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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
106/209

4-4. 再び、闇の中へ



「あああああ、なんで俺がこんな面倒臭いことを!!」

 とうとうヴァルトが喚きながら万歳し、椅子ごとひっくり返って背後の壁にゴツンとぶつかる。机上に広げられた何枚もの蝋板には、何度もやり直した計算の跡が残っていた。

 意味不明の唸りと罵声らしきものを撒き散らす旧友を横目に、プラストは黙々と自分の仕事を片付けている。ヴァルトは相手をして貰えず、拗ねた口調になった。

「俺はこういう細かいことは向いてないんだ、おまえ、俺の分もやってくれ」

「断る。給料分は働け」

「他人の給料の計算まで、俺の仕事だってのか? 軍団にいた時は勤務報告だけで、金勘定は会計の奴が全部やってたじゃないか!」

「だったら、ウィネアに戻って第八軍団に復帰したいと、フィニアスに言うんだな」

「…………」

 すげない応酬に、ヴァルトはうっと詰まって黙り込む。軍団に戻れば、仕事は今より単純で気楽なものになるかもしれない。が、一度軍団から離れて自由を味わってしまった今では、古巣に戻ってやっていける自信はなかった。第一、その古巣がどう変質しているか知れたものではない。

 ヴァルトは悔し紛れに、向かいのオアンドゥスに八つ当たりした。

「金勘定は粉屋がやれよ。お得意だろうが」

「生憎、従業員を雇うほど大規模経営じゃなかったんでね。給料の計算なんかやらせたら、とんでもない間違いをするかもしれんぞ」

 オアンドゥスはうんざり気味に応じてから、申し訳程度に気の毒そうな顔をして付け加えた。

「食糧や日用品の調達と支払いまでやらずに済んでるだけ、ましだと思ってくれよ」

「くそったれ。大体だなぁ、俺達は正規軍じゃないんだから、食い物と寝床がありゃあ充分、給料なんざ寸志で結構、てのが隊員の心意気だろうが。え?」

「だったら、あんたがまずその範を示してくれなきゃな、隊長」

 しゃべればしゃべるほど墓穴を掘り下げていくヴァルト。しまいに、見かねたプラストが忠告した。

「黙って仕事をしろ」

 むしろ最後の土を被せただけかもしれないが、ともかくヴァルトは静かになった。

 コムリスに腰を落ち着けて十日余り。天竜隊の隊員は、単純に戦士の数だけでも以前の倍に増えていた。関係者の数はそれ以上だ。全員が気心の知れた逃亡者集団であった頃は給料など適当なものであったが、もう同じやり方ではいけない。

 そんなわけで、今頃になってヴァルトが文句を言っているのだった。

 彼らが部屋にこもって数字相手に悪戦苦闘している間、イスレヴは調査と称して市内あちこちを巡り、資金集めをしていた。天竜侯とは言っても貴族ではないので、領地から入る収入はない。ゆえに活動資金は仕事を請け負うか、寄付を募ることになる。

 不景気な昨今ゆえに雑多な仕事での収入はほとんど見込めなかったが、しかし、カネもモノも、ある所にはまだまだあるようで、裕福な層からまとまった寄付や援助がぽつぽつと寄せられていた。

 一方で、遅れてコムリスに着いたフィンは、すぐに町の北に駐屯する軍団の兵営へ出向いていた。情報収集と、北進の協力を得るためである。

 司令官は第十軍団長だったが、フィンに助けられたと感じる兵が多いためか応対は丁寧だった。夜間警備に加えて欲しい、という要望にも喜んで応じてくれた。

「むしろこちらからお願いしたいぐらいです、竜侯フィニアス閣下」

 予想外に感激されてフィンが怯むと、横でマックが笑いを堪えつつ、こっそりフィンを肘で小突いた。

「大仰な呼び方はやめて下さい。私はただの……」

「粉屋の息子、ですか? いや失礼。確かに、いささか驚いております。兵達が崇め奉る竜侯閣下が、今こうして目の前においでの若者であるとはね。しかし、粉屋だろうと竜侯だろうと、我々の恩人であることに変わりはない。おかけ下さい。具体的に、どの辺りの守りについて頂けますかな? 確か今、そちらの部隊は十数人とか」

「そうですね。市民から志願兵が相当数入ってくれましたが、退役して長く経っていたり、まったく経験がなかったりで……今夜すぐに出られるのは、そのぐらいです」

「では、この第五区画をお願いしてもよろしいか」

 軍団長が地図で示したのは、昨秋フィンたちが収穫を手伝った農家の近くだった。フィンはうなずき、そこなら知っています、と答える。

「今夜はひとまず様子を見るにとどめて、竜の力はなるべく使わずに済ませるつもりです。他の兵にもそう伝えて、いつも通りに守備を怠らないよう注意して下さい」

「なぜです?」

 軍団長が不満というより不審な表情をしたので、フィンは少し考えを整理してから慎重に答えた。

「闇の獣は――いえ、闇の眷属は、獣ではありません。ただ闇雲に人里を襲って食い荒らすのではなく、何か彼らなりの考えをもって動いているようです。そこへこちらが、天竜の力を盾に強硬な姿勢を見せたら、どんな反発がくるか予測がつきません」

