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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
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5-5. 記憶の棘


「あなたでしたか」

 祭司フェンタスは、フィンを一目見るなりそう言った。お久しぶりですとさえ言い出せず、フィンは面食らってきょとんとする。フェンタスは自分に苦笑し、いや失礼、と謝りながら彼を招き入れた。

「最近、急に兵営が活気付いたもので、何事かと訝っておったのですよ。なるほど、あなたが天竜侯でしたか。では妹さんもご一緒に?」

「はい。今日明日にもご挨拶に伺うと思います。今はまだ、部隊が兵営に入ったばかりで色々と用事があって手が離せないようですが。フェンタス様もお元気そうで安心しました」

「ネーナ様のご加護のお陰ですよ」

 しゃべりながらフェンタスはフィンを部屋に案内し、火鉢に載せた薬缶から茶を注いですすめた。この頃では晴天なら昼間に火の気は要らないほどになっていたが、祭司部屋の火鉢は、薬師を兼ねるという職業柄か、それとも単に歳のせいか、炭があかあかと燃えている。

 フェンタスは以前と同じ質素な腰掛に座り、熱い茶を冷ましながら一口、二口すすると、慎重に切り出した。

「さてと……私が訊くのは図々しいと承知ですが、あの子はどうしていますか?」

「ファーネインのことなら、安心して下さい。世界で一番安全な場所にいますから」

 フィンは途中経過をすっかり省略して告げた。その口調にフェンタスは何かを感じ取ったようだったが、追及はせず、ただ静かに礼を言った。

「そうですか、ありがとう。アンシウス殿が司令官になってから、あのような事はすっかりなくなりましたよ。その代わり寄付も激減しましたが……まあ、配給が公平に行われているので、飢える心配はないのが救いです」

 そこまで話してから、彼は改めてしげしげとフィンを見つめて言った。

「こちらのことより、あなたの方が大変なのではありませんか。天竜の力は随分と強いようですが、それにしても疲れて見える。噂では、たった一人で城門を一晩中守られたとか」

「ええ。そのことで、お願いがあって伺いました」

「私でお役に立てることなら、なんなりと」

 快く応じたフェンタスに、フィンは小さく頭を下げた。

「ありがとうございます。実は、城壁の篝火のことなんですが……今夜から、ネーナ女神の加護を授けて下さいませんか。ネリスも手伝うと言っています」

 意外な頼みにフェンタスは目をぱちくりさせた。今はデイア神殿の祭司が毎晩、城壁を回って篝火を点している。闇の獣に対抗するなら、光の神デイアの加護こそが必要なのではないか。

 訝る顔になった彼に、フィンは丁寧に説明した。

「不思議に思われるのも分かります。もちろん、今のデイア神殿の方が力不足というのではありません。むしろ逆で……あれでは、眩しすぎるんです」

「眩しすぎる?」

「はい。城門の外に立って気付いたんですが、あれだけ眩しい光がぐるりと街を取り囲んでいるのでは、闇の眷属を挑発しているも同然です。それに、城壁の上がそれだけ明るいと、足元にはより濃い闇が生じてしまう。だからこそ、彼らは城壁の真下にまで迫ることが出来るんです」

 それからフィンは、対処法を変えなければ闇の獣の憎しみを募らせる一方で際限がないこと、悪循環を断ち切るためにどうすべきかを説いた。

 フェンタスもやはりすぐには受け容れられないという表情だったが、反論はせず、わかりました、とうなずいた。

「流石にお言葉だけでは信じかねますが、実践してみもせず断ずるのは早計というもの。やらせて頂きますよ」

 合理的な態度は、いかにも常日頃、患者の変化を観察して治療を施している人間らしい。フィンがほっと安心すると同時に、通廊の方から遠慮がちなマックの声がした。

「祭司様、お邪魔します」

 フェンタスとフィンは揃って振り返り、話は済んだから入って来い、と手招きした。マックは笑顔になり、いそいそとフェンタスの前まで来ると、深々と頭を下げた。

「ありがとうございます、祭司様。テトナの皆に代わって御礼申し上げます」

「おやおや。そんなに畏まらないでおくれ、マック。あの子達は皆、もう神殿の子です。君がいなくなってしばらくは、寂しがって大変でしたがね。君やフィニアスがよく面倒を見てくれたおかげで、あの子達はすぐにここでも、きちんと生活が出来るようになりました。そうそう、何人かは里子に貰われていきましたよ」

