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灰と王国  作者: 風羽洸海
第三部 帰還
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3-6. 嵐を避け息を潜めて

 二人に連れられて向かったのは、街道から外れて何の標もない雑木林を抜けた先にある、小さな村だった。

(そういえば、少し離れた所に群れがあったな)

 フィンは意識を探った時のことを思い出し、あれがこの村だったのか、と納得する。同時に、ニクスが案内をためらった理由も分かった。村はまだ造りかけの、新しいものだったのだ。

(わけありの逃亡者ばかりが、ここに集まっているんだな)

 道もない、地図にも載っていない。雑木林となだらかな丘に囲まれた窪地に身を隠している村。大抵の場合、新しい町は水はけと日当たりの良い丘の上や南斜面を選んで造るが、ここは違う。

 フィンがニクスを見ると、表情から言いたいことを察したらしく、彼はうなずいてささやいた。

「おまえなら、わざわざ口止めするまでもないだろうな。ここにいるのは金貸しや軍団から逃げてきた人間ばかりなんだ」

「俺も元脱走兵だよ」

 わかってる、とフィンは苦笑で応じる。ニクスは、そうだったな、と言うように肩を竦めた。それから彼は、村の見張りらしき人影に手を振って合図し、念のために背後を確かめてから続けた。

「まあ実際のところ、法的には問題ないのが殆どなんだ。クヴェリスって法律家がいて、俺達を助けてくれたのもその人なんだが、彼があちこちの村や町で借金取りから大勢を救ってるんだ。ただ……法律上は問題なくても、今はその法を守る人間がいない。返す必要のない借金を取り立てられて、支払えなければ命まで奪われる。だから逃げてくるんだ」

 法と公正取引の神クヴェルを名に戴く人物は、こんなご時世でも、その名に恥じぬ仕事をしているらしい。フィンは心強く感じたが、しかし、力が法を圧倒してしまう現実にはため息がこぼれた。

 ニクスはフィンを振り返り、暗い表情を茶化すように悪戯っぽい笑みを見せた。

「それで結局、国の土地に勝手に村を作って、今じゃ立派な犯罪者ってわけだけどな。でもまぁ、お陰で随分、ここではまともな暮らしをさせて貰ってるよ。裏社会も悪くない」

 おどけた言い方にはフィンも気分をほぐされて、つい失笑してしまった。

 建てかけの家や当座しのぎの牧囲いに近付いてゆくと、馴染みのあるものが目に入った。獣避けの篝火台だ。ただし、数は多くない。

 この辺りには闇の獣が少ない、とオリアが言っていた。フィンは何故だろうと考えながら周囲を見回した。大森林が近いせいかもしれない。村を囲む小さな丘の稜線越しに、もう黒い樹木の影がちらちら見え隠れしているのだ。

(さしもの闇の眷属も、秘めたる力の神オルグの領域にまでは、手を出せないってことか)

 それとも、人間が元々この辺りに少なかったからだろうか。闇の獣の憎しみをそそる、欲望と活気に満ちた人間の町がなかったから。

 あれこれ考えていると、ニクスが「ここだ」と告げてひとつの建物を示した。フィンは立ち止まり、礼儀正しい好奇心でもってその家を眺めた。

 数世帯が入れる長屋だ。つくりは単純で、長方形の平屋を壁で区切っただけのようだが、茅葺屋根も壁の煉瓦積みも、丁寧な仕事で仕上げられている。

「軍団で身につけたことが役に立ったよ」

 ニクスは笑い、手近な壁を愛しそうに叩いた。どうやら彼も建造にたずさわったらしい。フィンは羨ましそうに庇を見上げた。

「俺にはそれだけの時間がなかったな。自分の家を建てるどころか、雨漏りの修繕も出来そうにないよ」

「なぁに、今からでも覚えられるさ。なんなら隊長に教わるといい」

 ニクスは軽く言ってフィンに複雑な顔をさせてから、ちょいちょいと手招きした。

「村長に会っておいてくれ。挨拶しておかないと、よそ者がいるって騒ぎになったら困るからな」

「それじゃ」とオリアが小さな木戸に手をかけながら言った。「私は先に夕食の用意に取りかかるわね。あまり贅沢なものはないけど、腕によりをかけるから期待してて」

「ありがとう」

 フィンが礼を言うと、オリアはコムリスにいた頃を思い出したかのように、少し恥ずかしそうに微笑んだ。

 ニクスが半ば引っ立てるようにしてフィンを連れて行ったのは、狭いながらも広場らしい場所だった。

 井戸が掘られており、周囲には村人たちがたむろしていた。夕食の準備に必要な水を汲みに来た者、一日の労働を終えて埃と汗にまみれた顔を洗う者。ほとんどがまだ若い。五十を越えているように見えるのは、ほんの数人だけだ。その誰もが、興味と警戒の相半ばする視線をフィンに投げかけてくる。

(どうやら俺は歓迎されてないみたいだな)

 フィンが内心で首を竦めると同時に、ニクスが行く手の建物を示した。

「あそこが村長の家だ。集会所を兼ねてる」

 他の建物より少し大きいが、それもやはり平屋だ。その前で、数人の男女が何やら世間話をしていた。一人の女の足元には、子供が二人、早く帰ろうよ、とばかり、ぐずぐずとまとわりついている。フィンは孤児院の小さな弟や妹を思い出して、知らず口元をほころばせた。

 と、子供の片方が、構ってくれない母親にぶんむくれて地べたに座り込んだ。空を仰ぎかけた目が、たまたま、まともにフィンの視線とかち合う。青い目が真ん丸に見開かれ、口がぱかんと音を立てそうな勢いで開いた。

