3-5. 捜し人
沈む太陽を追い続けるうち、フィンは次第に自分の気分までが沈鬱になってゆくのを感じていた。
捜す二人がなかなか見付からないから、ではない。むろんそれも理由のひとつではあるのだが、レーナの助けを借りて人々の意識の海に手を浸す度、澱み濁った存在に触れるのが辛かった。疲弊しきって光を失ったもの、怒りや恨みにふつふつと煮えたぎるもの、貪欲に牙を剥いて他の人々を捕食せんと狙うもの……。
時にはマックやネリスと同じ光を帯びたものが通り過ぎたり、稀に息を飲むほど美しいものが指先に触れることもあるが、それだけでは、払底しかけの気力を取り戻すことは出来ない。
茜色に染まる小さな集落を遠目に眺めて、フィンは我知らず深いため息をついた。人目を引かないようにと、村や町に入ることは避けてきたが、それでも、ナクテを離れて西へ向かうほどに暮らしが荒んでいるのがわかる。
集落の外に広がる農地に放棄された荒地が目立ちはじめ、街道の敷石は隙間に草が生え、かつては旅人を誘う看板だったと思しきものが、風雨に晒され朽ちるがままにされ。そこかしこに、荒廃の兆しが見て取れる。
人々の意識に直接触れないで、地道に普通の人間らしい方法を使って捜せば、少なくとも気疲れは軽くなるだろう。だが時間がかかるし、要らぬ厄介ごとに巻き込まれることは想像に難くない。傍らに寄り添うレーナの温もりが唯一の慰めだ。
数日捜して見付からず、フィンはふと思いついて捜索範囲を南へずらした。
ファーネインが大森林にいたのなら、子供の足で森まで行けるほどの距離まで、大人たちと一緒に移動したはずだ。オリアと一緒にか、連れ去られてか、それはともかく。
(だとしたら、二人もその近くにいるかもしれない)
今度こそ、と望みをかけて何度目かの捜索を行った時、初めてフィンの指先を、馴染んだ気配がかすめた。
「いた!」
思わずフィンは歓喜の声を上げ、すぐさま意識を自身に戻して目を開いた。忙しなく周囲を見回したが、視野に入る範囲には、人影どころか鳥一羽いない。
「二人はもっとずっとあっちよ」
レーナが可笑しそうな声で教え、街道の先を指差してくれた。フィンは照れ臭そうに肩を竦め、そちらを見やった。
太陽はまだ高い。歩いて行けば、どこで出会うにしてもさほど不自然ではないだろう。旅人の姿が激減した昨今とは言え、皆無というわけでもない。
フィンは荷物袋を肩に担ぎ、久々に自分の足で歩き出した。空を飛ぶ速さに慣れた身には、もどかしい歩みだ。いっそ走り出したいのを堪え、我慢強く足を動かす。レーナは察して姿を消していた。
やがてフィンの目に、行く手からやって来る二人連れが小さく映った。
「あれかな?」
フィンがつぶやくと同時に、レーナが彼の意識を少しだけ開かせる。懐かしい気配が感じられた途端、フィンは自分を抑えきれなくなって駆け出した。
じきに向こうも、全力で駆け寄る人影に気付き、ぎょっとしたように警戒の構えを見せた。フィンは大きく手を振り、二人の名を呼ぶ。それでも二人は、逃げるか否か迷っているような姿勢のままだった。
互いの距離が十数歩というところまで来て、やっとオリアがフィンを認めた。
「フィニアス!? まさか、どうしてここに!」
「良かった、二人とも無事だったんだ!」
フィンは荷物を放り出し、両腕を広げて二人の肩をいっぺんに抱いた。ニクスは構えていた拳を下ろしたものの、ぽかんとして目をしばたたき、小さくよろける。
「なんで……おまえ、本当に?」
「ああ、本当に俺だよ。粉屋のフィニアスだ」
フィンは腕をほどいてにっこりすると、改めて二人を眺めた。意識が触れた時にも感じたが、二人ともコムリスにいた頃に比べて頑なな雰囲気になっていた。警戒と恐れ、それに疲労のせいだろう。
自分の方から先に説明して、安心させた方が良さそうだ。そう判断すると、フィンは穏やかに言った。
「あれから色々あって、俺達も一度、本国側に下りて皇都へ行ったんだ。そこで古い友人に会って――ニクスは一度会ってるよな。船乗りのタズなんだが――彼が、大森林でファーネインを見かけたと教えてくれた」
オリアが息を飲む。フィンは彼女に向かってうなずいて見せた。
「そうなんだ。怪我をしていたらしいが、今はフィダエ族に保護されているらしい。それで、君とニクスはどうなったのかと心配になって」
「捜しに来てくれたの?」
信じられない、とばかりにオリアは目を見開き、声を震わせる。フィンが軽くうなずくと、オリアは緊張が解けたのか、力が抜けてくずおれそうになった。ニクスがそれを抱きとめ、優しく背をさする。それから彼は、改めて検分するような目をフィンに向けた。
