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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
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4-8. 闇を鎮める

 それ以上の説明をせず、彼は自分の部屋に引きこもってしまった。取り残された面々は不安に顔を見合わせ、ひそひそと憶測し、不吉な想像を膨らませてゆく。丸一日経っても部屋から出てこない竜侯に、このままでは士気に関る、とヴァルトが突撃命令を出した。

「こんな時こそ、おまえらの出番だ。可愛い顔で竜侯様をたぶらかして来い」

「褒め言葉に聞こえない」

 口を揃えて言い返したのはネリスとマックである。にやりとしたヴァルトに何か言わせる隙を与えず、ネリスが鼻を鳴らした。

「大体、言われなくてもそろそろ様子を見に行こうと思ってたところよ」

 そうそう、とマックもうなずいて、証拠とばかりに食事の載った盆を手に取った。いかに竜侯でも、飲まず食わずで丸一日を過ごして平気だとは思えない。山脈で軽口を交わしたように、体に堪えることがないとしても、心は飢え渇くだろう。

 二人のそんな懸念を察して、食事を用意したファウナが心底嬉しそうにマックとネリスの頭を撫でた。

「あなたたちは本当にいい子ね」

「やめてよ、母さん」

 頭をくしゃくしゃにされてネリスが嫌がる。マックは無言で、傷ついた自尊心と、少しばかりの嬉しさとのせめぎ合いに耐えていた。

 ともあれ、全権を託された二人は意を決してフィンの部屋へと向かった。相変わらず扉はかたく閉ざされたままだ。ネリスはマックと目配せを交わし、軽くとんとん、と叩いた。

「お兄、入っていい?」

「パンとスープ、持ってきたよ」

 出来るだけ普段通りを装った声に、すぐには返事がなかった。二人はまた顔を見合わせる。マックが小声でおどけた。

「単に寝てたりして」

「だったらベッドに飛び乗って押し潰してやる」

 ネリスが唸ったところで、ドアが開いてフィンが苦笑を覗かせた。

「もうチビ助じゃないんだから、今のお前に潰されたら本当に寝込むぞ」

「失敬な! 起きてたんなら、ご飯ぐらい自分で食べに来なさいよね!」

 まったく手のかかる、と憤慨しながら、ネリスはずかずか部屋に入る。フィンが恐れ入ったように首を竦めたので、マックもちょっと笑ってネリスに続いた。

「皆、心配してるよ。ほらこれ、兄貴の分」

「ああ、ありがとう。すっかり忘れてた」

 フィンは案外あっさりした口調で言って、食事の盆を受け取る。備え付けの小卓にそれを置き、丸椅子に腰を下ろして匙を手にとったが、しかしすぐには食べようとはしなかった。心ここにあらずの体で、ぼんやりと匙をもてあそんでいる。

 ネリスとマックは並んで寝台に座り、辛抱強く待っていたが、フィンはいつまでも黙って宙を見ている。とうとうネリスが痺れを切らした。

「お兄、何を悩んでるのか白状するか、黙ってるんならせめてさっさと食べてよ。スープが冷めちゃうじゃない」

「ん……ああ、そうだな」

 すまない、と詫びて、ようやく思い出したように豆のスープを口に運ぶ。マックが呆れてため息をついた。

「上の空で食べて、だらだらこぼしたりしないでくれよ」

 ごほっ、とフィンがむせた。ひとしきりげほごほと咳き込み、ようやく意識がはっきりしたように、笑いながら振り向く。

「噴き出すのもあんまり格好良くないぞ。勘弁してくれよ」

「お兄に格好良さなんて期待してない」

 ネリスが容赦なくとどめを刺す。これにはマックも失笑した。フィンは少々傷ついた顔をして見せたが、すぐに自分でも笑ってしまった。

 やっとフィンがいつもの様子に戻ったので、ネリスとマックはほっとして、どちらからともなく顔を見合わせて微笑む。二人の態度に、フィンは改めて「すまない」と詫びた。

「少し考え込んでいたんだ。心配をかけたな」

「別にあたしは心配してないけど」ネリスがいつもの憎まれ口を叩く。「皆がやいのやいのうるさいからさ。放っといたって、どうせお兄のことだから、一人で勝手に考えて勝手に結論出して、勝手に行動するに決まってるのにね」

「……本当に悪かった、すまん、謝る、この通り」

「反省してるの?」

「心の底から」

 フィンが大真面目に答えて、誓いのしるしに右手を上げまでしたので、ネリスもそこで容赦してやることにした。

「ならいいけど。じゃ、あたし達にも教えてくれるよね」

 姿勢を正し、表情を改めて問う。何があったの、と。

 フィンはしばし沈黙し、スープを一口二口食べてから、ゆっくり答えた。

「おまえ達になら、話しても大丈夫だろう。だが口外しないと約束してくれ」

 不吉な前置きに、マックも真剣な顔になる。うなずいた二人に、フィンは山脈での出来事を包み隠さず話した。


「闇の眷属をなだめる方法? 簡単だが、難しいぞ」

 青霧はいつもの穏やかな表情で、揶揄するでもなくそう言った。どういう意味かと困惑顔になったフィンに、彼はついて来いと合図して、集落から離れた方へ歩き出す。

 少し歩くと、谷底の岩場を見下ろす崖の上に出た。なにげなく青霧の横に立ったフィンは、その瞬間、足元から這い上がる気配にぞっとなって危うく転落しかけ、慌てて飛びのくはめになった。

