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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
113/209

5-3. 天竜侯“凱旋”

 ウィネアに近付くにつれ、一行の緊張は高まっていった。果たしてアンシウスは持ちこたえているだろうか。人々の暮らしは、物資の流通は?

 悪くなっているだろうことは明白だった。街道の状態も酷いものだし、逃亡の際に助けて貰った四辻の農家は、既に廃屋になっていた。

「逃げただけなら、いいんだが」

 さしものヴァルトも厳しい表情でつぶやく。家財を持ち出した形跡はあるのだが、それが避難のためか、あるいは一家が闇の獣の餌食になった後で盗人に荒らされたためなのか、判然としない。ここで別れた一人のことは、誰も口にしなかった。

 一行は廃屋に手を入れて雨風だけでもしのげるようにすると、そこで夜を明かすことにした。気持ちは急いていたが、ウィネアの状況が分からないのに、近郊を駆け抜けてしまうのは早計だ。

 フィンは竜の視力を借りて周辺を見渡し、難しい顔になった。

「この辺りはまだ耕作地が残っているようだが、人が住んでいる気配はないな。日がある間だけやってきて、日没までにウィネアに戻るのかもしれない。畑らしい状態は保っているが、かなり荒れているみたいだ」

「それじゃ」とマックも眉を寄せる。「ウィネア市民に充分な食糧が行き渡ってるわけじゃなさそうだね」

 聞いていたヴァルトが鼻で笑って皮肉を飛ばした。

「竜侯様の凱旋式ってわけにゃ、いかねえか」

「そもそも戦果を上げてない」

 フィンは素っ気なくいなし、さらにじっくりと周囲を観察する。無意識に目を閉じ、オリア達を探していた時と同じ方法を用いていた。

 生き物がほんのわずかしかいない海。荒涼として静まり返り、時たま砂の下で小さな何かが身動きするだけ。さらに遠くへ意識を飛ばすと、ざわざわ群れ泳ぐ大小の魚が視界に入った。

 全体としてはのろのろとした動きだが、巨大な雲のようにまとまっているその群れの中では、いちいち追いきれない小さな動きが次々に生じている。餌を求めて上へ下へ忙しなく行き来するもの、他の魚を突き、あるいはひれで打ち、無理やり動かすもの。そして、共食いをするもの。

 どの魚も、くすんだ暗い色調だ。身を捻っても、銀の鱗のきらりと閃くことがない。

(アンシウスは……)

 じきに見付けられた。巨大な魚群の外縁をゆっくり周回しながら降りて来る、あれはサメだろうか。群れを守っているようにも、逃がさぬよう監視しているようにも見える。

(本当にあれが?)

 アンシウスの意識に馴染みが深いわけではないが、それにしても、随分と剣呑な気配になっている。厳しい状況ゆえだとしても、まるで人が変わったようだ。

 フィンはそっと魚群から遠ざかり、意識を閉ざして目を開いた。

「どっちにしろ、あまり歓迎されないような気がするな。今、少しだけウィネアの様子を探ってみたんだが……かなり剣呑だ。荒んだ気配が感じられたし、多分アンシウスが街をしっかり掌握している」

 彼の言葉にヴァルトが眉を上げ、幾人かが驚きに目を丸くした。そんなことまで分かるのか、と誰かが言い出すより先に、目蔭をさしていたネリスが「うーん」と唸る。

「あたしはそこまではわかんないけど。でも確かに、あんまり明るい雰囲気じゃないね。あっちの方は、なんか暗い感じ」

 漠然と北を指して彼女が言うと、何か言いたげだった仲間達も、言葉を飲み込んで不安げに視線を交わした。竜侯の力は色々と桁違いなために信じがたいが、祭司の予見なら受け容れやすいということか。

 フィンは皆を見回してから、ヴァルトに向かって問うた。

「どうしたらいいと思う?」

「なんで俺に訊くんだよ」

「人生の先達だろう」

 真顔でフィンが応じたもので、何人かが失笑した。ヴァルトは彼らをぎろりと睨んでから、嫌そうに顔をしかめて唸る。少しして、彼は自分も考えながら言った。

「その前に、どうしたいのかはっきりさせろよ」

「つまり? こそこそしたいか、したくないか、ってことか?」

「違う。どうやってウィネアに入るかって話じゃねえ。その後だよ。俺達ゃ、何のためにここまで来た? ウィネアの連中をどうするつもりで、あの街を目指してるんだ?」

「…………」

 改めて問われ、フィンはふむと考え込む。

「闇の眷属から守る。まともな暮らしが出来るように手助けをして、俺達がもっと北へ行ってしまっても自衛できるようにしたい」

「どうやって?」さらにヴァルトが追及する。

「戦い方を変えるように説得する。夜間の攻撃が少し弱まるまで、しばらくは俺達も一緒に戦う。物資の補給が困難なら、その流通経路を保護する……そんなところか?」

 フィンが答える間、ヴァルトはさも自分は分かっていたというように、うむうむと相槌を打っていた。ネリスが「何よ偉そうに」と、小声で毒づく。ヴァルトはそれを無視して、フィンにずいと指を突きつけた。

