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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
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4-1. 冬を耐えて待つ



   四章


 強い潮風がコムリスの岬に建つ風車小屋を身じろぎさせた。風車の帆は畳まれ、軸は固定されているが、打ち捨てられたわけではない。屋根瓦はきちんと補修されていたし、街から続く小道は草に埋もれず残っていた。

「オアンドゥスさん、戻ってきてくれて嬉しいよ」

 留守中の管理を引き受けていた近所の住民が、まるで旧知の友を迎えるかのように、顔をくしゃりと歪めて笑った。オアンドゥスは鍵を受け取り、長い間ちゃんと保守してくれたことに礼を言う。すると相手は、いやいや、と手を振った。

「またごろつきの溜まり場になっちゃ、たまらないからねぇ。そうでなくとも、去年の秋からこっち、街から人が出て行くばっかりで。知った顔がまた見られるのは、本当にありがたいこったよ。風が落ち着く季節になったら、粉屋を再開してくれるんだろう?」

「さあ、どうなりますか……。しばらくご厄介になるとは思いますがね。また仕事があれば、宜しくお願いしますよ」

 オアンドゥスは明言を避け、当たり障りのない微笑で応じた。ウィネアに戻る予定ではあるものの、フィニアスがいつ合流するか、ウィネアまでの道行きがどの程度安全であるか、まだ分からない。場合によっては当面コムリスに腰を落ち着け、粉屋をしながら少しずつ安全圏を拡大してゆく必要があるかもしれなかった。

 近所の男が自宅に戻り、いつもの面々だけが残されると、ヴァルトがぐるりを見渡して首を振った。

「一冬で随分、シケた街になっちまったな」

「ディルギウスが兵と物資を徴発したせいだろう」

 プラストが感情のこもらない声で言い、早速納屋の鍵を開けて荷物を運び込む。双子の兄弟がそれを手伝いながら、おどけて言った。

「それじゃあ、俺たちの仕事も沢山ありそうだ」

「闇の獣退治ならお任せを! って看板出したら儲かるかも」

「ま、フィニアスが戻ってからでなきゃ危ないけど」

「竜侯様のおなーりぃー。人も獣も道を空けよ! なんてな。俺たちはその後からついてって、飛んでくる金貨を拾い集めるってわけだ」

 不謹慎な冗談でげらげら笑う兄弟に、ネリスは呆れて肩を竦めた。

「くだらないこと言ってる暇があったら、掃除もやっといてよね。あたしは買い出しに行ってくるから。母さん、しっかり見張っといて」

「では私が荷物持ちに行こうかね」

 申し出たのは意外なことにイスレヴだった。まさか、とネリスは大慌てで首を振る。

「議員さんにそんなこと、させられません。えっと、」

 急いで近くにいる顔ぶれを見回し、マックとタズが挙手したのを確かめる。

「あの二人が手伝ってくれますから。イスレヴ様は休んでて下さい」

「そうつれない事を言わんでくれ。ずっと船に揺られっぱなしだったのだし、どのみち、ここにおっても掃除の邪魔になるだけだ。買い物がてら、街の様子も見たいのでね。お嬢さんが退屈な年寄りに我慢してくれるのなら、お供させて貰いたい」

 どこまで本気なのやら、イスレヴは慇懃に頼み込む。こうまでされては、ネリスに否やのあろうはずがない。

 結局、手に手に籠や袋を持って、四人でぞろぞろ街を歩くことになった。必要なのは、パンや野菜、塩漬け魚や調味料等々。衣料や雑貨の類は皇都とシロスでほぼ調えたので、主として食料品を購入する。それぞれの専門店を回る途中、ネリスはふとマックと目を合わせ、同じことを思っているらしいと感じて顔を曇らせた。

「ヴァルトさんの言う通り、ちょっと寂れた感じがするね」

「うん。閉まってる店も増えたし、人通りも前より少なくなったみたいだ。夜間の獣避けはちゃんと出来てるのかな……」

 すると、しなびたリンゴ一樽をめぐって店主と交渉していたイスレヴが、戻ってきて告げた。

「その点は軍団兵がきちんと仕事をしているようだよ。あのリンゴはコムリスの北側で採れたものだそうだから」

 農地が農地として機能している。それは、人がまだ闇にすべてを奪われていない証拠だ。ネリスはほっと息をついた。

「良かった。この辺り、前はもっとネーナ様のお力が強く感じられたんですけど、少し弱まってるみたいで不安だったんです。でもまだ、持ちこたえてるんですね」

「うむ。人の心が挫けておらぬゆえかも知れぬ。後で市長のところにも行ってみるが、街が寂れている割には、不思議と荒んだ空気がない。何か秘訣があるのなら、是非教わりたいものだ」

