうなものを考えたまえ。なんならデイアの名を戴いてはどうかね」

「まさか!」

 とんでもない、とフィンは頓狂な声を上げる。イスレヴは愉快げに笑った。

「まあ、好きにしたまえ。私はタズ君達と同じく数日ここに留まるから、その間に考えてくれたら良い。決まったら、私から皇都に知らせておくよ」


「お兄が貴族ねぇ」

 にやにやしながらネリスが繰り返す。フィンはしょっぱい顔をしたまま答えない。どうにも、こういうことを考えるのは苦手だ。フィンが唸っているので、レーナがきょとんとしてネリスに訊いた。

「貴族とか名前とか、どういうこと? フィンの名前が変わってしまうの?」

「あ、そっか。レーナは知らないんだっけ。あのね、えーっと。あたしも詳しい決まり事までは知らないんだけど、あたし達には自分の名前のほかに、家門名とか家族名とかを持ってる人がいるのね。同じ名前の人がいたら区別できないでしょ。だから、ご先祖様が誰で……ってことを表すのが家門名で、今の自分の家族は誰か、ってことを表してるのが家族名」

「同じ名前の人がいるの?」

 驚いて目を丸くしたレーナに、横からフィンが苦笑して口を挟む。

「竜と違って、人間は数が多いから、全員に違う名前はつけられないんだよ」

「じゃあどこかに、別のフィニアスって人もいるのね」

「そう。それがたまたま同じ場所にいたら、ややこしいだろう? 俺達の場合はそれでもまだ、粉屋のフィニアスと漁師のフィニアスとか、川縁のマックと丘の上のマックとかいう風に、職業や住んでいる場所で呼び分けられるが、偉い人になってくると、そうもいかない」

 まず一族の人数が増える。偉大な先祖にあやかって同じ名を代々使ったり、職業や住まいも似たり寄ったりになる。そうなったら、何屋の誰それ、では通じない。

「だから、家門名や家族名を使うのさ。もちろん、誰もが好き勝手に名乗ったら混乱するから駄目だし、誰も知らないようなご先祖様を持ち出しても、身元の証明にはならないから意味がない」

 というわけで自然と、家門名と家族名の両方を備える者は、強い権勢を誇る限られた一族だけになる。結果、いつしかそれが貴族の証となった。

「じゃあ、フィンは?」レーナはすっかり困惑して目をしばたたいた。「今までなかったのに新しく名前をつけるって言っても、先祖が誰かもわからないんでしょう?」

「ああそうだよ。だから、自分が何者かを表す名前を、自分で考えなきゃならないんだ。もし俺に子供が出来たら、それ以降は今ここでつけた名前をそのまま受け継いでいくことになるわけで……あんまり適当なものはつけられないし、かと言って大仰なのは……うう」

 フィンはまたしかめっ面に戻り、頭を抱える。苦しむことしばし、彼はとうとう降参した。

「駄目だ、何も思い浮かばない。マック、代わりに考えてくれ」

「ええっ、俺が!? そんな大事なこと、人に任せないでくれよ!」

「大事だから余計に決められないんだ」

「そんな無茶苦茶な……。レーナとおじさんの名前を使わせて貰ったらいいじゃないか。デイア様のところは省いて、エルファレニア=オアンディウス、とか」

「じゃあ、それで」

「即決!? もうちょっと考えてくれよ、思いつきで、例として言っただけなんだから!」

 マックが叫びネリスが呆れ、ファウナが笑った。が、フィンはもう決めたとばかり、ひらひらと手を振る。

「充分さ。変に凝るより、レーナとおじさんの名前が一番いい。それより、別のことを考えなければ。新しい住民が来るとなったら、場当たり的に街を再建するわけにはいかない。プラスト、ちょっと来てくれ」

 手招きされて、プラストは何も言わずに歩み寄った。内心呆れているのかも知れないが、ヴァルトと違ってそういうことは、滅多に態度に表さない。

 ともあれ、フィンはぐるりを手で示して、どこに何を建てていくか、相談をもちかけた。

 神殿は今まで通り岬の上に建て、広場に面した場所に集会所。それはほぼ決定だからいいとして、今の仮住まいをどうするか、どこから住居を建て、住居と離すべき建物はどこにするか。

 ネリスとマックも真顔に戻ってその話に加わり、皆であれこれと設計に頭を捻った。夢は途方もなく広がり、空想のナナイスには市場や浴場、図書館に劇場までもが建ち並んでいく。

 ややあって、ふと我に返ったプラストがぼそりとつぶやいた。

「それだけのものを建てるには、資材がまるで足りんな」

 途端に夢から覚めてしまい、ネリスが鼻白む。

「そりゃ、今すぐにとはいかないだろうけど。予定として、ってのも無理?」

「無理とは言わんが、前途多難だな。まず何人ほど新しくやって来るにせよ、その住まいを建てる石材さえない。瓦礫ばかりは山ほどあるが」

 網代に泥塗りでは、建物の寿命としてはかなり短い。それに、出来ればやはり、基礎はきちんとした石造りにしておきたいところだ。

 と、その言葉を聞いたフィンが、ためらいがちに口を開いた。

「考えたんだが……城壁の石材を転用できないか?」

「えぇ!?」

 ネリスはもちろん、はたで聞いていた双子までが素っ頓狂な声を上げた。オアンドゥスが眉を寄せ、「本気か?」と問う。もちろん、崩れた城壁から石材を転用すれば、街の再建は随分助かるだろう。神殿や集会所のような、頑丈であるべき建物も、立派なものに出来るに違いない。

 だが、当然そうなると、

「城壁がなくなっちゃうじゃない! お兄、どうやってナナイスを守るつもり?」

 新しい城壁を築くためには、石を切り出して運んで来なければならず、そんなことが可能になるのは何十年後になるか知れたものではない。

 だがフィンは動じなかった。今は街もすっかり見通しが良くなって、広場からでも城壁が見えるが、その哀れに崩れた姿を見やって淡々と答えた。

「どのみち、彼らが大挙して押し寄せたら城壁なんてあっても無意味だ。この有様がその証拠だろう? 人間の敵が攻めてくる心配はまずないし、実際、歴史を振り返ってもナナイスが城壁に頼ったことはほんの一度か二度、大戦後の帝国とヴィティア人部族が対立していた時期だけだ。必要ないよ」

 理屈としては筋が通っている。とはいえ、いまだ闇の獣の脅威を肌で感じている皆にしてみれば、半ば崩れていても城壁があるとないでは大違いだ。誰もすぐには答えようとしない。

 フィンは少し待ったが、賛成も反対も聞かれないので、続けて言った。

「とりあえず今夜、城壁を境界とせずに闇の眷族を遠ざけておけるか、試してみる。交代が必要になれば呼ぶから、それまでは全員が家の中にいてくれ」

「またお兄は、そういう無茶をする」

 途端にネリスがしかめっ面をしたが、フィンは「大丈夫」と笑って彼女の頭を撫でただけだった。


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