「そうしようと思ったら、おまえはアンシウスや街の連中に対して、どうしなきゃならない? 今までみたいに、竜侯なのか洟垂れ小僧なのかわからんままで、今言ったようなことが出来るか?」

 その言い様に思わずフィンは苦笑し、分かった、とうなずいた。

「出来ないな。俺が本当に竜侯で、以前の暮らしに近付くためには俺達のやり方にならわなければならないと、軍団兵全員に理解して貰わなければならない。ということは……出方を窺いながらこそこそ行くのでは駄目だ。おおっぴらに、堂々と、だな」

「そういうこった」

 年長者ぶってヴァルトがフィンの腕を叩く。ネリスが呆れて眉を上げ、マックと顔を見合わせた。

 と、それまで成り行きを見守っていたイスレヴが、考え深げに口を開いた。

「ふむ、そうだな。吉と出るか凶と出るかは、いずれにせよ分からん。まだしも最初から堂々と竜侯であることを誇示して街に入れば、市民の手前、アンシウスもあまり性急なことは出来ぬゆえ、安全だろう。だが市民が竜侯に失望したら、反動も大きかろうな。フィニアス、君ばかり矢面に立たせてすまんな」

「俺は構いません。イスレヴ殿こそ、身辺には気をつけて下さい。にわか竜侯がわずかな仲間と一緒に騒ぐのは見逃されても、本国からの監査官となったら話は別でしょうから」

「心得とるよ。徴税人はいつでも嫌われるものさ」

 イスレヴは肩を竦めておどけたが、フィンは笑えなかった。

 あれこれ検討した末、一行は街道の補修を後回しにすることに決め、翌朝に辻を出発した。フィンとイスレヴを先頭に三列縦隊を組み、軍団兵らしく足並みを揃えて。とは言っても、経験の浅い者も多いため、整然とはいかなかったが。

 現に何人かは、歩きながら時々おしゃべりをかわしていた。どこそこの店はまだやってるかな、あそこの燻製は美味かった、俺はウィネアに行くのは初めてだ、といった具合である。イスレヴがわざとらしく年寄りぶって、私が現役の頃は私語厳禁だったぞ、とぼやいたが、これもまた私語の類であろう。

 あるいは皆、無駄口を叩くことで緊張を和らげたかったのかもしれない。行く手に人影が見えた途端、誰もがさっと表情を変え、装っていたほどに呑気ではなかったと露呈した。

 平坦な街道のはるか先に、黒い染みが現れ、ガタゴトと車輪の音が微かに届く。フィンは目を細め、その正体を探った。

「荷車と、護衛の軍団兵でしょう。日中だけ畑に出てくるという推測が当たっていたようです」

 彼がささやくと、横でイスレヴが嘆かわしげに頭を振った。

「そんなやり方では到底、ウィネアの人口を養えまいに」

 やりとりするうちにも、彼我の距離が縮まってゆく。荷車の一行は慎重に前進を続けたが、やがて止まってフィン達を待ち受けた。天竜隊も歩調を緩め、十歩ほどの間を空けて止まる。

 荷車の一行から隊長が一人、天竜隊からはフィンとイスレヴが、それぞれ進み出て挨拶を交わした。隊長は右手を左胸に当てて敬礼し、二人が同じ礼を返したのを見てようやく、ほっと安堵の表情になる。彼は二人のどちらに話しかけるか一瞬迷い、礼装のフィンに視線を向けた。

「軍団の方とお見受けしますが、所属はどちらですか」

「帝国の軍団には所属していませんが、あなた方に敵対するものではありません。我々は北部天竜隊です。皇帝陛下のお許しを得て、ヴィティア州の治安改善に微力を尽くすべく参りました」