「一人なのか?」
問いかけに含まれる意味を察し、フィンは一瞬ためらった後、うなずいた。
「俺の家族はヴァルト達と一緒に、船でコムリスへ戻ったんだ。俺はあんた達を捜したくて……見付かっても見付からなくても、向こうで落ち合う約束になってる」
「そうか」
ニクスは奇妙に安心したような吐息をもらした。フィンは小首を傾げたものの、あえて詮索はせずに続けた。
「俺達はコムリスから、ウィネアへ行く計画なんだ。ディルギウスが死んで、今の第八軍団はアンシウスが司令官になった。だからもう逃げなくていいし、出来るなら少しでも北部を安全な場所にしたい。ニクス、もしあんた達に行くあてがないのなら……」
「いいや」
皆まで言わせず、ニクスは即答した。かすかに身震いして。
「北へ戻るつもりはないよ。俺達はファーネインを捜していたから。実は……オリアの親戚が性質の悪い金貸しにひっかかって、俺達が村に着いた時には何もかも差し押さえられていたんだ」
「強盗まがいの連中が家で待ち構えていたの」オリアが話を引き継ぐ。「私とファーネインは、無理やり連れて行かれたわ。母さんとニクスは、乱暴にされて……後でニクスが私を助け出してくれたけど、母さんは亡くなってた。それから二人で、なんとかファーネインの売られた先を突き止めたんだけど、その店は火事で焼けてしまっていて。ファーネインが無事かどうか、どこに行ったか、誰も知らなかったの」
「……大変な目に遭ったな」
フィンが痛ましい表情になると、オリアはようやく、微かに笑みの気配を目元に浮かべた。今はもう大丈夫だ、と言うように小さく首を振る。
「私はニクスに助けて貰ったから。それで、ファーネインには、大森林に入れば会えるのかしら?」
「無理だと思う。フィダエ族は言い伝えの通り、結界を張って隠れているそうだ。特別な事情がある人間以外は、大森林に入っても彼らの所には行き着けない。でも、ファーネインは彼らの元にいる方が安全だし、ゆっくり傷を癒せるだろう、って話だった」
フィンの説明に、オリアとニクスは顔を見合わせた。どうするか相談したいがフィンの耳が気になる、といった風情だ。フィンは目をしばたたくと、二人に背を向けて耳をふさぐ仕草をした。何も聞こえないことにする、という意思表示。
しばし小声でささやき合ってから、ニクスが後ろから、フィンの肩をトントンと突いた。もういいのか、という顔でフィンが振り返ると、ニクスは以前のような親しみのこもった苦笑を浮かべていた。
「そういうことなら、俺たちは今の住処に戻るよ。大森林からそう遠くないから、ファーネインが外の世界に戻りたくなった時には迎えられると思う」
「そうか」
「で……オリアは、おまえにも来て欲しいってさ」
「え?」
「ここから歩いてたんじゃ、日暮れまでにまともな宿のある村に辿り着けないからな。俺はおまえだったら心配ないって言ったんだが」
事情を知る者のおどけた声音を、オリアが後ろからなじる。
「いくらフィニアスが強くても、この辺りに闇の獣が少なくても、野宿なんてさせるものじゃないわ。あなた、自分の子供が外遊びから帰らなくても、同じことを言うつもり?」
「まさか! 薄情で言ってるんじゃないよ」
「だったらいいんだけど」
二人の会話は、すっかり気の置けない様子になっている。フィンは小首を傾げ、ほんの少し竜の視力を意識して使い、オリアを見てみた。以前と同じ素朴な温かさの芯に宿る、新しい強さ。それは――。
思わずフィンはぽかんと口を開け、間抜けな声を上げた。
「オリア、君、子供が?」
いきなり言い当てられてオリアは目を丸くしたが、すぐに恥じらいと誇らしさの入り混じる笑みを広げ、ええ、とうなずいた。その手が、まだほとんど兆しの見えない腹をそっと撫でる。ニクスも照れながら、にやけるのを堪えて妙な顔をした。
フィンは驚くやら喜ばしいやら当惑するやらで、何を探すでもなくきょろきょろする。
「おめでとう。でもそれじゃ、こんな所をてくてく歩いてちゃ……」
「十ヶ月もの間ずっと寝てろとでも言うの? 大丈夫よ。おかしいのね、男の人って皆、赤ちゃんが出来たとなったら途端にうろたえるんだから」
オリアは声を立てて笑い、ニクスを肘で小突く。どうやら彼女の夫も同じ心配をしたらしい。ニクスは威儀を正すように咳払いして、しかつめらしく応じた。
「心配するのは当然だろう。男じゃその仕事は肩代わり出来ないんだから」
真顔で言った割に間の抜けた台詞だったため、オリアはますます笑うばかり。ニクスは渋面を装い、フィンもにやけそうになるのを堪えて同情的な顔を取り繕ったのだった。