「うわぁぁ!!」

 頭のてっぺんから出てきたような大声に、何事かと広場の全員が振り返る。母親がたしなめるより早く、子供は小さな指でフィンをまっすぐ指差して叫んだ。

「何あれ! お母さん、あの人すっごい光ってる!!」

 あ痛、とフィンは片手で顔を覆った。ネリスに警告されてはいたものの、今まで誰にもこんな唐突かつ大々的な暴露をされることはなかったので、すっかり忘れていたのだ。恐らくフィンの特殊性に気付いた人間もいないではなかったのだろうが、大人達は賢明にも口をつぐんでいたのだろう。恐るべきは子供の無知である。

「なんかぐねぐねしてるぅ! 怖いよぉ!!」

 ……そして幼きがゆえの残酷さも。

 フィンはがっくり地面に両手をつきたい切なさと戦いながら、なんとか姿勢を正してぐるりを見回した。困惑と怒りのまなざし、不審と警戒の目。そして背後で震えながら笑いを堪えている、ニクスの薄情な気配。

 それらに囲まれ、フィンは深いため息をついた。意識を自身の内に向け、レーナの白い光に覆いをする。光が弱まるのが見えたらしく、子供はフィンを指差したまま、ぽかんとした顔になった。

 フィンがゆっくり近付くと、子供は母親の裾にがっちりしがみついて逃げたそうにしたものの、実際には腰が抜けたらしく、それ以上動けずに固まってしまった。フィンはその前にしゃがみ、穏やかに問いかける。

「これでもう、怖くないかい」

 子供は怯えたまま返事をしない。まあ当然か、とフィンは苦笑して立ち上がった。途端に今度は、母親の厳しい目に睨まれる。フィンはぺこりと頭を下げた。

「お騒がせしました。俺はフィニアス、ニクスの友人です。あなた方を脅かすことは一切しないつもりでしたが、お子さんを怖がらせてしまって申し訳ありません」

 女はじろじろとフィンを値踏みするように眺め回し、用心深く口を開いた。

「あんた、神官か何かかい。それとも、実は魔物が化けてるのかい」

「いえ、俺は……」

 答えたものかどうか迷い、フィンは結局、諦めて正直に告げることにした。どのみち、ここの人々が知ったところで、よそに知れ渡ることはあるまい。

「竜侯なんです」

「はァ?」

 何を寝惚けてんだい、とばかりの声が返ってきた。これは予想外の反応で、フィンは思わず愉快になってしまい、笑いを堪えて説明を加えた。

「もちろん、先祖代々の竜侯家の者ではありません。俺は元々、ただの粉屋なんです。ただ、ちょっとした偶然で竜と絆を結ぶことになって……その絆が、祭司の目を持つ人には、『なんか白くて光るものがぐねぐねしてる』ように見えるそうですよ」

 言葉尻で苦笑いしたフィンに対し、女はまだ疑いの晴れない様子で一歩下がった。子供達を守ろうとしてか、それとも、離れてよく見ようとしてかは分からないが。

 次に彼女が言い出しそうなことは簡単に予測できた。それなら竜はどこにいるんだ、である。フィンが呼ぶまでもなく、レーナがふわりと姿を現した。今度は子供だけではなく、広場にいた人々が口々に驚きの声を上げる。ついに堪えきれなくなったニクスが、笑いながらフィンのそばまでやって来た。

「やあ、久しぶり、レーナ」

「こんにちは、ニクスさん」

 にこりとしてレーナが応じたもので、子供を庇って後ずさっていた女が、腹を立てたように「ちょっと!」と怒鳴った。

「ニクスあんた、何のつもりだい!」

「まあ落ち着いて下さいよ、村長。フィニアスとはたまたま、街道で出くわしたんです。彼は俺達を心配して捜してくれていたんですよ。それで、折角だから我が家へ招待したってわけです。他意があって連れてきたんじゃありませんよ」

「それじゃあんたは、この子が竜侯だってことは知ってたんだね?」

「ええまぁ。こいつのせいで、第八軍団から脱走したようなもんです。な、フィニアス」

「……まあ、そうかな……」

 微妙に事実と違うような気もするが。曖昧に答えたフィンに、村長はまた疑わしげな目つきをする。それから彼女は、同じ目をレーナにも向けた。

「で、この娘さんが竜だって?」

「はい。天竜ディアエルファレナ、俺たちはレーナと呼んでますが」

 フィンが紹介すると、レーナはまだ不慣れな仕草でちょこんと会釈した。ニクスが広場の面々を見回してから、聞こえるように大きな声で話を続けた。

「俺はこの二人が絆を結んだ時にも居合わせましたよ、村長。だから今の彼女が見た目は人間でも、本当の姿は違うって知ってます。フィニアスが稀に見る律儀な堅物だってことも、レーナがすごくいい子だってこともね。だから、警戒しないで、俺たちと同じように接してくれませんか。同じ、故郷を失った人間として」

 故郷を失った、と言われて、フィンの胸がずきりと痛んだ。その束の間の表情を、村長は目敏く見て取ったらしい。あっさり手を上げ、「分かったよ」と応じた。

「あんたの客人だ。せいぜいもてなしておやり。ただし、他言無用は誓って貰うよ。あと、うちの子を怖がらせないように、ここにいる間は気をつけとくれ」

「ありがとうございます」

 ニクスとフィンは同時に礼を言った。村長は鼻を鳴らし、まだ怯えている子供を抱き上げてあやし始める。レーナは興味深げにその子を見ていたが、自分が近付こうとすると怖がらせることに気付き、残念そうに引き下がった。

「さてと、顔と名前は皆に知らせたわけだし、戻ろうか」

 ニクスがフィンの肩を叩く。フィンはうなずき、もう一度村長に頭を下げてから、レーナを連れて歩き出した。


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