「ではもしや、あなたが天竜侯フィニアス殿?」

「はい。そしてこちらが……」

 監査官のイスレヴ議員で、とフィンは紹介しかけたが、

「おお! 聞いたか皆!?」

 感激した隊長はそれを待たなかった。彼は荷車のほうを振り返り、部下に向かって叫ぶ。

「竜侯様だ! ついに北部にお帰りになったぞ!」

 束の間ぽかんとしていた軍団兵が、次の瞬間、わっと歓喜の叫びを上げた。警戒心もどこへやら、いっせいにわらわらとフィンの方へ寄ってくる。

「閣下! 山脈で閣下に助けて頂いたこと、忘れていませんよ!」

「ようやくお戻り下さったんですね!」

 口々に言う内容は、まるで主君の帰還を待ちわびていた領民のようだ。フィンは驚き呆れて絶句してしまった。彼が何も言えずにいる間に、軍団兵は勝手に盛り上がっている。歓迎の祝宴だ、収穫できるものは全部積んで帰らないと、等々。

 呆然と突っ立ったままのフィンの横で、とうとう見かねたイスレヴが咳払いした。

「戦友諸君、少し落ち着きたまえ!」

 軍団経験者の口調で呼びかけられ、おや、と兵達が戸惑って振り返る。天竜隊の面々は笑いを噛み殺し、間抜けな竜侯様と無邪気な軍団兵の双方に、同情のまなざしを向けていた。

「申し遅れたが、私はイスレヴ=フォルサナ=カエリウス、評議員にして、現在は監査官として北部の調査中だ。天竜侯は私の護衛も兼ねている」

 ざわつき、顔を見合わせる軍団兵。イスレヴは彼らを見回して続けた。

「失望させて申し訳ないが、竜侯フィニアス殿は北部の新しい主ではない。また、北部の状況が彼一人の力で簡単に好転するものでもない。諸君らには引き続き、忍耐と努力を続けて貰わねばならない。よって」

 と、彼はそこで大袈裟に悲しそうな顔をして見せた。

「我々としても非常に残念だが、祝宴は辞退する。いつもと同じように、諸君らの仕事をしてくれたまえ。隊長、目的地はまだ先かね?」

「は……、はい、あと四半里ほど」

「ふむ、そうか。邪魔をしてすまなかった。行く前にひとつふたつ、質問に答えてもらえるかね」

 イスレヴは簡潔に質問し、知りたかった情報を引き出した。ウィネアは現在、アンシウスと第八軍団の統制下にあること。食糧は軍団が一元化して管理し、市民には貴賎の別なく公平・公正に配給が行われていること。かつてディルギウスと共に権勢を振るった一部の富裕層は市議会からも追放されたこと――。

 それらを聞き出した後、天竜隊は道を空けて荷車の一行を通した。兵達は仕事を放り出しても竜侯と一緒に行きたそうなそぶりを見せたが、イスレヴがそれをやんわりと、しかし断固として、諦めさせた。

 彼らと別れてしばらく行ってから、ヴァルトがやれやれと呆れ、後ろからフィンの背中をどやしつけた。

「しっかりしろよ、竜侯様。あんな程度にビビってたんじゃ、第八軍団全部を相手に出来やしねえぞ」

「ああ……ちょっと、驚いて……」

 流石にフィンも言い返せず、曖昧に口ごもる。厳寒のあの日、無我夢中で軍団兵を助けに向かった一事が、これほどの影響力を持っていたとは。

 誰と誰を助けたか、何をどうしたか、彼自身はほとんど覚えていないし、第一あの状況はとてもではないが『救った』などと言えるものではなかった。揃って皆ぼろぼろになりながら、かろうじて闇の顎を逃れたに過ぎない。大勢が闇の獣に食われたし、心を挫かれてしまった兵も少なくなかった。押し合いへし合いで、仲間に踏み殺された者もいただろう。

 フィンがため息をつくと、イスレヴがぽんと肩を叩いた。

「人は物事を見たいようにしか見ない。それはいつの時代、どんな状況でも変わらんものだ。君は何も気にすることはない、やるべき事をやりたまえ。面倒なことは私が引き受けよう」

「……ありがとうございます」

「なに、君が牽く荷車に乗っかっているだけの身としては、飛んでくるものは花でも石でも、せいぜい君にかからんようにするまでさ」

 イスレヴがおどけ、フィンも苦笑する。花一輪ぐらいは下さい、と軽口で応じた。


「予想はしてたが、こりゃあ大変だぞ」

 城壁を見上げてヴァルトが唸り、フィンも険しい表情になった。

 ウィネアは帝国北西部の中心都市であるから、面積も広く、城壁の外にぐるりと篝火を焚くと燃料が瞬く間に尽きてしまう。それゆえであろうが、篝火台は城壁の上にのみ設置され、壁には無数の傷がついていた。

