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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
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4-5. 少しずつ前に


 柔らかな暁に染められて最後の星の光が薄れると同時に、地上に散らばっていた篝火の灯も消えた。防衛線に沿って配置されていた軍団兵が、互いを労いながら兵営へと引き揚げてゆく。

 天竜隊もひとまず仲間だけで集まり、それから兵営で他の場所の様子を聞くことになっていた。

「……兄貴、起きてるかい?」

 心配そうなマックの問いかけに、珍しく、んんー、と寝言じみた返事。ヴァルトがいやらしい笑みを浮かべてからかった。

「ご指名を受けて一晩中励んでおられたようですな、竜侯様」

「いいや」

 フィンは顔をしかめるどころか眉を動かしもせず、欠伸を噛み殺してむにゃむにゃ答えた。

「一度レーナの力で追い返したら、その後は様子を見ているだけで、攻めて来なかったらしい」

「……じゃあ、なんでそんなに眠そうなんだ」

 鼻白んだヴァルトに、フィンはぼうっとしたまま「夢見が悪くて」とだけ言って、顔をこすった。

 レーナが守ってくれていたにもかかわらず、何度も夢の中に闇の獣が現れたのだ。単なる悪夢というより、誰かが心の隙間から忍び込もうとしているようだった。間近で一対の青白い光に見つめられ、ぎょっとなって剣を掴んで飛び起きた――と思ったらそれもまた夢だった、ということが一度ならずあり、熟睡できなかった。

〈レーナ、君は何か気付いたかい?〉

〈闇の眷属がフィンのことを気にしていたみたい。でも、悪い感じはしなかったから。遮った方が良かった?〉

〈……ああ、今度から頼むよ〉

 悪い感じはしなかったから、か。フィンは複雑な気分で辺りを見回した。レーナにとっては、闇の眷属も『敵』ではないのだ。絆の伴侶に害をなすなら別だが、安眠を少々妨げるぐらいは、害の内に入らないらしい。

「確かに、危険な感じはなかったな」

 無意識に彼がつぶやくと、マックが訝しげな顔をし、それからフィンの視線を追って一人合点したように言った。

「以前より大分、大人しくなってたね。俺も驚いた」

「だな」とヴァルトも頭を掻く。「ウィネアから逃げ出す時に戦った連中の怒りようは、凄まじかった。喉笛を食いちぎって首をねじ切って、骨までばらばらにしてやる、って考えてるのが分かったもんだ。鬼気迫るとはまさにあれだね」

 ヴァルトは身震いし、それに比べりゃ昨夜のはお遊びだ、と不思議そうに締めくくった。マックもうなずき、街道の先を見やって少し笑みを浮かべる。

「この分なら、意外と簡単にウィネアまで行けるんじゃないかな」

「だったら良いんだが。念のため、今夜もう一回、この場所で警備に当たろう。それで向こうの出方が多少は分かるはずだ。人間をあらかた北部から追い払って満足しているのなら、今日と大差はないだろうが、俺達が北に戻るつもりだと察した場合……」

「今度こそ徹底的に潰しに来るかも知れない、か。あのさ、兄貴。ちょっと思ったんだけど、レーナの力で連中を遠ざけておいて、戦わずに済ませることは出来ないかな」

 マックの発言で、期待を込めた視線がフィンに集まる。フィンはなんとか頭をすっきりさせようと、深呼吸してから答えた。

「俺もそれは考えたよ。だがレーナの力にも限りがある。祭司様の祈りやちっぽけな篝火に比べたら無限に近いとは言っても、北部の人間すべてを守れるわけじゃない。コムリスに留まっているだけならそれでもいいが、ウィネアや……もっと北まで行くなら、レーナのそばにいられない人達にも安全を確保できる、良い方法を考えないと」