「しかし、奴らを追い払おうと思ったら……」

「確かに、竜の力を使うしかないでしょう。ですが、竜とはいえ、すべての闇を地上から消し去ることなど出来ません。相手がすべての光を消せないのと同じように。ともかく、下手に彼らを刺激して大規模な攻撃を引き起こしてしまったら、こちらには対抗する術がありません。今は我々も、山脈でサルダ族がしているように、闇の前に細々と明かりを灯して、自分達の居場所を分け与えてもらうしかないんです」

「兵達は失望するでしょうな」

「ええ、多分。でも仕方がありません。私は期待に応えるために、この町へ戻ってきたわけではありませんから」

「なるほど」

 軍団長は案外あっさり納得した風情でうなずくと、集合場所や時間を知らせ、ではまた後ほど、とフィンを送り出した。


 ゆっくりと空気が蜂蜜色を帯び、蔓だけのブドウ畑がその中にとっぷりと沈む。とろりとした光がたゆたい、土に残る温もりを吸い上げて空へ還ってゆく。

 寒々しい微風に首筋を撫でられて、ヴァルトは身震いした。

「久々だと嫌なもんだな、この感じは」

 誰にともなくつぶやいて空を仰いだ丁度その時、白い竜と共にフィンが舞い降りてきた。もうすっかり飛行に慣れたようで、レーナの背から降り立つ仕草も堂に入ったものだ。

 竜侯様か、とヴァルトが複雑な思いを抱いている前で、フィンは一同を見回してから口を開いた。

「区画ごとにひとつずつ、篝火に少しだけレーナの力を注いできた。闇の獣には、デイアの祭司が祝福した程度に見えるはずだ。ただ、レーナが姿を消しても俺がここにいることは隠しようがない。武器を出してくれ」

 彼の言わんとするところを察し、マックが自分の剣を抜いた。かつてイグロスのものだった、あの剣だ。ヴァルトの部下が、どういうこった、と訝りながら同じく剣を抜く。フィンが説明するより早く、マックが肩を竦めて言った。

「兄貴は人気者だからね。ここにだけは、闇の獣がわんさと押し寄せるかもしれないってこと。だから俺たちも、光の加護を受けた武器で戦えるようにしておかなきゃ危ない」

 ぎょっとしたように次々と武器が差し出される。双子の兄弟は顔を見合わせてにやりとし、

「押しかけてくるのが女の子だったら」

「喜んで代わりにお相手するんだけど」

 なぁ、と声を揃えておどけた。プラストが呆れ、おまえら昼間あれだけ女に振られてまだ足りないのか、と嘆息する。フィンは苦笑しながら、順に皆の武器に触れていった。身体を通して、指先からレーナの力が白い光となって伝わってゆく。

 マックは仄かに光る刃を見つめ、うやうやしく鞘に収めた。

「奴らの目には、ここだけ灯台みたいに明るく見えるだろうね」

 もしくは深夜営業の居酒屋みたいに、と双子がまた茶化す。ヴァルトがその頭をはたき、見張りの順番を割り振った。

 空が藍色に染まり、気付くと視界が光の届く限られた範囲にまで狭まっている。もはや軽口もなく、隊員は皆、幾多の夜を越えてきた戦士の顔つきに変わった。黙って毛布にくるまる者、武器を構えて闇を見据える者、篝火にそっと薪をくべる者。

 フィンは明かりを背にして立ち、暗闇に対峙していた。

〈妙だな。山脈にいた時の方が、闇が濃かったような気がする〉

〈そうね。確かにここも暗いけれど、ナルーグ様の力はそれほど強くないわ。闇の眷属も大勢いるけれど、あの時とは違う〉

 レーナの返事にフィンは一瞬怯み、身を竦ませた。そして、苦笑をこぼす。感覚のずれは相変わらずのようだ。まるで野良猫について話すかのようにあっさりと、大勢いる、などと言ってくれる。

 フィンの反応にレーナは訝る気配を見せたものの、どうしたのかと問いはしなかった。

 ――闇に、青い小さな灯が浮かび上がっていた。

「来たな」

 フィンの背後で淡白にプラストが確認し、弓を構える。他の者はいつものように、少し距離を置いて守りについていた。

 キシキシ、カリカリ……

 尖ったものが土をひっかく音がする。カチカチと固い殻のこすれる音は、鎧姿の軍団兵が歩き回っているかのよう。だが暗闇にうごめくのは松明でも槍の穂先でもなく、青い燐光だ。

