没落失敗のハッピーエンド
あの月明かりの下での誓いから、事態は驚くべき速さで動き出した。
正式にヴァイオレット領の鉱山は国営化され、王宮からは有能な官僚や技術者が続々と派遣されてきた。
責任者に任命されたのは、もちろんアウレリオ殿下だ。彼は父が築き上げた指針を尊重しつつ、最新の技術を導入し、今や鉱山は「国家の宝」として盤石の体制で運営されている。
一方、我が家の面々にも劇的な変化があった。
父は、鉱山経営から手を引くかわりに城での要職を勧められたものの、「殿下の顔を立てるため」を大義名分に断固として辞退。引退まで持ち込もうとしたが引き止められ、結局、「名誉伯爵」という社交義務の無い特別なアドバイザー職に収まった。
鉱山経営から解放されたおかげで、胃薬が相棒だった日々も終了し、今ではスコップを相棒に、毎日、植物と楽しげに会話をしている。
母もまた、以前の忙しさが嘘のように、趣味の刺繍に没頭している。
作り出された大量の作品は、教会のチャリティーで販売され、その繊細な美しさから今や大人気だ。
最近は孤児院の子供達へ刺繍教室もはじめて、たまに生徒から拙い刺繍作品をもらっては、
「こんなもの必要無いのに(=お礼なんていらないの。あなたが刺繍を楽しんでくれるだけで幸せよ)」
と言いながらも、額に飾って慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。
そして私、リリアーナはというと。
婚約者のアウレリオ殿下がヴァイオレット家へ婿入りすることが正式に発表された。将来の公爵夫人という地位が確定したことで、正式に警護が付いて、嫌がらせやトラブルに巻き込まれることはなくなった。今は将来の夫を支えるべく、領内でアウレリオの地盤づくりを手伝う日々だ。
そしてこの度、正式な婚姻を前に、殿下が長期休暇を利用して我が家に滞在することになった。名目は領内経営の実務研修。通称――「婿入り修行」である。
その初日。私は落ち着かない気持ちのまま、両親と玄関ホールで待ち構えていた。
馬車はすでに到着している。なのに、いつまで経ってもノッカーが鳴らない。
嫌な予感がしてそっと扉を開けると、案の定、門の前で祈るように両手を握りしめて直立不動になっているアウレリオ殿下の姿があった。
その後ろではお付の人達が困ったように、しかしどこか楽しげに見守っている。
さらに後ろでは、野菜を売りに来た近所の農家さんや、通りがかりの領民たちまでもが、ニコニコしながら殿下を囲んで励ましたりからかったりしている。
領民達にも愛されているようで何よりだ。
国家を動かす交渉をやり遂げたその人は、今や――好きな人の家の玄関を前に、足がすくんでいるだけの青年だった。
私は深く息を吐き、扉を大きく開けた。
「……殿下。いつまでそこで立っていらっしゃるのですか?」
一斉に視線が集まる。殿下は私を見てぱあっと顔を輝かせたが、自分の状況を思い出したのか顔を真っ赤にし、意を決したように一歩踏み出し――て、そのまま背を向けた。
「ちょっと、どこへ行くんですか!?」
「やっぱり、心の準備が……っ!」
「一生終わりませんわよ、そんなもの!」
彼は何とか踏みとどまったものの、足は震えたままだ。
しょうがないわね、と彼のもとへ歩み寄り、その冷えた手をしっかりと取る。
周囲から小さな歓声が上がったが、もう気にしない。
「ほら、帰りましょう」
「……ん」
私が笑いかけると、彼は真っ赤な顔のまま頷いた。
騎士たちが気を利かせて自然に視線を逸らす。
玄関ホールにいたはずの両親は、いつの間にか姿を消していた。ただでさえ緊張していたのに、アウレリオ殿下の緊張が移って、限界を超えて庭へ逃げ出してしまったようだ。
似た者同士、きっとこの家で仲良くやっていけるだろう。
「……リリアーナ」
殿下は深呼吸をひとつ。そして、私を見た。
「……ただいま」
「……おかえりなさい、アウレリオ様」
その瞬間、アウレリオ殿下が花が綻ぶように笑い――。
実際に、背後の庭で盛大に花が弾けた。どうやら女神様が祝福を送ってきたようだ。
「だから、覗かないでと言っているでしょう―――!!」
アウレリオ殿下の悲鳴が庭に響き渡る。
見物人たちは事情を知らずに「なんだかわからないがおめでたい!」とはしゃいでいる。
私は思わず吹き出した。
「笑い事じゃないよ。ようやく、君に『ただいま』って言えたのに……」
ブツブツ言いつつも、彼もまた幸せそうに笑っている。
国家規模の経済改革も、王家の承認も、臣籍降下も。全部ひっくるめて――この人は、ただ「ただいま」と言いたかっただけなのだ。
まあ、少し……いや、だいぶ愛が重いけれど。
「これから毎日、言ってくださいね」
「……うん。何度でも」
花びらが舞う中、私は彼の手を握り直す。
結局、没落はしなかったし、夢見たスローライフは手に入らなかった。それどころか、聖女も女神様も騒がしいし、婚約者は愛を暴走させがちで、未来はきっと波乱万丈だ。
けれど。何はともあれ――当初の目的であった『領民を路頭に迷わせず、国家を混乱させず』を達成し、とびきり幸せな日々を手に入れた。
ヴァイオレット家の「没落作戦」は、これ以上ないほど、騒がしいハッピーエンドである。
ワーママの現実逃避から産まれた妄想ですが、産まれてはじめて、ラスト書けました。自分のために書いた拙い話ですが、読んでいただけたなら嬉しいです。