 一番守りの弱い城門にはどうやら篝火と不寝番を外にも置いているようだが、一帯に残る凄惨な戦いの跡を見ると、果たしてそれは生贄でないと言えるものかどうか、疑わしい。

 二人いる門衛は一行の姿を認めると、目配せを交わし、あまり気乗りしない様子で軽く槍を交差させて形ばかり遮った。

「ウィネアへようこそ、戦友諸君。まずは所属と階級、姓名を名乗られよ」

 先刻の遭遇で懲りたフィンは、進み出てまずイスレヴから紹介した。

「こちらは本国より皇帝と評議会の承認を得て派遣された監査官、イスレヴ=フォルサナ=カエリウス議員。そして私、天竜侯フィニアスと……」

「竜侯閣下!?」

 工夫も虚しく、結果は似たようなものだった。門衛は二人ともフィンの顔を見たことがあったらしく、あっと驚きの声を上げるや、槍を放り投げそうな勢いで立てて道を空けた。

「よくぞお戻り下さいました! 我々第八軍団はフィニアス殿のお帰りを心より歓迎いたします!!」

「…………」

 駄目だこれは。

 フィンは内心路面に懐いたものの、どうにか門衛に敬礼だけは返し、もはや余計な事は言わずに城門を通過した。笑いを噛み殺しつつ仲間達がそれに続く。

「まずはアンシウスに挨拶をせねばなるまいな。兵営に向かおう」

 イスレヴが素知らぬふりで提案し、フィンも背後のくすくす笑いを無視してうなずいた。

 街の様子は彼らが出て行った時に比べ、かなり殺伐としてはいたが、それでも流石に州都だけあってまだ賑やかな雰囲気が残っていた。見慣れぬ一団に、街の人々が何事かと足を止め、ざわめく。ネリスはフィンのすぐ後ろを歩きながら、見知った顔があるかときょろきょろした。

「この分だと、案外すんなり行くんじゃない? 司令官も歓迎してくれるかもよ」

「そう上手く行けばいいが」

「だってさ、アンシウスさんだってフィン兄に助けられたわけでしょ? 大丈夫だよ」

「まあ、じきに分かるさ」

 かつて毎日通った緩やかな坂道を、再び登ってゆく。やがて右手にネーナ神殿が、そしてその先に兵営が見えてきた。

 兵営でも誰何され、名乗って感激され、一行は奥へ通された。仲間達は控え室に残され、フィンとイスレヴだけが司令官室に案内される。場所は以前と変わっていないようだった。

 二人を先導した兵は、ちらとフィンを振り返って悪戯っぽく笑った。

「俺の事は覚えていないでしょう。一度、閣下に竜を見たかとお尋ねしました。まさかご本人に質問していたとは、あの頃は夢にも思いませんでしたよ」

「そういえば、そんな事もありましたね。だったら、俺が粉屋の息子だってこともご記憶でしょう」

 フィンがそう応じると、兵士は意地悪くとぼけて「忘れました」と返した。フィンが渋面をし、イスレヴが失笑する。その間に、兵士は司令官室の扉を叩いていた。

「アンシウス司令官、竜侯フィニアス殿と本国からの監査官イスレヴ殿がお見えです」

「入れ」

 返事は短く、冷淡だった。だが兵士は気にした様子もなく、扉を開けて二人を通す。

 フィンは扉の閉まる音を背中で聞きながら、驚きに絶句してアンシウスを見つめた。闇の獣からほうほうの体で逃げ出した翌朝よりも、まださらにやつれたようだ。頬はこけ、まなざしは暗く厳しい。

「お久しぶりです、アンシウス司令官」

 どうにかフィンが言うと、アンシウスは「うむ」と小さくうなずいただけで、無言で椅子を示して座るよう促した。歓迎の言はもちろん、挨拶の握手さえない。彼は感情の読めない目でじっとイスレヴを見つめ、静かに切り出した。

「本国の監査官、と仰せられましたな。イスレヴ殿」

「さよう。出身はこの北部ですが、本国で評議員を務めております。この度、北部の状況について正確な情報を把握し、議会や皇帝陛下にお知らせするよう命じられました」

 イスレヴは慇懃に一礼し、穏やかに応じた。だがアンシウスの態度はまったく軟化しない。

「再三の支援要請は無視しておきながら、いまさら本国があるじ面をしようというのか」

「残念ながらアンシウス殿、貴殿の要請は本国に届いておりません。恐らく、闇の獣か山賊の類によって妨げられたのでしょうな。それゆえ本国では、北部の凄惨な状況がまったく知られていない。このフィニアス殿が話してくれたことさえ、多くの者には事実として受け止められておらんのです」