 フェンタスは笑顔になって、三人ほどの名を挙げた。マックが驚き、次いで喜ぶべきかどうか迷う表情になる。フェンタスは彼の不安を察して、ぽんと肩を叩いた。

「大丈夫、どの里親もまっとうな人です。こんな厳しい状況では里親になる人などいるまいと思っていたのですが、厳しいからこそ、子供という希望を育みたい、という方々でね。その後の様子も何度か見に行きましたが、仲良くやっているようですよ」

「そうなんですか。ありがとうございます」

 マックは重ねて礼を言い、安堵の息をついた。それから彼はフィンを振り返り、急かすようにその袖を引いた。

「兄貴もチビどもに会ってやってよ。ちゃんと皆、兄貴やおじさん達のことも覚えてるんだ。俺だけじゃ不満みたいだからさ」

 言葉尻でおどけたマックに、フィンもちょっと笑ってうなずいた。フェンタスに丁寧に挨拶してから退室し、孤児院の方へ歩き出す。マックは道々、彼の“チビども”について喋り続けていた。すっかり太って誰だか判らなかった、だの、自分の名前しか書けなかったのがすらすら本を読んでる、だのと、嬉しそうに。

 フィンはそんなマックを微笑ましく見ていたが、ふと自身の育った孤児院を思い出してしまい、胸がちくりと痛んだ。

 ナナイスが落ちた、と、かつてネリスがここで泣きじゃくりながら告げた。タズも瓦礫の街を見たと言うし、あの言葉はやはり真実なのだろうか。テトナの子供達に、かつて自分が受けたのと同じ恩恵を授けられたのは良かったが、その一方で故郷の孤児院は何の助けも受けられないまま、町と共に――。

 物思いに沈むフィンの横で、不意にマックがため息をついて悲しげな顔になった。フィンが注意を戻して視線を向けると、彼は意外な言葉をこぼした。

「もう俺の背を追い越した奴もいるんだよ。嫌になっちまうなぁ」

「……ああ」

 フィンは曖昧な相槌を打った。出会ってからそろそろ一年になるが、マックの身長はほとんど変わっていない。伸び盛りの年齢だというのに。下手な慰めも言えず、フィンはしばし考えてから、用心深く口を開いた。

「前から思っていたんだが、もしかするとおまえは、先祖のどこかに小人族の血がまじっているんじゃないか?」

「それ、冗談のつもり?」

「いいや。気を悪くさせたらすまないが、真面目に言ってるんだ。おまえは背丈こそ低いが、力も充分あるし……つまり、弱々しいところが全然ないだろう。だから、もしかして、と」

 フィンの仮説に、マックは複雑な顔で首を傾げた。相手に悪気がないのは分かっているが、さりとて言われて嬉しいことではない。彼は肩を竦めて答えた。

「さあ、そういう話は聞いたことないな。母さんは随分小柄な人だったらしいけど」

「らしい?」

「うん。あれ、まだ兄貴に話してなかったっけ。俺の母さん、早くに亡くなったんだ。三つか四つの頃だったんじゃないかな。だからあんまり覚えてないんだ」

 マックはあっけらかんと生い立ちを話した。背丈のことよりまだこっちの方が楽しい話題だとばかりの、屈託ない口調で。

「ヴァルトさんに訊けば、俺が覚えてない頃のことも知ってると思うけど。残された親父の方は、結構どうしようもない人でさ。俺の小さい頃の思い出って、いろいろ面倒見てくれた近所のおばさんと、酔い潰れて台所でいびきかいてる親父、ってのばっかり」

 だからどの記憶がいつの事か区別がつかないんだよね、とおどける。それから、絶句しているフィンを見上げて苦笑した。

「そんな顔しないでくれよ。別に俺、不幸だったわけじゃないんだから。本っ当に駄目な親父だったけど暴力はふるわなかったし、村の人達にも良くしてもらったし。忙しかったけど不自由はしなかったよ。俺のこと、めちゃくちゃ甘やかした婆ちゃんもいたしね」

 懐かしい思い出に、マックはくすくす笑う。フィンは黙って、その頭にぽんと手を置いた。じきにマックは笑いをおさめ、ぽつりとつぶやいた。

「……村、どうなってるかな」

「じきに見に行けるさ」

「うん」

 雨だれのような言葉のやりとり。フィンがそっと手を離すと、マックは急に我に返った様子で顔を上げた。

「あっ、でも俺、テトナより兄貴優先だから、変な遠慮しないでくれよ!」

「は?」

「だからさ、テトナを元通りにしようとか、元々あそこにいた奴はそこでお別れだとか、そういう考えは無しってことだよ。あの村を元通りにするのは難しいってことは、分かってるからさ」