「なっ……何なんですか、ここは!」

 普通に見るなら、ただの小さな谷にすぎない。だが竜の目をわずかに意識した途端、そこは奈落へ落ちる暗闇の穴と化していた。闇の眷属の気配が少し残っているが、むしろそこはただ、何もない――光も命も望みも、ありとあらゆる感情も。

 おののくフィンを振り返り、青霧は淡々と答えた。

「我々が死を捧げる場所だ」

「……?」

 知りたいと思うよりも、フィンはいっそ耳を塞いで逃げ出したい衝動に駆られた。だが聞かねば答えは得られない。どうにか踏みとどまったフィンの葛藤に、青霧は気付いているのかいないのか、変わらぬ風情で話を続ける。

「デイアの竜侯となった今なら、相反する闇が何を好むか、何となくでも分かるだろう。死と静寂、眠り、絶望と諦め……」

 人間にとっては良い意味合いを持ちにくい単語を、次々に並べてゆく。だがそれらを締めくくる言葉は、フィンにとっては全く予想外のものだった。

「すなわち、一切をありのまま受容することだ」

 なんですって、と問い返すことも出来ず、フィンはただ愕然と立ち尽くした。衝撃に痺れた感覚で、しかし、同時に理解する。レーナの光がもたらすものは、確かにその逆のことだ、と。

 生命、活動、希望、前へと進む力。それらは取りも直さず、諦めないこと――現状を変えようとすること、につながる。

 フィンが呆然としているのに構わず、青霧は谷底を見下ろして言った。

「我々サルダ族は古来よりそうして生きてきた。我々にとっては、死もまたひとつの受け容れるべき自然だ。ゆえに我々は自らの死を、闇の眷属に捧げる。この山脈では彼らも別段、食糧や住処に不自由してはいないが……何と言うか、まあ、付き合いだな」

 そこでようやく彼は、ほんの少し面白がるような笑みを浮かべた。

 フィンは彼の言わんとするところを薄々察し、寒気を堪えてもう一度崖の縁に近付く。

「……ここから、身投げでもするんですか」

「しても良いが、痛いだろうな」

 青霧はしらっとおどけ、フィンが渋面になったのを見て苦笑した。

「いや、飛び降りはしない。それに、おまえが考えているような、生贄の儀式があるわけでもない。ただ、死を受け容れた者は夜にあの谷底へ降り、身を横たえるだけだ。老い、もう充分に生きたと心から納得した者。病や傷によって遠からず命が尽きると知り、自ら死を迎え入れる者。様々だ。同じ目的の場所は、夏の村の近くにもある」

 すなわち、自ら闇の獣に喰われる、という意味だ。そう気付くとフィンはまたぞっとして、思わず青霧の横顔をまじまじと見つめていた。恐ろしくはないのか、断末魔の苦痛に満ちた悲鳴がこの谷にこだまするのではないのか――そう思ったのだが、青霧の表情はそんな懸念などまったく無縁のように落ち着いている。

 サルダ族にとっては、それが古来の慣習であり、忌まわしくも恐ろしくもないのだろう。フィンはどうにか自分を納得させ、理性的な言葉を押し出した。

「つまりここは、墓地のようなものですか」

「少し違う。ただ死んだだけの者も墓には葬られるが、闇に死を捧げた者に墓はない。闇となって山々の陰に眠るのでな」

 そこまで言って、青霧はフィンに向き直った。そして、相変わらずの至って穏やかな表情のまま、告げたのだった。

「どうだ、簡単だろう? だが平地の民に真似は出来まいな」


「……駄目だね。確かに」

 マックが呻き、ネリスも頭痛を堪えるように眉間を押さえる。フィンはパンの最後の一切れでスープをきれいに拭き取って、食事を片付けた。

「俺たち平地の民にとって闇の獣は、まさにけだものだからな。自らの最期を捧げるなんて、おぞましいの一語に尽きる。迂闊にこの話をすれば、サルダ族に対する偏見と敵意を助長してしまうだろう。下手をすると闇の獣そっちのけで、サルダ族に投げる石を集めだすかもしれない」

 この街にも、サルダ族が全く来ないわけではない。貴重な海産物と物々交換するため、稀に訪れる者がいる。サルダ族ではないが、彼らの品物を扱う商人もいる。さらにごく稀にだが、サルダ族との混血の者も。

 そうした人々に及ぶ害を考えたら、おいそれと口にして良い話ではなかった。

「お兄、ほかに方法はないか訊かなかったの?」

「訊いたさ。だが青霧が知っているのはその方法だけらしい。そもそも彼らにしてみれば、それ以外の手を使ってまで闇の獣をなだめる必要に迫られたことなど、ないわけだからな。それで、何か良い手がないかずっと考えていたんだ」

「で、何も考え付かないからずっと籠ってた、と」

「まあ、そんなところだ」

「はあぁ……やれやれ。本当に馬鹿じゃないの? 食べるものも食べずにうんうん唸ってたって、頭が働くわけないじゃない。せめて一言、駄目だったから何か別の方法を考えてくれ、って皆にも言っとけば、今頃ちょっとは取っ掛かりになりそうな案が出ていたかもしれないのに」

 心底呆れたように言われて、フィンは首を竦めた。

「ひとつ思いついたことはあるんだが、上手くいくかどうか確信が持てなくてな。今夜辺り、試してみようと思っているんだが」

「なんだ、そうなの? それを早く言ってよ」

 馬鹿なんだからもう、と、結局また馬鹿呼ばわりされてしまう。流石にフィンが少し情けない顔をすると、マックとネリスは遠慮なくそれを笑ったのだった。


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