「フィニアス殿、か」

 アンシウスが剣呑な笑みを閃かせ、フィンに視線を転じた。

「粉屋の息子が立派になったものだな。本国でよほど皇帝に媚を売ったのだろう。向こうの暮らしはさぞ楽しかったろうに、なぜこの惨めな北部に戻って来た?」

 口調はどんどん厳しくなり、表情はまるで歯を剥き出して唸る犬のようだ。なだめようとフィンが口を開くより早く、彼は平手で机を叩いた。

「ここは! ここは、私の町だ! ディルギウスに私物化されていた議会を刷新し、食糧を確保し、兵に規律を守らせて、私が! 守ってきたのだ!!」

 顔を赤黒くして怒鳴るさまは、まるきり、かつてのディルギウスと同じだ。フィンは衝撃と共に彼を見つめ、次いで悲しげに首を振った。

「あなたがどれほど力を尽くされてきたか、多少なりとも分かるつもりです。私もかつて、治安の崩壊したナナイスで暮らしました。今のウィネアは、城壁の凄まじい傷痕からすれば奇跡的に落ち着いていると思います。私はあなたを手助けし、北部に再び人間の暮らしを取り戻したいと願っているだけです」

「このウィネアには、人間の暮らしはないと言うわけか」

 言葉尻を捉え、アンシウスが辛辣に応じる。フィンは途方に暮れ、黙って相手の目を見返した。渦巻く感情の靄が広がり、ほとんどアンシウス自身を覆い隠している。フィンは無意識にそれを鎮めようと、自身の内から光を引き出していた。

 じきにアンシウスは、まともに見据えられてばつが悪くなったように、瞬きして目をそらした。その隙を逃さず、イスレヴが口を開く。

「実際、アンシウス殿、あなたは随分長らく人間らしい暮らしとは無縁でいらっしゃるように見受けられますな。ぐっすり眠れたのはいつのことです?」

「……私では力不足だと言いたいのか」

 それでもまだアンシウスは抵抗した。が、見かねたフィンが立ち上がり、彼の傍らに行って肩に手を置くと、諦めたようにぐったりとなった。怒りが引くと、彼の顔は一気に老け込んだように見えた。

「司令官、状況を好転させる手がかりはあります。すぐにとは行きませんが……ともかく、今夜は我々も夜間の守備に当たりますから、少し気を休めて下さい」

「好きにしろ。どうせ兵は皆、竜侯の帰りを待ちわびていた。私より君の命令に喜んで従うだろう」

「今はそうでしょう」フィンは否定せずうなずいた。「ですが、竜侯が期待に応えてくれないと知られてしまった後は、あなたに助けて貰わなければなりません」

 なんだって、とアンシウスは問うまなざし向ける。フィンは苦笑して、「頼りにしていますよ」と言うと相手から離れた。そうして、何事もなかったような態度でゆっくりイスレヴの横へ戻りながら、二人の間を取り持つように話し続ける。

「本国の評議員は北部からの税収の落ち込みを問題視しています。だからイスレヴ殿を派遣することにも賛成してくれたそうですが、皇帝陛下や一部の人は、北部が税を徴収できる状態にないと理解してくれています。名目は監査官ですが、イスレヴ殿の主な目的は現状の調査と、北部の生活改善を……手助けすることと言って良いでしょう。司令官、ただでさえ困難な時期に仕事を増やして申し訳ありませんが、イスレヴ殿に力を貸して頂けませんか」

「もとより私は拒める立場にない」

 アンシウスはげんなりと応じたが、敵意はかなり減じていた。深いため息をついて、彼はふと、昔のようなまなざしをフィンに向けた。

「兵舎には充分な空きがある。寝泊りにはここを利用したまえ。食事に関しても、君たちがウィネアの防衛に協力する以上は、公平に配給せねばなるまいな。だが、軍団の給与は支払えないぞ」

「もちろん承知しています。では司令官、最初に主立った部隊長を集めていただけますか。闇の獣との戦い方について、説明しておきたいことがあります」

 早速仕事にとりかかったフィンに、アンシウスは一瞬だけ、皮肉な笑みを浮かべた。そら、やはり私から軍団を奪うつもりではないか――そう揶揄するように。だが彼は、それを口に出しはしなかった。

 代わりに彼は大儀そうに立ち上がり、辛辣に言った。

「良かろう。竜侯閣下のお手並み拝見とゆこうか」


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