 予想もしないことを言われ、フィンは胸を突かれて立ち尽くした。

 今まで何の疑問もなくナナイスの復興を目標にしていたが、マックの故郷はそこではないのだ。ヴァルトやプラストといった天竜隊の面々も、多くがテトナかウィネアの出身。ナナイスの人間はもう自分の家族しかいないということを、すっかり忘れていた。

「……ああ、そうか。それも相談しなきゃな」

「なんだ、忘れてたのかい? まあ仕方ないか。今じゃ兄貴も、考えることがいっぱいあるもんね」

 マックは呆れ顔をしたものの一人合点してうなずくと、行こうよ、とフィンの背中を叩いた。歩きながら、テトナは元々孤立した農村だから維持するのは難しいし、実際的に考えるとウィネアを拠点にするか、いっそ海に面したナナイスまで出る方が良い、といった考えを述べる。フィンは黙って傾聴していたが、話が途切れると、つい本音を漏らしてしまった。

「マック、俺よりおまえの方が竜侯に向いてるんじゃないか?」

「兄貴……」はあ、とため息。「前はネリスに苦労する兄貴の気持ちが分かったと思ったけど、最近だんだん逆になってきたなぁ。頼むから、あんまりとぼけた事を言わないでくれよ」

 とぼけたつもりはないのに心底呆れられ、フィンはただ不本意げに目をしばたたいたのだった。

 そんな風にのんびりしていられる時間は、すぐに終わってしまった。夕暮れが迫ると天竜隊の面々は一人残らず、慌しく駆け回ることになった。

 ネリスとフェンタスがデイア神殿の祭司を説得し、篝火を点す役目を交代する。フィンは隊員の武器にごくわずかレーナの力を注ぎ、闇の獣が光の下に出てこなくても傷を負わせられるようにしておいた。

 城壁に散らばっていく隊員達を、フィンは城門で見送る。近くにいた軍団兵が、不満げな様子で話しかけてきた。

「なぜ我々の武器には、加護を授けて下さらないんです?」

 その表情からして、フィンが軍団の各部隊長に説明した内容は、ろくに浸透していないようだ。フィンは辛抱強く、何度目になるか、同じ話を繰り返す。闇の眷属を光で強制的に追い払い滅ぼそうとするのでは、いつまで経っても泥沼から這い上がれないのだ、と。その上で彼は言った。

「天竜隊の仲間はもう、闇の眷属との戦い方を理解し、心もそれに従うようになっています。ですが、あなた方は……申し訳ないが、俺たちのやり方を理解してくれているとは思えない。いざ自分が闇を追い払える武器を手にしたら、喜び勇んで闇の眷族を攻撃しないとも限りません」

「ですが、閣下なら奴らを追い払えるのでしょう」

「一時的に、ほんの狭い場所に限れば、確かに。だがそれではじりじり追い詰められて自滅するだけです。さあ、位置について下さい」

 どんなに言葉を尽くしても、はなから理解しようとしていない相手には通じない。フィンは兵士を城壁の上へ行かせ、自分は城門の外へ出た。

〈今夜は大変になりそうだな〉

 薄闇と共に街を囲み始めた気配を探り、フィンは剣を抜いた。レーナが傍らに姿を現し、心配そうに寄り添う。

「光が薄れたから、すごく活気付いているわ。フィン、無茶はしないで」

「ああ、分かってる。……一度に全部の篝火を変えたのはまずかったかな」

 今夜は苛酷だろうと予想していたものの、流石に少し弱気になる。間の悪いことに月はまだ細い上、空には雲がかかっている。とはいえ、いまさらデイア神殿の祭司を引っ張り出す時間はない。隊員達にも、今夜だけは積極的に闇の獣を攻撃して良いと伝えてあった。そうしないと一晩もたないかも知れないからだ。フィンも今夜は、あえて攻撃を受け止めるつもりはなかった。

 レーナがいつでも助けられるように、姿を現したまま城門前に立っている。フィンは一人、闇に向かって歩を進めた。

 迫る宵闇の中、無数の青い光が、星のように瞬き始めていた。


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