「……うん。そうだね」

 分かっていたが訊いてみただけ、という表情で、マックは首肯した。そしてすぐに気を取り直し、フィンに笑顔を向ける。

「ともかく、今は早く戻って何か食べよう。腹ぺこだよ。兄貴、俺もレーナに乗せてって貰えないかな」

 冗談を飛ばしたマックに、フィンもやっと笑みを見せた。

「飢えた集団をこの場に置き去りにして、か? いや、俺は歩くよ。後で袋叩きにされたくない。なんならマック、先に戻って俺たちの朝食を用意しておいてくれるかな」

 マックが大袈裟に慌てて「歩くよ」と首を振り、仲間達が笑う。その明るい声が、最後まで残っていた夜の名残を一掃してくれた。

 そうして一行が空きっ腹を抱えて兵営に辿り着く頃には、他の軍団兵も戻り、朝食の用意が調えられていた。食堂のある方から、耐え難い誘惑の香りが漂ってくる。

「あっ、フィニアス殿!」

 兵士の一人が姿を認めて声を上げると、次々に兵が寄ってきた。どうやら夜勤明けの兵ばかりらしい。

「お陰様で、昨夜は随分楽でした。ありがとうございます!」

「閣下! 朝食の用意が出来ております、どうぞ我々と共に」

 口々に感謝と賞賛の言葉を浴びせられ、フィンは当惑してその場に固まってしまった。ヴァルトがにやにやしながら、わざとらしく慇懃に伺いを立てる。

「如何されますかね、竜侯閣下。我々もご相伴にあずからせて下さいますか」

 フィンは我に返って渋面をし、それから自分を取り囲む軍団兵を見回して咳払いをした。

「朝食をとらせて貰えるのなら、ありがたい限りです。でも喜ぶのは待って下さい。昨夜のことが吉と出るか凶と出るか、まだ分かりませんから」

「とおっしゃいますと?」きょとんとして兵が問う。

「デイアの加護を受けた篝火を見て、一度は退いた闇の獣が敵意を募らせ、より激しい攻撃を仕掛けてくる恐れもある、ということです。数日中には相手の出方が分かるでしょうが、それまで気を抜かず警戒を続けて下さい」

「…………」

 思いがけない言葉を聞かされて、兵達は戸惑いと不安に顔を見合わせる。ヴァルトがやれやれとため息をついた。そして、

「まったくおまえは、物事を退屈にする天才だな」

 知ってか知らずか、ネリスと同じ評を下してくれた。フィンは苦笑し、「よく言われる」と肩を竦める。それから彼は改めて、軍団兵に問いかけた。

「さてと、それで……まだ朝食を分けて貰えますか、それとも叩き出される前に退散した方が?」


 その日の午後には、フィンは港で商船の角灯にレーナの力を少しずつ宿していた。船はシロスから乗ってきたものである。明日には出発するというので、タズに加護を頼まれたのだ。タズは引き続きこの船で働くことが決まっていた。

 フィンは最後の角灯から手を離し、小さなため息をこぼした。

「もう出発するのか」

「ああ。新しい荷の積み込みも、補修やあれこれも終わったしな。おまえが街に着くより、だいぶ早く着いてたから」

 タズは何気ない口調で言いながら、角灯を所定の位置に吊るしていく。よし、と満足げにそれを眺めて、彼はにっこりした。

「竜侯様のお力添えがあると、危険な航海もちょっとした冒険程度に乗り切れそうだな。ま、あとは天候次第だけど」

「本国側に戻るんじゃないのか?」

 不審げになったフィンに、タズはにやりとして答えた。

「残念ながら、船長が物好きでね。折角ここまで来たから、ヴェルティア経由でウィネアに行けないか試してみるんだとさ。もちろん、ヴェルティアの状況が変わってなければ、すぐに引き返す。けど、寄港が無理でも無事に通過さえ出来るなら、ウィネアでがっぽり稼げるに違いない、ってさ」

 コムリスよりも北にあり、主な輸送経路が内陸の街道であるウィネアでは、いまや一切が高騰していることだろう。物資を持ち込めば感謝されるだろうが、略奪される恐れもある。フィンが驚きに次いで懸念を顔に浮かべると、タズは励ますように彼の肩を叩いた。

「こんなご時世だからこそ、好機を活かすべきだとさ。図太い船長だよ。俺もちょっとおこぼれにあずかれるといいんだけどな。商売が上手いこと行って、またウィネアで会えたら、おまえにも何かおごってやるよ」

「今の言葉、忘れるなよ。……不安はあるが、実際問題として海路で行き来が可能になれば、俺達も随分助かる」

「だろう?」

 途端にタズがさも偉そうにうむうむとうなずく。フィンは一瞬呆気に取られ、堪えきれずにふきだした。

「さては、船長を焚きつけたな」

「何をおっしゃる。下っ端水夫が船長様に指図するなんて、とんでもない。元々あの船長は、危ない橋を渡るのが大好きなのさ。俺はむしろ余計な事はしないで、安全確実、平穏無事が一番いいね」

 タズはとぼけたが、フィンは事情を察して苦笑するばかりだった。冒険好きの船長に、危ないから止しましょうよ、などと言えば逆効果なのは目に見えている。

 フィンは咳払いしてごまかし、無事を祈りながら手を差し出した。

「まあ、ヴェルティアさえ通過できれば安心だろう。ウィネアが危険だという噂も、ここではまだ聞かれないしな。だが気をつけて行けよ」

「分かってるって。心配性だな、おまえは」

 からかう口調に反し、握手はしっかりと力強かった。再会の誓いを立てるかのように。


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