 冷気が足元から這い上がる。フィンは剣を抜き、攻撃に備えて身構えた。

 ルルルルル……

 低く微かな唸りがそこかしこで響く。相対する人間達は緊張と興奮を抑え、白い蒸気に視界を遮られないよう、呼吸を浅く静かに保って待ち受けていた。

 前触れもなく、見えない翼が空を打った。重い羽ばたきの音に続き、地をえぐるように蹴りつける幾多の足音が進撃を告げる。

 闇の中から躍り出た巨大な蝙蝠を、フィンは気合の声すら上げずに薙ぎ払った。すぐ横をプラストの矢がかすめ、正体不明の獣を闇の中に弾き返す。左右の篝火からも、戦いの音が聞こえた。

 ナナイスでのように続けて攻撃が来るかと思いきや、青い光点はいっせいに揺らめき、波が引くようにざっと退いた。フィンは訝り、用心しながら目を走らせる。

 大きなひとつの光点が瞬く。小さな光の群れが、順にぱちぱちと消えては灯った。

「奴ら、驚いているのか?」

 プラストが小声でささやく。フィンは、わからない、と応じて、ちらりと自分の剣を見やった。フェーレンダイン。女神フェリニムの剣。かつてこの北の地で竜侯が振るったという剣を、彼ら闇の眷属は覚えているのだろうか。

 だったら尚のこと、怒り狂って襲ってきそうなものだが――と、フィンがそう考えた途端、応じるかのように咆哮が闇を震わせた。

「うッ!」

 凍てつく憎しみと絶望を叩きつけられ、フィンは呻いて半歩後ずさる。背後でプラストがよろけ、篝火台を危うく倒しそうになった。

 体勢を立て直す間もなく、数体の獣が闇の塊となって襲いかかる。フィンは夢中で、しかし一撃ごとに祈りを込めて剣を振るった。

(女神フェリニムよ、この剣にまだ御力を与えて下さるのなら)

 熊に似た姿の獣が、剣に喉を切り裂かれてのたうちながらも、鋭い爪をフィンの肩に振り下ろす。フィンはきわどいところでそれを振り払い、とどめの一撃を突き入れた。

(憎しみをそらせ給え、清め給え、せめてこれ以上の怨みを募らせることのないように)

 倒せば倒すほど、死した眷属の憎しみが闇に積もってゆくのだとしたら、いずれその山は人の上に崩れ落ちてすべてを破壊し、埋めてしまうだろう。それでは今こうして戦う意味がない。

(デイアよ、ナルーグよ、我らと彼らに憐みを)

 果てなく戦い続けることが、互いの宿命ではないはずだ。

 フィンは次々に襲いかかる牙や爪の嵐をかいくぐり、一体、また一体と屠ってゆく。きりがない。

「くそッ!」

 とうとう罵りを吐き捨て、フィンは自身の内にある光を一気に引き出した。

 刹那、光が炸裂し、群がる闇すべてを弾き飛ばした。

 雷鳴に似た音は、光が発したのか、獣が上げた悲鳴だったのか。その余韻が震えながら消えると、光の壁もすうっと薄れて見えなくなった。

「……はっ、はぁッ……」

 肩で息をしながらも、フィンは警戒の構えを解かない。だが眼前の闇は、もはやただの暗闇だった。のっぺりとした一様の闇。

 しばらくして、ずっと遠くにぽつんと青い光が灯った。それからまたひとつ、ふたつ。

(頼むから、もう来ないでくれ)

 じっとこちらを窺う光の群れに、フィンは無言で懇願した。まだしも人間と戦う方がましだ。闇の眷属との戦いは、ひどく精神を消耗する。自分達にはもう未来がない、一切を終わらせてしまいたいという、絶望の底なし沼――その瀬戸際、足幅ほどの細い縁で戦うようなものだ。

 フィンの願いが通じたのか、青い光はそれ以上、近付く様子を見せなかった。ざわつき、うろうろと行き交って、ゆっくりとひとつずつ消えてゆく。

「助かった……」

 フィンは大きく息を吐き出し、どさりとその場に座り込んだ。腕や足にかすった闇の跡が、じんじん痺れている。

 そのまま茫然としていると、遠くで時々、思い出したように物音が上がった。ぼんやりそちらを見やったフィンの心中を、プラストが代弁した。

「どうやらやはり、おまえだけが集中攻撃されたようだな。大した人気者だ」

「灯台みたいに目立つんじゃ、仕方ありません」

「そのうち向こうが学習して、おまえを避けて通るようになれば良いがな」

「……どうでしょうか」

 何も考えられず、フィンは適当な返事をしてため息をついた。

 と、疲れきった心身に柔らかな温もりが触れた。姿は見えないが、レーナが包み込んでくれたのが分かる。フィンは抗いようもなく、心地良い眠りの中へあっという間に沈んでいった。

 意識を手放す直前、なんとか「見張りの交代を」とプラストに頼んだつもりだったが、声になったかどうか、もう分からなかった。


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