 イスレヴの言葉で他の三人も初めて気付き、改めて周囲を見回した。

「言われてみれば、そうッスね」タズが小首を傾げる。「静かで物寂しいッスけど、物騒な感じの奴は見当たらないような……」

「初めて来た時の方が危なかったかもね」マックもうなずく。「あの時はファーネインがいたからっていうのもあるけど、何も知らずに売り飛ばされるところだったんだから」

「返り討ちにしてやったけどね」

 ネリスが鼻を鳴らしたので、タズはわざとらしいほど驚いて見せた。

「人買いをぶっ飛ばしたのか? やるなぁネリス。さすがフィンの妹!」

「あたしがそんな腕っ節強いわけないでしょ! どこ見てるのよ、か弱い乙女に失礼ね!」

「『か弱い』ぃ?」

 タズは疑惑の声を上げたが、直後、足の小指を踏まれてぴょんぴょん飛び跳ねるはめになった。か弱い乙女も、やりよう次第で男を涙目にさせるぐらいは出来るわけだ。

 余計なこと言うからだよ、とマックが苦笑し、次いでふと目をしばたたく。大袈裟に痛がるタズの向こうに、なにやらちょっとした人だかりが出来ていたのだ。

「あれ、何だろう」

「お店……かな?」

 ネリスも気付いて足を止め、首を伸ばす。通りの向かい側にあるその建物は、看板も出ていなければ、開けた間口があるでもない。小さな戸口の外で、女が五人ほど、男も一人二人、何かを待つようにたむろしていた。そのくせ、お互い雑談をするでもなく、むしろ避け合うように半端な距離を置いている。

「行ってみよう」

 興味津々、ネリスは早速通りを渡る。馬車が行き交う賑わいが失せただけに、ひょいと飛び出しても轢かれる心配だけはない。慌ててマック達も後から追いかける。

 ネリスが客らしき女に、何を待っているんですか、と訊こうとしたその時、見計らったように扉が開いた。

「それじゃ、これで……」

 女が一人、小声で言いながら中の誰かに向かって頭を下げ、出てくる。冬だというのに日よけの布をすっぽり被っているのは、顔を見られたくないからであろう。いかがわしい店だったろうか、とネリスが気後れしていると、そそくさと立ち去った女の後から、店主らしき人物が姿を現した。

「さて、お次は誰かね?……おや」

 それは小柄な老婆だったが、声には張りがあり、背筋もぴんと伸びていた。皺だらけの細い首にジャラジャラ鳴るほど何本もの首飾りがかかっているのを見て、ネリスは呆気に取られてしまった。

 老婆は面白そうにネリスを見返し、マックやイスレヴにも順に目をやって、にんまりした。

「粉屋さんのお帰りかい。なら、竜侯様もおっつけおいでなさるわけだね」

「――!」

 不意を突かれてぎょっとなったのは、当のネリスたちだけではなかった。順番待ちしていた客も揃って息を飲み、いっせいにこちらを振り向く。

「なんで……!」

 ネリスがかすれ声を漏らすと、老婆はくつくつ喉の奥で笑った。

「皆、待ってるからねえ。長くて暗い冬にもめげずに、竜侯様がお帰りになるまでの辛抱だ、ってね。おいでになったら大歓迎だろうよ」

「勝手なこと言わないで! 誰がそんなことを!?」

 思わずネリスは買い物籠をその場に放り出し、老婆に詰め寄った。兄は既に、あまりに多くの義務と責任と約束を背負っているのだ。この上、まだ何を始めてもいないのに、北部の救い主に祭り上げられてたまるものか。

 ネリスの剣幕にも、老婆はたじろぎさえせず、愉快げな笑みを浮かべたまま答えた。

「噂さね、ネーナ女神のお若い祭司さん。山に踏み込んだ軍団兵がほうほうの体で逃げ帰ってきた後、しばらくは竜侯様の噂でもちきりだったよ。けど何の音沙汰もないもんで噂も立ち消えになった頃に、今度は本国から北の天竜侯とやらの噂が届いた。そりゃぁ、期待するなって方が無理さ」

「おに……兄は、奇跡を起こせるわけじゃないわ! 何を期待してるにせよ、そう都合良くは行かないわよ!」

「あたしに怒鳴りなさんな、あたしは竜侯様の裾にすがって物乞いする気はないからね。面白い見物になれば結構。さあさ、うちに用がないなら行っとくれ! 次の客が待ってるんだからね!」

 老婆がそう言うと、待っていたとばかりに客たちがネリスを押しのけて群がった。今の話は本当か、次は私を、いや俺を見てくれ、と口々に喚く。

 ネリスは車道の方へ押しやられたまま、呆然とそのさまを見ていた。なんなのだ、これは。

 老婆が占い師であることは明らかで、その彼女に、竜侯が来るとなった途端に勢い込んで次は己をと言うからには、竜侯によって自分の人生が大きく変わると信じているに違いない。ここにいる老若男女十数人が、全員。否、悪くすればこの街の住民すべてが、そして街のすぐ北に駐屯する軍団兵までもが。

「どうやら、大変なことになっているようだ」

 イスレヴがささやき、支えようとするかのように、ネリスの肩にそっと手を置く。ネリスは、一人の女が老婆と一緒に屋内に消えるのを見るともなしに見ながら、なかば無意識につぶやいた。

「お兄のことだから、レーナに乗ったまま街に降りてくる、なんてことはしないと思うけど……」

「でも、じきに正体がばれるだろうな」

 マックが憂鬱げに言葉を引き取り、唇を引き結んだ。

 いずれにせよ、フィンが竜侯であることは隠しておけないだろうとは予想していた。人間の領分を取り返すために北進するとなったら、今の面々だけでは戦力不足だ。町や村の人々の様々な協力も要る。

 だが、せめてもう少し後で良いと思っていた。闇の獣を確かに退けられると、凍てつく憎悪に満ちた獣たちから村ひとつぐらいは守り通せると、実証した後で。

 何の実績も保証もないまま、こんな風に期待されているとは夢にも思わなかった。

 タズも珍しく厳しい表情で唸った。

「フィンの奴が戻ってきたら、すぐに知らせてやらないと」

 頭を振り、ため息を堪えて空を仰ぐ。目に映るのは、白い雲と鳥の影だけだった。



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